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エヴェルシードの謀反に乗じて周辺諸国の複数貴族が計画した犯罪の片をつけて戻ったところで、ロゼウスはいつもの皇帝領の面々に出迎えられた。ちょうどエヴェルシードで編成した部隊を借りたローラとエチエンヌもロゼウスより少しだけ早くこちらに戻ってきたところらしい。リチャードも一度顔を出したものの、すぐに書類仕事をするために別の部屋へ向かったという。
「ロゼウス様」
駆け寄ってくる、見慣れた十五歳の姿をしたローラの頭に手を置く。
「ご苦労様。じゃあ、また昔の姿に戻るか?」
仕事のために一度姿を戻したが、またシェリダンと顔を合わせるなら昔の姿の方が良いだろう。そう思って術をかけようとしたロゼウスに、ローラは一歩身を引き、その手を避けることで答えた。
「いいえ。これでいい。もういいのです」
「……ローラ」
小さな笑みを浮かべたローラが、涙交じりの声で言う。
「わかっているのでしょう。――シェリダン様から伝言です。“焔の最果て”で待つ、だそうです」
シェリダンが意識を表層に浮かべていられる時間はもう半日もない。とは言っても三日という長さ自体、どこからどこまでと明確に期限を切れるようなものではなかった。それが少し早まったのか、もともとそういうつもりだったのかは知らないが、シェリダンはもう――。
「私たちはもう皆、御挨拶を済ませました」
再会したときこそ色々と取り乱しもしたものの、今のローラは随分と落ち着いていた。エチエンヌもこちらにやってきて、姉の横に並びロゼウスを見つめる。
「行ってあげて。――これがきっと、最後です」
◆◆◆◆◆
“焔の最果て”とは、エヴェルシード王族の墓所を言う。ロゼウスは四千年前に何度かシェリダンと訪れたことがある。しかし、シェリダン自身はこの場所に埋葬されたわけではないため、それ以来足を踏み入れたことは稀だ。
四千年前、皇帝になったばかりのロゼウスはこの国自体にほとんど訪れることをしなかった。あの時はまだ精神的に不安定で、何かあるたびにエヴェルシードばかり優遇してしまうだろう自分に気づいていたから。それではいけないと思いあえて距離を置いた。
おかげで世界各国全てに公正な態度をとることはできたが、その代わり後に女傑王と呼ばれることとなったカミラの葬儀にも、ロゼウスは簡単な悔やみを述べることぐらいしかできなかった。ローゼンティアの女王となったロザリーのように身内ならばともかく、公的にはロゼウスがエヴェルシードの女王と親しくする理由などなかった。
今、この時代にフェルザードやゼファードとの縁でエヴェルシードを何度も訪れているのが異例の事態なのだ。もっともそうなるように事を仕向けているのは大体フェルザードの手腕なので、誰も文句など言わないが。
待ち人は薔薇の中に埋もれていた。彼が自分を待っていたのか。それとも自分が彼を待っていたのか。
「ようやく来たか」
振り返った横顔、影のある笑い方。強烈な既視感に、今が一体いつなのかもわからなくなりそうだ。彼の瞳を見ているとまるで四千年前の出来事が、昨日の続きのように思えてくる。
そして実際、ロゼウスにとってそれは錯覚でも、シェリダンにとっては事実そのままだ。
今日と言う日は四千年前の出来事の続き。死者である彼にとっては間違いなくそう。
「シェリダン――」
誰もいない本当の二人きりになって、ロゼウスはようやく、万感の想いを込めてその名を呼んだ。
「何故何も言わないうちから泣きそうなんだ、お前は」
シェリダンが苦笑し、赤い薔薇の波をかき分けながら歩み寄ってくる。周囲の花々を見渡して溜息をついた。
「一体いつからこの場所はこんな風になってしまったんだ?」
四千年前の墓所はこんな風に薔薇に埋もれてはいなかった。それを知っているシェリダンは驚いたように笑っている。その顔でさえも懐かしい。
「カミラが……カミラの望みだったと」
「そうか」
それきり、会話が途絶える。
何を話せばいい。何なら口にできる。
意図せず無言で見つめ合うような形になる。
言わなければいけないことはたくさんあるのだろう。――謝らなければいけないことも。
彼を殺したのはロゼウスで、彼はすでに死んでいるはずの人間で。ああ、でも、けれど。
「――会いたかった」
滑り落ちた言葉は、頭で考えたものではなかった。
その肩を捕まえるようにして胸に飛び込む、逃げることを許さないように背中に回した腕で強く抱きしめる。
一瞬驚いたように所在無げだった相手の腕は、次の瞬間にはすぐにロゼウスの体を抱きしめ返してきた。
その腕の感触よりも力加減がシェリダンそのもので、ロゼウスの唇からは止め処なく想いが零れ落ちる。
「会いたかった……!! ずっと、あんたに、会いたかった!! シェリダン――」
言わなければいけない言葉と、言いたい言葉は違うのだ。
「私も」
耳に言葉が滑り込んでくる。
「私も、会いたかった」
息もできないほどにきつく抱きしめられる。まるで縋りつくように。
「あんたを殺してまで皇帝の座なんていらない。そもそもそんなもの最初からいらなかったっていうのに、あんたのいない世界を俺は生きて、人であることを捨てながらもただ生きて――」
「ロゼウス」
二人ともお互いの言葉など聞く余裕はない。だが次にシェリダンの唇から零れ落ちた一言には、ロゼウスは反応せざるを得ない。
「愛している」
涙が溢れた。
「シェリダン、シェリダン、シェリダン……っ!!」
ロゼウスは呼びかける。これまで何度も口にしてきた名。愛しい名。だが相手がもうこの世界にいない以上、「呼びかける」ことはできなかった。反応する相手がいない以上ただの記号でしかなかった音の羅列を、ようやく彼の名前として呼びかけることができる。ただそれだけで、胸が震えた。
「会いたかった。ずっと、一緒にいたかっ――」
嗚咽が胸を塞ぎ、言葉をせき止める。
「なんで、なんで死――、俺は、あんたを殺したくなんか、なかったのに――」
愛しさや寂しさの裏返しが、いくつもの詮無い恨み言となって零れ落ちる。殺した方が責めているというのに、ロゼウスよりもシェリダンの方がよほど罪悪感を抱いたような顔をしていた。
「……お前がまさか、四千年間も生きるとは思っていなかった」
考えもなく身動きした彼らに踏みにじられた薔薇の香りが立ち昇る。
「忘れろと、言っておけば良かったな。忘れるななんて言わなければよかった。お前はもっとはやく、私のことなど忘れて幸せになれば良かったのに」
「そんなことできるわけないだろ!!」
叫んで、ロゼウスはより一層シェリダンにしがみつく。
愛しい。憎い。恨んでいる。愛しい――。
「お願い。傍にいて。もう離れないで。どこにも行かないで」
無理だと、不可能だと、叶わない願いだとわかっているほどに、想いは狂おしく胸を衝く。
誰かと出会ったその瞬間、別れを意識せずにはいられない。ロゼウスはずっとそうだった。シェリダンを失ったその時から。
この世界は変わったと、彼らは変わったとシェリダンは言う。
けれど変わらないものもある。シェリダンに向けるロゼウスの想い。箱庭の物語は、この四千年間ずっとその時を止めていた。
幾度夜を数え朝を迎えようと、何も変わらない。シェリダンがいない世界など。
そしてついにロゼウスは、その言葉を口にしてしまった。
「ルルティスを殺せば、もう一度お前が出てくることも可能か?」