薔薇の皇帝 12

059*

 まるで前衛的な絵画の中のような紫の空。葉が生い茂っているのに、枯れ木のようなくすんだ色の木々。あちこちで蠢く、怪しい形の影。
 かつて一度だけ来たことのあるタルタロス。大地の奥底と呼ばれる、地上の死者が赴く冥界の一角。
 両腕を縛られている。
 それは地上では見たことのない物質だった。縄のようなのに銀が含まれているのか、力を込めようとしても水が隙間から零れ落ちるようにすり抜けていくばかりで、反応がない。
 目の前にはあの忌まわしい男がいる。
「目が覚めたようだな。気分はどうだ、お姫様?」
 クレストと名乗った吸血鬼は、ジャスパーを連れてタルタロスの本拠地にまで戻ってきた。美しい顔立ちに、冷酷な笑みを浮かべる。
 ノヴァンゼルの国だという土地の中央に建てられた白亜の城に、クレストはジャスパーを連れてきた。まるで先代皇帝の居城にも似た優美な外観の建物に、ジャスパーは吸血鬼らしくないと感じた。ローゼンティアの建物は城が漆黒の石で建てられ、街の民家は赤い煉瓦造りだ。
 けれどこの冥府では、空の色が違うように自然法則がどうにも地上と違うようだ。彼らノヴァンゼルの吸血鬼が地上に住んでいたときと同じような建材を探した結果が、この白亜の城なのかもしれない。
 なんにしろ、自分はこの土地の、この国の、この一族の中においては異端なのだと感じる。自分はノヴァンゼルではなく、ローゼンティアの吸血鬼なのだ。
 力を奪われ鎖に繋がれた今の様子は、陸に打ち上げられた魚と同じだ。
 けれどクレストは拘束具を嵌めたジャスパーの姿を見て、悦に入ったような笑みを浮かべる。
「ああ、やはり。お前の繊細な面は、地下の闇の中でこそ輝く。ローゼンティアの連中は昔からくだらんことをすると思っていたが……それでお前のような存在が生み出されるのであれば、地上に残った奴らの功績を少しは認めてやってもいい」
 別にローゼンティアの者たちは、ノヴァンゼルに認めてもらいたいなどと思ってはいない。
 他の誰でもない、ローゼンティア王族のジャスパーだからこそ知っている。けれどクレストは、地上の者の言い分など聞く気がないようだ。
「僕を……どうするつもりだ」
「お前は可愛い可愛い私の奴隷さ。お前の元ご主人様がお前を迎えに来て、こちらの罠に嵌まるまでね」
「……!」
 予想されていたことではあったが、案の定クレストはロゼウスを罠に嵌める気だ。
 クレストは口ではロゼウスを見下すような態度をとっていても、実際に力での戦いになったら皇帝に敵うような相手ではない。彼がロゼウスを挑発してジャスパーを連れ去ったのは、自分たちが有利でいられる場所で皇帝を迎え撃つため。
 タルタロスの空気は地上の人間には毒だ。それは地上で長く暮らしているローゼンティア人にとっても例外ではない。
「あんたごときが、兄様に敵うとでも思っているのか?」
 何が望みだなんて、小さな希望すらもジャスパーは聞いてやるつもりはない。どうせ彼らの末路はただ一つ。帝国の反逆者としてロゼウスに抹殺されるだけだ。
 皇帝が来るまでのその短い時間の間に、自分がどうなるのかまではわからないけれど。
「敵うさ。お前はそのための人質だ」
「――兄様は僕のことを何とも思っていない。僕はあの人にとって使える道具。それだけだ」
「それはどうかな?」
「……何?」
 強がりだと断じるのではなく、何か確信を持ってロゼウスがジャスパーのためにここまで来ざるを得ないと思わせるような言葉に、ジャスパーは初めて不安を感じた。
 彼は一体何を知っているのか。
 クレストの手がジャスパーの顎を掴む。
「さて、おしゃべりはこのくらいにして、皇帝が来るまで楽しませてもらおうか」

 ◆◆◆◆◆

「ん……ふっ……んむ……」
 前を寛げたクレストの足の間に入れられて奉仕させられている。
「は、ぁ……」
 ついつい兄に対してする時の癖で上目遣いに相手の様子を窺えば、意地の悪い顔に満足そうな笑みを浮かべていた。
 そういえば、こうして誰かのものに触れるのは酷く久しぶりなのだ。この四千年間、ロゼウスは自分をほとんど皇帝領に閉じ込めて、ロゼウス自身以外との関係をもたせないようにしていたのだから。
「は、ん。さすが皇帝の寵姫といったところか」
 寵姫。クレストが口にした、自分にはあまりにも不相応な単語にジャスパーは眉根を寄せる。
 自分は皇帝の寵姫でなければ、愛妾ですらない。それは女ではないからだとか、弟だからだとか、そんな理由ではなく。
 自分はもはやすでに兄に愛される資格がないのだ。ただ彼だけを手に入れたくて、様々な人を傷つけ貶めて生きてきたのだから。
 閉じた瞼裏に浮かぶのは、冴え冴えとした横顔。冷たい瞳。
 この存在はただ彼のためだけに在り。彼のために消費される。選定者。それは皇帝のために生きる者。
 もう少しで達せさせることができる寸前で、クレストの方から止められた。あえて痛い思いもしたくないからと無抵抗に従っているのを見抜かれているようだ。
「皇帝を骨抜きにしたからといって、私も同じように扱えるとは思うなよ?」
 ジャスパーはロゼウスを骨抜きにした覚えはない。ロゼウスはジャスパー程度なら歯牙にもかけない。
 自分の容貌の美醜くらい判別はつくし、何よりよく似た顔のロゼウスが誰をも魅了する美貌の持ち主だ。目の前のクレストだってそこそこ整った容貌の持ち主なので自惚れるのも無理はないのかもしれないが、それでもジャスパーの価値観から言えば中の上くらいだ。
 それに見た目と閨での奉仕くらいで籠絡できるほど、ロゼウスは甘くない。見た目が優男なので誤解されやすいが、あの兄はその外見に反して意外と強かな一面を持っているのだ。
 そんな彼の魂を救い難いまでに囚えたのは、これまでにただ一人。今はもういない少年の藍色の髪の残影が瞼の裏を過る。
「……私と肌を合わせている最中にまであの男のことを考えられるのは不快だな」
 一瞬物思いに沈んでいたジャスパーがハッと我に帰った時には遅かった。クレストは自分でロゼウスの話題を振ったくせに、いざジャスパーが兄のことを考え始めると途端に気に入らないと言う様子で少年のやわらかい髪を乱暴に掴んだ。
「ああっ!」
「ふ……いい声だ。そういう声が聞きたかったんだ」
 手の中で髪が千切れていく感触を楽しむように、クレストが嗤う。
 隣室に繋がる紐を引くと、やがて使用人ではなくクレストと似た感じの地下の貴族らしい男たちがぞろぞろと部屋に入ってきた。
 四人がかりでジャスパーを拘束する。手足を押さえつけ、服を破くようにして肌をさらけ出された。
「なっ……や、やめ……」
「地上の皇帝のお気に入りを掠め取れる機会なんてそうはないからな」
 クレストの紅い目が冷たく輝く。
「たっぷり楽しませてもらうよ」

 ◆◆◆◆◆

「ん、んんっ、んっ……!」
 後ろにはクレストのものが捻じ込まれ、口にもまた別の男の欲望が突っ込まれる。脇腹を撫で上げる気配が胸に移動して、硬く勃ちあがった乳首を抓りあげた。
「ンァ……!!」 
 悲鳴と嬌声の入り混じった声を上げるたびに、取り囲む男たちからくすくすとさざめくような笑い声が零れる。
「――なぁ、二本って、やってみたことあるか?」
「二本? 冗談だろ? 入るのかよ」
「いや、意外とイケるらしい」
 男たちの会話を聞くともなしに聞いていたジャスパーは青ざめた。
「これだけほぐれてるならなんとかなりそうだぞ」
 一度口の中のものを引き抜かれ、四つん這いになるように体勢を変えられる。
 男の一人が後ろに指を突っ込み、穴を広げるように力を入れた。
「あっ!」
 通常一人を相手にしている時にはない不自然な刺激に、行為に慣れているはずのジャスパーの身体でも動揺が募り、心拍数が増えてくる。
「まず一人目」
 誰かがジャスパーの中に剛直を捻じ込んだ。
「次、誰がいく?」
「やること自体はともかく、お前らと肌を密着させるのが嫌だ」
「じゃあ、私が……」
 もう一人が決まると、身構えていたジャスパーの体に手がかかった。
「あ、んぐっ、ぁああああっ!!」
 さすがに二本ともなると、かかる圧迫感も並みではなかった。初めて身体を開かれた時だってこんなに辛くはなかったという衝撃がジャスパーを襲う。
「ははっ。凄い絵面だな」
 一人優雅に、少し離れた長椅子に腰かけていたクレストが笑う。息をするのも辛い圧迫感に、喘ぐ犬のように舌を出したジャスパーの姿を面白そうに眺めていた。
「いい格好だね。男のものを二本も咥えこんで、不自然なくらい広がった君の穴、真っ赤に腫れた内側を晒していやらしくまくれあがってるよ」
「かはっ……」
 反論したくても、息をするだけで精一杯のジャスパーには無理な相談だった。不幸中の幸いは、挿入した方の男たちもこのきつさに慣れていないらしく、すぐには動き出す様子がないことだろうか。
「なんだよ、お前らみんなして固まって。じゃ、ちょっと楽にしてやろうか」
「ヒァッ!!」
 手持無沙汰な一人が、そう言ってジャスパーの胸元の飾りを弄り始めた。急な刺激に、びくんと体が跳ねる。それが直腸の奥にまで響いて、余計にジャスパーを快楽で貶めた。
「あ、んぁ、ア、アアッ」
 下肢が痺れたように重く動けないまま、胸の飾りをきつく吸い上げられる。そのたびに揺れるのが刺激となって、次第に腹の奥からもじんわりとした快感が広がっていった。
「う、うう……」
 後ろに挿入した二人は、これからそれぞれどう動くつもりなのか。今ですら腹が破れそうに苦しいジャスパーは、それを考えるだけで死にそうになる。
「兄様……」
 音になるやならぬやの微かな声で囁いた。その時。
「なんだっ?!」
 建物の外で響いた爆音に、室内に緊張が走った。一応この地底ではノヴァンゼルの権力者であるという男たちは、一斉に意識を切り替えて窓の外を見る。
 紫の空が、燃える街並みの煙で紅く染まっていた。