011
「じゃ、準備はできたな」
「はい! 遅れて申し訳ありません!」
これで本当の本当に事件は終わりだ。皇帝領に戻るため今にも馬車に乗り込もうとしていたロゼウスたちの背に、しかし彼らを引きとめる声がかけられた。
「ちょっと待ったぁ!」
ガク、とロゼウスが背をのけぞらせる。少年学者に関しては知らない響きだったが、彼にはこの声の主に聞き覚えがあるようだ。
「そう言えばジャスパーからこっちの件に関して手紙が来ていたな……」
とか口の中でぶつぶつぼやいたロゼウスは一度乗り込みかけた馬車を降り、声の主に向かい合う。学者にはそのまま馬車の中で待機をしているよう言いつけて、白い法衣の二人に視線をやった。
ここはすでに街の出口で、時刻も交通量の少ない夕刻だ。彼らの他に人目がないことが幸いである。でなければただの不審者だ。ロゼウスたちが、というより彼らに会いにきた相手の方がだが。
「何の用だ、シライナ=リズ=アーシエリ。当代聖女シレーナ様」
自分へと些か間の抜けた声をかけてきた少女に対し呆れた眼差しを向けながら、ロゼウスは溜め息をつく。とは言っても現在の彼も皇帝衣装ではなくその辺のちょっといい家の息子ぐらいの格好なので、そのやたらと偉そうな態度が多少は滑稽かもしれない。
「薔薇皇帝ロゼウス! 私たちは二大宗教の代表者として、あなたの蛮行を諌めに来たのよ!」
小柄な少女は伸ばした指先をびしりとロゼウスに対しつきつける。ひとの蛮行を諌める前にまず彼女にひとを指差してはいけませんという礼儀を誰か教えてやれよとロゼウスは思った。
「蛮行ねぇ? ちなみにどれの話だ?」
年中常日頃から他人から見れば蛮行としか言えないことばかりしている皇帝は、そう言われてどれのことだかぱっと思い当らなかった。その様子がますます生真面目な少女の怒りを煽る。
「この前のヴァルハラーの虐殺についてよ! この人殺し皇帝!」
そもそも蛮行とはどれと選べるほど数多く働いていいものではない。ぎゃんぎゃんと吼えるシライナに、ロゼウスはどこ吹く風と言った様子だ。
「歴代で人殺しをしなかった皇帝はいないとは思うが、とりあえずお前たちはその件で俺に言いたいことがあるというわけか。ラクル、お前もその口か?」
シライナの背後にまるでお付きの護衛のように控えている大男に対し、ロゼウスは尋ねた。寡黙な青年だが、彼は彼でシュルト大陸全土に布教しているラクリシオン教の正式な代表者だ。
彼に関してもロゼウスは多少の付き合いがある。案の定ラクルは答えなかったが、まあいつものことだとロゼウスも気にしない。
「じゃ、そういうことで」
気にしない流れでさらっと事態をスルーして帰ろうとしたのだが、そこにはさすがにシライナは誤魔化されてくれなかった。
「じゃ、も何もまだ本題に入ってないわよ!」
しっかり引き留められて再び溜め息をつきながらもう一度彼らを振り返ったロゼウスは、ようやく話をする気になったようだ。
「それで、何が言いたいんだ?」
「決まってるじゃない! 薔薇の皇帝! いくらあなたがこの世界を統べる帝国の最高権力者だとは言え、あんな暴挙は認められるわけがないでしょ!」
ロゼウスが折れた途端に、シライナが再び喚きだす。
「ヴァルハラーの宗教は確かに特殊なものかもしれないわ! だけど、それを理由に一国の人間を皆殺しにするのはやりすぎよ! この虐殺皇帝!」
「……」
シライナの言葉を聞き、黙って静かに彼女の顔を見つめていたロゼウスはふいに悪だくみを思いついた顔で、こんなことを言い出した。
「ところでシライナ=アーシエリ。お前はなかなかいい顔をしているな。なんだったら聖職者辞めて、私の愛人候補でもやらないか? ふふん。お前だったら狂妃と呼ばれる女の次に可愛がる妾にしてやってもいいぞ」
突然の言葉に、シライナはぎょっとした顔をした。ラクルも言葉こそ発さないが静かに目を瞠っている。
驚いたのは一瞬で、少女は次の瞬間、それこそ火のついたように怒り出した。
「ふざけるんじゃないわよ!!」
いかな皇帝と言えど許せん、と言った様子でシライナは噛みついてくる。だが返すロゼウスの方は冷静なものだった。
「権力を盾にして女を自由にする気!? それが皇帝のやることなの!?」
「そうだな。ふざけているな。だがこれはそもそも、ヴァルハラーの連中がある一人の旅人の女に対してやったことと同じだぞ」
その言葉に、これまで烈火の如く怒りまくっていたシライナはぴたりと動きを止めた。
「……どういうことでしょう」
「ヴァルハラーの宗教儀式、それが全ての発端だということは聞いているな。かの国では、国民の中から選ばれた未婚の若い娘と司祭が交わるという儀式がある。あの国の中では選ばれることは栄誉らしいが、外から来た人間にとってはどうだ? ……一人の旅人の娘が昨年たまたまそれに選ばれた。ある条件を満たす者が巫女として選ばれるらしいが、実際のあの国ではそんな儀式はもはや形骸化して司祭たちがやりたい放題していたんだ。その娘も美人だったからたまたま司祭に見初められてしまったが、娘には翌年結婚するはずの婚約者がいた。娘は婚約者への望まぬ裏切りを悔いて、自殺してしまった。……私にヴァルハラーの監査を依頼したのはその婚約者の男だ」
これまで知らされていなかった事情を聞いて、シライナは一瞬怯んだ様子を見せた。ロゼウスがしてみせた権力を盾にするやり方に対し、ヴァルハラー公国の司祭の一部が行ったのは神の権威を我がものとして振る舞うことだ。当然褒められた所業ではない。しかし。
「それでも、一国の人間を皆殺しにするのはやりすぎよ! 老人も女子どもも、みんな犠牲にして!」
責める隙間を見つけてまたぎゃあぎゃあやり始める彼女を、今度は背後の大男が止める。
「シライナ、ここは俺たちの負けだ」
「何よ、ラクル、あんたはあの皇帝の味方するって言うの!?」
これ以上はまた今までも繰り広げてきた堂々めぐりになるだろうという予感がして、ロゼウスはシライナの世話は相棒であるラクルに任せ、自分はさっさと馬車に乗り込む。
「で、出していいわけ?」
「ああ。頼む」
御者台で事態を傍観していたエチエンヌが確認をとるのに頷き返すと、優秀な小姓はさっさと馬車を出発させた。
「ちょっと、話はまだ終わってないわよ! 待ちなさいよ!」
背後でシライナが怒鳴るのを気にも留めず、馬車はのんびりと皇帝領への帰り道を辿っていく。
◆◆◆◆◆
「とても元気なお方でしたね。あれが当代シレーナ教の聖女様ですか」
当代皇帝に食ってかかった威勢のいい世界最大宗教の代表指導者の一人と、彼女に対するある種の暴言を吐いた皇帝のとんでもないやりとりを馬車の中から聞いていた少年学者の反応はそういうものだった。
皇帝に対し噛みつく美少女は一歩間違えれば反逆者ともとられかねない。そのシライナを「とても元気」の一言で評し、少年学者は馬車の中で皇帝と向かい合った。
「ま、何はともあれ今回の件の解決おめでとうございます、皇帝陛下。お疲れ様でした」
「ああ」
「というわけでまだ私の要望が残っているわけですが」
「……お前な……」
労っておきながら直後に学者はさくっと自分の話を持ち出してきた。そう言えば彼も皇帝領にやってきた以上自分の用事が何かあるはずなのだが、何故かそれを真っ先に口にはせず、ロゼウスたちのやることを見守っていたのだ。
行きの馬車の中ではうっかり眠りに入ってしまったせいで、ロゼウスはまだ彼の名前すら耳にしていない。家名の方はランシェットだとグウィンたちが言っていたのだが、肝心の名前の方がまだわからないのだ。
とはいえ、グウィンの件が解決した以上その話をするのに不都合もなければ、邪魔もない。
もっとも、皇帝領に持ち込まれる依頼をポイ捨てする最大の関門は皇帝の機嫌一つだったりするので、ちゃっかり彼の仕事についてきたこの学者はある意味作戦勝ちとも言えなくもないのだ。ここまでくれば確かにロゼウスは彼の言うことをある程度は聞かずにはいられないだろう。バルフォアの情報や教会の牢に潜入する際など、さんざん協力させてしまった後である。
「それで、お前の用事とは何だ」
問えば、学者少年はにっこりと笑った。笑ってはいるのだが、それはどこか上辺だけの、本心を悟らせないまま場を持たせる「手段」としての笑みのようだった。
「それを話すには、多少長い前置きと世間話が必要となりましょうが、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
「時間も何も、どうせ馬車の中だ。魔法の馬だが、皇帝領に着くまではもう少しかかる。好きに話せ」
前置きはともかく、世間話が必要になる話とは何だかよくわからなかったが、とりあえずロゼウスはそう答えた。
この世界は退屈に満ちている。世界最強の力を持つ皇帝ロゼウスがその気になれば、本当に怖いことなど何もないのだ。彼に勝てる者はどこにもいない。いくら大量の軍隊を引き連れて来たって、それ以上の人数を皇帝は用意できる。誰も敵わない。
しかしそれは言い換えてみれば、今のロゼウスには誰一人影響できないということだ。
誰に教えられることも導かれることも、ましてや救われることもない人生。それを退屈以外の何と表現すればいいのだろう。
人は人と影響し合いながら生きている。誰かと全く関わらずにこの世界で過ごしていくのは不可能だ。だが他人と一緒にいながらも他人の話を聞かずに、表面上他人と関わっているように見せながら実際には何一つ他人に心を許さずに生きていくこともできる。
だからこそロゼウスは、皇帝として使える自らの力を絞って小出しにし、人間世界の規則にある程度従いながら生きていくのだ。世界と関わらずに生きていける力があったって、誰とも関わらない生き方など寂しいだけだろう。グウィンやフィオナの事件を権力でささっと解決してしまわなかったのも、要はそう言うことだ。人は自分の力で正面から他人とぶつかる意志がなければ、人として生きていくことは不可能だから。
それでもやはり世界に敵う者のない皇帝が退屈であることには違いない。
学者の話はその暇つぶしの一つだ。その程度の気持ちでロゼウスは彼の話を聞くことを決めた。
馬車の外を流れていく景色、茜色に染まった黄昏の空を眺めながら彼は口を開く。
「今回の陛下の活動を拝見しましたが、一言感想を言わせていただいてよろしいですか?」
よろしいですか、と確認口調だが、実質本当に許可を得たいわけではなく単なる形式上の言葉だったようで、遠慮のえの字もなく彼は言った。
「思ったより地味で吃驚しました」
「ああ、そうだな」
エチエンヌともそんな話をしていたことだし、別段気分を害した風もなくロゼウスは普通に答えた。
だがそれこそ「普通」であれば気分を害しただろう言葉に、真意の読みにくい言葉選びをする少年は重ねた。
「けれど先程二大宗教の指導者であるお二人にも詰め寄られたとおり、ヴァルハラーに関してはかなり『派手』にされたようですね」
続けられたこの台詞には、さすがのロゼウスもぴたりと黙る。この学者は何が言いたい?
「……昔話をしてもいいでしょうか?」
何度覗き込んでも底意を見せない深淵の炎の瞳が尋ねてくるのに、ロゼウスは結局許可を返した。
「ああ」
そういえば初めはかけていたはずの眼鏡を、今この少年は今かけていない。そのために余計はっきりとその顔立ちを意識せざるを得なくなる。
あえてグウィンの件が先だと考えることを遠回しにしていた、彼の《彼》に似た顔立ちのことを。
亜麻色の髪は違う。けれどその朱金の瞳は、似ている……とても。
「八年ほど前に、あなたが滅ぼした一つの王国の話です」
八年前、その単語にロゼウスも彼が何を言おうとしているのか話題にピンときた。そこはヴァルハラーとはまた違った事情で潰したのだが、国民皆殺しという結果は同じだ。
目の前の少年の容姿は、その国に多かった人間とは無関係だ。だがこうして思わせぶりに切り出す以上、関係ないということはあるまい。
「それは本当に凄惨な事件だったと、世には伝えられています。学会でも皇帝陛下のあの行動には批判的な意見が目立ちますし、市井の人々にはもっとです」
一応ロゼウスの行動というのは無軌道無差別に殺戮を行っているわけではないのだ。彼が手にかける人間には、必ずある一つの「基準」がある。しかし、それが他者にとって理解しにくいものであるということもわかっている。
わかっているからある意味、ロゼウスは期待などしない。だがやはりそれだけがすべてではないが、見識のあるものの中には皇帝の行動の意義を理解できる人間はいるということで、市井に批判的な意見が学会よりも目立つということは、逆に学会の人間には通常の人々よりロゼウスの行動は理解されやすいということだろう。
目の前のまだ年若いがグウィンの話によれば相当優秀な学者だという少年もそう言ったことを賢しげに言いたいのかと一瞬冷めかけたロゼウスに、しかし彼が告げたのはある意味意外なことだった。
「あの当時、私もあの国にいました」
「……は? お前は、チェスアトール人ではないのか?」
「チェスアトール人ですよ? たぶん」
たぶん、というところに少年の事情を多少感じ取りながらも根本的な疑問が解決されたわけではない。チェスアトール人であろうとなかろうと一種の思想によって統制されていた例の国の人間ならば禍根の残る隙もなく皆殺しにしてやったはずだ。それが……
「覚えていらっしゃいますか? 皇帝陛下。あの国の一部の、腐った国民の中でも更に腐った貴族連中が玩具にしていた数人の奴隷たちのこと……私はあの時、あの場所にいたんです」
「ど……あ、いや」
ついつい奴隷だったのかと尋ねかけて、慌てて無神経な質問に気づきロゼウスは言葉を濁した。皇帝は必要とあればいくらでも無神経になれるが、何も普段からそうである理由もないだろう。
だがロゼウスの意図はしっかりと伝わってしまったようで、少年はあっさりと言った。
「奴隷というより、たまたまその時はさらわれて捕まっていたという方が正しいのですが。まぁそんなに気にしないでください。世の中私より悲惨な人間はいくらでもいますし」
フォローなのかどうかよくわからないことを彼は言い、更に続けた。
「私が囚われていた屋敷に、ある日光が差し込みました。比喩でなく、本気で屋根がぶち抜かれた結果、今日のこの空のような光が燦々と。藍色と炎の色に染まったそれは黄昏時ではなく黎明の光だったわけですが、まぁその光が降り注ぐと同時に血の雨が降りました」
ロゼウスの殺し方は容赦がない。皇帝になる前の昔のようにあえて苦しめながら殺すような方法は今ではもうほとんどとらないのだが、とにかく見た目の殺し方は派手なのだ。皇帝の粛清には「見せしめ」の意味も大きいため、その「死」の意味が凄惨であれば凄惨なほどに他者にそう感じられなければ意味がない。
それに彼は何を思ったというのだろうか。
「これまで私を弄んでいた貴族もその部下も、優しくしてくれた人もそうでない人も、区別なくあなたは殺していった。心臓を貫いた男の死体を無造作にほうり捨て、その白銀の御髪が血で真っ赤に染まるまで」
ロゼウスが美しい青年であるだけになおさら戦慄させるその光景。
ヴァルハラーでの事の後も、つまり今もそうだが、あの事件の後もロゼウスの評判はすこぶる悪かった。いや、殺戮皇帝とまで呼ばれる彼への評判はいつも最悪と言われればまぁそうなのだが。
四千年前、皇帝としての荊の冠を神より望まずに推し戴いた時から、上がることのないロゼウスの評判。地上の全てに広がりきり、あとは深まるばかりの悪名。
その一方で、薔薇の皇帝ロゼウスはこれまで誰も達成したことのないような偉業の持ち主でもある。悪辣な虐殺者と呼ばれながらも皇帝という座に四千年間座りつづける。
それは一体、世界にとってどういう意味を持つことなのか。
そんなことはロゼウスにも、今目の前にいる少年学者にも関係なかった。人は所詮自らで体験した、実感したことしか信じないものだ。
「皇帝陛下、あなたは私を救ってくださった」
大仰な喜びがそこにあるわけではない。わかりやすい感謝の念を示すわけでもない。しかし少年学者の言葉には、深い実感がある。
別に感謝されるようなことだとはロゼウスも思っていない。皇帝は彼を救う気があったのではなく、たまたま殺戮現場に少年が居合わせて、しかし殺戮条件に彼が満たなかったために見逃しただけなのだから。あの時の殺しの条件は、かの国の思想を信じている人間だった。貴族に他国から攫われてきていた奴隷は条件にあてはまらなかった。ただそれだけだ。
「あなたがしたことは、良いことではない。ヴァルハラーのこともそうですがあの時のことも、人々の間には理解されない。それはわかっています。優しかった人もそうでない人も、自分が殺される理由を理解している人間もそうでない人間も迷わず殺す。あなたは一面では確かに残酷なお方だ」
そこは容赦ない評価をしながら、それでも彼はロゼウスをまっすぐと見つめることをやめない。
「けれど、以前あなたが私を救ったのは、その残酷さだった。老若男女問わず無慈悲と言われるほどに手にかける殺戮皇帝、あなたこそが私の光」
すっと細い手が伸び、ロゼウスの手をとった。白い指が更に白く華奢な指先を恭しくいただくようにして、自分の目の前に引き出してみせる。
そして彼はゆっくりと頭を垂れ、ロゼウスの人差し指の付け根のあたりに、そっと唇を押しあてた。
ほんのりとした口付けとも言えない口付けに、ロゼウスの鼓動がそうとは感じさせずに一瞬跳ねる。
「私の黎明を連れてくる殺戮者――だから、私はあなたにお会いしてみたかった」
あの日から皇帝ロゼウスを評するどんな言葉も、彼の中では意味を成さない。通りいっぺんの評価などではこの皇帝の本質をつかめはしないと、あの時救われた自分はもうすでに知っているのだから、と。
「……なるほどな」
再びゆっくりと離れていった手に合わせ自分の手を引きもどしながら、ロゼウスはとりあえず頷く。
「お前の目的はこれか」
「ええまぁ、これが第一段階で」
「まだあるのか」
「でなければわざわざ律儀に皇帝領まで戻るなんて言いませんよ。できればもう一つの願いは皇帝領で聞いていただきたいと思うんです」
「わざわざ向こうで? 今なら他に人もいないし、ここで言えばいいじゃないか」
正確には外にエチエンヌがいるのだが、車輪の音がうるさくて聞こえないだろう。しかし少年学者の求めたことは逆だった。
「いえ、他に人がいてくださらないと困るんです。陛下お一人に言ってみたところで黙殺されてしまえばそこでおわりですし、他の方々の反応も見てみたいな、と」
「お前な……どんな願いを口にするつもりなんだ」
「それはこちらでは口にできません。図々しいと思われて馬車から放り出されては困りますし」
「皇帝領で聞いてほしい、は図々しい願いではないのというのか……」
ロゼウスはそう嘆息して見せたが、対する学者の答はこういうものだった。
「それは十二分に自覚しております。そして改善するつもりは一切ございません」
にっこりと微笑んで言いきるところに、彼の慣れというか決然としたものを感じる。
確かに図々しいことには違いないが、その図々しさもロゼウスがそれくらいの願いは叶えてくれるだろうという目算がなければ出来ぬ事。相手にずけずけとはっきり物を言い、図々しいことが言えるのはある意味相手からどんな返しが来てもかまわないという覚悟のもと。
まだ付き合いは短いが、ロゼウスにとっては言動の端々に厄介さを感じる相手だった。この場合の厄介とは、つまり味方につければ心強いということでもあるのだろうが。
「世の中そう上手くもいかないものだしな……」
すでに先行きに言葉にしづらい不安を感じる皇帝と底知れない学者を乗せ、馬車は一路、この世界の肝心要たる皇帝領へとひた走る。