薔薇の皇帝 07

034

 芸術劇場に入って来た一組の夫婦が、騒ぐ学者たちを見て顔色を変えていた。
「陛下、あの子は……」
 震える声で夫である人の袖を引いたのは、チェスアトール人の美しい女性だった。彼女の隣にいる男は浅葱色の髪に榛の瞳をしていて、フィルメリア人だと見てすぐにわかる。陛下と呼ばれた通り、彼はフィルメリアの国王だ。
「以前、街中で見かけた少年です。こんなところで」
「つまり、学者と言う事か?」
 国王夫妻、否、正確にはまだ夫妻とは言えない。チェスアトール出身のかつての美しい踊り子は王に見初められてその側にいるが、フィルメリア王には同国人の正妃がいる。これまで妾として冷遇されていたが、王の寵愛は正妃よりも彼女にあった。
 二人の視線は、騒ぐ歳若い学者たちの中の一人、亜麻色の髪に朱がかった琥珀の瞳をしたチェスアトール人、ルルティスと呼ばれた少年に向いている。
 彼はかつてのようには眼鏡をかけておらず、その顔立ちがよく見えた。彼の顔は、王の寵愛を一身に受ける妾と、よく似ていた。
 そして二人は、十年以上前に息子を一人失っている。亡くなったとされているわけではない。だが行方不明になったのだ。
「いかがなさいましたかな? フィルメリアの」
「フェ、フェルザード殿下!」
 遠目に見つめる二人の視線に気づいたのは、その強さと苛烈さで恐れられているエヴェルシードの第一王子だった。武力に優れないフィルメリアとしては、武の国エヴェルシードの人間に必要以上に目を向けられるのは恐ろしくて仕方がない。
「私たちに何か御用でも。ああ、そういえば陛下への御挨拶がまだのようですね」
 フェルザードがそう言ってさっさと後ろに引っ込み、皇帝と二人の間を開けたので国王とその妾は安心した。殺戮皇帝が恐ろしくないわけではない。しかしそれ以上に、フェルザード王子はただ純粋に恐ろしい。
「フィルメリアの。しばらくぶりだな」
「皇帝陛下もご機嫌麗しゅう」
 ロゼウスは国王と言葉を交わそうとしたが、彼の隣にいる女性を見て目をぱちぱちとさせた。大きな紅い瞳に霜のような白い睫毛なので、そんな動作が酷く目立つ。
「ルルティ」「ヴァージニア妃殿下?!」
 しかし皇帝が言いきるよりも前に、この人が口を挟んだ。
「リチャード?」
 思わずと言った様子で口元を押さえるのは、帝国の大宰相と呼ばれる男だ。普段は寡黙で余計なことは何一つ喋らないという印象(もちろん外面)を与える男だが、今は驚きのあまり言葉が先に出てしまった様子だ。
「ヴァージニア?」
 はて、どこかで聞いたような? とロゼウスは首を傾げる。エチエンヌとローラも同じように何のことだかわからないと言った顔をした。
 リチャードの視線は、チェスアトール人の妾の方へと向いている。
「リチャード、知り合いか?」
「あ、いえ。違うのです。申し訳ございません」
 リチャードに驚かれた女性の方も吃驚した様子で彼を見ていた。王の妾、そして今後正妃を退けて王妃の座に着くことが有力視されている女性とはいえ元は平民、王に連れられてでもなければ、こうして帝国の重鎮たちと顔を合わせることもないような身分だ。名前が違うと言いたげな顔をしているが、口にはしない。
「私の知っている方によく似ていらしたので、驚いただけです」
 リチャードの言葉に、皇帝領の面々は顔を見合わせた。
 彼らにとっては、どちらかというと……。
「むしろ私は、さっきの学者先生に似ていると思うのだけれど」
 アルジャンティアがさっくりと見たままを口にした。彼女の言う学者先生とは、ルルティスのことだろう。ロゼウスもエチエンヌもローラも同じことを思った。ロゼウスは実際そう口にしかけた。
 現在当の本人がまだレンフィールドにからかわれているので並べて立たせるようなことはできないが、ぱっと見は本当にそっくりだ。
「あ、あの、皇帝陛下」 
 戸惑いを見せながらも口を開きかけた妾を、王が制する。
「待て、まだ性急すぎる」
「でも、陛下」
「会議が終わってからでもいいだろう。確認をとる時間も必要だ」
「……わかりましたわ」
「失礼をいたしました、皇帝陛下。我々はそろそろ……」
「ああ。また明日だな」
 そうして意味ありげな視線だけを置いて、フィルメリア国王夫妻は去っていった。
「あのチェスアトール人の女性はフィルメリア国王の妾で、数年後には王妃となるだろうと目されている人物ですね」
 彼らの姿が見えなくなってからフェルザードが口を開く。
「それで、ヴァージニアとはどなたです? 妃殿下と呼んだように聞こえましたが」
「それは……」
 フェルザードにまで促され、リチャードが先程の叫びの意味を説明する。
「四千年前のエヴェルシードの王妃です。王妃として存在した期間は実質一年と少しですが」
「あ、それって……」
「そうです、ロゼウス様。シェリダン様のお母君のことです」
「シェリダン=エヴェルシードの?」
 出て来た名前を聞いて、フェルザードが微かに眉を潜めた。
「リチャードさんはあの女性がシェリダン様のお母様に見えたんですか?」
「髪と瞳の色はもちろん違いますが、お顔立ちがよく似ていたように思います」
 リチャードの言葉に、エチエンヌが小首を傾げる。
 皇帝領の面々の中では、リチャードが一番年上だ。四千も生きていれば十年やそこらの違いなどないも同然に感じられるが、彼らがまだ普通の人間として生きていた時の記憶に関しては影響が大きい。
 ロゼウスも双子もエヴェルシードの生まれではない。それにシェリダンと年齢が近いので、彼を産んでしばらくして亡くなった王妃のことを知っているのは、シェリダンより年上で元々エヴェルシードに生きていたリチャードだけだ。もっとも今ここにいないプロセルピナやハデスと言った面々ならば知っている可能性もあるが。
「僕はむしろ学者先生……っていうと紛らわしいですね。ルルティス先生に似ているように感じたんですけど。似てるってか、どう見ても親子ってか」
「私もです」
「私もですわ」
 エチエンヌ、ローラ、ついでに本日初めてルルティスと顔を合わせたアルジャンティアまで頷く。
「私は自分の母の若い頃を思い出しましたが」
 一方フェルザードはこれまた違う人物の名を引きあいに出してきた。
「エヴェルシードの妃殿下に? そう言えばちょっと似てますね」
「ええ。うちの母はあそこまで完成された美しさではありませんが」
 息子はさりげなく酷い。
 現エヴェルシードの王妃ということは、つまりフェルザードの母親ということだ。彼のような大きな息子がいる女性なので、もうそれほど若くはない。まだ三十代に見える先程の妾妃と比べるのが間違いだ。
 しかし若さだの美しさだの引いて単純な造作の相似を思い浮かべれば、確かに似ている。
「というかそれ以上に、お前と似ているように思うんだけど」
 ロゼウスの突っ込みに、フェルザードは腕を組んで頷いた。
「そうですね。そうでしょうね。何せ私と彼がどことなく似ていますしね」
 髪の色の違いは大きく印象を変えるので、フェルザードとルルティスを双子のようにそっくりと言い表す人はいない。しかし顔立ちだけ見てみれば、確かに二人は似ているのだ。
 フェルザードとリチャードは造作と性別、ロゼウスたちは造作と人種でそれぞれフィルメリア王の妾妃を見て別の人間を思い浮かべた。
 ちなみにフェルザードの造作は、まったくの母親譲りというわけではない。基本は母だが、父の顔立ちの良いところも絶妙なバランスで受け継いだまさしく配合成功、奇跡の美貌なのである。
 そしてルルティスは……。
「というかルルティス先生ってさ、孤児だって言ってたよね」
 エチエンヌがまだレンフィールドから解放されていないルルティスを見つめながら小さな声で言った。
 問題のルルティスには、両親がいないらしい。それも確実に死んだとかそういうことではなく、気が付いたら貴族の玩具として飼われていたので自分がどういう素性の人間なのか自分でもわからないとのことだった。
「そうだな」
「そう言えば彼は、先日なんでフィルメリアの貴族に攫われたんでしょうね」
 しばらく前に起きたフィルメリアでのルルティス拉致事件だ。本人が屋敷中の人間を殺害してほぼ自力で逃げ出して来たので事なきを得たが、肝心の拉致理由はそう言えば明らかになっていない。
「……まさか」
「まさかね」
 なんだか凄い結論が出そうな気がする。凄過ぎて、また厄介になりそうな結論が。
 彼らは顔を見合わせて頷いた。
 思い出したようにフェルザードが言う。
「そう言えば現在フィルメリアには正当な後継者がいないも同然なんですってね」
「いないならともかく、いないも同然って何ですか?」
 アルジャンティアの質問には、父親であるロゼウスが答えた。
「王は正妃との間に娘が一人いる、だがその娘は病弱で、現在死にかけている。彼女が死んだら後継者不在を理由に王妃と離縁して、先程の妾妃を王妃の座に据えようという目算があるらしい」
「えー」
「重臣たちも王と王妃の不仲と後継者であるはずの姫の体の弱さを知ってそれでも仕方ないと諦める一派と、平民出の他国人の女を王妃にするなど認めないという一派が争っているらしいですね」
 心配そうな顔でルルティスの方を見つめながら、リチャードが補足した。
「フィルメリア王自身もすでにかなりの歳だ。あの妾妃との間に実は子どもがいた、なんてことになったら大変だろうな」
 ロゼウスが皇帝として、フィルメリアの未来を危惧する。
 ついでにその隠し子王子が、学者となるほどに頭が良く、皇帝にも目をかけられているなどと広まったら更にフィルメリアは大変なことになるだろう。かつては知の王国と呼ばれたフィルメリアでは、学者となるのは大変名誉なことである。
「よし、お前たち、この話はなかったことに」
「うん」
「はい」
「ええ」
「わかりましたわ」
「私は何も聞いておりません」
 皇帝領の面々は、何も聞かなかった考えなかった推測などしなかったことに、つまりは今の話をさっさと黙殺することにした。
 あのルルティスが未来の国王だなんて、そんなのいろんな意味で恐ろしすぎる。
「ねぇお父様ぁ、あれ止めなくていいの?」
 ふいにアルジャンティアが、まだ騒いでいる三馬鹿学者たちの方を指差した。
「え? ――わぁああお前たち何やってるんだ?!」
 いい加減ハーラルトの嫌味に切れたのか、超絶にいい笑顔のレンフィールドと共に彼の服を剥こうとしているルルティスに気づき、ロゼウスは慌てて彼らを止めに入った。

 ◆◆◆◆◆

 学者会議第一日目。
「それでは皇歴七〇〇七年の学者会議をぉ、始めます」
 開会の音頭は、何故かヨアヒム教授がとっていた。
音頭だ。音頭。演説とかそういう堅苦しいものではなく、宴会のごとき音頭である。
「ヨアヒム先生? なんで先生が司会やってるんですか? ゴットロープ学長は?」
「あん人は胃を痛めて倒れたでぇ」
 まだ始まってもいないのに、たった一日で……。
 学者たちは可哀想な学長に全員で合掌した。ゴットロープが倒れた理由も彼らにあるが。
「気を取り直して会議を始めるでー。はい、まずはフィルメリアのグウィン=マクミラン君」
「は、はい!」
 今日は酔ってはいないようだが、適当さは変わっていないヨアヒムの司会で学者会議は始まった。王族も見学している会議だというのに、適当なものである。
「それではお手元の資料をご覧ください。わたくしが今回発表いたしますのは……」
 幸いにも、会議のトップバッターが今回真面目なグウィンだったために、それ以降は概ね平穏に一日目の会議は終了した。
「いやぁ、白熱しましたねぇ」
「そうですわね」
 一つの議題について一時間討論、それを一日に四分野行う。全十分野なので、最終日は二時間ほど空きができるが、その分はこれまでに結論が出なかった分野の決着をつけるのだという。
 会議は朝から始まり、途中休憩をは挟みつつも、午後の早い時間に終わる。空いた時間はそれぞれ自由に使っていいとされている。作って来た資料を見直すもよし、せっかく王族が来ているのだから、自分の能力を披露して有力な王族貴族と縁を持とうとするもよし。全員が顔見知りというわけではない学者たち同士で親交を深めこれからの研究に関してとことん語るもよし。
 会議が終わってからの時間も重要なのが学者会議である。
「陛下、終わりましたぁ」
「ああ、お疲れ様。ルルティス」
 ルルティスの歴史学は一日目の二分野目でさっさと発表が終わった。自分の分担が終わり、現在皇帝領に押し掛けているため他の国の王族と縁故を持とうとあれこれする必要のない彼は気楽なものである。
「これで後は明日明後日、他の人の論文に野次を飛ばせばいいだけなので気が楽です」
「野次って、ルルティスお前……」
 ロゼウスたちはひそかに彼が皇帝領以外の場所ではどんな様子なのか気になっていたのだが、ルルティスはまったくいつもと変わらなかった。発表の間も、本人は緊張していたなどと後で言うが傍目からはまったくそうは見えず、いつも通りにこにこ笑顔でかつきっぱりばっさり、自論を展開していた。
 ルルティスと仲の悪いハーラルトと何やら長く時間を使って議論していたが、門外漢たちには何を言っているのかさっぱりわからなかった。彼の専門は歴史であり、長く生きているロゼウスたちは例え専門的な知識がなくてもなんとなくわかるだろうかと思っていたが、そんなことはなかった。歴史的な事件の概要や正式名称をすっ飛ばし略称や年号と国名だけで出来事を語っていく学術マニアたちの頭脳と熱意には、正直頭が下がる。
「面白い話だったわよね。あなたの論文、ヒンツの質問も面白かったわ」
 アルジャンティアはルルティスたちが何について話していたのかだいたいわかったようである。両親は思わず沈黙した。ロゼウスや特にローラは戦闘能力、武芸に関しての才能があるが、アルジャンティアはそちら方面には恵まれなかった。その代わりかは知れないが、彼女は興味のある分野に関しては、ロゼウスよりも知識が深い。
 娘を溺愛するロゼウスが彼女を手元から離し、カルマインに留学させているのもそれが理由だ。やる気があるなら将来学者にでもなればいいと思っている。
 しかし齢十四の娘に仮にも天才と呼ばれた父親が早速追い抜かされるのも悲しいものだ。
「遅くなったけれど、昼食にでもしよう。ルルティス、好きなものはあるか?」
「私がリクエストしていいんですか?」
「ああ。それにチェスアトールにはお前が詳しいだろう。店を紹介してくれればいい」
「わかりました。そうですね、皇帝陛下に御出しできる料理の店と言いますと、私のお勧めは……」
 考え出したルルティスの背後から、黄色い声が追いかけてきた。
「皇帝陛下ぁ!」
「ジュスティーヌ……」
 紅い髪の道化のような化粧の女の登場に、ロゼウスの笑顔が若干引きつった。
「これからどうなさいますか? お時間はあります?」
 藍色の瞳をきらきらさせながら問いかける彼女に、ロゼウスは困ったように笑いながら答える。娘の留学先の国の上級貴族を邪険にする訳にもいかない。そうでなくとも彼女のことは嫌いではないが、扱いづらい相手ではある。
「みんなで食事に行こうかと思ったのだけど」
「まぁ! それなら私もぜひご一緒させていただきたいですわ! なんでしたら私が腕によりをかけて作ってもようございます!」
 ジュスティーヌは、ロゼウスが好きだと言う。つい先日のどこぞの誰かと同じような、愛人志願者なのだ。
「体調は大丈夫なのか?」
「まぁ、このような身を陛下がお気にかけてくださるなんて! 嬉しいですわ! 体調は大丈夫です。うちの薬草学者は優秀ですから。ねぇ、ハーラルト」
「ええ。もちろん。ですが閣下、そんなに興奮するとまた倒れられますよ」
 ジュスティーヌの後からゆっくりと歩いてきたハーラルトが、昨日と同じくルルティスの姿を見つけて嫌そうな顔をする。
「なんの話をしていたのです?」
「これから皆様で昼食ですって」
「店を探されるならその辺りのチェスアトール人にでも聞けば良いでしょう。ですが、間違っても自分で作るなんて言い出さないでください閣下。また調理場で倒れられてはかないませんから」
 ジュスティーヌが腕によりをかける機会は、部下の手によって実現する前に失われた。
「俺たちは馬車を呼ぶが、お前たちも一緒に来るか?」
「ええ! ぜひご一緒させてください!」
「私は遠慮いたします」
「あら? ハーラルト、何故?」
「せっかくの機会ですが、私は明日の自分の論文の発表に手いっぱいですので」
 そう言うが、ハーラルトが主たちに同行したくない真の理由はルルティスと同席したくないからだろう。
「別にいいんじゃありません? その人がいたところで何があるわけではありませんし」
 ルルティスもまたハーラルトに敵意の眼差しを飛ばす。とことん気の合わない二人だ。そこに再びかかる声。
「やぁやぁルーティ君。ご飯の相談ならわたくしも混ぜてくれたまえ」
「ふぉわ!」
 奇声をあげてルルティスは横に飛び退いた。今度こそレンフィールドの魔の手から逃れる。
「なんということだ。惜しい」
「惜しいじゃありません! いちいち肌を撫でまわすのはやめてください!」
「ああ。そんな酷い。君のへその窪みほどわたくしにとってさわり心地のいいものは」
「だからやめてくださいってば!」
「じゃあフェルザード殿下、ぜひその麗しいお尻を」
「触ったりしたら殺します。あと麗しいとか変な形容詞をまた使っても殺します。ルミエスタの王子とて容赦しませんよ」
 フェルザードはすでに自らの懐に手を突っ込んでいる。懐剣のきらりとした輝きにレンフィールドは至極残念そうな溜息をついて、本日のセクハラを諦めた。
「それはそうと、ご飯なら混ぜてください」
「…………別にいいが、お前も明日発表だろう」
「もう準備はばっちり万端本番どんと来い状態です。問題はありません」
「そうか。ならいいが」
「個人的には全然よくありません!」
 ルルティスがエチエンヌの背後に隠れながら叫んだ。
 またしても変な空気の中、これまであまり聞き覚えのない声がかけられた。
「皇帝陛下、お久しぶりでございます」
「ロスヴィータか。どうした、お前昨日は見かけなかったが」
 そこにいたのは、ロゼウスと同じく白銀の髪に真紅の瞳を持つ美女――すなわちローゼンティア人だった。
 今回会議に参加する学者の一人、ロスヴィータ=ネーデ=ノスフェルだ。名前から分かる通り彼女とロゼウスは祖先の血を同じくする親戚同士だ。血縁というより主に時代的な関係で「遠い親戚」という表現程度にはなる。
 ノスフェル家とは、《死人返りの一族》と呼ばれ、ローゼンティアでは王家に次ぐ名家とされている。
 ローゼンティア人らしく黙って立っていれば思わず息を呑むほどの美人なのだが、彼女は実はレンフィールド系の変人だ。学者で変人でない人間を探す方が珍しい。
「今日の朝こちらへ着いたのです。昨日ちょっと弟と喧嘩をいたしまして、肋骨と背骨と頭蓋骨を骨折していたので船に乗るのが遅れました」
 それはたぶん人間だったら死んでいる大怪我だ。
「さすがに脳味噌ごと眼窩が吹っ飛んで眼球が片方再生していない状態で旅をするのは危険と思い、出発を見合わせたのです」
 それは絶対に人間だったら死んでいる大怪我だ。
 しかしロスヴィータは動じない。レンフィールドほどではないが、彼女もほとんど表情が動かないタイプの人だ。
 そもそも一国の王家に次ぐ名家のお嬢様が、市井のやんちゃ兄弟と同じように普通に弟と殴り合いの喧嘩をしているとはどういうことだ。
 しかも彼女は男装だった。その美しさと長い髪、抜群のスタイルから男と間違えられることはないが、貴族のお嬢様としては変わっている方である。
「それはそうとして、お昼ですか? ご一緒してもよろしいでしょうか」
「かまわないが、お前がとは珍しいな」
「チェスアトールはよくわからないのです。お店を探すのが面倒なので」
「……」
 そして大変正直者だ。
「どんどん大所帯になりますねぇ」
 ルルティスが他人事のようにコメントした。ロゼウスが溜息で応える。
「……まぁ、いいか。どうせこの人数だ。向かった先で店が被ることもあるだろうからな」
「いっそこういうのも学院や学会の方で準備してくれれば楽なんですけどね」
「それはそれで厄介なのだろう。なまじ王族や貴族が多いから従者の分の食事も用意しなければならないだろうし、味が気にいらないと誰かが文句を言いそうだ。ただでさえ民族ごとに味覚は違うものだし」
 とはいえここにいるレンフィールドやロスヴィータは、王族貴族のくせに従者も連れず単身国外を旅する猛者だ。彼らは普通に屋台で食事ができる超フランクなやんごとなき身分の方々である。
「チェスアトールは移民が多いからまだ色々な味が楽しめますからいいですけど、他の国ではきついかもしれませんね」
 そんなことを言いながら、ロゼウスたち《皇帝陛下と変人御一行》は大所帯でぞろぞろと馬車を連ねて出発した。

 そして劇場へと戻って来た時、彼らがいない間に殺人事件が起こったことを聞かされたのだった。