薔薇の皇帝 13

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 何も面白いことはない。それが、レクトリアス=ルミエスタの人生。
 他者もそう言うであろうことは予想がついているし、彼自身も自分でそう思っている。
 ルミエスタ王の三十六番目の王子としてレクトリアスが生まれた頃には、もはや誰も彼に期待してはいなかった。
 ルミエスタの強みは後継者候補の多さ。その中から特に優秀な者が選ばれるのは当然として、レクトリアスが物心つく頃にはすでにあらゆる分野で優秀な人材が出揃っていた。
 特に周囲の期待値が高かったのは、第二十四王子のレンフィールド。幼い頃から学院に通い、成長しては世界でも有数の学者として名を馳せる。
 性格面を見て多少眉を顰める輩はいてもそれだけだ。レンフィールドの功績は大きく、誰もが彼に期待をかけた。
 レンフィールドが陽の下の道を歩む中で、見向きもされなかった影の王子。それがレクトリアスだ。
 突出したところのない、どちらかと言えば線の細い印象を与える少年。容色や武芸の腕が格別優れている訳でもなく、自己主張が強い訳でもない。黙ってそこに立っているだけで誰かが注目してくれるような才人ではないのだ。
 レクトリアスは天才という言葉とは無縁の、普通の子どもだった。王子としての業績にはそれなりのものを残しているが、それは総て地道な努力によるものである。
 むしろ、レンフィールドのような天才ではないことが、彼に努力の道を歩ませた。人と同じように苦労して、そこで止まらずに打開策を探し続ける。
 一つの大きな問題に対し、突出したところのない普通の人間が解決のためにできることを示して、あらゆる人々に道を作った。
 天才故の一瞬の発想や閃きに頼るのではなく、ただひたすら検証と実践を繰り返して提示したやり方だからこそ、多くの人々に受け入れられた。
 それは、才能豊かで自陣営を同じように有能な人材で固め、その下で動く者たちの批判や要求を聞き入れて来なかった他の王子たちにはできないことだ。
 レクトリアスの支持者には社交で知り合った貴族よりも、公共事業や領地の運営など仕事を通じて知り合った、市井で一定の権力を持つ者たちが多い。
 そして努力は実を結び、今現在ルミエスタの次期国王を決定する最終候補にまで選ばれている。
 しかしそこでもまた、レンフィールドが彼の前に立ち塞がった。
 レクトリアスとはまた別の意味で貴族離れしているレンフィールドだが、母方の血筋の良さも相まって貴族階級からの支持者が多い。元々学院に通う天才と持て囃されていた彼に近づきたがる人間は多く、その人脈は現在の後継者争いでも十分に発揮されている。
 レクトリアスはレンフィールド個人に対する恨みはないが、次期国王の座を狙う者同士としてはどうしても敵視せざるを得ない。
 いつも無表情でくだらない冗談を言うという彼のそんな一面をレクトリアスがあまり見たことがないということもある。レンフィールド自身も他の王子を相手にする時とレクトリアス相手の時とで態度が変わるらしく、たまたまその場面に立ち会った第三者に驚かれたことがある。
 天賦の才を弛まず磨いた彼の功績には目を瞠るものがあるが、それ故レクトリアスにとっては憎らしい。
 あのようになりたかったという羨望と嫉妬が胸を妬く。継承権争いも、彼になら負けても仕方ないと納得する思いもあれば、ここで彼に負けたら自分は二度と立ち直れなくなるのではないかという恐れがある。
 レクトリアスにとってレンフィールドとはそういう相手なのだ。

 ◆◆◆◆◆

「しかし、いいのかアレ」
「アレ、とは?」
「あの王子、お前のことを嫌っているだろう」
「はっきり仰いますね、陛下。労わりのない発言に私の心は激しく傷つきました。この傷心を癒すために是非とも陛下の御踝をお見せ下さい」
「断る」
 お決まりのやりとりは、この場合は誤魔化しだ。こちらもお決まりの返事をかえして、レンフィールドの答を待つ。
 ここまで巻き込まれたからには、これに関してはそうすんなりと誤魔化されてやるわけにはいかない。
 ゼファードとルルティスの二人も、固唾を飲んで見守っている。
 レンフィールドが一つ溜息をついた。
「……王位継承に関する私の答は、先程お話した通りです」
「ではお前は、奴に気持ちを告げる気はないということだな」
「ええ。これから王という激務につこうという相手を、そんな世迷言で惑わせたくない」
「世迷言?」
 レンフィールドの言葉に、片眉を上げて怒りを示したのはゼファードだ。
「お前のその想いが、世迷言だって言うのか?」
「世迷言でしょう? 異母弟に恋して国の行く末を左右する問題に私情を挟むなんて間違っている」
「それとこれとは別だろ!」
「同じことですよ」
 ゼファードとレンフィールドのやりとりは平行線だ。そしてどちらも引く様子がない。
「まぁ、落ち着けゼファー」
「けど、ロゼウス」
「レンフィールドとルミエスタの問題だ。確かに一般市民の恋愛とは事情が違う」
 王となる以上、個としての自分を捨てなければいけない場面もある。それは確かにゼファードも……ここにいる全員が理解している。それでも。
 ルルティスも年上の友人を案じる眼差しで、これからの彼の生活に対する予測と共に静かにその意志を問うた。
「……レンフィールド殿下がこれから学者として生きるつもりなら、ここで言わなければもうお気持ちを伝える機会は二度とありませんよね」
「都合の良い事です」
「本当に?」
 専門によって多少の差はあれど、レンフィールドの場合本格的に学問の道へ進むとなれば、拠点は学院になるだろう。
 王子としての生活を完全に捨て、一人の学者として生きるようになる。そうなればもはやレクトリアスに会うことすら難しくなる。
「いいのです。そのぐらいの方が、諦めがつく」
 偽りのない諦観に満ちた想いを吐きだして、レンフィールドは静かに目を閉じた。