第5章 時の止まった物語 02
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暗い闇だけの空間がある。
否、実際にはそこは闇だけの空間ではない。
果てのない天と呼べる空には星々のような赤、青、白、銀の細かな輝きが散り、足元は黒一色なのに僅かな明暗が光沢を見せる。
ロゼウスは硝子の馬アレイオンを「外」で待たせ、一人その門をくぐり建物の中へと入った。
そこは当代の皇帝以外が足を踏み入れることはない場所。
「ようこそ、三十三代皇帝陛下。そろそろ来る頃だと思っていました」
「……ゲルサ」
見た目は高い塔、内部は中央に太い柱のそそり立つ、天まで届く大きな図書館。その建物はそういう外観と内観だ。けれど実際のところは違う。
塔内部の壁面に埋め込まれた本棚は、どこまでも高く伸びている。この塔には階段がなく、壁面の高い位置、自分の身長の少し上から地上の二階、三階建ての建物の高さにある本を人間が手に取る手段はない。
地上の物理法則も常識も無視して存在する建物。そもそもこの建物は、人間という存在が認識できる空間内に存在しない。
生と死の狭間に存在する、全ての始まりであり終焉である場所。
この場所の管理人を務めるのは、少女の姿をし「ゲルサ」と名乗る何者かだ。ロゼウスは彼女を通じて、この図書館の機能を使うことができる。それはロゼウスが皇帝であるからであり、その皇帝をしてもこの図書館の能力全てを使うことは不可能だ。
円形の塔内部の中央に存在する柱の真正面に、受付がありそこに少女は座っている。ゲルサはロゼウスの顔を見てもこれまでと表情を変えず、ただ無感動に彼の称号を呼んだ。
ここはアケロンティス帝国において、歴代の皇帝しか知らぬ空間だ。その場所を管理し、全ての皇帝と面識があるという彼女もまた人ではない。
では彼女が「何」で在るかと言えば、それを説明することはロゼウスでさえも難しい。
ロゼウスが知るのは、ただ、ここならミシェルの死の運命さえも捻じ曲げることのできる可能性があるということだけだ。
ここは、人知を超えた場所。
この世界の始まりから終わりまで全てを司る永遠の「記録」。
「ゲルサ、頼みが」
「駄目ですよ、三十三代陛下」
ロゼウスが言葉の全てを口に出す前に、ゲルサと名乗る少女はその要請を切り捨てた。
「貴方のお察しの通り、ミシェル=エァルドレッドは貴方のかつての弟、ミカエラ=ローゼンティアの生まれ変わりです。けれど、彼の命の火はもうまもなく尽きようとしている」
図らずも尋ねる前から肯定された推測に、ロゼウスは息を呑む。だが、それはこの際どうでも良かった。例えミシェルがミカエラの生まれ変わりであろうとなかろうと、かつての弟の面影を宿す彼を、ロゼウスは救いたいだけなのだ。
これはただの自己満足。
今まさに生きている弟が地の底で救いを待っているのにさえ耳を塞いで、ロゼウスは今の自分とは何の関係もない他人であるミシェルを、死んだ弟に似ているからという理由だけで生かそうとしている。
抱くことさえ無為な感傷だ。過去に手を加えることなど誰もできはしない。
だが、ミカエラと違って、ミシェルはまだ生きている。生きているのだ。だから。
「運命に手を加えることは、皇帝であろうとも許されません。この世界の歴史は一つを変えたことによって多くの物事が変化する。そして歴史とは、変化を加えられても反発力によって再び元の流れに戻ろうとする力が働くもの」
どんな話題を出しても常に表情を変えないゲルサは、厳かに告げる。
「あなたがミシェル=エァルドレッドを救うことによって、貴方は別の“家族”を失うことになりますよ」
ロゼウスは唇を噛みしめた。
「それでも……それでもだ!!」
そもそも家族と言われたところで、ロゼウスにはもはや家族と言われる存在はほとんど残されていない。
自分やローラ、リチャードにエチエンヌと言った面々ならば、もう十分生きた。その生きた時間の長さだけ罪も重ねた。これ以上何を失うと恐れることがあるのだろう。
家族と言われて思い浮かぶ唯一の気がかりはアルジャンティアのことだが、彼女はすでにその死まで歩む人生が確定されている。そのこともかつてロゼウスはここで知った。アルジャンティアという存在は彼女自身が思うよりもこの世界にとって重要なのだ。ミシェルを救ったからといってアルジャンティアが死ぬようなことは起こらないだろう。
だったらもう、それでいい。
自分たちは所詮、この世界をこれまで支えるためだけに存在していたもの。三十四代皇帝の即位と共に価値をなくす、今にも錆びつきそうな歯車。
すでに役目は十分果たした。自分たちにできることはもはや限られている。
だからこそせめて、今度こそミカエラ――いや、ミシェルに、幸せな人生を。
策謀の中で生まれ戦乱の時代に生きたために命を縮めたかつての「弟」が、今生でまで失意のうちにその命を終えることがないように。
「そうして、また過去に縋りつくのですか。惑乱の妖帝よ」
ゲルサの言葉は彼女の言葉にあらず、ただロゼウスの反応を受けてこの“図書館”そのものが返す問いかけ。
「貴方の目は過去しか映さず、貴方の耳はすでに消え去った声しか聞かず、貴方の想いは、ただ過去にだけ向けられている。明日から目を瞑り、希望から耳を塞ぎ、未来を唾棄し、嫌悪する。そうして一歩も前へと進まない」
“彼”を喪うことが皇帝となる条件であったロゼウスは、この地位に何も希望を見いだせなかった。
いっそ共に死んでしまいたいとさえ考えたのに、皇帝という立場のせいでそれすらも許されない。この四千年間ロゼウスにできたのは、ただ過去に存在し続ける人を想うことだけだった。だからロゼウスという存在自体に、「未来」などは存在しない。
だが。
「ミシェルを救うことは、少なくともその一人の人間の未来を守ることにつながるはずだ」
ロゼウス自身に未来などなくていい。自身の愛しい者たちのほとんどもすでに冥府へと降り、遺された者たちはロゼウスが滅びる時共にその身を灰とするだろう。
けれど、ミシェルのようにまだ若く、生きて何かを変える可能性を持つ者を生かすことは、多くの人々の未来と幸福に繋がるのではないか。
少なくともロゼウスはそう考えた。しかしゲルサの声は厳しい。
「貴方の弟であったミカエラ=ローゼンティア、そして今のミシェル=エァルドレッド、彼らが病弱であることは、貴方の前世の行いとはまったく関係ありません。あの特性は彼と言う存在そのものの魂の形質なのです。例えここでミシェル=エァルドレッドの寿命を延ばしたところで、次の世でまた儚い生を営むだけです」
運命を歪められて与えられた仮初の幸福など真の幸福ではないとゲルサは言う。だがロゼウスは退かなかった。
「それでも俺は、今のミシェルが長生きすることを望むよ」
「強情ですね。……まぁ、いいでしょう。貴方は皇帝。所詮私が何を言ったところで、貴方は望めばこの世の全ての人間の運命をも“書き換える”力がある。だからこそ自重してほしかったのですが……そもそもここで言って聞くような人間が、皇帝にまでなれるはずはありませんでした」
過酷な運命をも神の試練だと享受して生きる人間は、聖人にはなれても皇帝にはなれないのだ。始まりの皇帝シェスラート=エヴェルシードがそうであったように、皇帝とは自らの運命を変えるために自ら動き出す人物でなければ務まらないのだから。
ゲルサの承認ではないが、少なくとも無関心という最大の保証を得て、ロゼウスは図書館の奥へと走り出した。
もっとも、円形の塔の最下層であるこの場所の広さなどたかが知れている。ロゼウスは天井の見えない遥か上空を見上げた。
そこから、重厚な装丁の一冊の本がゆっくりと降ってきた。魔法のように見事ロゼウスの手の中に納まったその本の表紙には、ミシェルの名がある。
本の頁を開き、ロゼウスはそこに手を当てた。
何をするでもなくただ念じるだけ。けれどその様は劇的に本の内容に現れた。一冊の本の四分の一も埋まっていなかった文面が明らかに増え、その本の最終頁までをも埋め尽くす。
これがゲルサの言った“書き換える”と言う作業であり、そして今、地上ではミシェルの容態が無事に持ち直したはずだった。
今ロゼウスが手にしている本は、人の人生そのものの「全ての記録」を本と言う視覚印象に直して具現化したものだ。ほとんどの文面が白紙であるミシェルはその一冊の本を埋めることなく夭折する予定だったが、ロゼウスは既存の文章の最後の文面から死と言う言葉を書き換えた。それによって施されるミシェルの人生における修正はこの図書館そのものが勝手に行うだろう。
文面を読むようなことはしない。一度手を加えた以上、もうこれ以上ミシェルの人生を覗き見てその幸不幸を左右するようなことはしないつもりだ。
そう、ここにある「本」は全て誰かの「人生」そのものなのだ。その本を一冊読破することは一人の人間の人生全てを知ることであり、その字句を書き換えることは、その人物の未来の運命に干渉することを意味する。そしてここにある本は、今現在生きている人間だけのものではない。
過去から未来に渡り全てのこの世界の営みが既に記録されている場所。三次元までしか認識できない三次元の生物の視覚においては無限の図書館として具現化するこの場所は、本来この世に存在しない「記録」だ。
ゲルサによれば、皇帝という存在はこの図書館の機能の一部なのだそうだ。
皇帝はこの図書館の中にある本全てを読む権限が与えられている。ロゼウスのように、文章の字句を書き換えることもできる。だが、それができるのは一部の本だけであり、中にはどうあってもロゼウスが改変できない「物語」も存在する。
そして皇帝という存在に物語の改変を許すかどうかを決める意志――それこそが神なのだ。
まるで気まぐれな作家のように、神という存在は一部の物語は完結後の改変を許している。それがロゼウスにも手を加えられる物語。
だが、中には絶対に改変を許されない物語も存在する。
これがただの芸術論であるならば、一度書いた文章が駄作であるならその推敲は許されることもあるだろう。だが、出来の良い物語を無駄に改稿することはない。神にとってこの世界の“物語”とはそういうものなのだ。
――と、ロゼウスはそのように考えている。
かつて自分の意志で全てを貫き、死んでいった男がいた。彼の出生こそ両親が愛し合うという必然からは程遠かったが、それ故に彼は常に自らの意志を律し、自らの人生が自らにとって「必然」であるように自分を貫いて生き、そして死んでいった。そういった物語は改稿しにくい。
その物語の主人公に別の結末を迎えさせるには、その主人公の設定を根本から覆させる必要があるからだ。けれどそれをしてしまったら、その主人公はすでにもう「彼自身」ではなくなるのだ。
だから神は“物語”の安易な改変を望まない。それは何よりも創造主が生み出した人物そのものの存在を否定することだからだ。
ご都合主義な大衆小説のように偶然に彩られてどこでも修正が利くような人生なら改変も許されるだろう。あるいは今回のミシェルの件のように、本人の努力でどうにもならない事案に手を加える時、それを人は“神の軌跡”と呼んで敬う。
だが、物語の主人公そのものの「設定」を弄ることは、神という存在の命という創作行為にとっては赦されないのだ。
皇帝であるロゼウスがこの空間に来た時、彼は人の命そのものには干渉できない。彼にできるのは、運命に手を加えることだけ。
地上にあれば殺戮皇帝と呼ばれる薔薇の皇帝は、人を殺す時は同じ生物として、自らの手で殺す。それが神ではない皇帝と言う存在の限界。
運命に手を加えることが可能だからこそ、運命に囚われるという矛盾はここにある。
「後悔しますよ」
「しないさ」
「いいえ。きっとあなたは後悔します」
ゲルサの言葉に、ロゼウスは彼女の方を見た。便宜上少女の姿を与えられているが、この空間を出るといつもその顔を覚えていることのできない存在。永遠と言う名の記録の、管理者と言う名の機構。
「それでも、私はこの道を選ぶしかできないんだ。――私も、所詮ただの、愚かな人間だから」
ローゼンティアの吸血鬼は正確には魔族だが、そんな些細なことはどうでもいいだろう。帝国においてはローゼンティア人も人族と同じく人類という分類だ。そして人であろうとなかろうと、ロゼウスとて神と言う名の監視機構に見張られ綴られていく物語の一つであることに変わりはない。
一つ特筆できることがあるというならば――それはこの物語の主人公が、他にないほどに愚かだということだけだ。
何度も自分の選択の愚かさを後から嘆き、未来のことなど考えもせず、それでも「今」を必死に生きていくのだ。
ゲルサはもう何も言わなかった。
そしてロゼウスは彼女の淡々とした忠告を振り切るようにして、地上に戻るために黒い門をくぐったのだった。