098
やっとたどり着いた王城の正門で、彼らは馬を降りた。
部隊長は亜麻色の髪の少年に尋ねる。
「いかがなさいますか?」
「面白い話だ。少し待ってこれを聞いていこう」
折しもそれはフェルザードが、自らが三十四代の皇帝であると拡声装置を通じて全国中に明らかにした時だった。戦いの手を止め、馬からも降り、砦から王城に戻ったばかりの彼らはその衝撃の放送を聞く。
「ふん……なるほどな」
第一王子と皇帝の別れ話に、亜麻色の髪の少年は面白がるように耳を傾けた。
「ん? ――なんだ。入り口の方が騒がしいな」
「あれは……」
その時、シアンスレイト城の入り口では、一つの騒動が起きていた。
◆◆◆◆◆
先程の第一王子が発表した“次期皇帝”の話、そして彼と現皇帝の別れ話に、エヴェルシード内は騒然となっていた。
元より自国の王子と皇帝の恋愛、もとい愛人関係のことなど、エヴェルシードの民は気にも留めていなかった。同性ということは、女性とも見紛うロゼウスの容姿や、老若男女問わず虜にするフェルザードの物腰を少しでも知っている者であればさもありなんと納得できる程度の要素でしかない。
けれど、殺戮の皇帝と呼ばれながらもこの世界を四千年間治めていた実力者である皇帝ロゼウスと、その皇帝を超えたとされるフェルザード王子。彼らの交際、そして公衆の放送で堂々と宣言された別れに関して、人々は動揺していた。
フェルザードは子どもでも理解できるよう平易な言葉ばかり用いていたし、ロゼウスも小難しい内容をしかつめらしく宣言したわけではない。けれど、この瞬間はまさしく帝国にとって歴史の変わる一瞬と言えた。彼らは歴史の変換点に立ち会ったのだ。二人の人物の別れという形の。
もしもフェルザードが皇帝となってもロゼウスと一緒にいたいと言うのであれば、話はそんなに大袈裟なものとはならなかった。フェルザードはロゼウスの治世下で生まれ、生きている。ロゼウスを手元に置き続けることは、フェルザードが後を継いだだけでロゼウスが四千年をかけて維持してきたものをその継続させるということ。
けれど彼は、はっきりと別れを告げた。
フェルザードの歩く道のりと、ロゼウスのそれは交わらない。だから別れるしかないのだと。フェルザードは先達のやり方を踏襲するのではなく、新しい風をこの帝国にもたらすと宣言した。
炎。それは全てを破壊し、破壊の後に再生をもたらすもの。
ロゼウスは自らの手の甲に浮かぶ蒼い炎に口付た。
「――時計の針は一巡りし、歪みは正された」
「ロゼウス?」
拡声装置と呼ばれる機器の存在する部屋でロゼウスの動向を見守っていたゼファードが、不思議そうな顔をする。
「なんでもないよ。さぁ、行こう。シアングリードの望む、フェルザードの王位継承権放棄の正当な理由はこれで示された。あとは反逆者の処遇を決めるだけだ」
「あ、ああ」
明らかに兄と皇帝の関係が気になっているゼファードだが、そうして目先の解決しなければならない問題の話題を振れば、なんとか気持ちを切り替えるようだった。
「そうだ。俺はこれから――王太子として叔父上を裁かなけりゃならないんだ」
暗く沈みこんだ顔をするゼファードの肩を慰めるように叩き、ロゼウスは彼共々先程の謁見の間へと戻ることにした。
世界は変革する。だがそれは一瞬で何もかもがこれまでとひっくり返るようなものではない。何かを変えたいと思うなら、今まで以上にこの日常の一瞬一瞬に対し、力を尽くさねばならない。
その時、鎧の板金をガチャガチャと煩く鳴らして兵士が駆け込んできた。
「殿下! 危急です!」
「どうした?」
「大公閣下が兵士たちを振り切って逃走しました!」
「!」
王弟は実力者だ。一騎当千の強者に、十把一絡げの兵士が対抗するのは難しい。
普段ならそれでも数でもって相手を拘束することが可能だろうが、良くも悪くも先程の放送がエヴェルシード兵士の動揺を誘ったらしい。王弟はその隙をついたという。
往生際が悪い、とロゼウスは吐き捨てた。
「今更大公に味方する人物がいるとも思えないが」
「だからってあっさりと殺されてくれる奴もいないだろ。くそっ、俺の失態だ」
フェルザードが次の皇帝である以上、現王家の意志はもはや絶対だ。だからこそフェルザードはゼファードが自分の力で王弟を下すまで裏方に徹した。皇帝の威光ではなく、ゼファード自身の力で次の玉座を勝ち取ったのだと周囲に認めさせるために。
「よりによって、父上を人質にとるなんて!」
「それだけ向こうも必死なのだろう」
王弟は身一つで城の中を逃走しているわけではなく、その時謁見の間にいた国王を拘束し、彼を人質として伴って逃げたらしい。他の兵士たちは武器を持っているし、アドニスやアルジャンティアも空手でも戦う力を持っている。だが、この作戦の囮であり、玉座に坐して大公をおびき寄せた国王は今日は剣を外していた。
そしてフェルザードとゼファードの父親とは思えぬほどに、現国王は弱い。他国で一通りの武芸を嗜んだ国王としてなら普通だが、エヴェルシードの実力基準では最底辺に位置する。
報せを受け、ロゼウスたちは王城内を駆けまわっていた。
すでに敗走が決定している以上、大公は城の外へ向かうしかない。だとすれば、逃走範囲もかなり絞れることになる。
父王を人質にとるなど一時しのぎでしかないことはわかっている。ゼファード相手だからまだ効果があるか、フェルザードが城に戻ってきたらどうせ後継者のゼファードが無事なのだから二人まとめて殺ってしまえという命令を下しかねない。どちらかと言えば、その方が恐ろしい。いまや謀反を目論んだ王弟よりも、名実ともに世界最高権力者の地位を得る兄の方が身内にとっては恐怖の存在だ。
王弟はいまや警備の裏をかくほどの余裕もなく、まっすぐに城の正門入口から逃げようとしているらしい。
一度はゼファードに屈したはずの彼が、その意思を翻して逃げた理由はゼファードにはわからない。ただ、わからないまでもゼファードは誰も死にたくないのが普通だろうと考えている。
一方のロゼウスは、なんとなく王弟の意図に気づいていた。しかしそれを、今ここでゼファードに教えるつもりはない。
正門に辿り着いた。
そこでは、思いもかけない光景が繰り広げられていた。
◆◆◆◆◆
そこにやってきたのは、一人の男を片腕で引きずったエヴェルシード貴族の男だった。彼はルルティスの記憶の中から、その男に関する情報を引き出す。
ああ、そう。これがシアングリード大公。今回謀反を企んだ王弟だ。そして先程の放送で、王太子となるべき王子に敗北したと堂々宣言されていた人物。
出口を塞ぐよう彼らの前に立ち塞がった少年と兵士たちの姿を認め、王弟は怪訝な顔をした。
だが判断は素早い。邪魔な荷物であるところの人質を突き飛ばすようにして捨てると、王弟は一行の中央に立っていた亜麻色の髪の少年に向けて斬りかかってきた。
そして。
「お前ももう休むがいい」
慈悲さえ感じられる口調で、少年は王弟を斬り捨てる。
袈裟懸けに皮膚を裂いて動揺を与えたところで、今度は急所にしっかりとその剣の刃を埋め込んだ。
剣の軌跡が人の目に消え失せる前に、すでに傷口から夥しい鮮血が流れ出す。
血に濡れた手で反射的に少年の衣服を掴んで体勢を支えようとした王弟の耳元に囁く。
「このエヴェルシードで、敗者として生き永らえるほど苦痛なことはないからな」
「お、まえ……」
大人しく処刑を待つなんて柄ではない。かといって逃げ出して再起を図る気もない。
戦いの中で死にたい。それだけがエヴェルシードの本能。
「おやすみ。ダードリク=エヴェルシード」
その言葉を最後に、王弟の意識は冥府の闇に消えた
「叔父上! 父上!!」
城の中から、数人の人影が飛び出してくる。一人は王弟を叔父と呼び、人質となっていた国王を父と呼ぶことからゼファードとわかる。もう一人は。
「ロゼウスか」
「ルルティス? 戻って――」
彼の姿を目にした瞬間にロゼウスの言葉が途切れた。
「久しぶりだな」
真紅の瞳を愕然と見開いて、信じられない面持ちで彼の名を呼ぶ。
見慣れた顔の亜麻色の髪の少年が、今はもっと見慣れた相手にしか見えなかった。
「シェ、リダン?」
帝位を無事にフェルザードが引き継ぐことになり、これで全てが終わったのだとロゼウスは思っていた。
けれどもしかしたら、薔薇の皇帝の物語は、この時から本当に始まったのかもしれない。
《続く》