第7章 黄金の午後に還る日まで
26.歩兵は白の女王へ 156
――最後の一日が始まる。
明日、教団との戦いに赴く面々は、この姿での学生生活最後の一日を表面上は何事もなく送っていた。
とは言っても、ギネカやムースは戦いが終われば元々の居場所に帰ってくるだけだ。
しかしアリスとシャトンの二人は……。
「え! 引っ越し?!」
「アリスとシャトン、行っちまうのかよ!」
「うん」
無事に盗まれた時間を取り戻せれば、アリスはアリストに、シャトンも十七歳の姿に戻る。
それと同時に、アリス=アンファントリーとシャトン=フェーレースという存在はこの学院から消えることとなる。
二人はそれに関し、最初に偽りの素性を演じた時の嘘を貫くことにした。
「もうすぐ全部片付いて、無事に家族と暮らせそうなんだ」
元々そういう理由だと周囲に説明していた。実際、アリスに関しては事情があって家族であるダイナと暮らせなくなったのは事実なので全てが嘘ではない。
「そっか……そういうことなら」
「寂しいけど仕方ないですね」
友人想いのカナールたちは、寂しさを隠そうとはしない。けれど根が素直な彼らは、アリスやシャトンが本当の家族のもとに帰れると知って、自分のことのように喜んでもくれた。
「引っ越しても俺らのこと忘れんなよ!」
「うん」
ネスルが赤い目をしながら言うのに、アリスは頷いた。
「絶対に忘れない」
彼らはつい先日、テラスを亡くしたばかりだ。それに加えてアリスとシャトンまでいなくなってしまえば、これまでに築いた交友関係のほとんどが消えてしまうことになる。
遺跡で強盗団にも立ち向かったし、エラフィ誘拐事件でも活躍した。彼らならばもうアリスたちがいなくても大丈夫。そう思いはするが、アリスやシャトンにとっても寂しさは消えない。
この姿になってできた小さな友人たち。
彼らはいつだって、非力な子どもの姿でも、自分たちは無力ではないと教えてくれた。
彼らがいたからこそ、アリスは元のような力のないこの姿になっても、折れずに走り続けて来れたのだ。アリスと違って本物の子どもである彼らが、それを理由に諦めずいつも戦っていたから。
「カナちゃん、ローロ君、ネスル君」
シャトンがぎゅっと三人を抱きしめた。
「ありがとう。あなたたちに出会えて良かった」
「シャトンちゃん……?」
「なんだよ、お前までなんか」
「どこか、遠くに行ってしまうようなこと――」
会えてよかった、何でもないその言葉が、今は子どもたちの胸に突き刺さる。
先日亡くしたばかりの友人たちも、最期にはそう言って消えてしまったからだ。彼らの前から永遠に。
「……うん。アリスはともかく、私はしばらくこの大陸を出ることになると思うから、当分連絡もできないの」
「ええ?!」
シャトンもそれを理解していたものの、結局は本当のことを告げた。
「連絡もできないって、この時代に携帯もメールもってことですか?!」
「ネットは世界中に繋がってるってうちの家族が言ってたぞ!」
「ごめんね」
「シャトンちゃん!」
「ごめんね」
シャトンは穏やかに繰り返す。
アリスは元々この学院に在籍する十七歳のアリストとしての居場所を持っていた。元の姿に戻っても、ギネカたちを通じて改めて彼らと知り合うことは容易い。
けれどシャトンはそう簡単には行かない。睡蓮教団のことに完全に決着がつくまえに、“チェシャ猫”として教団にマークされている元の姿を人前にあまり晒すことはできないからだ。
シャトンが再びカナール、ローロ、ネスルの三人と知り合うまでには、きっとアリストよりもずっと長い時間がかかる。
「……いいのか? シャトン」
「ええ」
どこまで事情を告げるのかは、相談してもあまり明確な答は出せなかった。本当のことはまだ彼らには話せないが、あまりにも綺麗に取り繕った嘘は言いたくない。
シャトンは今ここで、ようやく覚悟を決めたのだ。
「私の都合で悪いけれど、こっちの世界に未練を残したくないの」
「こっちの世界? ……お前はこの戦いが終わったら、俺とヴァイスと一緒に戻ってくるんじゃないのか?」
本当にどこか手の届かない場所へでも行くかのようなシャトンの言葉に、アリスまでもがそう尋ねる。
「私は教団の完全な終焉を見届けないと、帰って来れないわ」
十年前のように余力を残した状態で放置するわけには行かない。例えこの時代で間に合わずとも、神をいずれ復活させようと願う野心家が残らないとも限らないのだ。
ただ一つの禁呪を開発した代償に、シャトンはこの先一生、その行く末を見守る役目を自らに課した。
「でも……もう一度この街に戻って来れたなら、その時はまた、彼らに会いに行きたいわ」
「もう一度と言わず、いつでも帰って来いよ。お前はジェナーさんと暮らすのかもしれないけど、ヴァイスだって今更お前を他人だと放り出したりしないはずだ」
「ありがとう。……そうよね、私にももう、帰る家と、待っていてくれる家族ができたんだったわね」
その家族とはジェナーのことなのか、それともヴァイスのことなのか。
どちらでもかまわない。どちらでもシャトンのことを受け入れるだろうから。
◆◆◆◆◆
「え? 長期の休学? あんたたち一体何するのよ」
「ええと……ほら、最近色々あったじゃないですか」
高等部の方でも、戦いに赴く一行が何も知らない友人たちに不在の言い訳を告げていた。
「あー、まぁフートに関しては……そうね」
ムースの言い方に、エラフィは気まずげに言葉を切った。
小等部のテラスに、フートが片恋とも言える想いを抱いていたことは仲間内では皆が知っている。彼の死が余程ショックだったのだろうと、最近少し口数が少なく様子のおかしいフートを見ながら考えた。
実際にはその理由は違う。
きっかけはその事件だが、フートの様子が事件以降おかしいのはそれがフートではなく、弟と入れ替わったザーイエッツだからだ。
更に彼は今回の教団襲撃作戦によって十年前に盗まれた時間を取り戻す。それによって外見上の変化があることを見越して、早めに休学することにしたのだ。
作戦が失敗に終われば、行き場のないザーイエッツはこのままフートとして帝都で生きていく。
だがもしも本来の姿を取り戻せるのなら――。
時間を盗まれてまだ半年も経っていないアリスたちとは違い、ザーイエッツが本当の姿に戻れるのかどうかは、禁呪の開発者であるシャトンにもわからないとのことだった。
彼がかけられたのは未完成の魔法。しかも、その姿のままで十年の時を過ごしてしまった。それが禁呪の効果にどんな影響を与えるかは制作者にも予想しきれなかった。
何も変わりはないかもしれない。能力だけが取り戻した時間の分上乗せされるかもしれない。本来送るはずだった時間通りに年齢を重ねた姿に変化するのかもしれない。もっと何か考えられもしないような影響を受けるのかもしれない……。
それでもザーイエッツは、自分自身の時間を取り戻すことを決意した。
命の一つも賭けなければ怪盗などやってはいられないと。
物語中で“時間殺し”と扱われる帽子屋として、全ての時を解放する。
「ギネカも休むの?」
「うん、遠くの親戚と、ちょっと相続争いのことで喧嘩しに」
「そ、そう……気を付けてね」
「ありがとう」
実際ネイヴの関係で親戚と喧嘩をしたことのあるギネカである。
「私は数日で戻って来るから」
「じゃ、待ってるね」
ムースはフートを演じるザーイエッツに付き合って、その時の状況によっては長く帝都を空けることになる。ギネカにはそう言った事情はないため、教団襲撃を成功させたらそのまま帰ってくるつもりだ。
もちろん、彼女自身が生きて帰って来れるのが前提の話だが。
「しかし、あんたたちみんな急に忙しいわね」
「ルルティスもいきなり転校して行っちまうし」
「……!」
その名にギネカとムースはどきりとし、目配せし合う。
ルルティス=ランシェット。彼の正体は赤騎士ルーベル=リッター。
髪の色と名を変えて学院に潜入していた、睡蓮教団の幹部の一人だったのだ。
彼と直接因縁のあるアリスやシャトンが見ればすぐに気づいたのだが、その辺りはルルティスの方で巧妙に彼らと顔を合わせないように計算していたらしい。
彼がヴェイツェを殺したと知っている面々は複雑な表情になる。
自分たちは本当に、親しい人の顔を何もわかってはいなかった。
毎日顔を合わせる友人の正体も本当の想いも何もかも知らず、時に争い、時にすれ違い……。
でも今は、以前よりも多くのことを知った。これからどうするのかが問題だ。
睡蓮教団に勝って、本当の自分を取戻し、必ず帰ってくる。
「エラフィ、レント。あんたたちくらいは、私やアリストが帰ってきた時に、どうか変わらず出迎えて」
「はいはい、もちろんよ」
「待ってるよ、ギネカ。もちろんフートもムースもアリストも。みんなのことをね」
「では」
「行ってきます」
この時、彼らはまだ自分たちさえ離れれば、学院の方は安全だと信じていた。
◆◆◆◆◆
そして数日後。
白の王国とアリスたちは作戦のために動き始めた。
物語は夢から醒めることでようやく終焉を迎える。永遠を謳う終わりのない夢など、彼らにはいらない。
この長い戦いを、醒める夢として終わらせるために。