薔薇の皇帝 11

053

「――驚きましたね」
 病弱だというミシェルは説明を終えた後また休むといい、ロゼウスたちは再び執事の手によって城の客間に案内された。
 通された部屋はロゼウス用で広く、十分に人を招ける様子であった。他の者たちにも立派な部屋が与えられたのだが、五人はひとまず最初に教えられたロゼウスの部屋に集まった。
 沈黙しきるロゼウスとジャスパー、その気配を察して説明を求めてあえて黙るジュスティーヌとルルティス。誰もが口を引き結ぶ中でそれに耐えかねてか、真っ先に言葉を発したのはエチエンヌだった。
「あの領主様とその弟さん、ミカエラ王子とウィル王子によく似てる」
「そのお二方って……」
「ロゼウスの弟たちだよ」
「選定者以外の家族ということですか? では」
「そう、四千年前に亡くなってる」
 ローゼンティア人の寿命は四百年から五百年、ロゼウスが皇帝になったのが彼が十七歳であった四千年前だから、彼の弟だとすれば寿命でなくなるのはその四、五百年後。約という言葉を使っても三千五百年を四千年と言うのは大雑把すぎるだろう。
 ロゼウスが皇帝に即位した年は、激動の一年だったという。正確に言えば三十三代皇帝が正式に名乗りを上げたのは反乱軍を打ち取ったその三年後なのだが、ロゼウスの弟たちが亡くなった年は、恐らくその反逆者を生み出した年のことだろう。
 ――それは、シェリダン=エヴェルシードが死んだ年。
 ルルティスは答を求めるようにロゼウスを見た。自らの長い髪を気だるげに手で梳きながら、寝台に腰かけたロゼウスは頷く。
「ああ、そうだ。ミシェルの方がミカエラ、ウィリアムの方がウィルに似ている。二人とも私の弟で……私が殺したようなものだ」
「皇帝陛下」
「なぁ、ジャスパー……ジャスパー?」
 同じようにかつての兄弟を知る唯一生き残った弟に声をかけようとして、ロゼウスは目を瞠り凍りついた。
 普段は人形めいて表情を変えない弟が、ぽろぽろと一人静かに涙を流している。
「ジャスパー」
「ミカエラ兄様と、ウィルが……」
 ロゼウスが十七歳の時、ミカエラは十五歳、ジャスパーは十四歳、末弟のウィルは十二歳だった。ロゼウスにとっては二人とも弟だが、ジャスパーにとってミカエラは一つ年上の兄にあたる。
 けれどロゼウスとジャスパーは生き続け、見た目こそ変わらないがジャスパーはあの頃の兄の年をすでに追い抜いてしまった。一つ違いの異母兄は永遠に十五歳のまま、記憶の中にその頃の姿を留めている。
 あまりにも記憶の中の兄そのままのミシェルの姿を見て、選定者となった時から感情の起伏が少なくなり、感情が抜け落ちて行ったかのようだったジャスパーの心に針が刺さったようになる。
「あ、あのー」
「……ルルティス、ジュスティーヌ、すまないがしばらく二人にさせてくれ。エチエンヌ、ジュスティーヌにつけ。護衛だ」
「了解。ほら、先生たちも行くよ」
 半ば無理矢理エチエンヌに背を押される形で、ルルティスとジュスティーヌは部屋から追い出される。
 振り返ったルルティスが扉の閉まる直前に見たものは、静かに泣くジャスパーを膝の上に抱え上げて抱きしめるロゼウスの姿だった。

 ◆◆◆◆◆

「まったく同じってわけじゃないよ。そりゃあ人種が違うからね。でも同じ銀髪だから、ルルティス先生とシェリダン様よりは似てるかもね」
 廊下を歩きながらエチエンヌは、事情を知らない二人のためにローゼンティア王家のかつての王子たちについての説明を加えていた。
 ミシェルとウィリアムの顔立ちもそうだが、この城の状態もエチエンヌの記憶を刺激するのには十分だった。古びた石造りの城に日差しを避けた故の影が落ちていて、その薄暗さがあの陰鬱なローゼンティアの風景を思い出させる。
「ウィスタリア人は銀髪に紫の瞳、そしてローゼンティアの吸血鬼は、白髪に真紅の瞳でしたわね」
「正確にはローゼンティア人は白銀髪に真紅の瞳かな、個人差はあるけど。白髪言うとロゼウスに怒られるよ。そういえばあいつらの兄弟、瞳の色はみんな微妙に橙っぽかったり桃っぽかったり人によって違いが大きかったけど、髪の色は似たようなものだったね」
 エチエンヌの台詞に、ルルティスたちはロゼウスとジャスパーの見事な白銀の髪を思い出す。凍てつく北の大地に降る雪のような、やわらかでいて時折きらりと硬質な輝きを放つ繊細な銀。
「……ロゼウスにとって、ミカエラ王子とウィル王子の二人の弟はきっと特別なんだ。本人も言ってたけど、二人ともロゼウスのために死んだようなものだったから」
「それって、どういうことなんですか?」
「んー、ちょっと一言で説明するのが難しいんだけど、まぁ、ロゼウスを中心として動いていた大きな運命の被害者って感じかな」
「正確には陛下のせいではないということですね」
「そうだね。でも、あいつが自分のせいだって責任を感じるには十分というのも真実」
 一度立ち止まったエチエンヌが、しみじみと溜息交じりに零す。
「まさか今頃、あの顔を見ることになるなんてねぇ」
 過去に繋がるものは全て、懐かしさと痛みを同時にもたらす。
「もしかして生まれ変わりって奴なのかなぁ」
「それって事実なんですか? 怪しい宗教学者の迷信じゃないんですか?」
「生まれ変わり? あるみたいだよ。僕は四千年前にも、生まれ変わりが蘇るってのを見た。転生後の人間の中に、前世の人格が蘇ったって例だったけど」
「本当なのですね……」
「なんか、不思議な感じだよ。シェリダン様にそっくりなフェザー王子と会ったときにももしかしてって思ったけど、あの人は性格が全然違ったから、すぐにそんなこと忘れていられたんだ。でもまだちょっと見ただけだけど、あの領主様と弟さんは、見た限り性格も似ていそうなんだよね……」
 病弱だが知性の輝きを瞳に宿し、強い意志をもって時には果断もできるまさしく王子だったミカエラ。その大胆さは吸血鬼事件の解決に吸血鬼皇帝を呼び寄せた領主ミシェルと、どこか通じるのではないかとエチエンヌには思えた。それと、いかにも良いところのお坊ちゃんという感じで溌剌として明るい少年だったウィルと、きらきらとした瞳で皇帝を見つめていたウィリアム。
 実際に話してみれば違いがわかるのかもしれないが、今のところ彼らは生まれ変わりとしか思えない程に、あの王子たちに似ていた。
 一年にも満たない短い時間しかミカエラとウィルと過ごさなかったエチエンヌですらそう思ったのだから、十年以上にわたり彼らと兄弟として生きてきたロゼウスとジャスパーの衝撃は尚更だろう。
「皇帝陛下にとって、特別な兄弟と、その生まれ変わり……」
 また一つ自分の知らないロゼウスの過去に触れる言葉に、ルルティスは理由のわからない苛立ちを含む呟きをそっと落とした。
「あれ?」
 それを覆い隠すようなタイミングで、エチエンヌが窓から外の景色を覗いて声を上げた。
「この城に、また誰かお客さんが来たみたいですよ?」

 ◆◆◆◆◆

 涙の染みた上着の胸が冷えてきたころ、ようやくジャスパーはロゼウスの胸から顔を上げた。
「……ごめんなさい、ロゼウス兄様。取り乱したりして」
「かまわない。その呼び方も随分と久しぶりだな」
 いつも自らの選定者である弟に対して残酷なぐらいきつく当たるロゼウスは、こんな時ばかり胸が軋むほどに優しい。
「俺も驚いたよ。あの二人は本当に似ていた」
「ミカエラ兄様と、ウィルに」
 ロゼウスは十三人兄弟の真ん中、ジャスパーは下から三番目だ。ジャスパーにとって末弟のウィル以外は全員兄にあたり、そのために名前の後に兄様とつけることで兄たちの呼び名を区別していた。
 この四千年間、兄と呼べる人がロゼウス一人しかいなくなってその必要がなくなり、とっくに忘れていた習慣。
 ロゼウスはジャスパーと違って一部の兄は呼び捨て、一部は兄様と呼んでいた。そして今はも誰も、兄と呼べる人がいなくなってしまった。フェルザードやゼファード、ルルティスといったこの時代の人間からすればロゼウスはジャスパーの“兄”としての印象が強いだろうが、エチエンヌたち過去を知る者からすれば、ロゼウスは他の兄たちの“弟”という印象が強い。
 四千年前、ロゼウスが皇帝になるまでの一年間の戦いで、ローゼンティアの兄弟はほとんど喪われた。最終的に王子は彼ら二人だけになり、王女は三人。半分以下にまで数を減らしてしまった兄弟のうち、ロゼウスのすぐ下の異母妹ロザリーがローゼンティアの女王となった。けれどその彼女や他に二人生き残った王女も、とうに寿命を迎えて亡くなっている。
 その生まれ変わりと、この時代で顔を合わせるようなことになろうとは。
「永い、永い時が過ぎていたんだな、ジャスパー」
「お兄様」
「俺たちがまだ過去を忘れられないでいるうちに、人はレテの川で記憶を洗い流され、またこの世界に生まれて来る、か……」
 本当に長い時間が過ぎてしまった。四千年という時間。人が生まれ変わるのに十分な時間。
 自分たちはもはや完全に過去の時代の遺物なのだという思いが、二人の胸中を去来する。けれどロゼウスにはジャスパーと違い、もう一つ感じたことがあった。
「それだけ長い時間が過ぎているのに……」
 ロゼウスの腕の中、次に来る言葉が予想できてジャスパーは身を固くした。
「なんで、あいつにはまだ会えないんだろう……」
 独り言のような呟きに、ぎり、と唇を噛みしめる。
 抱き合ったまま沈黙が揺蕩う部屋に、コンコンと小気味よいノックの音が走った。このとの叩き方はルルティスだな、と耳の良いヴァンピル兄弟はあたりをつける。
「陛下」
「入っていいぞ」
「失礼しま……す……」
 弟を抱き上げるロゼウスを見て、いつも歯切れ良い口調のルルティスの語尾が若干伸びた。顔を顰める彼に構わず、ロゼウスが用件を聞きだす。
「どうした?」
「城主にお客さんが来たんですけど、その方たちが陛下が来ていると聞いて騒ぎ出して。なんとか宥めてもらいたいんですが」
「そうか。では行く」
 この世に恐れるもののない強さを誇る皇帝は、危険など考えもせずあっさりとその要請に頷いた。ジャスパーを寝台にそっと下ろすと、呼びに来たルルティスすら置いてすたすたと歩きだす。
 残されたルルティスは部屋の中のジャスパーと視線が合い、眉根を寄せた。
 ロゼウスの愛人志願の少年と、実際に愛人扱いされている弟が睨み合う。
「――なんです? ランシェット殿」
「お加減が悪いのでなければ、ジャスパー様も陛下と一緒に行ったらどうですか? 陛下の選定者でしょう?」
「行きますよ。顔を洗って、着替えたらね。あなたこそ早く行ったらどうです? 自分から兄様に付きまとっているんですから」
 険悪な口調でやりとりを交わし、ジャスパーが洗面のために寝台を降りるのと同時にルルティスも踵を返す。
 例え先程の抱擁が性的なもの一切ない兄弟としての触れ合いだとしても瞬間的に嫉妬を抱いてしまったルルティスは、ロゼウスに似た選定者の顔を見るのが辛かった。
 そしてジャスパーの方でも、今はルルティスの顔を見たい気分ではなかった。
「……シェリダン王の生まれ変わりなんて、一生再会しなくていい。一生、気づかないままでいてくれれば……」
 思わず握りしめた拳の中で、爪が折れる音がした。

 ◆◆◆◆◆

「なんだ、城主の客とはお前たちか。シライナ、ラクル」
「なんであんたがここにいるのよ! 皇帝!」
 ルルティスは客の方々が騒いでいると告げたが、正確には騒いでいたのはただ一人だ。それもロゼウスの顔見知り。
 南のバロック大陸を中心に活動しているシレーナ教の聖女ことシライナだった。彼女は聖女として皇帝ロゼウスの残虐な行為にいつも苦言を呈し、ロゼウスを敵視している。彼女の斜め背後では寡黙な青年、ラクリシオン教の象徴であるラクルが、いつものように彼女を守るように立っている。
「ここの領主に呼ばれたんだ。城下で起きている事件を解決してほしいと」
「それって、吸血鬼事件のこと? あんた自分も吸血鬼なのに引き受けたの?」
 シライナが驚いた顔をする。どうやら両者とも、目的は同じようだ。ミシェルが皇帝と犬猿の仲だという噂の流れているシレーナ教の聖女を呼ぶとも思えないから、依頼したのは誰か別の人物だろうが。
「なかなか面白いことになってきたな」