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それは唐突に訪れた。
「陛下、エヴェルシードより緊急の連絡です! 王弟シアングリード大公の謀反により、内乱となる可能性があると!」
いつものように午後のお茶を楽しんでいた皇帝領の面々は、その報告に顔色を変えた。
「事が起きているのがエヴェルシードならば、内乱は可能性ではなくほぼ確定と見て間違いないでしょうね」
エヴェルシード人の帝国宰相、リチャードが言う。武の王国と呼ばれ戦いによって物事を決めるエヴェルシードに、話し合いで解決などという言葉は通じない。
現在皇帝領に滞在している二人の王子、フェルザードとゼファードも国内の騒乱を鎮めるために戻ってくるよう、エヴェルシード王からの嘆願が添えられていた。
「内乱……王弟ってことは、あのおっさんか!」
「殿下たちの叔父君ということですよね?」
シアングリード大公の名を聞いた途端に悪態をついたゼファードの様子に、説明を求めてルルティスはエヴェルシードの王子たちを見つめる。
その問いに答えたのは、兄王子のフェルザードの方だった。いつもと変わらぬ優雅な手つきで陶器の杯を受け皿に戻したエヴェルシード第一王子は、自分とよく似た顔立ちの学者に説明する。
「王弟シアングリード大公。昔から王になりたいという野心を隠しもしない人物でした。それでも彼自身の手腕に間違いはないので国王の弟という立場もあって、相応の領土と権力を与えられています」
「そんな方が、何故今になって謀反を? 国王陛下はまだ健在で、対外的には二人の王子も王位継承権を持っているのに」
「だからこそ、だろうな」
鼻を鳴らしながらゼファードが言う。
「あのおっさんはフェザーに王位を継いでほしくないんだ」
第一王子のフェルザードは、能力的に次期国王として申し分のない青年だが、あろうことか皇帝の愛人になる宣言をして十年前から皇帝領に入り浸っている。その話自体は誰でも知っている有名な話だが、彼の王位継承権が正式にどうなっているのかエヴェルシードの現国王である彼らの父は明らかにしてはいない。
しょっちゅう皇帝領を訪れているとはいえ、フェルザードも王子としての仕事はしている。現にルルティスが初めてこの城を訪れた時、彼は王子として自国に帰省していた。別に男皇帝の愛人宣言をしたからといって王陛下に勘当されたわけではないので当たり前である。だが、その当たり前のためにフェルザードが自国で父王と弟王子の権力まで維持しているので、シアングリード大公としてはやりにくいことこの上ないだろう。
大公の敵はすでに兄王ではなく、その長男であり継承権への興味を失しながらなおもエヴェルシード王家の権威を維持する第一王子フェルザードなのだ。幼い頃から優秀だったフェルザードは大公が力をつけ始めた頃にはすでにその前に王子として立ち塞がっていた。
フェルザードの実力は父王よりも上だ。現国王が退位して、万が一フェルザードが王位につくとしたら大公には国王の座を奪う機会がなくなる。そのために今この時の謀反なのだろうとエヴェルシードの王子たちは推測した。
「まぁ、こちらとしてもちょうど良い頃合いですけどね」
「ちょうど良い?」
フェルザードの不思議な言葉にルルティスが首を傾げると、それまでロゼウスの騎士として背後に控えていたエチエンヌが口を挟んだ。
「そういえば……殿下の約束の十年って、ちょうど今頃じゃないですか?」
「約束の十年?」
怪訝な顔をする面々に、エチエンヌも何かを計りかねる顔で説明した。
「確かロゼウスとフェルザード王子の約束ですよね。それと、エヴェルシード王陛下にも説明済みだとか」
「エチエンヌ、何故お前がそんなことを知っているんだ?」
驚いているのは、当事者であるロゼウスとフェルザードだった。確かに彼ら二人の約束にこの十年が含まれるが、それを何故エチエンヌまで知っているのか。
ロゼウスは黒手袋をはめた方の手で口元を抑えた。彼の白い肌に目立つその手袋は数か月前から片手にだけはめられているものだ。
「王陛下に、何故フェルザード殿下の継承問題を曖昧なまま放置しておくのか尋ねたことがあるんだ。他国では政治上の駆け引きで通用しても、エヴェルシードではそういうことって滅多にないでしょう?」
その昔エヴェルシード国王の小姓をしていた経験のある少年は、ある意味エヴェルシード人以上にエヴェルシードというものを知っていた。
「確かにそんな約束しましたね。理由は簡単です。あの時すぐに私の継承権放棄を発表したら、王弟の狙いは私から、まだ幼いゼファードに移ったことでしょう。それを防ぐためですよ」
「え? 俺?」
急に話が自分のことになり、ゼファードが狼狽えだした。
「そういうこと。エチエンヌの目の付け所は正しいですよ。その通り、私と陛下の十年の約束というのは、今日この時のことを指していたんです」
そして兄は弟を見つめる。
「ゼファード、私たちは待っていたんだよ。継承権を放棄した私ではなく、次期国王の立場に臨む者として、お前が叔父上と対等に渡り合えるよう成長するのをね」
勇者業に勤しみ、ほとんど王国に帰らないゼファードだが、フェルザードと同じく帝王学は修めている。特にここ一年は皇帝領で兄がびしばしと鍛えたおかげで、王子としてなら能力は申し分ない。
けれどゼファードが王位を継がないと思っている理由、それはフェルザードという、自分よりはるかに優れた兄の存在。その兄が言う。
「ゼファード=スラニエルゼ。君こそがエヴェルシード王になるべき人物なんだから」
◆◆◆◆◆
「どうして私は留守番なんですの?!」
「いや、どうしてと言っても……」
話し合う必要すらなく皇帝領に置いていくことを決められたジュスティーヌは不機嫌だ。手袋の上からでもわかる骨ばった細い手が、扇を握りしめる。
「わかってくれ。お前の体のためだ。終わったらすぐに魔術で呼ぶから」
ロゼウスは子どもを宥めるようにジュスティーヌに言い聞かせた。
他の時ならばまだしも一国の内乱に、他の国ならばまだしもエヴェルシードになど病弱な彼女を連れていけるわけがない。
明るく元気そうに振舞ってはいるが、ジュスティーヌの病弱さは普通ではない。ただでさえ気の抜けない状況で、いくらロゼウスといえど彼女を気遣う余裕はない。ジュスティーヌはこういった状況では留守番が皆の脳内で決定されていた。ただ一人、当人である彼女自身を除いて。
しばらくさんざん不満を口にしたジュスティーヌだったが、疲れはじめたようで少し息を荒げながら最終的には納得の様子を見せた。
彼女自身自分の身体のことは自分でわかっている。この我儘は、いわば言ってみたかっただけのもの。それがわかっているからこそ、ロゼウスは決して声を荒げたりせず、ただ淡々と彼女を説得する。
「今も顔色が悪いな。私たちがいない間、ゆっくり休め」
厚い化粧でも誤魔化しきれない蒼白を見て取り、ロゼウスは労わる眼差しを彼女に向けた。
「……わかりましたわ。陛下がいない間、ゆっくり準備したいこともありますし」
「準備?」
「ええ、そう。大切な準備ですわ」
そこでジュスティーヌは、にっこりと笑う。
ようやく機嫌を直して彼女が納得してくれたので、ロゼウスはそれを不思議に思ったものの、深く追求することはしなかった。
それが後にあんな騒動に発展するなどとは、この時はまさに夢にも思っていないことだったのだ。