薔薇の皇帝 09

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 ゼファードが引きとめる間もなく、皇帝はアドニスをさっさと連れていってしまった。アドニスも自分を連れて行かず、さっさとその後についていってしまった。
「アドニスに置いてかれた!」
 気付いた時には既に遅し。
「俺、ここで何やればいいんだろう……?」
 ゼファードは途方に暮れた。魔術の事で聞きたいことがあるとロゼウスに呼び出されたはずなのに、何故かロゼウスはゼファードを素通りしてアドニスに声をかけたのだ。これではゼファードが皇帝領までやってきた意味がない。
「私、お勉強の時間だから部屋に戻るわね」
 ロゼウスがいなくなった途端、興味ないとばかりにアルジャンティアが部屋を出る。
「わたくしもそろそろ休ませていただきたいわ」
 体力のない病弱侯爵ジュスティーヌが、共に来た従者たちに連れられて客室に戻る。
「私もそろそろ仕事に戻ります」
 ロゼウスの代わりにほとんどの執務を行っている大宰相リチャードにとって今日は休日ではなく、いつも通り書類の山が待っている。
「僕たちはロゼウスたちの話を聞きに行こうかな。一応護衛だし」
「そうね」
 エチエンヌとローラは、皇帝に一拍遅れて歩きだした。部屋の前で兵士のように見張りの役目を果たすのだろう。
「じゃ、ゼファー。私も仕事があるから」
 兄は弟をさくっと見捨てて去っていった。
 そして広い部屋には誰もいなく……ならなかった。
「ゼファード殿下!」
 ゼファード以外にこの部屋に残ったただ一人、確かさっき学者だとか名乗っていた少年が瞳をきらきらと輝かせながら名を呼んできた。
「なんだよ」
「よろしければ、旅のお話をいろいろと聞かせてくださいませんか?」
「ああ、いいけど……」
「それと、皇帝領のあんなことこんなこと、何か御存知でしたら教えてください!」
「お、おお……」
 ゼファードはルルティスに対し、こいつは何か変、と思い始めた。
 王子という身分を隠し世界各国を放浪しているくらいだから、ゼファードは目の前の相手にむやみやたらと謙れなどとは思わない。むしろ身分を知っていても普通に接してくる人間は好ましく貴重だと思うのだが――この少年は何かが変だ。
 皇帝のもとに押し掛けるくらいなのだから、まともと考える方がおかしいのかもしれない。王位継承権を放棄してまで愛人の名乗りを上げてしまった自分の実の兄ほどではないだろうが、そのすぐ次くらいには来る変人かもしれない。
 何はともあれ、二人はこの部屋じゃ広すぎる、と場所を移して話を始めた。
 そしてしばらくの後――。
「そうなんだよ! そこでさっきの男がさ!」
「まさか、それってあの!」
「そう! 実はそいつが事件の真犯人だったんだ!」
「ええー!! そんなことって本当にあるんですね!」
 二人は意気投合していた。
「いやぁ、楽しい。こんなに話が弾んだのは凄く久しぶりだ」
「私もです」
「いつも周りの奴らはそれよりもあれをしろこれをしろってうるさいばっかりで、俺の武勇伝なんか聞いてもくれやしない」
「もったいないことです」
 乾いた喉をお茶で潤し、ゼファードがほうと息をつく。
 ここは皇帝領でルルティスに与えられた部屋の一つだ。辞書類や資料本は書庫で借りるとして、衣服など身の回りの最低限のものだけが置いてある。豪華な調度が設えてある中、ルルティスの持ちこんだ安っぽい持ち物だけが妙に浮いている。
 ゼファードが飲んでいるお茶も、ルルティスが個人的に持ってきた茶葉だ。庶民の味に慣れ親しんだ放蕩王子は安物のお茶にも文句一つ言わないので、ルルティスとしては大助かりである。
 各地で魔物退治の「勇者」としても活躍するゼファードの冒険譚が一息ついたところで、話題はありがちな身の上話に移る。
「うちは同母の兄弟だから兄弟間の骨肉の争い、なんてのもなくて仲は良い方だと思うけど、兄貴もあんな調子だしな」
「フェルザード殿下ですか? 確かにフェルザード殿下は、ゼファード殿下のことを、その……」
「子ども扱いしてるだろ? いいよ、はっきり言って。俺だってそのくらいわかってるし、あの人は昔からああなんだよ」
 昔からああ。
 ルルティスは一瞬フェルザードの昔を考えようとして、ゼファードのその言葉に思考を放棄した。
 弟がこう言うのだから、フェルザードはきっと本当に昔から「ああ」なのだろう。子ども時代は素直で大人しくて可愛らしかったフェルザード王子、など想像もつかない。彼の顔立ちなら見た目はいつだって可愛らしかっただろうが、中身は真っ黒そうだ。
 しかし続くゼファードの言葉に、ルルティスは思わず指を立てて数を数え始めた。
「それに十二歳も歳がはなれているし……」
「あの、殿下? 殿下はおいくつですか?」
「俺? 十五歳だけど」
「私もです。同い年ですね。それで、フェルザード殿下と十二も離れているとは……」
 それでも何もそのままの意味だ。
「フェルザード殿下って、実は何歳なんですか?」
「二十七歳だけど」
「?!」
 ルルティスは呆然と目を見開いた。
 彼の目には、フェルザードは十七、八の少年から青年にかけての年頃に見える。肌の張りや艶を考えれば、童顔とかそういう問題でもなさそうだ。
「ああ。もしかして知らなかったのか? 兄貴はロゼウスの力で、肉体年齢とやらを十七歳の時から止めているんだって」
「何のためにそんなことを」
「兄貴は皇帝領の不老不死軍団、つまりエチエンヌとかリチャードとか、その辺と一緒の存在になるつもりなんだよ。十七歳で肉体を止めたのは、それが一番ロゼウスの好みだからなんだろ?」
「そう……なんですか?」
「よくは知らん。だって兄貴がああいう道を選んだのは、俺が五歳の時だぞ? そんなに詳しく覚えているわけないだろ」
「それもそうですね」
「というか気づけよ。フェルザードが皇帝の愛人になるために国を飛び出したって噂が広まったのは十年前だろ。見た目通りの年齢なら、あいつその頃七、八歳ってことになるんだぞ?」
 ルルティスも確かにその噂は知っていた。だが、同時にこうも思っていた。
「いえ、あのフェルザード殿下ならそれもあり得るかな、と」
 七歳で皇帝に一目惚れし、王位継承権も何もかも擲って国から出奔、追って来る兵士をちぎっては投げちぎっては投げ。
「……ありかも知れない」
「でしょう?」
 弟は納得してしまった。
 あのフェルザードならやりそうだと。
「でもまぁ、実際は十七でロゼウスに惚れて城を飛び出したんだよ。それから十年。そう言えば、お前は兄貴によく似ているけど……どこかでうちの母親と血でも繋がってんのか?」
「ああ、それならまったくの偶然みたいですよ。先日私の母親らしき人を見かけましたが、その人と自分の母、つまりエヴェルシード王妃が似ているとフェルザード殿下が仰ってましたから。でも人種は違いますし」
「ん、そうか」
 母親「らしき人」などのツッコミどころは一切無視して、ゼファードが納得する。このエヴェルシード王子は、わかっていて気にいらないことは全て無視する兄の方とはまた違って細かい事はどうでもいいというエヴェルシードらしい。
「んー、でもさぁ」
 じっとルルティスの顔を見て、どこか言いにくそうにしながら遂にゼファードがその話題を出した。
「ルルティス、お前の顔、絶対にロゼウス好みだと思うんだけど。愛人になれー、とか強要されたりしないのか?」
 あまりにも心配そうに尋ねてくるので、ルルティスはありのままを話した。
「私はむしろ『愛人にしてください!』とお願いしているのですが、フラれ続けています」
「…………なんだって?」
 ゼファードが遠い目をした。
「あんな男のどこがいいんだ……」
「どこがって、まぁいろいろですよ」
 そもそも相手が男だということを今更問題にしない二人である。
「あの男、十年前に五歳児だった俺に『将来俺のところに来ないか?』とか声かけてきた変態だぞ」
「ご……」
 今度はルルティスが放心状態となった。
「五歳は、いくら皇帝陛下でもちょっと……」
 さすがにそんな幼児に手を出す男には幻滅だ。
「というか私それに関しては知らないんですけど! どういうことですか?! 教えてください!」
 ルルティスは真向かいのゼファードの肩を掴んでがくがくと揺さぶる。
「わわわ、わかったよ!」
 ゼファードは慌ててその手を引き剥がした。脳味噌がぐらんぐらん揺さぶられ、世界が揺れている。
 世間一般に出回っている噂は、十年前にエヴェルシードを訪れた皇帝にフェルザード王子が一目惚れをし、愛人になるため王位継承権を放棄して皇帝領まで押しかけたというものだけだ。
 その後、王位継承権を嫌ったゼファード王子までもが家出ならぬ城出をしたという話も伝わってはいるが、それ以外にも何かあったとは。
「ええ? あー、うん、いやその……」
 歯切れ悪くゼファードはあーとかうーとか意味のない言葉で呻いた後、意を決したように口を開いた。
「ロゼウスの愛人に、エヴェルシード人が多いって知ってるか?」
「知っています。その辺りの記録は学院で見た事ありますし」
「き、記録? ……まぁいいや。ロゼウスはエヴェルシード人に何か思い入れがあるらしく、定期的にエヴェルシード人の……特に王族の愛人を囲っているらしいんだ。定期的と言っても何十年単位でだけど。で、エヴェルシード王家が子種が少ないのは有名だろ? 今の国王である父上にも俺とフェザーしか子どもがいないし。エヴェルシードの王族を片っ端から皇帝に貢いでいたら、王国の存続が危うくなるからって、ロゼウスは普段は王太子を愛人にするようなことはないらしいんだ」
 似たような話こそ聞いたことはあるが、ルルティスの知り得ない情報までゼファードは当事者ならではの詳しさで語って行く。
「十年前もそのつもりだったんだろ。フェザーは王太子だし当時から周りの期待が凄かったから、皇帝が愛人として連れていくにはもったいない人材だ。……フェザーはいろいろやって恐れられているけど、それまでの愛人は完璧ただのお飾りだったし。だけどその頃なんかあったのかロゼウスは愛人が欲しかったらしい。そこで、第二王子だった俺に目を付けたんだと。父上に俺をくれとか言ったらしい」
 伝聞だらけの説明だが、言いたいことはよくわかった。
「はうううう。本当なら殿下が皇帝陛下の愛人になる予定だったんですか」
「誰があんなのの愛人になんかなるか! 俺はその頃意味こそよくわかってなかったけれど、ロゼウスのところに行くのがやだー! って泣き喚いた。さすがにその頃五歳だからな。無理に親元から引き離して連れていくのも、ってことでロゼウスは諦めたらしい。ここで話は終わるはずだった」
 しかし別の人物が行動を起こしたため、そうはならなかった。
「エヴェルシード側としては、いくら皇帝に恭順を示すためでも、王子を男皇帝の愛人になんか差し出したくはない。ロゼウスが帰ってこれでようやく一安心やれやれ、と収まりかけたところで、フェルザードがとんでもないことを言いやがった。それが、皇帝の愛人になりたいということだった」
 そして当時十七歳のフェルザード王子は、まだ何の意味もわかっていない五歳のゼファードに王位継承権を強制的に譲ると、国を出奔して皇帝領へと押しかけた。
「あの頃のエヴェルシードは大変だったらしいぜ。俺はまだ意味がよくわかってなかったけど、両親が死にそうな顔してた」
「そうでしょうねぇ」
 期待の王子がそんな行動をとればどこの親でもそうなるだろう。
「数年して俺も、ようやくフェザーのやったことの意味がわかるようになってきた。で、周りからは『せめてお前だけはフェルザードの二の舞にならないようにしなさい』と言われて育った」
「それはさぞや鬱陶しいでしょうね」
 一国のお偉方が精魂込めた王子の教育方針にすぱっと文句をつけるルルティス。二の舞というのもまた凄い表現だ。何かが間違っているような気がするが、それを言うならまず王太子の座を放り出していったフェルザードの行動から言及せねばなるまい。
「そう、鬱陶しいんだよな。それで俺は、俺に魔術を教えてくれたアドニスと一緒に城を出ることにした。魔術の実践修行も兼ねて、世界各国を回る旅に出たんだ」
「なるほど」
 アドニスの正体と行動についてはまだ謎が残るのだが、それに関してはゼファードに聞いてもはっきりしたことはわからなさそうなので今日はここまでとすることにした。それよりまだ、聞きたいことがある。
「皇帝陛下は、どうしてそんなにエヴェルシード人の愛人に拘るんですか?」
 皇帝領に押しかけた後紆余曲折を経て正式な愛人に収まったフェルザードもエヴェルシード人だ。最初から付き合いがあったというローラを除けば、ロゼウスの愛人はほぼエヴェルシード人だと言っていい。
 それは長年の謎であり、その答を正しく知る者はこの四千年間、多くは存在しなかった。
薔薇皇帝がエヴェルシード人に執着していることは知っていても、その理由までは誰も知らない。
 ロゼウスが即位したとき、すぐにエヴェルシードから反逆者と呼ばれたクルス=ユージーンが挙兵したため、世界は怒涛の混乱に見舞われた。その前年にローゼンティアとエヴェルシード間で戦争があったこともあり、薔薇皇帝ロゼウス即位の経歴は謎に包まれている。元の身分はローゼンティアの第四王子と言われているが、それも定かではない。
 薔薇皇帝はその圧倒的な実力により世界を治めているが、圧倒的すぎるあまりに彼の略歴を調べようとすら誰も思わなかった。
 だからこそルルティスは、その部分を明らかにしたい。それが闇でも光でも、彼の真実を明るみに出したい。
 ルルティスの問いに、ゼファードはちょっとこちらの顔色を伺うような視線で見た後、覚悟を決めたように口を開いた。
「その前に、お前はこれまで皇帝領にいて、こんな名前を聞いたことはないか? 《シェリダン=エヴェルシード》」
「……! あります」
 それはかつてローラが、エチエンヌが、リチャードが仕えていたという主君の名前だ。
「これが、ロゼウスの執着するたったひとりのエヴェルシード。四千年前のエヴェルシードの王だ」
「王」
「俺も話に聞いたことしかないけれど……」
 そこで少し躊躇うように間を置いた後、ゼファードは言った。
「なぁ、この城の、地下の秘密部屋って知ってるか?」
「え? なんですかそれ?」
 突然、ゼファードは話題を変えたかのように思えた。しかしその話題自体が魅力的だったため、ルルティスはとくに追求しない。
地下。そして秘密部屋。どちらもルルティスの心をくすぐる怪しい響きだ。
 そんなものの存在を知っていたらどんなに禁じられても突撃していってしまうと思うのだが、ルルティスは皇帝領にそんなものがあるなど聞いたことはない。入るなとも言われたことすらない。
「ああ。そういう部屋があるんだ。俺も小さい頃、この城を探検していてたまたま見つけてしまっただけだからな。思わず中に入ろうとして、その時は兄上に見つかってすぐにやめたんだけど……」
 どこか後ろめたそうな顔をしながらも、ゼファードは話を続ける。
「兄貴の話とか、断片的なことを聞くと、どうもその秘密部屋に何かあるようなんだ」
「何かって……シェリダン王に関わるものがですか?」
「そうだ。あの地下部屋は一種の禁忌みたいになっていて、特別に許された者しか中に入れないんだって。でも……今の俺なら、魔術でその封印も破れると思う」
 ゼファードが真剣な眼差しになる。
「封印って……そんな厳重に? それって相当の秘密なんじゃ……」
「ああ、相当の秘密だと思う」
 一年中咲き乱れる赤い薔薇の園に降り続ける白い雪。漆黒の居城。謎めいた皇帝領。
 その中でも一番の秘密が、隠された地下の部屋。
「この城の他の場所には、シェリダン=エヴェルシードにまつわるようなものは何も置いてない。それって変だろう? 四千年も忘れられずに面影を求めてエヴェルシード王族を愛人にするような奴が、関係するものを一切置いてないなんて。どう考えても、そこしか考えられないんだ」
 たとえ秘密部屋の存在を見つけたとしても、ルルティス一人では入ることができない。ルルティスには魔術の才能がまったくない。
 けれど今ならば、このエヴェルシードの魔術王子がいる。
 絶好の機会だ。だがバレれば身の破滅かも知れない。部屋の中に入っているものの重要度にもよるだろうが。
 地下の部屋に隠されている物が、まったくこの話題とは無関係の財宝程度ならロゼウスは怒らないだろう。だがそうでなかった場合、最悪どのような反応が返ってくるか予測がつかない。
 それでも、その部屋を見てみれば、もしかしたら彼らが四千年の時を経ていまだ執着し続けているシェリダン=エヴェルシードのことが少しでもわかるかもしれない。
「さぁ、どうする?」