薔薇の皇帝 02

008

 簡単なことですよ、と彼は言った。
「教会で一騒ぎ起こしましょう。向こうさんの本拠地で騒動を起こされては、彼らの方もこちらを捕まえずにはいられないでしょう? 俗に言う殴りこみですね。うまくいけばグウィン氏にも会えますよ。牢の中で」
 あれ? この作戦どこかで聞いたことあるぞ? とエチエンヌは思った。ロゼウスは複雑な顔をしていた。ライスは顎を外しそうになっていた。フィオナはまだ顔色が悪い。
 ちなみにその案では、「うまくいかなかった場合」のヴィジョンが欠けていた。
「どうすんの? ロゼウス」
「皇帝陛下……」
 複雑な表情のままこめかみに指を当て、ロゼウスはそれでも口を開く。
「……とにかくグウィンとやらの無事を確認しなければならないしな。やってみようか」
 あっさりとゴーサインを出した主君に、その侍従が厳しいツッコミを入れた。
「なんか四千年経っても、僕らって進歩なくない?」
 その通りだった。

 ◆◆◆◆◆

 というわけで今にいたる。
「何を馬鹿なことを! シレーナ様の御威光を汚すこの不届き者め!」
「そちらこそ、学者稼業舐めないでもらえます? こちとら自分の学説には命かけてんだ! 他人の論文理解する頭がないなら絵本でも読んで満足してろこのすっとこどっこい! 人の書いたもんにケチつけんじゃねぇ!!」
 立案通りに教会に殴り込みをかけたロゼウス一行だが、今回の切り込み隊長は皇帝そのひとではない。発案者なんだからちゃんと仕事はします、と仲間に対しては殊勝に、しかし相手方に対しては一言言われれば三倍返しくらいの勢いで言葉による襲撃をかけているのはあの少年学者である。
 短い付き合いでわかったことは、彼が大人しそうな見た目に反して案外口が悪いということだった。教会の儀礼中に殴りこんでこれ見よがしに祭事にケチをつけ、司祭たちを挑発して回る姿はこれまで馬車や町中ではにこにことしていた人物とも思えない。
「なあ、あれ止めなくていいのか? っていうか僕らは何もやらなくていいのか?」
「あれと、俺が直接またこの教会ぶっ壊すのとどちらがいい? エチエンヌ」
「……四千年前の悪徳宗教と違って今回はちゃんとした宗派だしな。手荒な真似はやめておこうか」
 何をしにフィルメリアまでやってきたのかそろそろ当初の目的を見失いそうな皇帝とその従者は、とりあえず穏便な方向に意見をまとめることにした。第三者から見れば全然穏便な方向ではないことは御愛嬌だ。このくらいで驚いていては、皇帝領で生きてはいけない。
「お、お偉方が御到着のようだぞ」
 吸血鬼の聴力で外をやってくる馬車の音を聞き分けて、ロゼウスがそう忠告した。フィオナとライスには念のため自分の背後に回るようにも言いつける。
「あの、陛下……じゃなくて、ロゼ様」
「なんだフィオナ」
「これで本当に、兄を助けられるのですよね」
「まぁ最悪のことにはならないだろうさ」
 司祭相手に活き活きと毒舌を披露する少年学者の方を見つめながら、フィオナとライスの幼馴染二人はどうにも皇帝への信用が疑わしくなってきたようである。まぁこんな方法では仕方ないだろうな、とロゼウスもエチエンヌも思った。
 どんな小さな街でも一か所は必ずある教会、バロック大陸で特に崇められているシレーナ教の教会で、敬虔な信徒たちの反感を一手に引き受けながら学者は饒舌に毒を振るう。天使のステンドグラスが眩い荘厳な教会の風景もこれでは形無しだ。老年にさしかかった司祭は孫とも言える年齢の少年相手に必死で神の教えを説こうとするが、学者は聞く耳持たず、あえて相手の神経を逆なでするような言葉を選んでいる。
 やがてロゼウスが言ったとおり、教会の門前に馬車が止まり上層部の人間が不届き者であるところの彼らを捕獲にやってきた。
「そいつか! 我らの聖女の御威光を汚すのは!」
「は、はい!」
 シレーナ教の僧衣に身を包んだ者たちが、司祭と向き合っていた少年学者をねめつける。ずかずかと教会に踏みこんできた彼らはとにかく怪しい少年を老司祭から引きはがそうとし、一人の衛兵がいきなり少年の頬を平手ではたいた。
「学者先生!」
 予想以上に乱暴なふるまいに、さすがの周囲もロゼウスたちも色めき立つ。ロゼウスは背後のフィオナたち二人を庇うことを優先し、エチエンヌは衛兵と学者の間に割って入る。
 殴られた拍子に、少年学者の顔から分厚い眼鏡が床に落ちた。拾い上げたそれを顔にかけずに指にひっかけると、学者はこともなげに笑ってまたも嫌味を付け加えた。
「さすがに高尚な理論を理解することもできない馬鹿は手が早い」
 にっこりと笑うその顔は、冴えないと思われていた先程までとは打って変わって美しい。
 しかしその唇から零れる毒舌は変わらぬ強気で健在だ。吊りあがった唇が、見るものからすれば憎らしい。
「こ、このガキ!」
 もう一度彼を殴ろうとした手を、今度は背後からロゼウスが抑え込んだ。学者の前でも、エチエンヌが両手を広げて彼を庇う。
「寄せ!」
 ロゼウスに腕をひねりあげられた同僚にも向けて、別の衛兵が声をあげた。
「不用意な暴力は神の教えに反するものだ。警備兵だってそれは変わらない」
「しかし」
「いいから。とっととこいつらを連行するぞ」
 兵士はロゼウスたちへと目を向ける。
「お前たちにどんな理由があるかは知らないが、教会内でシレーナ様を否定することが不敬だということは十分にわかっているだろうな」
 道端で愚痴る程度ならまだしも、わざわざ教会に乗り込んで司祭を相手に喧嘩を売ったのでは教会に対する敵意はなかったなどと言い逃れはできない、そんなことを言って衛兵はこれ見よがしな溜息をついた。
「……まったく、今月は厄月か? ついこの間だって教会に仇なすという学者を一人牢屋にぶちこんだばっかりだっていうのに」
 グウィンのことだ。フィオナとライスがはっと顔色を変える。
 確か街の人々の話ではグウィンは街の役人に連れて行かれたとの話だったのだが、捕らえられているのはどうやら街の教会本部の地下牢らしい。――つまりは、やはり街の教会と役人が繋がっているのだ。
 作戦は成功だ。
 こうして多少のアクシデントはあったが、ロゼウスたち「不届き者」一行は「無事に」街の教会本部へと連行されることになった。

 ◆◆◆◆◆

「お兄ちゃん!」
「フィオナ! それにライスも! どうして!?」
 牢屋の中で、兄と妹は再会した。いつもの見回りとは違う時間に扉が開けられたことに驚いていたグウィンは、連行された一行の中に妹の姿を見つけてさらに仰天した。
「なんだ、この嬢ちゃんはお前の妹だったのか、マクミラン」
 鉄格子ごしに再会した兄妹を、看守の無骨な手が引き剥がす。隣の牢に押し込まれる妹の姿を、彼はなすすべなく見送った。
「兄貴をおっかけて、わざわざ自分も捕まりに来たとは健気な妹じゃねぇか、なぁ?」
 睨みつけるグウィンの視線に小気味よさそうに看守は退出した。
「さて、ここからが本番だ」
 どういうことだと妹を問い詰めようとしたグウィンの耳に、聞いた事のない声が届く。そう言えば先程フィオナとライスの姿に目が行って気にする暇もなかったが、二人は更に数人の連れと一緒だった。少年が二人に、少女が一人。
「フィオナ、あれがお前の兄で間違いはないな」
「はい、そうです。そうだよね! お兄ちゃん!」
「あ、ああ」
 わけがわからないながらも、とりあえずグウィンは壁の向こうで頷いた。
「さて、第一目的は達成だな」
 グウィンの存在を確かめて、牢の中では壁にもたれたロゼウスが腕を組んだ。
「大丈夫か?」
「ええ。平気です。あのくらいはね」
 元通り眼鏡をかけなおした少年学者に向けて尋ねる。彼を見つめていたロゼウスとエチエンヌは、ふと表情を曇らせた。だがそれに関して、二人は問題を後回しにした。
 まずはグウィンのことだ。
「役人に捕らえられたはずのグウィン・マクミランが教会の地下牢にぶち込まれていることもあるし、間違いなく領主と教会、そして二者とバルフォアは繋がっているな」
「バルフォア?」
 牢の向こうでグウィンはあまり聞き覚えのない名前に首を傾げていた。バルフォア? 貴族の名前らしいし、それがわかる程度に聞いたことはあるのだが、何の話をしているのかよくわからない。
 怪訝に思った彼が牢の向こう側に声をかけようとしたところで、突然悲鳴があがった。
「ああ!!」
「!?」
 まったく状況のわからないグウィンがびくっと身じろぎする中、隣の牢では先ほどあげた声の主である少年学者が手の中の眼鏡を見つめてまたしても悲痛な声を出した。
「レンズが割れてる!」
「え! さっきのあれでですか?」
 教会の衛兵に殴られて落とした際、硝子のレンズに罅が入ってしまったらしい。
「……俺が元に戻そうか? そのままじゃ不便だろ?」
 視力矯正の装置である眼鏡は、庶民に手の届かないものでもないが、それほど安いものでもない。さすがに責任を感じてロゼウスが修繕を申し出ると、学者はあっさりと言ってのけた。
「御心配なく。これは伊達ですから」
「何?」
 変装グッズの必要な探偵稼業でもなければ、無駄に優雅さや知性を演出したい貴族でもない。わざわざ少年が伊達眼鏡をかける理由がわからない一行はぽかんと口を開けた。
「体術と剣の師匠から頂いた餞別なんですよ、これ」
「はぁ……」
 できるのか体術が? 剣が? それより武術の師匠が弟子に対する餞別に眼鏡を送るってどうなんだ? といろいろわからないことずくめなのだが、この風変わりな学者に関してはもはや何を突っ込んでも無駄だと悟ったロゼウスは流すことにした。
「――問題がないなら、とりあえず現状の打破から行こうか」
「あ、あの、さっきからそちらで何が起こっているんだ?」
 壁の向こうの隣の牢から困惑したグウィンの声がかけられる。こちらの状況が見えない彼には、割れたのどうのこうのという話の中途半端な部分だけが伝わっているようだ。
 兄の声を聞いてその妹が思案げな顔をしてロゼウスに尋ねた。
「あの、陛下。ここを出ることってできませんか?」
「フィオナ? 今は騒いで問題を大きくするより大人しくしておいた方がいいと思うが……どうしたんだ?」
「俺たち、まずはグウィンの無事をこの目ではっきり確認したいんです」
 ライスもフィオナの言葉に頷き、そう言えば先程から二つの牢でまだるっこしいやりとりを繰り広げているこの状況についてロゼウスはふむと考える。
「そうだな。どうせならみんなで向こうに行くか」
「へ?」
 あっさりと言ってのけ、皇帝はフィオナとライスの手を握る。心得ているエチエンヌが残りの学者の腕を掴んでもう片方の手をロゼウスの肩に乗せると、ロゼウスはよいせ、と緊張感のない掛け声と共に牢の壁を目指して歩いた。
「はい、瞬間移動」
「「!?」」
 いきなり壁に激突しようと歩き出した皇帝の奇行にフィオナとライスが驚いている間に彼らは全員、隣のグウィンの牢へと侵入していた。
「秘技・壁抜けの術」
「単なる皇帝の力の一種だろ」
 呆れるエチエンヌと、まだまだ皇帝の力になれることはなく仰天しているフィオナとライス、そして突然壁をくぐりぬけて自分の牢の中に現われた五人の姿に目ん玉を落としそうなほど驚いているグウィンと、感心した様子で先程自分が通り抜けた壁を撫でている少年学者。
「わ―凄いですね陛下」
「それほどでも。さて情報を纏めようか」
「……待ちなよロゼウス、お前救出にきた相手を驚かせすぎて殺しかけてるよ」
 心臓止まりかけた兄は妹と親友に背中をさすりさすりされている。
「な、ななななななん、何なんだ……!?」
「お兄ちゃんしっかり! せっかく助けに来たのに死なないで!」
「っていうか何? この緊張感のないやりとり」
 よっこらせとまたしても微妙に年寄りくさい仕草で腰を下ろしたロゼウスとエチエンヌの存在について、ライスとフィオナがグウィンに説明する。ロゼウスが皇帝本人だという言い方はしなかったのだが、二人が皇帝領にたどりついて救援を得たということだけでグウィンは感動したように瞳を輝かせた。
「じゃあ本当に皇帝領から?」
 これまでの数か月、権力者に迫害され続け死んだような眼をして日々を過ごすだけだった青年の眼に光が戻る。
「そうだよ。もう大丈夫だよお兄ちゃん!」
「フィオナ……」
 命がけで皇帝領まで旅してきた妹をグウィンは抱きしめる。ライスも安心したように兄妹の抱擁を見守っているのだが、そこにロゼウスが水を差した。
「感動の再会をしているところ悪いが、生憎とまだ問題は全然解決していないんだ。グウィンとやら、お前の知っていることを話してもらおうか」
 妙に居丈高な美少女、もといヴァンピルの美少年に促されて、グウィンはぽつぽつとこの数か月にあったできごとを語りだす。論文の内容自体も、彼本人の口からロゼウスに対し説明された。
「で、どうなのさ」
 話はきちんと聞いていたが、学者でもなければそれほどの学力もないエチエンヌはさっぱり理解ができず、やる気なさげに牢獄の壁に持たれながら結論だけをロゼウスに尋ねる。
「ま、最初にフィオナとライスが話した通りだな」
「そうですねぇ。マクミラン新論は公式に発表したものと何ら相違なく、彼への妨害の手だしの仕方を見てもやはりこの辺りの事情と相まって考えればクリスタベル・バルフォアが黒幕にいると見てとっていいでしょうね」
 初めにフィオナとライスから聞いた話とグウィン本人から聞いた話に、大きな相違は見られなかった。本当にそれ以外心当たりもなく、論文が優れているという理由で嫌がらせをされたグウィンはただの被害者のようだ。
 そんな彼はロゼウスたち皇帝領からの救援一行の顔を見渡しながら、ふと亜麻色の髪の少年学者に視線を固定して首を傾げる。
「ああ。そう言えば同じ学院にそんな名前の貴族がいたけれど……それよりも」
 すっかりと一行に馴染んだ様子の未知なる学者の顔をじっと見つめ、ロゼウスたち三人と初顔合わせのはずの青年は声をあげた。
「亜麻色の髪に、チェスアトールのものではないと言われる朱金の瞳、そして学者の証……もしかして君は、いや、あなたはあの有名な《チェスアトールの奇才》か?」
「チェスアトールの奇才?」
 聞きなれない言葉にエチエンヌは首を傾げた。フィオナたちはグウィンが彼を知っていたことにまず驚いている。
「おや? フィルメリアの人がよくあんな辺境の一学者の存在をご存じですね。学院では変人って呼ばれていましたけど」
 なんでもないことのように少年学者はグウィンの問いかけを肯定した。学者の世界は狭く、正式に学位を得る人間は少ない。もともと記憶力に優れた人々が就く職業だけあって物覚えも良い学者たちは同業者の名前と専門を聞けばそれが誰だかだいたいわかるらしい。
 もっとも、グウィンが《チェスアトールの奇才》と称したこの少年学者はそんな変わり者たちの中でも、更に異質な存在かもしれないが。何せグウィン、自分が現在迷惑を被っているクリスタベル・バルフォアの名はすぐに思い出せなかったくらいだ。
「お兄ちゃん、この先生のこと知ってたの?」
「当たり前だ!」
 何故かやたらときらきらとした瞳で、グウィンは妹と同い年の少年学者の両手を感極まったように握りしめる。ここがどこかも忘れている様子だ。
「あなたの論文、読ませていただきました! 通常卒業まで六、七年、これまでどんなに早くても四年はかかると言われていた学院の最短卒業記録を二年という期間に塗り替えたチェスアトールきっての天才少年学者ランシェット博士! 歴史学専攻とはいえ、科学技術から魔術心理学まで幅広い分野を手掛ける期待の新鋭! 尊敬しています!」
 どうやらランシェットと言う名らしい少年学者は、自分より十歳近くも年上だろう青年に崇拝の眼差しで見詰められてもいつもどおりにこにことしている。
 先程までかけていた眼鏡が割れてしまってもまだ顔にかけていたりするのだが、それがなければうっかりと危ない雰囲気になりそうだ。
「ちょ、お兄ちゃん!?」
「グウィン! それどころじゃないだろお前!」
 投獄されて消沈しているはずが学術のことになると途端に活き活きとしだした身内に対し、妹と親友はツッコミを入れた。
「は、そうだった」
 その様子を見ていたロゼウスとエチエンヌは顔を見合わせる。
「これはたいした」
「学者馬鹿だね」
 二人も、これでグウィンが不正など犯したり当然の理由でバルフォアに目をつけられているわけではないとわかった。グウィンは呆れるほどに学問に対して一途だ。変な画策などするわけがない。
「それにしても、お前は随分と有名人だったのだな」
「そんなこともありませんよ」
 少年学者にロゼウスは話しかける。割れた眼鏡をかけているので余計光が乱反射して顔が見えないが、口元は相変わらずにっこりとしていた。
 わざわざ今さら確かめるでもないが、このグウィンの態度で彼の身元も保証されたようなものだった。それでも少年が何の目的でこの旅に同行しているのかはいまだ不明だが。
「で、結局どうすんの? ロゼ」
 ひとまず現状理解が整ったところでエチエンヌが話を先に進めた。フィオナとライスによって皇帝領に持ち込まれた依頼はグウィンがこれ以上の嫌がらせを受けないようになんとかすることだ。まさかここでいきなり牢獄をぶち抜いて脱獄してめでたしめでたしというわけにもいかない。
「四千年前はそうだったけどね」
「それは言わない約束だ、エチエンヌ」
 あの時は似非新興宗教が相手だったから多少乱暴な手段でも許されたのだが、今回立ち向かわねばならないのはれっきとした大陸の宗教、シレーナ教である。
とは言っても権力問題としてはグウィンは教会に影響力のある領主と懇意にしているバルフォアに目をつけられているわけだが、本来彼の学説は宗教の教えに反するものではない。
「……はずです」
「ってこらオイ、学者」
「だって私の専門じゃありませんし。けれど宗教を覆す新説はいくらなんでも学院卒業の時点で揉めますってば。グウィンさんの論文は解釈においては画期的だけれど大陸教会に喧嘩を売るほどの事ではなかったはずです。まぁお堅くて馬鹿、おっと失敬、もとい信心深くて保守的な方々からは煙たがれるかもしれませんが、時間をおいて浸透させていけば十分に認められる範囲ですよ」
 グウィン本人の説明に加え、少年学者はそう補足した。
「……まぁ、そうだろうな。私もバルフォアについては思い出した。そう言えばあの女子爵は、良からぬ噂があったな」
「良からぬ噂?」
「ああ。だが今はそれよりも……」
 その内容については触れず、ロゼウスはまずはこの事態を打破する策を練ることにした。
「面倒だな。力技で解決した方が早いのに」
「駄目だっつうの。いくらお前が宗教嫌いになっても、まだ帝国のほとんどの人間は神を信じて、聖女や聖人を信じて生きているんだからさ」
 乱暴なことを言うロゼウスを、エチエンヌがいつものように窘める。今回は正当な宗教が相手だけに、暴力で解決するのではなく、あくまでも教会とグウィンの間を取り持って両者の関係を正すことが先決だ。そうでなければ街の領主とバルフォアを排除したところで、結局グウィンは街の人々から白眼視されるだけだろう。
 そのためにはある程度正論でバルフォアをやりこめなければならない。
「でも……どうするって言うんですか。街の人々はもう誰も、俺の言うことなんか信じてはくれませんよ」
 暗い顔でグウィンが言った。人々から存在を無視され迫害され続けた日々は著しく彼の精神をすり減らしている。ここへ来るまでに役員から浴びせかけられた罵声も耳に残っている。学院では認められたはずの論文なのに、この街では誰にも必要とされない。
「グウィン……」
 ライスが彼の肩を抱き、慰めるように支えた。その様子を見ていた少年学者が何事かを呟き始めた。
「……かの者は言った。『神よ、どうか我を見捨てたまえ』それは絶望的な状況であった。彼は友の肩を支え、嘆く。『このまま我らは終わるしかないのか……?』 そこに一筋の光が現れた。聖女シレーナの形をとり、その光は人々を導く……『人よ、忘れるな。希望の道はそこにある』聖女は言った」
シレーナ教徒であるグウィン、フィオナ、ライスの三人と、知識として経典を頭に入れているロゼウスはそれに反応を見せる。
「シレーナ教の経典の一節だな。《光への道》だったか」
 ロゼウスが章タイトルを口にすると、少年学者は正解だと笑って見せた。
 しかし今度の笑みは彼がこれまで見せていた明るい笑みではなく、どこか不敵な、教会で司祭をやり込める際に見せていた笑みに等しい。そう言えば、とロゼウスは先程も確認した、グウィンの論文内容を思い出した。それと本日、この街で何が行われているのかを。諸々のことを合わせて考えれば、抜け目ない少年がろくでもないことを考えているのがなんとなくわかってしまった。
「信心を示すなら、ここはやはり聖者を崇め神を讃えるべきですよね。グウィン・マクミラン、だってあなたは、聖女シレーナを侮辱などしていないのでしょう」
「当たり前です」
 強く頷いたグウィンの様子に、ますます少年学者はいい笑顔になる。
「それでは、わたくしにこんな考えがあるんですが」
 何故か今回の事件に介して部外者である彼ばかりが場を仕切っているのだが、もはや誰も何も言わなかった。