薔薇の皇帝 15

082

「で、その愛人に陛下はものの見事に捨てられたと」
「そうはっきりと言うな」
 昔話が終わった途端、フェルザードから容赦のない評価が下される。体裁としては「別れた」と言っているが、その状況ならどう見てもロゼウスが彼に捨てられたのだと。
「思ったより軽い関係で何と言うか少し安心しました」
「……悪かったな。想いが軽くて」
「そこまでは言っていませんよ」
 ロゼウスに想いを寄せながらも、それが過去の話であると割り切っているフェルザードの考えはそれ故に余計ロゼウスに対し厳しい。
「単にあなた方はただ臆病だっただけ。深入りしすぎて離れられなくなるのが怖くてお互いから逃げただけ」
「耳が痛いな」
「それぐらいは我慢してください」
 フェルザードが笑顔でロゼウスを抱き締める。
「この私をここまで嫉妬させたのだから」
「お前はいつも嫉妬深いだろ……」
 抱きしめられていると言うのに、感じるのは甘さではなくどうにもちくちくとした空気だ。
 これは本当に怒っているなと、ロゼウスは内心戦々恐々とする。
「当たり前です。今は私こそが、あなたの愛人なのですから。ルルティス=ランシェットにもジュスティーヌ=メイフェールにも、誰にも譲りません」
「では、愛人ではなくなったなら?」
「その時はその時ですね!」
 輝かしい笑顔が妙に怖い。
「……嫉妬しないとは言い切らないのだな」
「私がそんなことを言うと思っていたのですか? 私のあなたへの気持ちが、その程度だと?」
「その程度って……フェザー」
「その程度はその程度です。生憎と、私は諦めが悪いのです。御存知でしょう?」
「よく知ってる……」
 追憶の中に眠る人々と、今隣にいるフェルザードはまるで正反対だ。
 だから救われるのか?
 だから……救われないのか。
「その割にはすっかりと忘れていたようですね。では改めて刻み直しましょうか」
「いやあの……フェルザード?」
 過去があるから今が存在し、今を生きるから未来へ続く。
 当たり前のその事実が、当たり前であるからこそ今もロゼウスを苦しめる。
 どんなに顔形が、魂が似ていても、全てが同じ人間など存在しない。喪った人の相似形を望めば望む程に、その当たり前を確認するだけ。
 誰もが皆、最後には彼と違う道を歩んで行くのだ。
 止められはしない。そんなことは許されない。
 ロゼウスはいくつもの別れを積み重ねていく。
 積み重なった別れの記憶を、そうして折に触れ思い出す。
「私といる時ぐらい、過去を見なくてもいいでしょう」
「……フェザー」
「どうせ共にいられる時間など決まっていると言うのに」
 拗ねる恋人の額にロゼウスは小さく口付けを送る。子ども扱いだとますます拗ねた口調のフェルザードへ、今度はきちんと唇を重ねた。
「……お前は、どんな道を行くんだろうな」
「決まっています。私に相応しい道ですよ」
「……そうだな。お前はそうすればいい」
 目の前に立ち塞がるものは全て粉砕し、足元に積み上がる屍を糧として、荊の鎖を引きちぎっていく。
 このフェルザードの前でならば、どんな固く重い扉すらも自ら開くことだろう。
「お前が未来へ進めることを祈っている」
「言われるまでもありません」

 ◆◆◆◆◆

 ――いつかあんたも出会うだろう。あんたと同じ場所であんたを想い、赦し、理解してくれるそんな相手に。

 祈りは届かない。別れは避けられない。
 何度も繰り返した訣別をまた一つ重ねていく。

「別れましょう」
「さようなら。今まで楽しかったよ」

 声は静かに響く。甘く美しく胸を締め付ける想いを切り裂いて。
 全てを終わらせる扉を開こう。誰もが皆進むがいい。――私だけを置き去りに。

「さようなら、皇帝陛下。私の最初で最後の愛人よ」

 ――それは、皇帝を捨てた男の話。

 《続く》