薔薇の皇帝 11

052

「吸血鬼事件?」
「そうだ」
「の、解決を陛下にお願いしたんですか? いい度胸ですね~」
 三十三代皇帝ロゼウスたちは、現在シュルト大陸の中央部に存在するウィスタリア王国にやってきていた。
 ゼイルの事件が一応の『解決』を見たロゼウスたちのもとに、息継ぐ間もなくこの国からの依頼が持ち込まれたのだ。
 皇帝に、ウィスタリアで起きた「吸血鬼事件」を解決してほしいと。
 三十三代皇帝ロゼウスが魔族、それも吸血鬼の一族であるローゼンティア人であることは常識だ。あえてその吸血鬼皇帝に妙な依頼を持ち込むウィスタリアの思惑が謎だった。
 ウィスタリアとは言っても王国直々の依頼というわけではなく、王国の一部地域の領主からの依頼だった。魔術によって早急に届けられた手紙に記された署名に覚えはなく、依頼主がどこかで顔を合わせた人物だということもない。
「でも、面白そうじゃありませんか? 吸血鬼皇帝に吸血鬼事件の依頼なんて」
 今回ロゼウスについてきたのは護衛のエチエンヌと、選定者のジャスパー。そしてルルティスとジュスティーヌだ。リチャードやフェルザードは、日常業務やゼイル事件の事後処理に追われていてウィスタリアまでは来ていない。ローラがいないのはいつものことだ。
 皇帝領では置いて行かれたゼファードがまさに地団駄を踏んでいるのだが、ロゼウスの知ったことではなかった。
「ジュスティーヌ……何故お前までここにいるんだ。さっさと帰れ」
「嫌ですわ。せっかく陛下のお傍に上がったのですから、一分一秒でも長く陛下のお傍にいます」
 カルマイン人特有の紅い髪を複雑な形に結い上げ、顔にまるで道化師のような化粧を施した派手な格好の女性、メイフェール侯爵ジュスティーヌが、ロゼウスの腕に自らの腕を絡めるようにして縋りつく。あまりにも派手で人目を惹く格好の彼女だが、その化粧の理由の半分以上は、病人特有の顔色の悪さを隠すためでもあることを知っているロゼウスには彼女を邪険に振り払うことはできなかった。
 そしてもう一人の誘わざる同行者、ルルティスが言って聞くような性格ではないのも知れたことだ。
「ルルティス」
「いやです」
「……わかった」
 せめて話くらい切り出させてくれよ、と思いつつロゼウスは素直に頷いた。護身術の一つも知らないジュスティーヌと違い、ルルティスはそこそこ戦える。放っておいても大丈夫だろう。
 五人は、現在ロゼウスに手紙を出した領主の城の建つ丘にいた。
 爽やかな風がロゼウスの白銀の髪を靡かせる。可憐な野の花々が、色とりどりに咲き乱れていた。
 眼下に見渡せる街は煉瓦造りの建物が多いために赤い。道は整備されていて、そこを通る豆粒のような人々の姿や馬車の様子が丘の上から見えた。鮮やかな布屋根の露店と屋台の並ぶ市も立っているらしい。この景色だけを見れば、この街が現在吸血鬼事件で騒がれているなどと誰も思わない穏やかさだ。
 領主の城では見張りがロゼウスたちの姿に気づいたのか、馬車が差し向けられたようだった。
「詳しい話は、領主に会ってから聞くか」

 ◆◆◆◆◆

 領主の執事を名乗る老人が、皇帝とその一行を迎えにやってきた。ウィスタリア人の銀髪に淡い紫の瞳の執事は、年齢による疲労を見せないぴしりと背筋を伸ばした立ち姿で、一部の隙もなく皇帝を出迎えた。
「堅苦しい挨拶は抜きだ。私も暇ではない。さっそく本題に移ってくれ」
「詳しい話は伯爵がなされます。ですが、その前に城下町で今何が起きているのか、概要だけは私めにご説明させてください」
 聞けば最近伯爵領の城下町では、何者かに血を吸われて殺される人間が多いのだという。
「憐れな犠牲者の首元には二つ並んだ小さな穴が空いて、そこから血が流れ出しておりました。それを見て誰かが“吸血鬼の仕業だ”と言い始めたのです」
「それで、何故わざわざ領主は私を呼んだ。王国で解決すればいいことだろう」
「……主人は、この王国内では複雑な立場なのです」
 執事が語った継承権絡みの話はどこでにもよくあるような話なので大分割愛するが、要はここの伯爵は、先代国王の妾妃の一人が生んだ子どもだということだった。それにより国内に敵が多く、彼らの側ではこの事件もどこかの貴族が伯爵を貶めるために起こしているのではないかと推測しているらしい。
「吸血鬼事件が、どうしてここの領主を貶めることになるんだ?」
「あの方は体が弱く、日光にも弱いのです。それを知る者たちが、吸血鬼のようだと言い出したのでしょう」
「え? そもそも吸血鬼って日光に弱いんですの?」
「陛下、めちゃくちゃ普通に外歩いてましたけど」
 ジュスティーヌやルルティスからすれば、普通の人間と同じようにロゼウスが真昼間から歩いているのを常日頃目撃している。今更世間一般の恐怖小説で描写されているような吸血鬼の習性を告げられても、目の前の皇帝の姿との差異に首を捻るばかりだった。
「いや、あの……その、私めにはなんとも……」
「私は皇帝になってから昼に行動するよう自分で生活習慣を整えたが、普通のローゼンティア人は夜行性だ。なぁ、ジャスパー」
「そうですね。僕も一週間の半分くらいは昼間寝ていますし」
「そうだったんですか?」
 ここに来て明かされた意外な事実に、ルルティスが目を瞠る。
「だからって夜中に突撃取材なんてされても部屋に入れませんから」
「むー。ジャスパー様は皇帝領でも一、二を争うガードの硬さなんですよねぇ……」
 果てしなくくだらない会話はおいておいて、ロゼウスや豪奢だが影ある城の様子を見まわしながら執事に尋ねた。
「この城の中が若干薄暗いのもそのためか?」
「ええ。あの方が陽光に弱いので、最低限の窓以外は昼間でも全て日除けをかけているです。薄曇りの日ぐらいしか城下の視察にも赴かれないので、街人との交流も少ないのです」
 おいたわしや、と執事は溜息をつく。その様子から、彼は主人である伯爵を心から慕っている様子が見てとれた。
「ここの主人はどんな人物なんだ」
「とても聡明で、素直な、立派な人物ですよ。あの病弱ささえなければ、この城の外でも将来が楽しみにされる名領主と期待されていたことでしょう。それに……」
「それに?」
「いえ、そのことは、陛下が直接お会いになればすぐにわかると思います」
 意味深な一言を執事が残す頃、広い城の中、日当たりの悪い一角にあるという領主の部屋に辿り着いた。意味深だが悪い感じではなかったので、ロゼウスたちは素直にその部屋の扉をくぐる。
 そしてロゼウスは、部屋の中を一目見て凍りついた。
 否、ロゼウスだけではない、その傍らにいたジャスパーと、護衛であるはずのエチエンヌまでもが驚きに思わず足を止めていた。
「ちょ、陛下? そこで止まられたら入れないんですけど!」
 喚くルルティスたちの声を無視し、来訪の合図に身を起こした少年の顔をロゼウスは凝視する。
「初めまして、皇帝陛下。本来ならこちらがご挨拶に伺うべきですのに、御足労いただいた上にこんな格好で失礼いたします」
 寝台の上で微笑みながら頭を下げた少年に、ロゼウスの脳裏から古い記憶に沈めたはずの名が浮かび上がった。
「……ミカエラ」
 四千年の時を越え、懐かしい弟の生き写しとも言える姿が、そこにあった。

 ◆◆◆◆◆

「私はミシェル=エァルドレッド。こちらは弟のウィリアム」
「初めまして! 皇帝陛下! お会いできて光栄です!」
「……ウィル?」
 ミシェルと名乗った当主の少年も、その弟だと紹介されたウィリアムも、ロゼウスの弟によく似ていた。
 それは遠い、遠い記憶。
 ロゼウス=ローゼンティアが、まだ皇帝ではなく、一介のローゼンティア王族でしかなかった頃の話。
 ロゼウスは十三人兄弟の真ん中。第七子にして第四王子だった。上に兄が三人と姉が三人、下に弟が三人と妹が三人いた。その弟の一人が、今選定者として共にいるジャスパーだ。
 それ以外の兄弟は、はるか昔に亡くなっている。
(まさか、生まれ変わりというものか?)
 かつて王族として、未来の皇帝として繰り広げられた戦いの中で、ロゼウスは自分が“始皇帝になるはずだった男”の生まれ変わりだということを知った。転生というのは本当に存在するのだ。魂は生まれ変わりまた別の人間となって別の人生を歩み出す。
 そして人によって個人差はあるらしいが、ロゼウスは人種が同じこともあって、前世の自分と顔立ちすらよく似ていたらしい。
 目の前にいる二人の少年は、かつての弟たちの生まれ変わりなのだろうか。
 彼らがちょうど死んだ頃の弟たちと年齢すら同じくらいであるのを見て取って、ロゼウスの胸には言いようのない切なさが湧き上がる。理性ではそれを殺して“皇帝”として振る舞うのだと、“神”が告げているというのに。
「……エァルドレッド伯爵か。知っているとは思うが、私はロゼウス=ローゼンティア」
 当然だがミシェルたちには前世の記憶など欠片もないようで、ひとしきり挨拶を交わしたあとは、すぐに本題である城下の吸血鬼事件の話題に移った。
「……ここ五件ほど、立て続けに殺された者たちの首筋には二つ並んだ小さな痕がありました。それが吸血鬼に血を吸われた痕だということになり、この事件は吸血鬼事件と呼ばれることになりました」
 ミシェルの語り口は冷静で、最後に頭を下げる。
「自らの領地の事件も解決できない不手際を晒し、挙句にはその始末に御手を煩わせる愚かな領主ですが、私がどんな評価をされようとも、一刻も早く民の憂いを取り除き、殺された者たちの家族にも心の安寧を取り戻してやりたいのです。皇帝陛下、どうか臣の願いをお聞き届けくださいませ」
「……わかった」
 病弱な少年が丁寧に頭を下げる様子にロゼウスは弟の姿と重ね合わせて胸の痛みを感じるが、表面上はそれを押し隠して頷いた。
「この街で起きた事件は、皇帝の名において私が解決しよう」