035
「違います! 僕ではありません! そんなことするわけが……!!」
劇場に戻ると明らかに出た時とは空気が変わっていた。
「あの声は」
「ハーラルト?」
「何かあったのかしら」
ホールで話しているらしいのだが、扉が開け放たれているのでエントランスまで声が聞こえてくる。
何事か喋っているのはハーラルト=ヒンツ。ジュスティーヌの部下の薬学者、薬草学者で、ルルティスと相性の悪いあの彼だ。
何か問題が起きたようで、それ以外の場所も一様にざわついている。人々が不安な顔、あるいは怒りを感じた顔で苛立たしげに行き来している。
「まったく」
会議の見学に来ていた王族たちの一人、ユラクナーの国王が忌々しげに吐きだした。
「よりにもよって学者による殺人事件とは」
――学者による殺人事件?
「あ、クレメンスさん! メラニーさん!」
「ランシェット君」
「チェスアトールの、あんたら今帰ってきたんか?」
「はい! 教えてください。何があったのか。ヒンツはどうしたんです?」
クレメンスとメラニーは顔を見合わせた。
クレメンスは先程舌打ちしていたユラクナー王の国の学者で物理学を今回発表する。今年四十歳になる妻子持ちの男だ。メラニーは商売の国ビリジオラート出身の女学者で、本人の専攻は経済だ。
二人はルルティスの傍にいる皇帝の姿にちょっと戸惑いながらも話だし始めた。ロゼウスたち皇帝領の面々、それに王族のレンフィールドも名家の令嬢ロスヴィータも出かけるときは庶民の格好をしていったのだが、クレメンスたちはもちろんルルティスが誰と出かけたのかぐらいは知っている。
「あなた方がお出かけになっている間に、劇場内で殺人事件が起こったのです」
スキンヘッドの厳めしい、人殺しの一つや二つしていそうな凶悪な顔の大男だが実際は客商売の鑑となれるような丁寧な対応のクレメンスが説明してくれる。
「被害者が倒れていたのがヒンツ君の部屋の前で……それに劇場内の不自然なところに彼の持物が転がっていたとかで、ヒンツ君が容疑者として真っ先に疑われているんです」
「ちなみに他にも劇場に居残ってた奴らはおるんやが、ほとんどの人間はあんさんらみたいに昼飯食いに行ってたんで条件に合う奴が限られてんのやって」
変わった口調のメラニーが補足する。
「……もっと詳しいことをお聞かせ願いますか?」
ルルティスが二人に詰め寄ると、ゴットロープがその場にやってきた。
「皇帝陛下! お戻りに……」
「問題が起きたようだな、ゴットロープ」
「申し訳ございません!」
「何があったか話せ。ジュスティーヌ、お前はお前の学者のもとへ」
「ええ。陛下。お命じにならずとも」
お抱えの学者が渦中の人として白い目で見られているということでジュスティーヌが慌ててホールへと入って行った。もしも濡れ衣であった場合、ただの平民として扱われる場合と、カルマインの有力貴族が後見についていると思われ扱われる場合ではその後の対応が異なって来る。
その後だけならばまだいい。
問題はこのまま、犯人が確定していないのに先程容疑を否定していたハーラルトが犯人とされてしまう場合だ。
「ルルティス」
「あれは殺人なんかする男じゃありませんよ、皇帝陛下」
厳しい顔つきをしたルルティスはロゼウスに訴える。
「落ちつけ。まだ誰が被害にあったかすら聞いてないだろう」
ロゼウスはルルティスの頭を撫でて言い聞かせると、ゴットロープに向き直った。
「このたびはこちらの管理が行き届かず……申し訳ないことに……」
「お前も落ち着くんだ、ゴットロープ。お前の管理の問題とは限らないだろう。外から賊が入ったのかも知れない」
「ですが、劇場内に侵入者の形跡はありませんでした」
「すでに調べたのか?」
「王家の方々の従者たちと我々学会の幹部の手で」
「……わかった。まずお前は一から全て私に説明せよ。そしてその後、有力容疑者のヒンツと話をさせろ。その後は我々も捜査に加わるから、とりあえず今動いている人間は一室にまとめておけ。なんならホールに全員を置いてもかまわん」
「こ、皇帝陛下! ですが陛下にそんなお手間をとらせるわけには」
「私がやらねば誰がやるのだ。幸か不幸かお前は王族でも貴族でもない。もし万が一この事件が他国とのつまらない政治的争いにでも使われたら、真っ先に処分されるのはお前だ」
ゴットロープの顔から血の気が引いた。そう言えば彼は胃が痛いとかで今日は寝込んでいたはずなのに、叩き起こされて駆り出されたのだろうか。
「わ、わ……」
「落ちつけ。そのために私がこの場にいるのだろう。学者という存在、学会というのはどんな政治的勢力にも利用されてはならない独立機関だ。それを維持するためには、王の上に立ち王国を利用しない存在、皇帝が必要なのだ。学者にとっての皇帝とは、そういうものだ」
「陛下……」
「お前が平民だからこそ、代理として私がこの場を預かることができる。悪いようにはしない」
ゴットロープをそう言い含めて、ロゼウスはまず事件の概要を聞いた。
「殺されたのは、ユラクナー王の警備の一人です」
ユラクナー王。先程舌打ちをしていたあの男。
「発見されたのはつい先ほど。すでに冷たくなっていました。被害者はハーラルト=ヒンツに割り当てられていた個室の前で倒れていました。死因は毒です」
「毒」
「はい。それもあり、ヒンツが疑われています」
「その間彼は何をしていたと?」
「あす発表の論文をまとめていて、一度部屋を離れてお茶を貰いに食堂に行ったそうです。食堂勤めの人間が彼を見かけたと証言しました」
「ふむ」
だが劇場内はいくら広いと言っても王宮や皇帝の宮殿ほどではない。三分もあれば自室から食堂まで行くことは可能だろう。
「死体の第一発見者はヒンツです。被害者が毒を盛られたことに気づき解毒をしようとしたらしいのですが、間に合わず……」
「これまでの話だと証拠が随分少ないように感じるが、ヒンツを犯人としているのは誰だ?」
「……ユラクナー王が」
護衛を殺されたというユラクナーの国王が、ハーラルトを容疑者としてさっさと始末してしまいたいらしい。
「カルマインとユラクナーの駆け引きの駒に使われたか」
「でもいくらなんでも、状況が無茶すぎやしませんか?!」
ルルティスが口を挟んだ。
「政治とはそういうものだ。道理なぞ通用しない」
「学者は道理と真実の追求者です!」
「わかっている。だから、真実を明らかにしようというのだろう」
「は、はい。すみません。生意気を言って……」
ロゼウスがあくまでも優しい口調を心がけて言うと、ルルティスがしゅんと項垂れる。
「ゴットロープ。それで、その時劇場内に残っていた人間は? 彼らの位置と、劇場内の詳しい見取り図もあれば用意してくれ」
「は、はい! 今すぐに!」
◆◆◆◆◆
「ハーラルト、大丈夫?」
「お嬢様……いえ、公爵閣下」
椅子に座らされていたハーラルトが、ジュスティーヌの姿を見て立ち上がる。
「申し訳ありません。あなたがいない間に、こんなことに巻き込まれて……」
「気にする事ないわ。それより大丈夫」
「平気です」
そうは言うものの、ハーラルトの顔色は悪い。自分が殺人犯と疑われているのだ。無理もない。
ホールの中にはビリジオラートの国王夫妻と、エヴェルシードのガッティ、ネクロシアのフィロメーラ、フィルメリアのグウィンがいた。
彼らは容疑者と目されているハーラルトの見張り役だ。何故彼らがと言えば、その時ロゼウスたちと同じように劇場を離れていて犯行ができなかったと思われているのと、ハーラルトに対してもユラクナー王に対しても中立の立場だからだ。商売の国ビリジオラートの国王夫妻は金でしか動かないと言われている。
実際この夫妻はロゼウス達と似たり寄ったりの人種で、わざわざ平民の服に着替えて屋台で昼食をしてきたという強者である。残りの学者たちも、万が一の時のためにこのホール内に控えていた。
万が一とは、例えば護衛を殺されて気が立っているユラクナー王が、ハーラルトを犯人仕立て上げるために暴力で嘘の自白をさせようとする、などといった事態のことだ。エヴェルシード人のガッティがいれば、暴力沙汰は防げる。神学者のグウィンも宗教権力に対し顔が効く。フィロメーラ属するネクロシアも変わった国で、王国同士の利害はさほど気にしないので中立を保つことができた。
「大変みたいだな、お前たち」
「皇帝陛下!」
ロゼウスが室内に入って来た。
彼の後について、外で待っていた人々も続々とホール内に集まって来る。
「とりあえず、食堂勤務の人間以外はこの中で待機してもらうことにした」
「陛下、それはどういうことで?」
ビリジオラート王の言葉にロゼウスは説明する。
「これ以上の被害を防ぐためと、捜査の邪魔にならないためだ」
「先程学会の人間とユラクナー王指揮下の兵が何か調べていましたが、それでは足りませんでしたか」
「ああ。あの程度で殺人犯が見つかるなら世の中に迷宮入りと呼ばれる事件は存在しない」
ロゼウスは全員の顔を見回して言った。
「今からこの現場は、私が預かる。全員私の指示に従え」
「ですが皇帝陛下! この者が余の部下を!」
「ユラクナー、従えと言ったはずだ」
「……はい」
悔しさを隠そうともしない顔で、ユラクナーの国王が引きさがり、妻らしき女性に宥められている。
「他に質問は?」
「あの、これから人が来るはずなのですが」
言ったのはフィルメリア王だった。
「人? お前が呼んだのか?」
「はい。少し用が……その、確かめたいことがございまして」
「……まぁいい。その人物も来たらここに引きとめておけ。では、私の方から質問がある。ここにいる者たちに聞くが、各人自分の部屋を確認したか? 外部からの侵入者はいないとの話だったが、本当にそうか? 何か盗られたものがないか、あったら報告せよ」
「ここに集まった者たちは全て確認したはずですが」
「本当に?」
「え、ええ」
「ハーラルト=ヒンツの部屋もか?」
「!」
「もしも犯人の狙いがヒンツの部屋だったならば、こうしている間に目的のものを持って逃げてしまっているかもしれないぞ」
「陛下、私たちが」
「待てジュスティーヌ。ヒンツに近いお前たちが動けば証拠隠滅と恐れられる可能性がある。私たちが行く。ここに部屋の中身をごっそり持ってくるから、その中から確認してくれ」
「は、はい!」
ジュスティーヌの頷きを受けて、ロゼウスたちはホールを後にした。
◆◆◆◆◆
捜査隊は以下の面々だ。
ロゼウス、エチエンヌ、リチャード、アルジャンティア、フェルザード、ルルティス、レンフィールド、ロスヴィータ、ガッティ。
ガッティを連れてきてしまった分、ホールでの騒動抑え役にはローラを置いてきた。彼女の腕なら心配はいらない。
ハーラルトの部屋に向かった面々は、扉を開けて呆然とした。
「……ルルティス。ヒンツは、大雑把な性格か?」
「いいえ。神経質すぎるくらい几帳面です。これはどう見ても物盗りの犯行ですよね」
室内はどう見ても誰かの手によって荒らされていた。何かを必死で探しまわったかのように、引き出しが全て開け放たれ、書類が床に散乱している。
ハーラルト自身はお茶を飲んで食堂から帰ってきたら自分の部屋の前で人が倒れていたので、部屋に入る間もなく解毒作業に勤しんだのだろう。ジュスティーヌという危なげな主人を持つ彼はどんな状況にでも対応できるよう普段からあらゆる薬を身につけている。だからこの室内を見ていないのだ。
ロゼウスたちは手分けして書類をかき集め、ホールへと戻った。
「うわっ! 適当な持ち方しないでくださいよ!」
「違うよ。これでも丁寧にかき集めた結果」
彼らが適当な持ち方で運んできたのに眉をあげたハーラルトは、ルルティスの、部屋が荒らされていたという言葉にぎょっとした様子を見せる。慌てて書類を確認しだした。
「ハーラルトの発表は明日でしたよね」
「ええ。明日、レン王子のあと、私の前の二時間目です!」
ルルティスとガッティが明日のスケジュールを確認する。その頃、書類の確認が終わったらしくハーラルトが悲鳴を上げた。
「配合表がない!」
「何がないって?」
「薬品の配合表です! 自作の薬の一覧が載っているはずなんですが……」
「配合表……そんなものを盗んで、犯人は何を……?」
馴染みのない言葉に、ロゼウスは首を傾げる。
「ふーむ。配合表ですか。つまり、言いかえればハーラルト君の研究の成果ってことですよね」
セクハラ王子、もといルミエスタの王子レンフィールドが言う。
「ってことは、被害者がハーラルト君の部屋の前で死んでいたことに意味があるとしたら、相手はハーラルト君の研究成果を盗んで我が物としたい相手か、ハーラルト君を貶めたい相手ってことですよね」
「研究成果を盗んで我が物としたい相手……レンフィールド、お前はその相手に心当たりがあるのか?」
「あります」
レンフィールドの言葉に、一同がこぞって彼に注目した。
「誰なんだそれは!」
「わたくしです」
一同はのめった。
「レンフィールド王子……無駄に捜査を攪乱しないでくれ」
フェルザードが疲れた様子で言う。彼が潔白であることは、ロゼウスたちと一緒に出かけていてその場にいなかったことからもわかっている。
「でも実際にそうですよ。この場に元からいた人物でハーラルト君の配合表が喉から手が出るほど欲しい人間がいるとしたら、それは医学者の私です」
「逆に言えば、お前以外の人間、つまり他の学者がヒンツの研究を盗む必要はないということだな?」
ロゼウスが確認する。
「ええ。みんな多少は薬草学をかじっているでしょうが、研究を盗む必要はないはずです」
「そうですね。今年の参加者はみんなそうみたいです! レン王子の次に薬草学に近い私でも、配合表を盗もうとは思いませんもの」
ガッティが言った。彼女の専門は生物学だ。だがハーラルトが人間の病人用に調合した薬の表など奪っても、人間以外の生物の生態を研究する彼女にはほとんど役に立たない。せいぜい猟をする際に市販の傷薬を買う手間がなくなるくらいだ。
あとの者たちも神学、歴史、考古学、魔法学、物理学、経済学、美術学が専門であり薬品を作る知識など特に必要とはしていない。魔法学は響きだけ聞くと怪しいが、魔術で使うような惚れ薬などの配合はそのまま薬学の分野なのだという。
医学に携わるレンフィールドが容疑者から外れてしまえば、確かに学者連中にはハーラルトの研究を盗む必要のない者ばかりだ。
「そやなぁ。うちも学者としてじゃなく、単に商売としてならハーラルトの配合表欲しいと思うけどぉ。儲かりそうやし」
ビリジオラートのメラニーが気のなさそうな口調で意見を挟んだ。商売の国の人間だけあって彼女は金にがめつい、そして金のことに関しては異様にしっかりしている。リスクを無視して利益を追求する人間は、賢い商売人とは言えないからだ。
「けどなぁ、それやったら直接ハーラルトにうちに薬流すよう頼んだ方が早いで。商品にするにしても偉い学者様が考えたもんと、どっからか流れて来た怪しい薬じゃ信用も違うし。だいたいハーラルトの配合って、未発表のもんばかりやろ? 世間にそんなん流したらすぐにバレるやんか」
「それもそうですねぇ」
相槌を打つクレメンスの横で、ロスヴィータが小首を傾げた。
「でもそれなら、犯人は何のために配合表を奪ったのでしょうか」
「ロスさん?」
「ヴァンピルの私には薬のことはよくわかりませんが……だってそうでしょう? 世間に流したらすぐわかってしまうということは、それを盗んだ犯人は個人で使うつもりだということですよね。一体何のために?」
ここは学者が集う学者会議の現場だ。学者とは基本的に、自らの研究を世に発表したいと願っている者のことだ。その学者の研究を盗んでおいて、世間に出さないという思惑は確かに謎だ。
「犯人が個人で必要とするもの。薬草学の知識を? 書類を盗んだあげくにそれを個人で使用するということは、何かやましいことに使う気なのでしょうか?」
ロスヴィータが更に不思議そうな顔をする。
「やましいことって……でもヒンツの研究ってほとんど医療用の薬でしょ? 惚れ薬とか毒薬とかならともかく」
ジュスティーヌの専属薬剤師のような形で薬を処方しているハーラルトの研究は確かに医療系に近い。魔法学に近い惚れ薬や催淫剤などは専門外となる。だからこそ医学者のレンフィールドはハーラルトの配合表を欲し、魔法学専門のフィロメーラには興味がないのだ。
「ハーラルト、あなた病気で死にかけている人に薬が欲しいならって大金要求して恨みかったりしたんですか?」
「誰がするか! お前じゃあるまいし!」
ルルティスの言葉にハーラルトが顔を真っ赤にして反論した。お前じゃあるまいしとは失礼な。ルルティスは別にそんなことはしない。せいぜい、それが気にいらない奴なら例え大金積まれても助けないくらいだ。
「そもそも今回の事件に関して、何が犯人の目的だったのかがわかりにくくないでしょうか」
「フェルザード?」
「普通の殺人事件なら、まず一番に浮かび上がってくるのは簡単な動機でしょう。金銭問題とか痴情のもつれとか。でも今回殺されたのは、ユラクナーの兵士です。わざわざこの現場で彼が殺された理由とは?」
フェルザードは鼻を鳴らす。
「何かちぐはぐなんですよね。場所と被害者と動機とその影響が」
場所は学者会議の開催場所であるチェスアトール国立芸術劇場で、被害者は見学に来たユラクナー王を護衛するために来た兵士で、殺した理由は医療用の薬品配合表を盗むためで、その影響がハーラルトの窮地だ。
確かに何かがちぐはぐとして噛み合わない様子だ。事件を綺麗に一連の流れにすることが誰もできない。一連の流れは偶然か、それとも必然か。
「こういう場合はまずどこから考えるべきでしょうかね。殺された被害者か、犯人か、ハーラルトか」
ロスヴィータの言葉に、レノーレが更に選択肢を沿える。
「被害者は妥当な理由で殺されたのか、それとも物盗りの姿をたまたま見てしまったなどの偶然で殺されたのか、犯人はこの場にいる人間か、それとも外部の人間か、ハーラルトが巻き込まれたのには理由があるのか、ないのか」
ハーラルトが巻き込まれたのは、たまたま彼が薬草学者だったから、それともハーラルト=ヒンツに何者かが恨みを持っているのか。
「そう言えばこの劇場の警備ってどうなっているんですか?」
レノーレの意見を聞いて、ガッティが学会幹部の学者に尋ねた。つまりは、学長ゴットロープに。
「王族の方々が何人もいらっしゃるために、その護衛の方々はいたるところにいた。そもそもこの劇場の造り自体、正面のエントランスからしか出入りできないようになっている」
「え? でも各自の部屋の窓からとか」
「全室はめ殺しだ」
「全室?」
「え? あれどこもそうだったんですか」
「うちだけだと思っていたわ」
全室窓ははめ殺しだと聞いて、彼らは顔を見合わせる。
「理由はこれだ。上の方を見て下さい」
人々の注目が集まったために口調を改まったものに切り替え、ゴットロープが説明を始めた。
「ホールの壁の上の方に模様が彫られているでしょう」
「そうだな」
ロゼウスも目を凝らして日の光射し込むホールの上部を見た。天井の高いホールの上の方に何か模様が彫られて、風が通っている。
「この劇場は音楽を十分に楽しむために作られた場所です。ホールだけで締め切らず、練習時の音なども響くように、あの模様部分から漏れた音が劇場中に響く作りになっております。ただしこの造りだと各部屋の窓が空いていると音が外に漏れてしまうために、代わりに客室の窓は全室はめ殺しなのです」
だから窓から侵入することはできず、エントランスから出入りするしかない。窓が割られればすぐに被害に気づけるだろうが、部屋の窓が割れている場所はなかったという。
「うーん。でも、それだけでまだ内部犯の犯行だと決めつけるのは早計なんじゃないでしょうか。魔術で壁抜け出来る人もいるでしょうし」
「それはいるだろうが、そんじょそこらに落ちているものでもないだろう」
犯人の目的がさっぱりわからないために、そちらから考えると行き詰ってしまう。
ならば別方面、と先程レノーレが指を立てて数えた選択肢に従って考える。
「まずは被害者への怨恨の線ですけど、ユラクナー王陛下、どうです?」
「知らぬ。ユラクナーでならあったかも知れぬが、わざわざチェスアトールくんだりまで来て奴が殺される理由はわからぬ」
「でしたら、被害者から考えられるのは物盗りの線だけですか。まぁ、毒殺ってのが珍しいですけど」
「そこの男が何か悪さをしていて、それをうちの兵士に見られたということであれば納得がいくだろう」
ユラクナー王の言葉に、ハーラルトが顔を怒りの表情に染める。しかし彼は何も言わない。言えない。彼は平民、そして相手は国王だから。
帝国が帝国である以上、絶対的に越えられない身分の壁というものはある。
「注目を集めたいがための自作自演と言う可能性も」
「いやそれはないでしょうさすがに」
止めたのはユラクナー出身の学者クレメンスだ。自国の王相手に優しい笑顔を崩さないまま言う。ちなみにスキンヘッドの大男の優しい笑顔は、借金を背負った人間に保険金のために死ねと迫る悪徳金融の総元締め並に怖い。
「ここまで来るのって大変なんですよ、陛下。若干二十歳で学者会議に呼ばれた天才青年が、わざわざ悪事を働く理由なんてありませんよ」
「クレメンス」
ユラクナーの代表者、クレメンスは今年四十歳。それは別段めずらしいことではない。むしろルルティスやガッティのように、十代でこの場にいることの方が珍しい。
「だいたいヒンツ君の注目なんて、皇帝陛下の御前でランシェット君と舌戦繰り広げてるだけで十分集まってますよ」
学者たちが一斉に頷いた。まぁ確かに。
「で、レノーレ=アニエスト。他の可能性とは?」
不機嫌なユラクナー王を放っておいて、ロゼウスは先程の言葉に続きがありそうなレノーレを促した。
「そうですね。被害者がヒンツの部屋の前で倒れていた理由でしたら、ヒンツがまったく無関係でもありえたことでしょう」
「何故?」
「皆様は、毒を受けたと自分が知ったらどうします?」
「えーと、えーと、なんとか毒を抜こうとする」
エチエンヌが答えた。レノーレが更に追求する。
「どうやって? 知識もありませんのに」
「じゃあ、医者に行く」
「この国の医者の場所を御存じ?」
「な、なら医術のできる人に頼む」
「医学者のセクハラ王子殿下はその頃どちらに?」
「皇帝陛下とかわい子ちゃんたちと、うはうはの食事会に」
何か最後の方はツッコミどころ満載のやりとりだった気がしたが、そこまで聞いてやっと他の面々にも理由がわかった。
「そうか、だからヒンツさんなんですね」
ガッティが頷く。
医術をかじったレンフィールドが出かけていれば、解毒ができそうな人物はハーラルトだけだ。そこにいるだけで目立つ皇帝の一味を見ていれば、彼だけが劇場に残っていたことも多くの者たちが知っている。
「兵士に毒を与えた相手が物盗りかそれ以外かはわかりませんが、これで被害者がヒンツの部屋の前に倒れていた理由はつきましょう」
「そうね。それなら納得がいくわ」
ユラクナー王だけがまだ不満げだが、一連の出来事に一応納得のいく説明がついたので、他の面々は頷いた。
頃合いを見計らってロゼウスがユラクナー王に声をかける。
「ユラクナーの、お前はいったん国に戻れ」
「何故ですか陛下!」
「死んだ兵士を故郷へと帰してやれ。お前の部下だろう。犯人を捕まえるのも大切だが、死者を悼んでやるのも大切なことだ」
ユラクナー王はしぶしぶながらもその説明に納得した。どうせ今年の学者会議はもうぐだぐだだ。
「ゴットロープ学長、ライナー教授、あの、学院から連絡です」
「学院から? チェスアトールの?」
責任者二人に、早馬がやってきたと知らせが入る。
「はい、何でも昨夜学院に物盗りが入ったそうで。薬草学、魔法学、錬金学に関する書物の一部と、この劇場の見取り図が盗まれていたそうです」
一同の間に緊張と共に安堵が走る。
「やはり、物盗りの犯行ということだったのでしょう。どんな警備にも死角くらいできます。その頃王や貴族たちは軒並み留守にしていて警備も手薄だったことですし」
フィルメリア王が穏やかにそうまとめた。
「皇帝陛下、これからどうしますか?」
事件が片付くまでは全員をホールに缶詰にしろと言った皇帝に意見を仰ぐ。
「ひとまず、終わったことにしようか。まだ犯人が捕まっていない以上完全に安心はできないが」
そしてロゼウスは、ふいにホールの中を見回した。
「せっかく劇場にいるのだから、とりあえず劇団でも呼んで、音楽を聞こうか」