019
「約束しよう、君がおとなしくこちらの言うことを聞いてくれれば、連れの少年に手は出さないと」
それは裏を返せば、ルルティスが逆らえばマンフレートを殺すという脅迫だ。
馬車を襲撃した男たちにルルティスが連れて来られたのは、フィルメリアにある貴族の別荘の一つだった。建物の中はさすがに豪奢で、今座らされている椅子一つとっても居心地よく作られている。しかし人里離れた場所に建っているので、現在位置が掴めないのは厄介だ。
連れて来られる間は当然馬車の窓は閉じられて見張りもつけられていたため、ルルティスたちが自力でそれを判断したわけではない。今目の前にいる男が、わざわざ教えて寄越したのだ。
彼が一体何の思惑でそんなことをしたのかはわからない。ただ、その内容はルルティスには引っかかった。
先月グウィンの事件でフィルメリアを訪れた際、確かこの国には「貴族街」と呼ばれる一角があるということを知った。目の前の男は容姿や身なりからしてフィルメリア貴族に間違いない。だとしたら普段は貴族街に屋敷を持っていると思うのだが……。
貴族として扱われることもないような下っ端貴族なのかもしれないが、それだと逆にルルティスを知っているとは思えないのだ。学者などという無駄に金を食う生き物に興味を持つのは大抵経済的に余裕のある大貴族がほとんどで、そうでなければ学者が家庭教師として奉公したか何かで繋がりがある場合だけだ。
ルルティスは確かに「チェスアトールの奇才」として名を知られているが、それは学者同士の横のつながりと、チェスアトール周辺の国に限っての話である。バロック大陸西のフィルメリアと東のチェスアトールでは距離がある。グウィンやゼイルのような学者でもあるまいし、理由もなくフィルメリアの人間がルルティスを知っているとは思えない。
これ以上は考えても仕方ないので、率直に尋ねることにした。
「それで、あなたは僕に何の御用件なんです? 僕はあなたを存じませんが」
ルルティスもまぁ、過去にはいろいろやらかしているが、とりあえずフィルメリア近辺で何かやらかした覚えはない。態度だけは慇懃にしかし不当な要求に屈する気は微塵もない強気の態度で貴族らしき男と向き合う。
応接間に通され、扱いだけは賓客とされている。しかし屋敷に着いた瞬間マンフレートと引き離され、彼はどこかに連れて行かれてしまった。この応接間とてルルティス本人には手を出していないものの、代わりのように入口には屈強な警護の男たちが控えていて逃亡を見張っている。
「その前に一つ聞きたいのだが、君はサデュケニィス=ネロア=レッセンフェルを覚えているかい?」
「? 誰?」
身構えていたところにいきなり知らぬ名を出されたので、ルルティスは思わず素で尋ねていた。サデュケニィス? そんなものすごく言いにくそうな名前の人間は知らない。レッセンフェルという家名にも聞き覚えはない。
その一方で、もしかしたらそれは自分が名を知らないだけで、会ったことのある人間なのかも知れないという考えが頭を過った。そういうことはままある。学者としての交流でもなく、チェスアトール時代の知り合いでもない、もはやほとんど思い出せないような遥か過去の記憶。
しかし男は何を知ってか知らずか、ルルティスが危惧したその話題に触れることはなかった。
「まぁいい。忘れているならばそれはそれで好都合だ。改めて名乗ろう。私はフィルメリア貴族、シャルロ=ニベロスカ=ノイドガルテ。普段はノイドガルテ公爵と呼ばれるがな」
それが本当なら、大貴族だ。しかしルルティスにはますますわからない。フィルメリアの公爵が何故自分などを拉致したのか。
学者になってからはルルティスはずっとチェスアトールにいたし、それ以前はチェスアトールの隣国アストラストで剣術の師と共に暮らしていた。その更に前は薔薇の皇帝ロゼウスによってすでに滅ぼされた国に住んでいて、ルルティスの記憶はそこから始まっている。
それ以前のことは?
ルルティスには七歳より前の記憶がない。気づけばすでに滅びた国で、奴隷として扱われていた。
けれど記憶にないその過去を、ルルティスはこれまでフィルメリアと結び付けて考えたことはなかった。ルルティスの容姿を見れば、チェスアトール人以外の何者でもなかったからだ。
ノイドガルテ公爵シャルロはルルティス自身も知らない彼の過去を知る者なのか。目の前のフィルメリア貴族の顔を見つめ、ルルティスはそう考えた。
「さて、ルルティス=ランシェット君。君は君の素性、本当の親について知りたくないかな?」
「いえ別に」
即答。
ルルティスが返答するまでの間より明らかに長い時間室内に沈黙が降りた。目の前のシャルロだけではなく、心なしか入口に突っ立っている護衛まで唖然としたようだ。
「一秒くらい迷いたまえよ……」
「だってどうでもいいんですもん。そりゃ十年くらい前なら困ったかもしれませんが、今こうして普通に生きていけてますしね」
シャルロが自分の記憶にない過去のことを知っていようが、両親や実の家族のことを知っていようが、「知ったこっちゃない」ルルティスだった。
彼は皇帝のストーカーなどせず本気で学者として働けば億万長者も夢ではないほど学者としての能力があるのだ。経済的にはまったく親に頼る必要がなければ学者の世界は本人の実力一本勝負(でもない人間もたまにいるが)であるため、身分も地位も必要ない。そういう意味ではまったく親という存在を必要としない少年だ。
とはいえ、普通なら十五歳の孤児の少年と言えば両親という存在にもっと思うところがあるだろうと言ったものなのだが。
「両親という存在に憧れはないのかい? 実の親というものに思い入れは?」
「ありませんねぇ」
自分の心の中を見渡しても、ルルティスの中に親というものへの想いは特に見当たらない。
「……自分の両親がお金持ちで優しくて、不慮の事故で君を手放さなければいけなくなったが、本当は君のことをとても愛していて今も必死になって探しているとしたらどうだい? 夢物語のように、ひょっとして自分は貴族や王族の落胤かもしれない、なんて考えたことは?」
「ありませんねぇ」
シャルロが考える普通の十五歳の少年像からことごとく外れた道を行くルルティス。もはや室内にはだれたような空気さえ漂い始めている。
「はぁ。それで結局、あなたの思惑は何なのですか? その口ぶりからすると、あなたは僕の両親について何か知ってでもいるのですか? それで僕に何か関係があると? だったら傍迷惑のなにものでもないので、さっさと僕とマンフレート君を解放してください」
目の前の相手に対する興味はとうに失せたらしく、ルルティスはとかくこの状況から解放されることだけをもう考えている。基本的に自分の興味のあること以外はどうでもいいタイプだ。
「……待ちたまえよ。私の用件はまだ何一つ終わっていないんだ。それに君は何か勘違いをしているようだが、私が仮に君の両親を知っていたとして、その方々と友好関係にあるとは一言も言っていないのだが?」
「へぇ、そうですか」
意外な話の成り行きに戸惑い始めたシャルロの強がりのような言葉を聞き、ルルティスは大体事情が読めてきた。
「方々、ということは僕に関係があるらしいその相手はあなたと同格以上の貴族というわけですか。で、あなたはその貴族と何らかの有利な取引をしたいわけですね?」
「偏った思い込みでさも賢しげに推論を語るのは関心しないね。私が君のご両親を憎んでいて、君を復讐の道具にするなどは考えないのかい?」
「いいえ。少なくともこの状況がある程度あなたの思惑を語ってくれています。もしもあなたが本当に相手を苦しめたいと思うのならば、その息子? であるという僕のことなどさっさと殺すなり犯すなりしてそれを相手に見せつけるでしょう? 仇の息子まで憎くて絶望させずにいられないというなら、何も語らずいきなり暴力を振るうほうが効果的ですよね。理由がわからないで度を越した理不尽な扱いを受けることはそれだけで一種の恐怖ですから」
いきなりさらりと「殺す」という言葉を口にしたルルティスを、シャルロはじめ室内にいる人間はぎょっとした顔で見つめる。構わずにルルティスは続けた。
「もしくはあなたがよほど陰湿な性格の人間だった場合、僕を拉致監禁して洗脳して両親を憎ませ、精神的なダメージを与えるという選択肢もありますけど、それにはやはり現状はそぐわないですよね。あなたが僕に両親を憎ませたいなら、もっと僕に同情的なまるで自分が僕の庇護者のような顔をして、両親の悪口をあることないこと吹き込むでしょう。ですがあなたはまずマンフレート君を人質にとり、僕を脅す方向から攻めてきた。僕の機嫌を取る必要なんか、あなたには最初からないのでしょう。かといってあなたが先に僕に全てを教えてから危害を加えてお前がこんな目に遭うのは両親のせいだー、とか言っても僕が素直にあなたに洗脳されるとは限りませんからね。むしろその場合は実際に自分に危害を加えているあなたを憎む方が当然でしょう。賢いやり方ではない。あなたは最初から僕が学者だと知っていて拉致したのですから、少なくともそんな阿呆ではありませんよね? そんな阿呆なやり方で僕が言いくるめられると思っているなら、学者も舐められたものですね。それともあなたは阿呆なんですか?」
息も切らさずこれだけ言った後、にっこりと、後ろ盾もなく人質をとられ、絶対的に不利な状況にあるにも関わらず傲岸とも思える態度で笑って見せたルルティスに対し、シャルロはただ言葉を失う。
「あなたが愚かでないのなら、さっさと僕を解放するべきですよ。マンフレート君もチェスアトールでは名の通った家の一人息子ですし、大した理由もなく害すのは得策ではありませんよ。彼は皇帝と顔を合わせたこともあるのですから」
実際マンフレートがロゼウスと顔を合わせたのはルルティスを迎えに来た一瞬だが、そこはふかしておくのが交渉術というものだ。
「皇帝だと……! 君たちは先般まで皇帝領にいたと聞いたが、まさか……」
「あなたのお考えの通りですよ。僕も彼も皇帝陛下と面識があります。あなたが僕に引き合わせたいんだが何をしたいんだか知りませんが僕の両親(仮)という相手がいくら偉くとも、まさか皇帝以上ではないでしょう?」
「……」
皇帝以上に確実に偉いと言える相手はこの帝国では神ぐらいのものだ。
「……君が弁舌に長けているのはわかった。君と連れの少年に対しては、丁重な扱いを心がけよう」
言葉を選び選び、シャルロはしかしまだ諦める様子はない。当然と言えば当然だが、ルルティスは内心舌打ちした。この程度で逆上したり言いくるめられる相手なら出し抜くのも簡単なのだが、幸か不幸かノイドガルテ公爵シャルロは多少知的な人物だった。孤児に親のことをちらつかせればすぐに食いつくと思っていたあたり、本当に「多少」だが。
「私としても、用件が終わる前に君を解放するわけにはいかないのだよ」
「そう言われても困りますよ。せめてマンフレート君だけでも解放してくださいません? あの子は何も関係ないでしょう」
「したいのは山々なのだが、私の本能が彼を解放したらその瞬間君もさっさと逃亡すると告げている」
まさしくその通りのことを考えていたルルティスは、今度こそチッと口に出して舌打ちした。
「どうやら君は一筋縄では行かないようだね。仕方がない。私も次に顔を合わせるときに備えて策を練ることにしよう」
今回はルルティスのエキセントリックな性格にことごとくペースを崩されたシャルロは一時的に戦略的撤退を選ぶようだった。自分だけならまだしも、マンフレートに関しては早く解放してやりたいルルティスは部屋を出ようとするその背に言葉を投げる。
「本当に、マンフレート君だけでも今すぐ解放してくれませんか?! 何だったらあなたの仇だという両親ぐらい僕が直々に手を下して来ますから!」
やけくそではあるが半ば本気で投げつけた言葉に、シャルロは明らかにぎょっとした様子を見せる。
「いや、それはいくらなんでも。というより、我々はあの方を暗殺などしようとは……いや……」
まさかルルティスがこれまでの話からすれば自分の両親(仮)を殺すとまで口にするとは予想していなかったのだろう。シャルロは大分動揺した様子で一度咳払いする。
「次に会う時には、私ももう少し突っ込んだ話をすると約束しよう……とりあえず今日のところはおとなしくしていてくれたまえ」
そう言って彼の姿は今度こそ扉の向こうに消えた。見張りの男たちも外へと出て行く。
閉じられ、外側から鍵をかけられた扉に向けて、ルルティスは深く溜息をついた。
◆◆◆◆◆
「は? 誘拐?」
その一報がロゼウスに届けられたのは、ルルティスがマンフレート少年と共に皇帝領を出発してから一週間後のことだった。
「そのようです……」
報告書を読みあげたリチャードも顔をしかめている。
始めに異常に気付いたのは、マンフレートの父親だった。マンフレートは皇帝領に着くと同時にこれから帰ると父親に連絡の鳩を飛ばしていたらしい。それが次の連絡と決めた日付を過ぎても手紙の続きが来なかった。一人息子の旅とその目的地を大層心配していた父親は慌てて息子の居場所を確かめようとしたが、その頃になってマンフレートと共に旅をしていたはずの使用人から嫡子誘拐の報告が入ったらしい。
マンフレートを送り出すにあたって、殺戮皇帝と名高いロゼウスのもとに息子を向かわせるのを最後まで反対し続けた父親は「何かあったときのために」と自分のもとに絶えず報告を入れるよう使用人たちを幾つもの班に分けて息子につけていた。その連絡網がこのような形で役に立ったのだから人生とは何があるかわからない。
とはいえ素人の考えた追跡術は途中でまかれ、最後にマンフレートとルルティスの足取りが途絶えたのはフィルメリア国内という話だった。
「ランシェット博士の性格も考えてあの方が皇帝領に戻るために途中でわざと豪商の嫡子をまいたというのも考えましたが……調査をしたところ、何者かに二人まとめて誘拐されたようです」
「うっそぉ……」
皇帝領を出たというのに、ルルティスはどこに行っても派手な話題になる人物である……などと感心している場合でもなく、ロゼウスは速やかに動き出そうとした。
「リチャード、俺が」
「駄目です」
目論見を口に出す前に止められたが。
「ロゼウス様のことですから、自分でランシェット博士を探しに行くとでも言うのでしょう。いけませんよ。皇帝がたかだか一月かかわっただけの押しかけ学者のためにいきなり動くなんて」
「でも」
「だいたいあの方がそんな簡単にどうにかなるようなタマだと思いますか?」
「そ、それは」
根拠はないがルルティスなら砂漠のど真ん中で百人の盗賊に刃を突き付けられても普通に切り抜けそうな気がする。
「ランシェット博士が息災で、何か大変な目に遭っていたとしても命さえあるならあの方はさっさと皇帝領に助けを求めるでしょう。そうしないのであれば、手遅れか逆に自力で切り抜けられる場合か。どちらにしろあなたが動くだけ無駄ですよ」
「リチャード、お前がルルティスをどう思っているのかはなんていうかよくわかった」
これが普通にか弱い一般人ならリチャードも止めなかったのだろうが、相手がルルティスなので容赦ない。
「陛下、世の中には皇帝が動いた方がいい問題と、動かない方がいい問題があります。そして世の中にはあなたにしか救えない人間と、あなたでなくても十分に助けられる人間がいる。ランシェット博士のことは後者です」
リチャードは冷たいわけではない。ロゼウスを拘束することもほとんどない。
ただ、今回のことはロゼウスが出るまでもないと彼は判断した。そしてロゼウス自身にも、彼の判断が妥当だとわかっている。
グウィンの事件でも、ロゼウスは裏方で多少貴族を脅したぐらいで、表舞台に上がることはほとんどなかった。皇帝は帝国の全てを自由にする権利があるが、それが良い事態を引き起こす場合と悪い結果に終わる場合がある。軽はずみに皇帝を動かすわけには行かないのだ。
「かといって、《皇帝》ではないロゼウス様なんて何の危険もない部屋の中で一人で勝手に理由もなく死にそうですしね」
「リチャード、お前が俺をどう思っているのかもなんていうかよくわかった」
ルルティスは何があっても生き残りそうだがロゼウスは何もなくてもトラブルに遭いそうなのだ。一言で言ってしまえば存在全てが危なっかしい。
彼自身が明確な目的の上で動いている場合はまだいいのだが、こういった突発事態になるとなまじ恨みを買いまくっているだけにつけこんで危害を加えようとする輩が多いので気が抜けない。恨みなどなくても見た目が美しいので道中変なちょっかいをかけられるのも厄介だ。皇帝領にいれば相手が余程の手練でもない限りまだ対処のしようもあるが、一つの事件を解決する間に別口からかどわかされたりした場合目も当てられないことになる。
「と言いますかランシェット博士の場合は助けなければという気にもなりますが、あなたなんかに二次遭難されてもわざわざ助け出すのが面倒です。まず危険な目に遭わずにおとなしくしていてください」
「ひでぇ」
「なので、ランシェット博士の救援には別の人間を向かわせることとしましょう――エチエンヌ」
執務室の続き部屋から、何やら着替えていたらしいエチエンヌがひょっこり顔を出した。
「うん。準備終わったよ。行ってくる」
「お願いします」
リチャードはルルティスの捜索と救出をエチエンヌに任せるようだった。
「エチエンヌなら、あなたも信頼できるでしょう?」
「それは……」
事態をここまで見越して、ロゼウスが反対できない人選を最初からしてくるあたりがリチャードである。
「あ、はいはーい。私も同行していいですか?」
「フェザー?」
エチエンヌの後からこちらもまた庶民の服装をしたフェルザードが顔を出す。
「別にかまわないが、お前までどうして?」
「陛下の御心を安らかにするのは愛人の務めでしょう? それに私なら武術の覚えもありますし、いざとなれば実家の名前も出します」
フェルザードは軍事国家の王子だけあってその戦闘力は誰よりも優れている。覚えがあるなどという程度ではなく、真剣に彼が大陸一のつわものかもしれないと思われる。権力的にもエヴェルシードの第一王子と言うのは非常に有効だ。かの国に好んで喧嘩を売りたい国などなく、いざという時に恩を売るために手助けしたい国ならいくらでもある。
「短い間とはいえ、学者先生ももうここの一員だしね。いくら爆心地でも無傷で生き残りそうなお人とはいえ、見捨てるって選択肢はないんだろ?」
エチエンヌが肩をすくめながらそう言った。
それを見て、ロゼウスもようやく決断する。
「うん。頼んだ、エチエンヌ、フェルザード。ルルティスを助けてやってくれ」
「了解」
「仰せのままに。我が陛下」
◆◆◆◆◆
自分以外誰もいないのをいいことに、ルルティスは行儀悪く椅子の上で膝を抱えていた。身長こそそれなりにあるとはいえまだまだ子どもの面影を残した少年がそんな風にしていると、こんな様子を見るものがいればやけに可愛らしい印象を与えることだろう。
「別に顔も見たことない両親を殺すくらいわけないんだけどなぁ……」
なんか口では怖いこと言っているのだが。
「マンフレート君は大丈夫かな……」
場所は先程シャルロと話していた応接間である。結局あれから場所を移されることもなく、彼はルルティスをこの部屋に監禁することにしたようだ。マンフレートとは会わせてもらえず、あれからシャルロ自身も顔を出してはいない。
牢獄のような場所に入れられるよりマシかもしれないが、状況が変わらないまま時間が過ぎるのはもどかしかった。なんとか打開したいのだが、その前にまずマンフレートの安否を確認しなければならない。
いっそ場所が牢獄であっても彼と一緒でその無事を確認できていたなら、それこそどんな手段を使ってでも脱出するのだが。
「少なくともあの子だけでも助けないとね」
シャルロはとにかくルルティスだけに用があるらしく、チェスアトールではそれなりの家に生まれたマンフレートには見向きもしない。それだけにルルティスとしては、巻き込んでしまったマンフレートに対し罪悪感が募る。きっと彼の父も心配していることだろう。
「父親、か……」
そういえば先程シャルロはルルティスの両親を知っているらしいことを言っていたのだか。
いささか順番が違うというか、タイミングが遅いというか、そんな気がしないでもないがルルティスはようやく自分の両親のことに想いを馳せた。
「……どうでもいいな」
そして一秒もせずに終わったようだ。
「今更、実の父だの母だのって言われてもなぁ。正直、本当どうでもいい……むしろそんなもんのせいでこんな目に遭ってるっていうなら何もなくても普通に殺意が湧くんですけど」
ルルティスに普通の親子の情というものを期待してはいけないようだ。
「別に僕は両親に何かしてもらった覚えがないんだ。だから今更両親に何かしようとも思わないし」
それよりもマンフレート君を解放してほしいんだけど、と再びルルティスは思った。
やはり結論としてはどうしてもそこに行きつく。シャルロはルルティスに自分の両親に関することを考えさせようとしたようだが、胸の中のどこを探ってもルルティスには両親に関する期待も恨みも何も出て来ない。
ルルティス=ランシェット。この名前ですら両親からもらったわけではない。七歳以前の自分のことを何一つ覚えていなかったルルティスにこの名をつけたのは、ロゼウスに見逃された後に武術を習った師匠だ。
七歳の頃、気づいたらもうある貴族の奴隷だったのだ。見目麗しい子どもを犯すのが趣味だったその男ももういない。
誰もいない。何もない。ルルティスは自分の身の上を思い返す。
帰る場所はない。迎えてくれる人も。
それを悲しいとは別に思わない。今と昔なら、今の方が確実に幸せなのだ。何故わざわざ過去など回想する必要があるのだろう。
自分を世界で一番不幸だと憐れむ趣味はないが、貴族の玩具だったという自身の過去をルルティスはそれなりに不幸だったと思っている。そしてその時の状況から考えて、もしも両親が息子を愛していたなら何をおいても探し出そうとしてくれただろうが、その両親が何の力もない平民だとしたら自分の「飼い主」だった貴族相手に殺されていることだろうとも考えた。そんな子どもたちを何人も見てきた。
もしも両親が今も生きていたとしたら、それは本当に命懸けでルルティスを探してはいないということなのだ。自ら子を捨てたのか、あるいは突然攫われてどんな目に遭っているかもわからない子どもを探しもしない程度の愛なのだ。
そんなものが欲しいかと問われたら、答は否。
その程度の愛情など別に要らない、それがルルティスの答だった。
本当に子どもが何よりも大事だというなら探しただろう。もっと早くに辿り着いただろう。今まで探し続けてやっと辿り着いたのが今この瞬間だという事態ももしかしたらあるかもしれないが、それこそおかしいと鼻で笑ってしまう。
この世界がどんなに広くても、端から端まで辿り着くのに一年はかからない。つまり、どんなに遠い国から出発したとしても皇帝領に辿り着くのに一年はかからないのだ。むしろ皇帝領からもっとも遠いローゼンティアとその隣国エヴェルシードは今の皇帝がロゼウスということもあって、交通の便はいい方だ。
皇帝に頼れば行方不明の子ども一人くらい簡単に見つかるだろう。そしてここ一カ月ロゼウスを見ていて思ったが、ロゼウスはそこまで苦労して辿り着いたものを無碍にはしない。もしもルルティスの両親とやらが息子を本気で探し求めて皇帝にまで縋ったのならば、十五歳まで放置されていることありはしないはずだ。
だから、その「程度」の愛なのだ。
そんなものはいらない。
むしろその苦労をしてくれたのは、質は違えどマンフレートの方だ。裕福な実家の助けがあるとはいえ、殺戮皇帝と呼ばれるロゼウスのもとにどんな扱いを受けているかも知れないルルティスに会いに来るというのは相当な勇気が必要だっただろう。南大陸の中とはいえ、位置と交通の便から言えば世界で一、二を争うほど薔薇大陸に遠いチェスアトールから、一年ほど家庭教師をしただけのルルティスを取り戻しに来てくれた。
そのマンフレートの無事と顔も知らぬ両親のことなど、比べられるはずもない。シャルロに申し出た取引は、ルルティスからすればひどく自然な言葉だった。
「でもマンフレート君とも、ちゃんと話し合わなきゃいけないんだよね」
この事態をそもそも解決した後のことにも想いを馳せて、ルルティスはそれまでとは違う種類の溜息をつく。
マンフレートのことは大事だが、彼の求める通りにチェスアトールに戻るわけには行かない。
なんとかして皇帝領に再び向かいたい。ルルティス自身の正直な願いはそれだけだ。
帰る場所はなく、迎えてくれる人もない。ルルティスはいつもそうだった。けれどその代わりに自由がある。帰る家がなくとも、向かう先はいつも自分の意思で決めていた。
そして今向かいたい場所は皇帝領。薔薇の皇帝のもと。
「皇帝陛下……」
膝を抱えてぽつりと呟く。今頃ロゼウスは何をしているだろうか。メモ帳片手に彼を追いかけない日がこんなにもつまらないなんて。
傍迷惑極まりないことを思いながらルルティスは考える。
「いっそこっちもノイドガルテ公爵を人質にとって大暴れしちゃおうかなぁ。不意打ちで皆殺しとかはさすがに大きな屋敷だから無理かなぁ」
シャルロは早くルルティスを解放した方が良さそうだ。