薔薇の皇帝 20

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 美しさは罪と言う言葉がある。彼女を見た者はその言葉を思い出す。
 それほどまでに彼女は美しい。

 ◆◆◆◆◆

「離してください! お願いです! どうかその手を離して!」
「うるさい娘だ! 貴様は御領主様に見初められたのだ! 光栄に思うがいい!」
「いやぁ! やめてよ! 私は三日後に結婚式が――」
 言いかけた娘の頬を張り、領主の部下の男は強引に娘を引きずっていく。彼女の婚約者だと言う青年が恋人を取り戻そうと役人の群れに押し迫った。
「アニー!」
「あなた! お願い! 助けて!」
 目の前で安っぽい悲劇のような引き裂かれる恋人たちの姿が繰り広げられる。傍目から見れば安っぽい悲劇だが、当人たちにとっては笑い事ではない。
 もっとも、だからといって彼女がそれを救ってやったり男たちを取り押さえてやれるかというとそれは違うのだが。
「ねぇ、ちょっと」
「あぁ? なんだお前、俺たちは今忙しい――」
 このド修羅場に堂々と話しかけて来た彼女に男は強面を見せつけたのも束の間、すぐにぽかんと口を空けた。
「なぁに? 町中の美女を集めていると聞いたからせっかく来てやったのにその態度? あたしはあんたたちがお探しの美女じゃないわけ?」
「そ、そんなことはっ。おい、お前ら、見ろよこの女!」
 男の言葉に、暴れる娘を取り押さえるのに必死だった者たちの視線が全て彼女に集まる。あろうことか、押さえつけられていた当の娘さえ彼女を見ると逃げるのも忘れ声を失った。
 美しさは罪という言葉がある。
 目の前の少女は、まさしくその言葉に相応しい。
「あたしの美貌に文句のある奴はいないわね? じゃあさっさと連れていきなさいよ」
 彼女は思わず道をあけた男たちの目の前を通り、攫われて馬車に押し込まれていた娘の横に自分から腰掛ける。
「この美しいあたしに縄をかけるなんてこと、許さないわよ!」
 そう言い放つと、そのまま淑女らしからぬ乱暴な仕草で、粗末な檻つきの荷馬車の荷台で胡坐をかいた。迫力に押されて男たちは彼女に縄をかけることを忘れ、動きの止まっていた娘もついでとばかりに押し込んだ。
「ま、待って! 私は!」
「黙れ! これでようやく人数が揃ったんだ!」
 どさくさ紛れに檻の中に押し込まれてしまった娘は鉄の棒を掴んで叫ぶが、男たちは取り合わない。人数合わせの最後の一人が絶世の美少女で、それも自分から飛び込んで来てくれたのをこれ幸いとばかりに馬車を出す。
「アニー!」
 婚約者の男が叫ぶが、誰かに腕を押さえこまれた。いつの間にか領主の部下たちが足元に倒れている。
 そして彼の腕を掴んで動きを止めているのは、喪服のような黒を身にまとった少年だった。
「大丈夫です。しばらく待っていれば、娘さんたちは何事もないまま無事に帰ってきます。何故なら――」
 少年は檻の中から振り返ってこちらを見ている美少女の名を口にした。
「ディアドラ様が一緒ですから」

 ◆◆◆◆◆

 その町の領主は色好みで有名だった。
 金がある時はまだいい。名の売れた高級娼婦を侍らせて相手をさせる。しかし近頃の落ち目で資金が尽きてくると、領内や近隣の町の美しい娘たちを部下に攫ってこさせるようになった。
 噂によればその昔一人の少女を手に入れんがために村一つ滅ぼしたという噂のその領主が何故皇帝に粛清されることがないのか、被害にあった町の住人たちも不思議がっているところだった。
 万能と噂の皇帝がさほどの罪でないと目零しをしてやるには、人の妻だろうと婚約者だろうと片端から攫っていくこの領主はあまりに横暴ではないかと。
「お、お前は町の者ではないな」
「どうだっていいでしょ? そんなこと。あたしの美しさに何か問題でもあるわけ?」
「い、いや。そんなことは……」
 気の強いという言葉程度では言い表せないその態度に、領主の部下たちは何故か押され気味だった。目の前の少女はあまりにも美しすぎるので、間違っても醜いなどとは言えない。
 まるで自らの城に帰るがごとく横柄な振る舞いのその少女に、誰も何も言えなかったのだ。
 そして少女は不自然なまでに呆気なく、領主の前へと通される。町から攫われてきた他の娘たちも一緒だが、町では皆評判の美女と呼ばれた彼女たちですら、少女と並べば自然と下女のように見えてしまう。
 本来理不尽なこの状況に取り乱して泣き叫んでいてもいいはずの彼女たちでさえ、このあまりにも堂々としすぎた少女の態度が不思議で恐ろしく、素直に怯える余裕すらもなかった。
 こんな有様だから、女たちの先頭に立った少女の姿は誰よりも早くはっきりと領主の目に入った。
 これはまた鄙には稀な――考えかけたところで、領主はその顔に見覚えがあることに気づく。
「お、お前は!」
「久しぶりね! このエロ領主! 今日こそ引導を渡しに来てやったわ!」
 無理矢理町から攫われてきたとも、領主に取り入って妾の座を得ようとしているとも思えない乱暴な態度で少女は声をあげた。
「五年前の亡霊があんたを殺しに来てやったわよ!」
 領主は床よりも高く作られた席にいるが、顎をそらして胸を張る少女の姿に自然と見下されているように感じた。少女は美しいが、それ以上にその表情に恐ろしさを感じる。
「お前は――ディアドラ! 生きていたのか!」
「ああ生きていたともさ! あんたに復讐するまでは死んでも死にきれないね!」
 目の前にあった贅沢なテーブルを蹴り倒してディアドラは言った。翻るスカートが果物の汁に汚れるのも構わない。
「町の人たちの暮らしはどんどん苦しくなるってのに、あんた一人だけ女侍らせて御馳走食ってるとは良い御身分じゃない?」
「と、当然だ! わしはこの町の領主なのだぞ! 衛兵! 何をしておる、この娘を捕らえよ!」
 追い込まれた悪党の見本のように部下を呼んだ領主は、次の瞬間返事と足音が返るものと期待した。しかし控えに繋がる廊下からは誰の足音どころか、気配も伝わって来ない。
「無駄よ。この城に残ったあんたの部下、全員殺す手はずになってるから」
「何っ!」
 ディアドラがパチリと指を鳴らすと、廊下から何人かの男たちが倒れて来るのが見えた。それだけではなく、領主は自分自身の首筋にも、ひやりと冷たい金属の刃を感じた。
「貴様!」
 領主の首に刃を突きつけているのは少年だ。眩い金髪は明らかにこの国の人間ではなく、喪服のような黒い服を身にまとっている。
「わ、わしを殺せばどうなると思っ」
「とりあえず今よりは良くなるんじゃないかしら」
 にべもなくディアドラは言い放った。やりとりを聞いていた他の娘たちは、まだ囚われの身である手前頷きこそしなかったもののその内心はディアドラと同じだった。
 彼女は更に一枚の紙片を掲げる。
「この町の領主をあんたの遠縁の男爵が継ぐという書類よ」
「何故お前がそんなものをっ!」
「何だっていいでしょ。あんたなんてもう貴族としてこの帝国にはお呼びでないのよ! わかる?」
「黙れ!」
「黙るのはあんたでしょ。――永遠に、ね」
 ディアドラの可憐な唇が動き、セス、と名を呼ぶ。それは彼女の下僕である、喪服の少年の名だ。
 そしてそれが最後の合図だった。
「あ――……」
 領主の首は最後の一音、形にならない言葉の名残を発しながらそのまま地に落ちる。
少年が目にも止まらぬ速さで引いた刃が見事にその首を切断していた。
「きゃああああ!」
 娘たちの悲鳴が上がる中、ディアドラは物怖じもせず転がった首へと歩み寄る。そしてすでにもの言わぬその首にヒールが汚れるのも構わず足を乗せた。
「これがあんたにお似合いの最期よ」
 嫣然と笑うその表情は、今目の前で人一人殺させたとも思えず美しかった。

 ◆◆◆◆◆

「ディアドラ様、この方々は」
 領主の死体を投げ捨てたセスは、現在の主人であるディアドラに歩み寄りながらここまで連れてこられた他の娘たちの処遇を聞いた。
「村へ返しときゃいいでしょ。ここにいたらまだあの馬鹿の部下が残ってた時に言いがかりつけられそうだしね。ほら、行くわよ」
 ディアドラは手近な一人に手を伸ばす。
「あっ……!」
 しかしその一人は、思わずと言う様子で彼女の手を振り払った。ディアドラと一緒に馬車に押し込まれた、三日後に婚約者と結婚するはずだった娘だ。
 娘は自分でもどうしていいのかわからないという表情をしている。そういった顔を見せるのは何も彼女ばかりでなく、集められた女たちの全てがそうだった。
 彼女たちにとっては忌まわしい領主も、その領主を笑いながら殺すように指示を出したディアドラも同じなのだろう。――日常の生活に対し異質な者として。
「……仕方がないわね。じゃ、あんたたちは自分で帰ればいいわ。子どもじゃないんだし大丈夫でしょ。それとも遠方から連れて来られたとかいう人はいる? ――いないわね。ならよし」
 馬車には乗せられたがそれは多人数を運ぶためのものであってこの館から村までそれほど距離があるわけでもない。送る義理もないだろうと、ディアドラはその場で投げやりに手を振った。
 我に帰った女たちは、一目散に館の玄関を目指す。
 あとには、ディアドラとその下僕であるセスだけが残された。
「ディアドラ様……」
「いいのよ、セス。いつものことだし」
 そして彼女たちも領主の死体に一瞥くれると、扉へと向けて颯爽と歩きだした。
「ここからが、ようやく始まりよ」