Pinky Promise 163

第7章 黄金の午後に還る日まで

28.物語の終わりに 163

 衝撃を受けた体が倒れ、その頭の辺りから血だまりが広がっていく。
「今まで御苦労、女王陛下」
「な……」
「レジーナ!?」
 グリフォンが、ハートの女王を撃ったのだ。
「何故……!」
 ヴァイスが今の今まで戦っていた相手を睨み付ける。
「おっと、そう睨まないでくれよ。あんたたちにとっての敵を倒してやったんじゃないか」
 自らの上司を平然と撃った男は、何の痛痒も感じていない顔で嘯く。
「ここ最近のハートの女王の行動には違和感だらけだったからな。ハンプティ・ダンプティの性急な始末と言い、お前たちにこの場所を掴まれたことと言い」
 裏の世界に顔が利く睡蓮教団の力をもってすれば、どちらも慎重に行えば彼らなど相手にならなかったはず。白の王国はまだしも、アリスやヴァイスはただの一般人だ。
「『ハートの女王』に相応しい振る舞いとはいえ、ちょっと感情で動き過ぎだ。組織を恙なく存続させるためには、犠牲の一つも付き物だってのに」
「……貴様は、ハンプティ・ダンプティの時も、先日ダイナとハートの女王が出くわした時も、教団員を見捨てるべきだったと言うのか?」
「だってそれが正解だろう? 組織の実権を握っているのは俺たちコードネームを持つ幹部連中だ。替えの利く駒である下っ端どもを庇ってアジトを危険に晒す奴があるかよ」
 尤もグリフォンは、ハートの女王のその言い分自体、疑わしいと思っている。
 レジーナという人間がそれ程無慈悲で冷酷だとは思わないが、言葉で説明するように、組織の末端の部下一人一人のためを思ってまで行動するような女か?
 感情で動いているように見せて実際のところ本心の読めないハートの女王は、グリフォンにとってはやりづらい相手だった。
 今まではその上に野心の在り処がわかりやすい赤の王がいたが、今はハートの女王が全てを握っている。
「女王陛下自身が、父親を殺してその座を乗っ取ったんだ。だったら自分が女王に相応しくないと部下に思われたなら、力ずくで引きずりおろされても仕方ねえよな」
 潮時。それがグリフォンの判断だった。
 これ以上ハートの女王についていっても、面倒事に巻き込まれるだけだ。
 睡蓮教団への憎悪に燃える復讐者との戦争もこの辺りで終わりにしたい。
 だが。
「――そうだね」
 二度と響くはずのない声が響き、グリフォンは振り返った。
「僕は自分にとって不利益をもたらすもの、そして気に食わない奴は今までだって躊躇わずに殺してきた」
「なっ……!」
 血だまりからむくりと起き上がったハートの女王のこめかみには、滑らかな肌を穿つ暗い穴が確かに開いている。
 その銃創から今もどくどくと血を流しながら、それでも立ち上がり微笑む彼女の手にも銃があった。
「だから君は浅はかなんだよ、グリフォン」
 そしてお返しとばかりに、グリフォンの腹部を撃ち抜く。
「がっ……!」
 血を吐きながら崩れ落ちるグリフォンに、ハートの女王は歩み寄った。グリフォンが取り落とした銃を蹴飛ばし、更に脚にも銃弾を撃ち込む。
「この僕が銃弾一発で死ぬはずがないじゃないか」
「てめぇ……何者だ……ッ」
「君は教団そのものを居もしない神に縋る精神的惰弱者の集まりだと嘲っていたけどね。彼らだって馬鹿じゃない。睡蓮教の力を信じたのは、それなりに理由があるに決まっているだろう」
「ぐっ……!」
 ドン、とまた一発、ハートの女王はグリフォンの体に銃弾を撃ちこむ。
「赤の王は不死なる肉体の娘の体を切り刻み撃ち抜いて、死なずに生き続ける歪みを神の奇跡と謳って信者を集めた。物事を信じるには理由がある。当たり前の話だろ?」
 更にもう一発。
「何か言い残すことはあるかい?」
 穴だらけになって虫の息のグリフォンに、ハートの女王はまさしく傲然な女王のように問いかける。
「化け物め……!!」
「さようなら。今まで御苦労だったね、グリフォン。おやすみ」
 最後の弾丸が額を貫き、悪態をついた表情のままでグリフォンが絶命する。
「幸せな男だよね。これまで何百人も殺してきたのに、自分はこんなにあっさりと死ねるんだから」
「レジーナ……」
 もはや見間違いようもない友人の“異質”を目の当たりにし、それでもダイナは冷静である。
 否、目の前でグリフォンが甚振られ撃ち殺される場面を冷静に見送ったことを考えると、それ自体がレジーナへの憐憫と言えるだろう。
「ダイナ、君は驚いていないね。……知ってたのかい?」
「薄々察していたわ。あなたは昔から変なところに傷を作ってくる割には、治りが異様に早かった」
 それでもレジーナ本人が言いたがらない様子だったからダイナは深く追求しなかった。しておけば良かったのだろうか。
 せめてダイナだけでもそれを知って、友人の窮状をどうにかしようと動いていれば……。
 考えても詮無いことだ。
「これが僕の理由って奴さ。僕にはね……異端や異質を奇跡と崇めて謳ってくれる教団という存在がなければ、この地上に生きる場所はないんだよ」
 彼らがそうして仲間内で争っている間に、他で戦闘や作戦を終えた者たちが続々集まってきていた。
 劣勢になったため女王の指示を仰ごうとやってきたハートの王、ニセウミガメ。
 それを追ってきた白の王国と怪盗ジャック。
 そして。
「――これが、あんたの理由だったのか」
「そうだよ」
 復活したアリストが言った。
「アリスト……!」
「ただいま、姉さん。こんな時にごめん」
 だが姉弟でゆっくり語り合う暇はなかった。
 同じようにこちらへやってきた白兎がハートの女王へ話しかける。
「すまない、ハートの女王。任務を遂行できなかった」
「僕も予想外だったよ。これはもう仕方ないね」
 白兎程の手練れを配置して、地下は完全に負けるはずがないと油断していたのだ。 勝っても負けても目的を果たす計画を練ってきたアリスと白の王国側の作戦勝ちだ。
「ハートの女王……」
「チェシャ猫か」
 この事態の根幹、アリスことアリストを打倒教団へと導いた時を盗む禁呪の制作者に、ハートの女王は今初めて語りかける。
「これでも君には感謝しているんだよ? 君があの術を完成させてくれたおかげで、僕以外にも教団の神秘性を演出する手段が増えて、僕は死ぬまで身体を切り刻まれるあの日々から解放されたんだから」
「……あなたが追手としてグリフォンではなく赤騎士を放ったのも、彼が私を殺す気がなかったのもわざとだったのね」
 アリストが驚いて赤騎士を見ると、彼は肩を竦める。
 破壊神と互角以上にやりあう赤騎士が、一人で逃げていたチェシャ猫を殺せないはずがないのだ。
 アリスとヴァイスが手伝った時でさえ、赤騎士は傷一つ追わなかった。彼を撤退させたものは駆け引きと赤騎士側の都合。
 全てを理解したチェシャ猫が頬に一筋の涙を流す。
「それでも、あなたのやったことは決して赦されない。私が決して赦されないように」
「そうだね」
 ハートの女王は静かに微笑んだ。
 自らは生まれながらにそういう生き物であるという、ただ深い諦めだけを湛えて。
「だから僕は逃げるとしよう」
「レジーナ……!」
 ダイナが、ただ友人の名を呼んだ。