薔薇の皇帝 14

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 結局、それ以外に方法がないと言うことで、数日間村中での会議を経たのちに彼らは領主の城へと向かった。
 ヘイグ自身も交渉を見守るためと宣言し、商品を馬車に積んだいつもの状態で彼らと一緒にやってきた。城の人間に厩を借りる手際は妙に手馴れている。
「それで、ヘイグ殿への借金を肩代わりしてほしいと?」
 容姿に似合わない豪奢な服を着た領主は、薄気味悪い程に機嫌よく彼らを出迎えた。
 この男は元からこうと言えばこうだった。税の重さについて村人は領主に不満を持っていたが、領主自身はいくら領民から詰られようとどこ吹く風だ。
 案内された部屋の中には、領主だけではなく彼の息子も同席している。
 いつもエリネを妾にしようと口説く領主の息子を、ワットだけでなく他の村人たちも歓迎はしていない。
 しかし今日はこの話し合いにエリネたち若者は同行させていないので、変なちょっかいを出されることもないだろうとワットは考えていた。
 ひとまずそれは置いておくことにして、領民たちはこの機会に領主にあらゆる不満を訴えた後、ヘイグ商会との取引の話を伝えた。
「――いいだろう」
「本当ですか?!」
「だが、その代わり」
 領主の背後でその息子が薄笑いを浮かべている。
「私の息子が小麦亭の娘を気に入っているという話を聞いた」
「!」
「その娘がこの城に来るのであれば――」
「馬鹿な! 俺にエリネを売れと言うのか!」
 皆まで言わせず、ワットは高価なテーブルを叩く。
 この辺りで他の村人たちもようやく領主の真意に気づいた。
「最初からそういうつもりだったのか!」
「ってことは、ヘイグさん、あんた……!!」
 全て仕組まれていたことだったのか。彼らの本当の目的は村人たちから金を巻き上げることではなく――。
「私は別にどちらでも構わないのだよ。君たちがヘイグ商会に借金を作ったところで、私には関係のないことだ」
 立場的には圧倒的に領主が有利だ。例え数を揃えたって、彼らは無力な村人だ。
「だが君たちがこの取引に応じるのであれば、その分の借金は肩代わりしてやってもいい」
 領主と領民は、笑顔と怒り顔という対照的な表情のまましばし睨み合う。
 ワットはもちろん誰もが返答できない中、部屋の外でばたばたと廊下を走るような音が聞こえてきた。
「領主様」
「騒がしいぞ、何事だ」
「そ、それが――」
 顔を出した使用人の一人に領主が状況を尋ねる。しかしその答が返る前に、バンッと派手な音を立てて扉が開かれた。
「冗談じゃないわよ!!」
「エリネ?!」
 響いた声に、領主以上にワットたちが仰天する。乱暴な仕草で扉を開け放ち登場したのはエリネだった。
 彼女一人ではなく、ウォレンやトバイアスなど友人連中も一緒だ。
「やめてよね! 人を借金の形にろくでなしに嫁入りしなきゃいけない悲劇のお姫様みたいな扱いにするのは! あたしは強かな村娘なんだから!」
「お前たち……どうしてここに」
 突然の登場に困惑したのは領主だけではない。エリネの父ワットはもちろん、ウォレンやトバイアスの父親もここにいる。
「この人との取引が不安だったから、私たちは私たちで調べたのよ」
「そのおかげで、とんでもないことがわかったぜ」
 ウォレンとトバイアスがそれぞれ背負ってきた袋の中から、あるものを取り出す。領主と村人たちの間を隔てるテーブルの上に歩み寄ると、それらをずらりと並べた。
「なっ……これは一体……!」
「同じ物……?」
「いいえ、違うわ」
 ウォレンたちが取り出したのは、それぞれよく似た二つの壺や細工物、葉巻や香辛料などの商品だった。
 どれも同じような物でぱっと見の区別はつきにくいのだが、それでもよく観察すれば、一方の品質だけ極端に悪い別物だとわかる。
「まさか……偽物?!」
「その通りよ」
 数日前の小麦亭にて――ロゼはエリネに囁いた。
『あの男がお前たちの父親に売った商品は全て偽物、贋作だ』
 エリネやウォレンたちは、それを聞いて近隣の村や町でヘイグの評判に関して調べ始めた。売れ残りの品物と隣町ですでに流通している品をよくよく比べてみると、素人目にも違いがわかる。これではワットたちが後から売り込んだ品が売れないのも当たり前だ。
 そして途中でヘイグの商売に関して不審を感じているという金髪の少年と出会い、ヘイグがワットたちに売った品物が偽物であるという証拠を揃えることができたのだ。
「こんな取引は無効よ!」
「それだけじゃない! あんたは俺たちの村に偽物を売ったんだ! これは犯罪だろう!」
「親父たちが払った金を返せ!」
 商品自体が正しい物でなければ契約は無効だと、エリネたちはヘイグに迫る。
 しかし。
「おや、無効? 何がですかな?」
「何って――」
「そもそも本物だの偽物だの、あなた方は何の話をしているのです?」
「え?」
 表情を変えないヘイグの平然とした態度に、これまで威勢が良かったエリネたち村の若者衆の脳裏にも不安が過ぎる。
「私はこれらの商品をあなた方に売りましたが、それが『本物』だの『偽物』だの一切口にしていませんよ? 最初からこの品質のものをあなた方に見せて、それをあなた方が買うと決めただけ」
 狼狽えだす村人たちとは対照的に、ヘイグの口調は淀みない。
「それが後から、良く似た品に品質で劣るから金を返せと言われても」
「で、でも! こんな類似品を出したら、間違えるに決まって」
「こちらの値段は?」
「え?」
「品質が違えば、値段が変わるのは当然でしょう? あなた方曰くの『本物』はいくらだったのですか? これを売った人はいくらで仕入れたのでしょう? その値段が極端に違えば、二つは別の商品と判断されるだけです」
「そんな……!」
「安く仕入れたのだから安く売る。当然のことではありませんか? あなた方がそれをせずに品質の違う品物と一括りで同じ値段で出せば当然売れませんよ。その責任まで私どもに押し付けられたくはありませんね」
 エリネたちも、他の商売人が『本物』をどれくらいの値段で仕入れたのかまではさすがに調べて来ていない。日頃からこの道で生きている商人の口には勝てず、どんどん劣勢に追い込まれていった。
「もう諦めたらどうだ? エリネ」
 領主の息子がいつの間にかエリネの傍に寄ってきて、肩を抱こうとする。ウォレンやトバイアスが慌てて間に割って入ってくれるが、今日はいつもと違って息子の方も動じない。
「君たちの財力でこの損失を補うのは不可能だろう」
 彼の方ではもはやこの企みによって勝ちを確信しているのだ。だから強気になれる。
「君が私のものになると言うのなら、借金は片付けてやる。君の家族も今より楽な暮らしができる」
「でも……!」
「ここまで来て、一体何が不満なんだ?」
 領主の息子の言葉に、反射的にエリネ叫ぶ。
「私は……誰かの思惑通りに踊らされたりなんかしたくない! 自分の人生は、自分の意志と力で生きたいのよ!」
 その言葉に。
「いい言葉ですね」
 第三者の爽やかな声が、急にその場に挟まれた。