薔薇の皇帝 03

015

 とりあえずルルティスのしつこい取材逃れのために、と客と面会することを承知したロゼウスは、身支度を整えた後、廊下を歩きながら詳しい話をリチャードから聞いていた。
「先日、私はきちんと説明しましたよ」
「うん、忘れた」
「ロゼウス様……」
 執務をサボりがちな主に変わって雑務全般をこなしているリチャード=リヒベルクはその返答に頭痛をこらえるかのような表情を作る。とは言ってもこれもいつものことだ仕方がない、と無理矢理自分を納得させて話を進めた。
「ところで、エチエンヌはどうしました? 内容からいって彼も同席させた方がいいのではないですか?」
「そうなのか? エチエンヌは何も言ってなかったけど?」
「エチエンヌ自身が口を出す出さないは自由ですが、ロゼウス様がちゃんと書類に目を通していただいていたら同席させたと私は思いますよ。今回はいつもと少しばかり毛色の違う話ですから」
「毛色……」
「まぁ、いつものしょうもない頼みの延長と言えば延長かもしれませんが」
 とにかく会えばわかるでしょう、とこちらもいささか投げやりに話をまとめて、リチャードは客人を通した部屋にロゼウスを案内する。四千年間も皇帝のそば近くに仕えていれば、おべっかを使って最高権力者に取り入ろうとする輩など彼らは嫌と言うほどに見てきたのだ。ロゼウスは殺戮皇帝として恐れられているが、それでもいいから何とか目をかけてもらいたいと考える輩は後を絶たない。
 とはいえ、仮にも皇帝領の外からはるばるやってきたというその相手を皇帝として迎えるために、ロゼウスはマントこそ外した略式だが正装を身につけている。髪の長さも結いあげて腰まで届くように伸ばし、人前に出しても恥ずかしくない《皇帝》としての顔を整えた。
 皇帝であるロゼウスは多少の魔術を使える。髪や爪の長さなど多少の身体的特徴を弄ることは朝飯前で、急な来客でも身支度に時間はかからない。
 もちろん、皇帝の能力とはそんな「これで忙しい朝も困らない!」と言った便利能力ばかりではないが、そもそも日常多用されるような術は天変地異を引き起こしたり墓の下のゾンビに盆踊りさせたりするよりは十秒で身支度できる方がはっきり言って有意義である。
 それはさておき、客との対面である。
「置いてきてしまったなら仕方ありませんね。エチエンヌの代わりとして、ひとまず私が背後に控えておりますので」
 ロゼウスが本気を出せば、この世に彼を害せる者などいるはずもない。本来は護衛などいらないほどの実力はあるのだが、あえてロゼウスは自らの力の全てを使うことはせず、エチエンヌやリチャードといった信頼できる人物に護衛を任せていた。
 自分が通常使える範囲外の力は極力振るわない。それが皇帝としてのロゼウスの信条だ。必要となればいくらでも皇帝としての奇跡の力をひけらかしてみせるが、大した用もないのに人智を超えた力など使う必要はないのだ。
 そしてロゼウスにとっては、身の安全は大した用には入らない。それでも皇帝としてあっさり毎度毎度危険な目に遭うわけにはいかないので、最低限の譲歩は必要だった。それがエチエンヌやリチャードによる護衛だ。
 しかし今回は特段どこかに出かけるわけでもなくただ宮殿の中で来客に向き合うだけで、わざわざエチエンヌやリチャードをひっぱり出してくるほどのことはないように思える。
「いいのか? リチャード。書類が溜まってて忙しいんじゃないの?」
「へ、い、か。そもそも、私がこなしている書類は貴方様のお仕事でございます。書類を溜めているのは私ではなく、貴方様です」
「別にリチャードが書類を溜めていると言ったわけでは……」
 こめかみを引きつらせるリチャードにこれ以上この話題は危険だとロゼウスは判断し、大人しく口を閉じた。
 ちょうどよくその頃に目的の部屋へと辿り着き、会話を切って中へと入る。
 部屋の中で長椅子に腰かけ、礼儀正しく皇帝を待っていたのは二人の男性だった。一人はいかにも貴族らしい初老の男で、もう一人は三十代になるかならないかといった青年だ。
 長ったらしい挨拶など面倒だ、と考えていたロゼウスにとってあるいは幸運なことに、初老の貴族男性の方には見覚えがあった。
「あー、ユラクナーのシャーウッド伯爵でしたかな」
「おお! 皇帝陛下に我が名を御記憶頂いていたとは光栄です」
 紺色の髪の初老男性は、ユラクナーの貴族の一人だった。ロゼウスが名を呼ぶと大袈裟な身振りで感激して見せる。
「用件があるなら、単刀直入に話せ。知っているとは思うが、私はこれでも忙しいのでな」
 最近の行いと言えばストーカーのごとき押しかけ学者から一日中逃げ回るしかしていないくせにいけしゃあしゃあと皇帝ロゼウスはのたもうた。
「ええ、麗しき薔薇の皇帝陛下の御身は帝国にとっての至宝です。今回私めがこちらに参りましたのも、少しでも尊い御身のお役に立てれば幸いと思ってのこと」
 皇帝が形式ばったやりとりが嫌いだという話は、さすがに四千年もあれば各国に広く知れ渡っている。ユラクナー貴族シャーウッド伯はそれを忘れて美辞麗句のおべっかをずらずらと並べるほど愚かではなかったらしく、さっさと本題を切り出した。
「私がこうして陛下のお目にかかったのは他でもない、彼のことです」
 そう言って、伯爵は隣に座っていた青年を示した。
 紺髪に銀の瞳のユラクナー人の特徴をはっきりと現しているシャーウッド伯爵本人とは違い、その青年は明らかに異国の人間とわかる外見をしている。
 金髪の髪に青い瞳、そして褐色の肌を持つのはカウナード人の特徴だ。ユラクナーもカウナードもバロック大陸内の国であり、広い意味では皇帝領もバロック大陸と橋で結ばれた延長線上に存在するのだが、カウナードはその気候が独特であるために、外見にも大きな特徴が現れる。それが褐色の肌だった。
「見たところ伯爵の親類縁者と言うようでもないようだが、そちらは?」
 実はロゼウスもリチャードもそれなりに気にはなっていたのだ。長椅子に並んで腰かける二人は年齢だけなら叔父と甥程度の説明ができるだろうが、外見はどう見ても似ても似つかない。しかしその辺りはローゼンティア人であるロゼウスがエヴェルシード人のリチャードやシルヴァーニ人のエチエンヌを重用していることもあり、何か事情があるのだろうと考えた。
 四千年前を知っているロゼウスたちならではの感覚ではあるが、昔に比べて現在の世界は交通の便が発達し、かつての帝国では考えられないほどに人々の移動も活発になったものである。
「彼はゼイル。ゼイル=トールベリと申します。私は今回、彼を陛下の騎士として推薦しに参りました」
「――騎士?」
 思いがけない言葉に、ロゼウスは目を瞬かせた。その一方で、リチャードが何故エチエンヌを同席させた方がいいと言ったのかにどこかで納得もした。
 ルルティスにも適当に語った通り、エチエンヌは十年前のことから《碧の騎士》と呼ばれている。実際に騎士としての仕事をしているかどうかはともかく、世間的にはあの少年が皇帝ロゼウスの騎士なのだ。
 それを知っていて、あえて別の人間を《騎士》として推薦してくるというこの男――……。
 ロゼウスが考えこもうとしたところで、今度はゼイルと呼ばれた青年が口を開いた。
「お初にお目にかかります、皇帝陛下。拙のごとき下賤の者がこうして御身のお目にかかれること、恐悦至極にございます」
 褐色肌の若者はわざわざ椅子から腰をあげると目を伏せ、頭を垂れて跪きながら皇帝へと挨拶した。
「……堅苦しい言い方はよせ。下賤などという言葉もいらん。お前は今回のことに相応の納得と、相当の自信があってここまで来たというわけだな」
「僭越ながら」
 あくまでも生真面目に礼は崩さないまま、ゼイルは言った。
「拙の剣技はかつて国の御前試合で一番をとったこともございます。その時にシャーウッド伯に目をかけていただき、こうして御縁により陛下への拝謁が叶った次第です」
「カウナードで一番、ね……何年前だか知らないが、それは確かに相当の腕前だな」
 熱砂が吹きつける砂漠の国、カウナード。気候が厳しいだけあって、その土地で生き抜くには老人から子どもまで頑強さを強いられる。武人の国と呼ばれるシュルト大陸北方のエヴェルシードとはまた違った意味で強靭な戦士を輩出することで有名な国だった。
 それはそうとして、ロゼウスは礼をとるゼイルを見ながら、内心で首を傾げた。
(どこかで見た覚えがあるような……)
 カウナードは皇帝に頼ることの少ない国であり、カウナード人ともロゼウスはさほど面識がない。かと言って、まったく見かけないというほどでもない。知りあいと呼べるような間柄の相手こそいないのだが、ロゼウスはゼイルの顔立ちに何かしらの既視感を覚えた。
「そして陛下、トールベリに関しては、それだけではないのです」
 この場には確かに率先してやってきたのかもしれないが口がうまいわけではないゼイルの代わりと言わんばかりに、彼の価値を引き上げようと勢いよく喋り出したのはシャーウッド伯爵だ。その勢いに、ロゼウスの思考もいったん散らされてしまう。
「彼には剣技の他にも特技がございまして、なんと彼はこの若さで学者の称号を得ているのです」
「学者?」
 その言葉に、思わずロゼウスもリチャードもゼイルの様子を見た。鍛え上げられた体つきを見れば武人だというのはすぐにわかるが、学者という言葉と縁があるようには見えなかったので、正直それは意外な報告だった。
それに確かにゼイルの年齢で学位を得ているのは若い方だが、身近に奇人だが天才のルルティスを傍に置き、先日のフィルメリアで二十代の青年学者グウィンを見てきたロゼウスたちにはそれほど若いとも思われない。
 ともあれ、文武共に優秀なのは確かなようだ。
「ええ、そうなのです。彼さえいれば、その辺りの腕っ節しか能のないならずものや、頭でっかちで自分の身一つ守る術のない人間を傍に置く必要はありません」
 更にゼイルを売り込もうと、伯爵はますます口が滑らかになる。
 少し滑らかになりすぎたようだが。
「伯爵。それは、現在陛下のお傍に腕っ節だけが取り柄の輩しかいないという意味でしょうか?」
 身分と言う意味でなら貴族として皇帝に仕えるようになってから高い爵位を与えられたリチャードもこの場での会話に口を挟めないことはない立場である。彼の発言に、さっとシャーウッド伯は青ざめた。自らの失言に気付いたのだ。
「そ、そんなことは……」
 ロゼウスが現在、伯爵たちが売り込みたがっている《騎士》の名目で傍に置いているのはエチエンヌだ。その彼を遠回しに侮辱するかのような発言は、さすがのリチャードも許してはおけない。
「それに、そんなに優秀な騎士なら何故あなた本人の傍に置かないんだ? 伯」
 ロゼウスも口を開いた。途端にシャーウッド伯爵はしどろもどろになる。
「そ、それは……ゆ、優秀な騎士だからこそ、帝国を治める陛下のためにと」
「それなら定期的に行っている城仕えの兵士の試験にでも応募してくれれば構わないが」
 これまでいちいち傍に置く相手を、貴族から推薦されて決めた覚えなどロゼウスにはない。彼が信頼を置くのは、身の回りで実際に働いているところを見て、その仕事ぶりに信用を置いた者がほとんどである。今の皇帝領で働いている人間たちはほとんどそうだ。
 はっきり言って、さも親切そうに薦めてくるシャーウッド伯の口ぶりからはこれを機に皇帝と言う権力に取り入ろうとする下心しか見えないのだ。
「悪いが、他を当たって――」
「お待ちください、皇帝陛下」
 にべもなく断ろうとしたロゼウスの言葉を止めたのは、騎士本人だった。
「おっしゃる通り皇帝陛下に対し、不遜な真似をいたしました、お許しください」
「この場合、許せって言うのもまた不遜な気がするけれど」 
 ロゼウスは突っ込んだ。しかしゼイルは表情を変えない。
もともと喜怒哀楽が少なそうな張りつめた表情をしていた青年は、ロゼウスの前に跪きながら、シャーウッド伯の白々しいおべっかではない、自分の言葉で皇帝領にやってきた目的を述べていく。
「正直に申し上げましょう。皇帝陛下、今回のことは拙の意志です。拙が陛下のお傍近く寄るために、こうしてシャーウッド伯爵のお力をお借りいたしました」
「お力、ねぇ……」
 皇帝に面会できるくらいなのだから、確かに伯爵は力ある名門貴族ではある。もっとも、皇帝にならずとも元々ローゼンティア王族だったロゼウスからしてみれば微々たる力だが。
 ゼイルが先程許せと言ったのは、自分と言うよりもシャーウッド伯の方らしい。
「これは初めから、拙一人のわがままです。皇帝陛下、拙はどうしてもこの身が御身の傍近く侍りたいがために、こうして騎士として志願いたしました」
「何故?」
「名誉を欲します」 
 ゼイルの答は簡潔だった。
「ぜ、ゼイル!?」
 話を聞いた伯爵の方が仰天している始末だ。
「なるほど」
「はぁ……」
 そこまではっきりと言われればロゼウスも、後ろで聞いていたリチャードも頷くしかない。
 四千年も身分ある人間として生きていれば、いい加減格式ばった、形式ばったやりとりにうんざりするものだ。皇帝領の住人となる前から、さして気にとめていたわけではないのでなおさらだ。そう言う意味では率直なゼイルの言葉は好ましくある。
「武人としても学者としても、必ずや陛下のお役に立つことを約束いたしましょう。陛下、どうか拙めを傍に置いてはいただけませんでしょうか? もとより《碧の騎士》の立場にすり替わろうなどと大それたことは考えてはおりませぬ。ただ、陛下の周りの労苦を少しでも軽減することができるのであれば、非才なる身ではありますがどうぞ拙をお使いください」
「……どうなさいますか? 皇帝陛下」
 頭を下げるゼイルを見つめながら、リチャードが心持ち不快げな顔つきで尋ねかけてくる。ロゼウスも同じようにゼイルをしばらく見つめていたが、やがて長い溜息を一つ、吐き出した。
「そうだな、試しに置いてやろう」
「な、陛下!」
「《騎士》の一人や二人増えたところで構わない」
 そう言ってロゼウスは、部屋を後にする。
「シャーウッド伯、そなたに関してはまた後日こうして場を設けよう。この男が使えるようであれば、推薦者であるそなたにもそれなりの褒美はとらせよう」

 ◆◆◆◆◆

 ルルティスは
(「噂の歴史学者」って何だ?)
と思った。愛想よく、ご婦人がたの憧れの的である麗しの王子様フェルザードを前にして。
「お話は聞いておりますよ。なんでも凄いそうですね」
 くすくすと笑いながら、フェルザードはそう言った。平民であるルルティスに対しても分け隔てのない態度で接してくれる王子様だが、その分け隔ての無さにはなんだか含みがあるようだ。
 そういえばロゼウスの言葉に寄れば、「フェザー」はこの朝宮殿に着いたばかりではなかったか? ロゼウスとは顔を合わせたが彼の来訪を待ち焦がれて(?)いたらしいエチエンヌとはまだ会ってもいないというのに、ルルティスのことを知っている。
「天下の皇帝陛下をじゃがいもの箱の影に隠れさせる学者なんて初めてだって、皆言っていますよ」
 噂とは人の足よりよほど速いようだ。
「さっきのアレですか。もう伝わっているんですね」
「ふふ」
 まぁ、フェルザード王子もそれで不機嫌になっているわけではないのだからよしとしよう、とルルティスは胸の内で自分を納得させた。
「私も皇帝領と自国を行き来するようになって長いですが、あなたのような方は初めてですよ。ランシェット殿」
 ルルティスは貴族ではないのだが、フェルザードはそう呼んだ。使用人以外は基本的によほどの位を持つ貴族しか足を踏み入れることのない皇帝領に在れば、それだけで身分の高い者のように扱われる。ただの学者であるルルティスとしては居心地が悪い。
「殿下、わたくしめのことはどうぞ呼び捨てになさってください」
「そうか? それではランシェット、と。私のことはフェルザード、と呼んでくれて構わない。親しい者たちはフェザーと呼ぶよ」
「先程エチエンヌ様がそのように」
「ああ、そう言えばエチエンヌとはまだ今回は顔を合わせてなかった」
 思い出したようにフェルザードが言った。
 こうしている場合ではなかった。いまだ本の中に埋もれている二人は我に返る。
先程衝突した際にぶちまけられた本を拾うのを手伝うと、フェルザードはにっこり笑って礼を言ってくれた。貴人の驕りなど欠片もない立派な人だ。
「これから何か用事はある?」
「え? いいえ、特には」
 皇帝には逃げられたしエチエンヌにも逃げられたし。
「私もちょうど野暮用が終わったところなんだ。良かったら一緒に皇帝陛下のもとへ行かないかい?」
 フェルザードの誘いは嬉しいのだが、ルルティスは遠慮がちに事情を述べた。
「陛下は今来客中だそうですけど……」
「来客? 珍しいな、陛下が客人に会われるなんて。大抵の貴族なんて、いつも高価な服の背中を蹴り飛ばして追い返しているのに」
 つまり先程のあれはあからさまにルルティスから逃げる口実だったようだ。せっかくここにフェルザードがいるのだから、後で二人のエピソードを根掘り葉掘り聞こうとルルティスは決意した。
「まぁ、いいや。そろそろ話が終わっているかも知れないから陛下に会いに行こう? それに自慢ではないけれど、私がいればだいたいのことは何とかなると思うから」
「はぁ」
 確かにロゼウスお気に入りの愛人と呼ばれるフェルザード、身分としても北東の強国エヴェルシードの第一王子である彼がいればよほどのことでない限り非礼を責められる場面にはならないだろうが、それにしても嫌味ではなくストレートに自信を覗かせる人だ、とルルティスは思う。
 フェルザードの穏やかだが有無を言わせぬ話運びに引きずられ、ついついルルティスは彼に従って、宮殿の来客用の応接間へと向かった。
 で、固まった。
「……何やっているんですか? ローラ、エチエンヌ」
 フェルザードが尋ねる。一応エチエンヌの名も呼んでみたが、二人が尋ねたい相手は本当は一人だ。
「で、殿下~お助けを~」
「あら、フェザー様お久しゅう」
 エチエンヌの襟首をひっつかんで室内を覗き見しているローラの方である。
 淡い金髪に翡翠の瞳を持ち、双子の弟であるエチエンヌと同じ顔をした少女。黒いドレスに身を包んだ細い肢体がなまめかしい。
 ロゼウスの愛人の一人として名高い狂王妃ローラ=スピエルドルフ。
 外見はどこから見ても華奢でか弱げな美少女なのだが、その美少女は今現在同じ顔の弟の襟首をむんずと引きつかんでいる。いろいろな意味で異様な光景だ。
「新しい遊びですか?」
「そう、と言いたいところだけど生憎と遊んでいるのは私たちじゃなく、ロゼ様の方なの」
 扉の開け放たれた室内を見ると、そこにはロゼウスとリチャード、そして見知らぬ青年が一人だけいた。
「カウナード人ですね」
 褐色の肌を見てルルティスはそう判断する。
「ロゼウス様の騎士候補ですって」
「騎士?」
 いきなり話を聞かされたルルティスとフェルザードは、目をぱちくりとした。
「え? 《碧の騎士》は?」
「騎士ってそんな、エチエンヌがいるのに」
「だから問題なんじゃない。ほら、リチャードの機嫌が氷点下に」
「わ、わかりません」
「彼はポーカーフェイスですからね……」
 ローラはリチャードが不機嫌だと告げたが、扉の外から見る彼の顔色も表情も別段いつもと変わりなく見える。そこはやはり長い付き合いということなのか、ローラにしかわからないようだ。
「エチエンヌ、ほらあんたの仕事でしょ? 何勝手に他人にとられてんのよ」
「別にいいじゃん。どうだって」
 ローラが咎めるが、エチエンヌの口調には覇気がない。ようやく襟首を離されても、やれやれと立ち上がるだけだ。
「仕事が減って楽になるよ」
「皇帝のお守を除いたらあんたに減るほど仕事なんてないじゃない」
「お守と来ましたか……」
 この場合ローラの発言はエチエンヌとロゼウス、どちらに対してより酷いのかわからない。
「ローラ、エチエンヌ。ついでにそこにフェルザードとルルティスもいるな? 入ってこい」
 とっくに彼らの様子に気づいていたロゼウスが、この段になってようやく彼らを中へと呼んだ。
「説明するまでもなく知っているらしいが、彼は私の騎士に推薦されてきた」
「お連れになったのはユラクナー貴族のシャーウッド伯爵閣下です。こちらの方は、ゼイル=トールベリ卿」
「カウナードで正式に騎士の資格を得た、一代貴族だそうだ」
 一代貴族とは、特殊な功績を治めることによって名前を貴族名簿の端に連ねることを許された貴族だ。子孫にその名を継承することこそできないが、世襲貴族と違って自分の力で爵位を手にするために、他でもない当人の実力が示される。
「そして、学者でもあるそうだ」
「カウナードのトールベリ……あ、はいそうですね。薬学、人体学などで五年ほど前に学士の称号を得た方ですね」
 人間じゃない記憶力とまで言われるルルティスがあっさりとそう言ってのけたのを見て、ゼイルが伏せていた顔をあげる。
「その朱金の瞳に亜麻色の髪……まさか、チェスアトールの奇才ですか?」
「お初にお目にかかります」
「ゼイル、説明の必要はないようだが、こちらはルルティス=ランシェット。そして彼が」
 皇帝を除けばこの場の誰よりも高い身分にありながら控え目に佇んでいたフェルザードが、一歩前へと進み出る。
「フェルザード=スラニエルゼ=エヴェルシードと申します」
「存じております、殿下」
 やはりエヴェルシード王子フェルザードの名を知らぬ者などなく、ゼイルは厳粛に頷いた。
(ん?)
 しかし傍でそのやりとりを眺めていたルルティスは一瞬、奇妙なものを感じた。ゼイルの眼差しに、棘のように鋭い敵意が混じっていたような……。
 気のせいだろうか、とルルティスは自分の考えを振り払った。騎士候補である彼がライバルに当たるエチエンヌに敵意を抱くならともかく、フェルザードを敵視する理由は見当たらない。カウナードとエヴェルシードは距離的にも離れていて、これまでに国同士が揉めたという話も聞いたことはないが。
「この双子が、ローラとエチエンヌだ。皇帝領の現在の主要メンバーはこのぐらいだな。つまり、扱いにおいて厳重注意の野郎どもだ」
「ってどういう意味ですか、ロゼウス様」
 ローラがじと目で皇帝を睨む。
 ロゼウスがこの場で彼らを紹介した理由は、皇帝領の重鎮だからと言うよりは関わると面倒なブラックリストの人間だから覚えておけ、というようだった。ここにいるのは皇帝の傍近く仕えるなら間違いなく関わる羽目になるだろう面々であるが、同時に絶対喧嘩を売ってはいけないリストの面子でもある。
 フェルザード辺りに関して言えば、エヴェルシードの王子なのだから対応に毎回気をつけなければならないのは当たり前だ。しかしローラとエチエンヌに関しては、表向きは貴族でも何でもない。何でもないのだが、彼らは四千年前より皇帝に仕える皇帝領の重鎮として、蔑ろにしていい者たちではない。むしろ、そんなことをした途端大変な目に遭うことは明らかだ。
 そして最後にルルティスはこれぞ紛うことなき要注意人物としての烙印を押されて紹介された。
「皇帝を厨房のじゃがいもの箱の影に隠れさせるつわものだ。気をつけろ」
「その説明はないんじゃないですか? 陛下。陛下が私の質問に快く協力してくださるならすぐ終わりますって」
「嘘をつけ! 嘘を! そう言って三日連続朝から晩まで質問攻めにしたのはつい先月の話だぞ!」
「ランシェット博士は皇帝だけでなく使用人たちまで質問攻めにしていますよね」
「やっぱりつわものだぁ」
 何故かフェルザードが嬉しそうに呟いた。
「ま、俺の周りに関して説明するならこれぐらいだな。わからないことがあればこの中の誰かに聞けばいいし、逆にゼイル、お前に仕事があればこの中の誰かから伝えられるだろう」
 その言葉にきらりと目を輝かせたのは、ゼイル本人よりもルルティスだった。仕事を伝える役目、というならどさくさ紛れにいろいろ聞けるだろう。ゼイルがこれから本当に長く皇帝に仕えることになるのであれば、彼についても今のうちから調べておくのは有益だ。
「ちなみに、ルルティスは例外だ。これに関してはただの要注意人物としてだけ覚えておけ」
「そんなぁ~陛下ぁ~」
 目論見はロゼウスにあっさりと見抜かれていた。そして皇帝は先手を打った。
「お前の方から何か疑問や質問はあるか?」
「いえ、皇帝陛下のご説明は微にいり細にわたっておりまして、拙に対して説明の不足はございません。ただ、許されるのであれば一つだけ――」
「なんだ?」
「これより、常に陛下のお傍に侍る許可を今ここでいただきたいのです」
 大胆な申し出に、エチエンヌとリチャードが息を飲んだ。ローラとフェルザードに関しては、面白そうだといった期待を隠さないでいる。ルルティスもそうだ。
「……私の仕事の中には、余程でなければ他者に見せられぬものもある。それに寝室に人を置く趣味もない。それ以外私が許す限りにおいて、傍にいることを許す」
「感謝いたします」
 ゼイルが初めて口元に微笑を浮かべた。