第8章 荊這う扉
076
世界にただ一人の皇帝と、世界で最高の能力を持つ王子は二人きりになる時間が多い。
「――それに関しては、避けられないのですか」
「ああ。どうにもならない」
「では私はそれを見越した対処をします。ゼファードがもっと動いてくれれば楽なんですが」
「今から言っても仕方あるまい」
朝な夕な、顔を合わせる度に話は尽きない。必要な話無駄な話、過去の話未来の話、フェルザードは様々な話をロゼウスと従った。
「ところで話は変わりますが例の件で……」
「それなら……」
話の多くは帝国を、王国を動かす執務関係だ。ロゼウスにしてもフェルザードにしてももはや息をするように帝国の情勢を見守るのが癖になっていて、彼らが一日まったく仕事のことを頭から追い出す日はない。
「次は……」
ふと、書類に目を落とすフェルザードを眺めたロゼウスは、その横顔に酷く懐かしい面影を重ねた。
その昔彼に似ているようで似ていないとあるエヴェルシード王子とこうしてよく王の執務について話し合った。勿論彼は希代の天才フェルザードに比べれば凡人に過ぎず、こうしてロゼウスと対等に意見を交わし合うというよりも、一方的に教える形となっていたが。
エヴェルシードという国と薔薇の皇帝ロゼウスの因縁は強い。ロゼウス自身が歪んだ執着によってその絆を結び続けてきたために、かの国の歴史には定期的に皇帝の名が刻まれていると言う程だ。
そうして少し考え事をしたところ、フェルザードに声をかけられた。
「ところで、陛下」
美貌の王子はにっこりと笑う。とてもとても綺麗な……嫌な予感のする笑顔だ。
「今ものすごく懐かしい顔をしていましたけど、私を見て今度は誰を思い返していたんです?」
「フェザー……いや、これは」
「だ、れ、な、ん、で、す、か? 言わないとこのまま押し倒しますよ」
「もう押し倒してるじゃないか……」
仮眠室が併設されている執務室などで話すものではない。あっさりと寝台まで引きずられていったロゼウスは、抵抗するだけ面倒だとあっさりとフェルザードの手に身を委ねる。
「わかっていますよ。陛下のこれまでの人生に、いくつもの出会いが、別れが、恋があったなんて」
フェルザードは切なげにロゼウスを見下ろしながら呟いた。
ロゼウスの脳裏には、これまでの人生で出会い別れ、あるいは何も育まないままただ喪ってきた人々の面影が次々に去来する。
しかしその切ない空気は長くは続かない。
「けど、それを私が大人しく受け入れるかどうかは別ですよ!」
ロゼウスの嫉妬深い公式愛人は、彼が僅かな時間過去の愛人とのやりとりを振り返って物思いに耽ることすら許さないらしい。
「あ、そっちの方に行くのか? ここは物分りの良い男らしいところを見せる場面じゃないか?!」
「男の嫉妬を舐めないでください! さぁ、吐いてください陛下! あなたの歴代の愛人にまつわるその記憶、私がしっかりきっちり上書きしてさしあげましょう!」
「勘弁してくれフェルザード」
こういうところを見ると、フェルザードは外見こそ瓜二つでも中身は本当にシェリダンに似ていないなとロゼウスは思う。
似ていないどころか、いっそ正反対と言っていいだろう。フェルザードは常に明るく自信に満ち溢れ、我儘で強引でしかしそれ故自らの魅力にしてしまえる。
シェリダンはその出生のせいで、どんなに表面上明るく振る舞っている時もいつもどこかに陰りがあった。
喪失を傍らに置いてその生き様は自棄としか見られない程に痛々しく、傲慢で、空虚で、それ故に透明で。
嫉妬の仕方一つとってもそれは明白だった。フェルザードの可愛い嫉妬に比べ、シェリダンの想いは深く暗く、お互いに相手を見捨てても見捨てられても生きていけないような気分にさせる。
彼の愛憎、彼への愛憎がこの身に今も荊となって絡みついている。
そのような嫉妬をする人間と言えば、もう一人いたなとロゼウスは思い返す。
それが先程フェルザードのエヴェルシード特有の容姿を思い出して何気なく脳裏に浮かべかけ、今こうして追及されている相手だ。
彼は顔立ちこそシェリダンと違うが、内面は似ていた。恐らくその境遇が似たような精神を生み出したのだろうと思う。
だが彼はシェリダンではない。だから彼は、シェリダンとは違う道を選んだ。
――あんたは皇帝だ。そのあんたの唯一になろうとすればそれはあんたと同じ位置に昇るか、あんたを引きずり下ろすしかない。
「陛下!」
「わかったわかった。そこまで言うなら話してやる」
そしてフェルザードにせがまれてロゼウスは束の間、懐かしい思い出を振り返る。