薔薇の皇帝 02

009

 かの者は言った。
『神よ、どうか我を見捨てたまえ』
それは絶望的な状況であった。彼は友の肩を支え、嘆く。
『このまま我らは終わるしかないのか……?』 
そこに一筋の光が現れた。聖女シレーナの形をとり、その光は人々を導く。

『人よ、忘れるな。希望の道はそこにある』

聖女は言った。

   ――シレーナ教経典『光への道』より

 フィルメリアのとある街において、〈高貴なる〉一座の公演は大盛況だった。
「当然のことですわ。何といっても、国王陛下のご寵愛深い第二王妃様がご出演されているのですもの」
 フィルメリア国王とも面識のある貴族、クリスタベル・バルフォア子爵。彼女はこの街を治める貴族と友好的な関係にあり、今回の公演にも招かれていた。
 王宮の舞踏団、とフィルメリア王国で口にするとき、それは一つの事実を指し示す。国王の寵妃がその舞踏団に在籍していることは周知の事実だった。
 彼女はまだ正式な王妃ではない。けれどバルフォアは国王の機嫌取りのために、わざとそう口にする。
「彼女はまだ妃ではないよ」
「あら。申し訳ございません。あのように優れたお方でしたら、陛下の妃としての資質も十分と先走りましたわ」
 にっこりと愛想よく笑ってバルフォアは引き下がる。フィルメリア国王の、愛人である踊り子への愛情は深くその他の女には見向きもしないと聞く。そんな相手にはどれだけ色目を使っても無駄だ。ましてや相手に気があるのではなく、権力目当てに近づく場合は適度なところで引き際を悟らねばならない。
 青空の下、広場に簡易な舞台を作り先程まで演劇が繰り広げられていた。一座の公演は最終幕を前にして、今は休憩時間に入ったところだった。手品から演劇まで幅広く活動する王宮の舞踏団。本日の演目はフィルメリアでも広く知られたおとぎ話。その舞台の合間に思い思いに体を休める人々の喧騒を聞きながら、彼女はひっそりと口元を歪めた。
 クリスタベル・バルフォア子爵。今年二十六歳の彼女は肉感的な美女だった。かといって社交界にはその美貌だけで知られているわけでもなく、学位を持つ貴族としても有名だ。
神学を専攻し、自らの信心ぶりをアピールしているため、教会との結び付きも強い。
「国王陛下の覚えはどうやらめでたいようだな」
「侯爵」
 バルフォアをこの街へと招待した領主侯爵が話しかけてきた。彼と彼女は昔から懇意にしている。三十半ばで見事な薄緑の髭を蓄えた彼は、今回もバルフォアの頼みを聞いて一仕事してきたところだった。
「マクミランの方は……」
「いろいろと理由をつけて教会へと連行した。シレーナ教でも、聖女の威光を汚す彼を憎く思う動きはあってな……」
 声を潜めて彼らが話し合うのは、先日発表された神学論文の著者に関することである。
 その論文は、明らかにバルフォアの学院卒業時の論と対立するものであった。
 学業の世界では意見の対立などよくあることだ。むしろ、一つの物事に多角的な視点を与えられて初めて一流の学者と言える。
 けれど、学問を少しだけ齧ったとはいえ根が貴族であるバルフォアはそうは考えなかった。運の悪いことに、正反対の意見を提出したグウィン・マクミランと彼女は出身地が近い。自然と両者の論の影響範囲が重なってくると、彼女の学者としての立場が彼女の権力範囲で意味を成さないものとなってしまう。
 もともと高い能力はあるが、真面目に学業に取り組むというよりも貴族としての箔付けのために学位を欲した彼女にとって、グウィンは目の上のたんこぶだった。彼を潰すために、懇意である侯爵の領民であるグウィンに自説を撤回するよう働きかけてくれと頼んだ。
 この場合「懇意」である侯爵とは、すなわち彼女と愛人関係にある男のことだ。彼らの表向きの交友関係はそれほど深いものとはされていない。あくまでも表面上の、一般的な貴族としての交友関係となっている。しかし実際は閨でグウィンに対する嫌がらせをするよう侯爵に働きかけたのは、このバルフォアだった。
「心配しなくても、君の論文は素晴らしいよ。クリスタベル。シレーナ教の伝統を守り、教会の教えに沿っている」
「ありがとうございます。侯爵」
 伝統的。
 教会の教えに沿う。
 だがそれは、裏を返せば目新しいものが何もなく、教会にとって都合の良い意見を並べただけということ。
 真実により近づき、それによって革新的な知識の覚醒を求める学院の主旨とはそぐわない。
 しかしバルフォアにとっては構いはしなかった。要は自分が手に入れた学位を、どうやってこれから活用していくかが重要なのだ。真実などどうでもいい。そのために一人の優れた学者がその将来を閉ざされようと、彼女の知ったところではない。
 グウィンを嵌めるのを手伝った侯爵を前にして、艶っぽい笑みを浮かべてみせる。
 先程フィルメリア国王を前にして遠慮したご機嫌取りの笑顔ではなく、あからさまに女が男を誘う表情だ。
「侯爵、このお礼は……」
「よしてくれ。礼などと、私は当然のことをしただけだ。神の教える正義に従ったまでさ」
 白々しく言って、侯爵は周囲の人々が誰も注目していないのをさりげなく確かめた上で、バルフォアの腰に手を回す。
「だが君がそんなに私に感謝しているというのであれば、気持ちだけはもらおうか。どうかね、今夜食事でも」
「まぁ。嬉しいですわ。ぜひ――――」
 回された手の上に自らの手のひらを重ねて、バルフォアが頷こうとした時だった。
「いつからシレーナ教は、善良な学者の仕事を干して迫害することを正義と呼ぶようになったんだ?」
 背後からかけられた声に、二人ははっとして振り返った。
 そこに、思わず目を瞠るほどに美しい少年が立っている。白銀の髪に深紅の瞳は一瞬人を驚かせるが、ローゼンティア人という言葉がすぐに思い浮かべばもはやその美貌に圧倒されるばかりだ。
「な……なんだね、君は……」
 尋ねる侯爵の声は呆然としている。いつの間にかバルフォアの腰に回した手も離れていた。
 そもそも彼らは貴族だ。舞台を見るために前方は広く空間をとられていたが、何かあっても良いように背後は常に警護の兵士が守っていたはずだった。それがどうして?
 しかしそんな疑問は些細でどうでもいいことだというように、目の前の少年が薄らと微笑めば彼ら二人の顔つきはそれぞれぼんやりとしたものになった。少女じみた美しい顔立ちの少年に、二人はそれぞれ魂を抜かれてしまったかのようだ。
 少年がゆっくりと腕をあげる。そして、広場の入り口にあたる開けた空間を指し示した。
 誰かがそこにいる。そう思った瞬間、夢を破るように伝令の兵の厳しい声が侯爵にかけられた。
「閣下! 教会から報告が! 罪人が逃げ出したと!」
「何だと!?」
 現在の状況で「罪人」と言えば、それは無実の罪を着せて投獄したグウィン・マクミランに他ならない。息を飲んだ侯爵とバルフォアの耳に、続いて広場の片隅から誰かの声が聞こえた。
「きゃあ! 大変よ! 教会に背く罪人として捕まっていたグウィン・マクミランが脱獄したのだって!」
 薄緑の髪をおさげに結った、十五、六の少女。こっそりと白銀のヴァンピルに合図をした彼女はフィオナだ。また別の場所で今度は男の声が叫ぶ。
「そりゃあ大変だ! でもどうして教会の警備をくぐりぬけられたんだ!?」
 今度はライスだ。とどめのように、金髪の少年が広場の入り口を示した。
「あ、あれを見ろ! 怪しい奴がいる!」
 エチエンヌは棒読みだった。しかし人々の注目は彼の演技よりも言葉に向けられたらしく、その視線の先を追って人々の視線が広場の入り口に集まる。
 そこにいたのは果たして噂の人、グウィン・マクミランだった。
「グウィン!」
「お前、どうして……」
 彼の顔を知る街の人々が、次々にその名を呼ぶ。グウィンはシレーナ教の法衣を着て、おごそかに佇んでいる。周りを兵士が取り囲もうとするのだが、結界に阻まれて近づけない。人々はその有様に動揺しているし、演出効果はばっちりだ。
「これは何事だ?」
「国王陛下、いえ、その……」
 公演を見に来ていた貴族たちはもとより、フィルメリア国王までがざわめく人々の様子を案じて広場の入り口に目を凝らす。
 十分に人々の注目が集まり、グウィン脱獄の知らせを受けた兵士と教会の関係者、それに街人たちという役者が全て揃ったところでグウィンは声を張り上げた。
「『人よ、忘れるな。希望の道はそこにある』」
 それはシレーナ教における、経典の一節だ。
 今ここにいる人々は、グウィンが教会の教えに反する罪を書いたと思っている人々ばかりだった。そしてそれをフィオナやライス、エチエンヌたちが、わざわざ思い出しやすいように煽った。舞台は整えられた。

――かの者は言った。
『神よ、どうか我を見捨てたまえ』
それは絶望的な状況であった。彼は友の肩を支え、嘆く。
『このまま我らは終わるしかないのか……?』 
そこに一筋の光が現れた。聖女シレーナの形をとり、その光は人々を導く。
『人よ、忘れるな。希望の道はそこにある』
聖女は言った。――

 グウィンは経典の一部を、朗々と歌うように読み上げた。法衣の効果と相まって、今の彼ならば神の御使いのようだと街の人々は思った。
 そう言えばもともと彼は、シレーナ教の敬虔な信者だった……
 人々がそれを思い出したところで、グウィンは自らがバルフォアたちに目をつけられることにもなった理由、彼が学院在学中に書いた論文の内容を、今の状況を説明しながら述べ始めた。
「教会の地下牢には、七千年前より存在する由緒正しい抜け道がある」
「え?」
「な!」
「馬鹿な!」
 驚く人々の声にもかまわず続けた。視界の端では、バルフォアと領主侯爵が青ざめるのが見えたがそちらはロゼウスがうまく押しとどめている。グウィンはただ、亜麻色の少年学者が提案した作戦通りに喋ればいいだけだった。
 相変わらず成功のヴィジョンだけ口にして、少年学者は失敗したらどうなるかを言おうとはしなかった。けれどこれが失敗すれば、グウィンは今度こそ街にいられなくなるだろうことぐらい自分でわかっている。
 だからこそ、賭けた。
 かつて聖女と呼ばれた人が、命がけで作り物の「奇跡」を行ったように。
「本当です。俺はフィルメリア各地の教会の構造を調べ、またあらゆる資料をあたってそれについて調べました。経典にある『光の道』の話は、聖女が神秘の力で起こしたのではなく、きちんとした理由があったのです。だからこそ一度は教会地下牢に投獄された俺も、こうして脱出することができたのです」
 謀反の疑いをかけられ、友人と共に投獄された無実の男を聖女が救う場面がシレーナ教の経典にある。しかし、どう考えても人間業とは思えないとこれまで言われてきた奇跡には、奇術の種を明かすようにちゃんとした理由があったのだ。
 もっとも、はるか昔から伝統ある建物ならばともかく、最近建て直された大きな街中の教会が伝統的な地下牢にそって抜け道を用意しているわけはなく、グウィンはロゼウスの力によって脱獄したわけだが。
 投獄されていたにも関わらず突然この場に現れたグウィンに対し、人々の不審と好奇の眼差しが集まる。広場に集った人々には、不安と恐れが湧き上がり始めた。
「このことは、学院でも正式に一つの学論として認められています」
「馬鹿を言うな!」
 グウィンに向けて、さっそく街の人々から野次が飛んだ。教会関係者やグウィンと対照的な論文を書いたバルフォアが咄嗟に動けなかったのはあまりの事態に硬直していたためだが、なまじ裏の打算がないために純粋さから聖女の奇跡を盲目的に信じていた街の人々の方がグウィンの論に対する反発は強いのだろう。
「お前は聖女の奇跡を否定するのかグウィン! だから悪魔だと言われるんだ!」
「そ……そうだ! 聖女様を侮辱するなんて、あまりにも恐れ多いぞ、グウィン!」
「俺はシレーナ様を侮辱などしていません!」
 顔見知りの何人かがグウィンの名を呼びながら責め立てる。しかしグウィンは彼らの怒号に負けぬよう、一際声を張り上げた。
「あなた方こそ、何故シレーナ様が奇跡の御業を行ったのでなければ信じるに足りぬなどと思うのです!」
 これまでグウィンは、自分に対する街人たちの酷い仕打ちに関しては責める気がなかった。それはあくまでもグウィン個人に対するものだったから黙っていた。どんなに理不尽な仕打ちでも、それに苛立っても、そのすれ違いは人として社会で生きていく上では仕方がないとも思っていた。
 けれど、今は。
「だ、だって……」
「奇跡を行うから、聖女様なんだろう……そうでなかったら、ただの人間じゃないか」
 聖女を侮辱することは、彼にとっては許されない。
「人間だったら、いけないのですか?」
 グウィンは言う。法衣の裾がはためいて、人々に問いかけるその姿は荘厳ですらあった。
「あなた方は聖女シレーナ様の御威光を、その能力で測るおつもりですか」
 そうではないのだと。
「たとえ人であろうと、奇跡の力を持った神の御使いであろうと、その昔シレーナ様が、無実の罪を着せられた人々に《光の道》を示してくださったことにはかわりありません」
 いつの間にか、広場の人々はグウィンの言葉に聞き入っている。
「俺は、今も昔も変わらず、聖女様の尊い御心を信じています。それこそを、ただ信じているのです」
 強ければいいのか?
 優れていればいいのか?
 弱くてはいけないのか?
 負けることは罪だろうか。
 そうではない。
 人はどうしようもなく弱くて傲慢で、だけど、だからこそ、その境遇から這い上がろうとするから優れているのだ。弱くても誰かを守ろうと、そのために生きようとするから尊いのだと。
 奇跡の力を持つ者が国家を掌握するよりも、何も持たずに誰かを守ろうとする方が、よほど勇気のいる行動だ。
 グウィンはそう考える。だからこそあの論文を発表したし、彼は今でも、聖女を信じている。
 便利な奇跡の力よりも、ただ純粋な人の心の力を信じている。
「それにさー」
 シリアスな場面にも関わらず微妙に緊張感のない口調で、外野から金髪のシルヴァーニ人の少年――もちろんエチエンヌである――が声をかけた。
「奇跡の力わーすごいーって話になったら、当代皇帝なんてまさしくその類だよねー在位歴四千年だし。でもあれを指して、奇跡の力を持ってるからすごーいなんて崇めたいかなー?」
 う、と広場のほとんどの人間が固まった。あまりにも絶妙な合いの手だった。
 確かに単純な力の強さなどで人格を測るとしたら、薔薇の皇帝ロゼウスなど伏して奉るべき相手の筆頭だろう。しかし強大な力を持つ皇帝はその力を、自分に逆らう者をことごとく粛清するために使っている。
 そんな薔薇皇帝と聖女と呼ばれるようになったシレーナを比べれば、どちらが人格的に優れているかは明らかだろう。たとえシレーナが奇跡の力など持たぬ、ただの人間であったとしても。
 いや、ただの人間だからこそ、誰にもできないその道を選ぶ、その選択が尊いのかもしれない。
「聖女シレーナに栄光あれ!」
 グウィンが叫んだ瞬間、とっくに公演がストップした広場でこの日最大の歓声があがった。街の人々は誘導に気付かぬまま、ただ理由もよくはわからなかった領主の無体な命令とも、グウィンが聖女を不当に侮辱したとの疑惑からも解放され浮かれ騒ぐ。
「ふ、ふざけるんじゃないわよ!」
 これまで金縛りにかかったように動くことができなかったバルフォアは、ようやく声を張り上げた。しかし時はすでに遅く、彼女たちがこの場にいるにも関わらずここまで何事も言い出さなかったために、領主も教会もすでにグウィンの言葉を認めたように街の人々には受け止められていた。
「こんな馬鹿なことがあるものですか! すぐにでもあの男を――」
「それはさせるわけにはいかないな」
 彼女の言葉を遮ったのは、目の前に立った美しい少年だ。
 白銀の髪、深紅の瞳。その美貌は、バルフォアの女性としての矜持を打ち砕き、同時に女性的な美貌の中にある男性としての色香に、年下趣味のない彼女をもくらくらとさせるようなものだった。
「諦めろ。お前はグウィンに負けたんだ。権力でも奇跡の力でもない、ただ、人としての正しさと信仰心に」
「なんですって……!」
 言葉にしがたい少年の迫力に圧倒されながらも、バルフォアはまだ少年に食い下がろうとした。しかし彼女の言葉を聞こうともせず、ヴァンピルの少年は命を下す。
「グウィン・マクミランから手を引け。そこのお前もだ」
 バルフォアとその隣の侯爵を睨み据え、一言告げる。
「誰だか知らないけれど、何のつもり!?」
バルフォアが食ってかかろうとしたのを受けて、周囲に戻ってきた護衛の兵士たちも少年を取り押さえようと動こうとした。しかしその彼らを、舞い降りた深紅が一閃する。
 十人以上いた護衛の兵士が、あっという間になぎ倒されていく。金髪に翡翠の瞳を持ち、目の覚めるような紅い服を着たこちらも美しい少年だ。その両手に一振りずつ刀を持つ二刀流だった。
「手を引け。もう一度は言わないぞ。それともお前たちより、そこの背後のフィルメリア王に告げた方が早いか?」
 薄く笑った少年の言葉に思わずバルフォアと侯爵が振り返ると、そこには蒼い顔をしたこの国の王が立っていた。
「へ、陛下……」
 気まずい侯爵の呼びかけを無視し、国王の眼は一点を見ている。
「碧の騎士……それに」
 深紅の騎士服の少年を越して、王の視線は更にその背後に庇われた白銀の少年にも向けられる。
 それまで青い、普通の小姓の衣装を着ていたエチエンヌの服が深紅の騎士服に変わったのならば、これまで目立たない普通のケープを着ていた少年の衣装は白を基調とした派手な装束へ。
 ついでにフィルメリア国王の顔色まで紙のように真っ白となる。
「薔薇の……」
 艶やかな白銀の髪は長く伸び、高い位置で結いあげられて背に流れる。白い衣装には、紅い薔薇の紋様が刺繍されている。
「薔薇の皇帝……ロゼウス陛下!」
 フィルメリア国王が叫んだ。しかし街の人々の注目はグウィンに向けられたまま、決してこちらには向かない。この空間は閉じられている。
「皇帝……だと!?」
 バルフォアも愛人の侯爵も、その一言に度肝を抜かれた。
「そうだ。崇め奉れ。お前は、お前たちは正しさより権力を、正義より爵位を、信仰心よりも肉欲を優先するのだろう」
 あっさりと言われて、バルフォアも侯爵も羞恥と屈辱に頬を歪める。
「フィルメリア国王。わかっているな。グウィン・マクミランの論文は正式に学会に認められたもの」
「はい……皇帝陛下」
 事情はわからないながらも、皇帝を怒らせることはまずい。誠実な人柄だが気弱だと言われるフィルメリア国王は、ロゼウスの無言の圧力に抵抗することもなく即座に頷いた。
 硬直しているバルフォアたちに関して何事か聞きたそうな顔をしているが、それすらもロゼウスは許さない。
 用件だけ告げると後は国王の存在を無視して、ロゼウスはバルフォアとまっすぐに相対して告げた。
「奴に勝ちたくば権力ではなく、お前の学者としての実力で勝ち取れ。それならば赦そう」
 ロゼウスは皇帝の顔で微笑む。街の人々はここでのやりとりなど露知らず、ただ神と聖女を崇めている。
 その様は一途で純粋で、そして愚かだ。だからこそ美しいのかも知れない。
「私ではなく、お前の神が」
「私は――」
 バルフォアは何事か言おうと口を開いたが、結局は言葉にならず、歩み去るロゼウスの背後で地に膝をついた。