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生まれながらの罪というものがある。
存在するだけで悪と呼ばれる者がいる。
彼女の美しさは、言うなれば「それ」だった。
もちろんそれは、彼女のせいではない、彼女を責める謂われのものではないけれど。
ディアドラと名付けられた娘が生まれたのはアストラスト王国辺境の田舎村だ。強欲な領主の我儘に多少振りまわされてはいたものの、村は概ね平和で人々は幸せと言っても良いだろう、その平穏を教授する暮らしを紡いでいた。
ディアドラの両親は二人とも彼女にそれぞれ似ていた。否、順番からいえばディアドラが両親に似ているのだと言うべきだろう。娘は父と母の容姿をそれぞれ最高の形で受け継いで、両親と似てはいるが両親を遥かに凌ぐ美貌を持って生まれたのだった。
小さい頃はただの可愛らしい子どもで済んでいたディアドラも、十を過ぎた頃から人々の耳目の中心となるようになった。まだ胸も膨らみきらぬ少女ながらその美しさ故に、村の男たちの視線を釘付けにするようになったのだ。
それでもディアドラにとって幸いだったのは、村の者たちが老若男女問わず気性穏やかで平和的な人々であったことだろう。大人たちはあの子は美人になるねと見守り、若者はいつか彼女が大人になったらと夢を膨らませ、ディアドラと同じ年頃の少年たちはこぞって誰が彼女を射止めるか競い合っていても、それでも村の中にいる限り彼女の周りは平和だった。
そして彼女にとっての不幸は、一歩村の外に出ればそんな人間ばかりとも言っていられなくなったことだろう。ディアドラを不幸にした諸悪の根源は彼女の住む村と幾つかの町を治める領主、そして国王だった。
ある日見回りと称して村へとやってきた領主はまだ十を一つ越えたばかりの歳のディアドラに目をつけた。そして幼い娘の両親に娘を売り渡すよう命じた。
平和な村で生まれ育ち当人たちも平和的な性格の両親はもちろん断った。金に困窮しているわけでもないのに、娘を売るなど考えられない。彼らは例え困窮していたとしてもどんな大金を積まれようと娘を売ることはけしてなかっただろう。
しかし領主はそれでは納得しなかった。この自分が見初めたというのに断るなど生意気だ。ディアドラとその両親に対してそう考えたのである。
もちろんいくら見初めたと言っても、領主の側にディアドラを正妻にするという考えはない。いくら美しかろうとディアドラの身分は奴隷。アストラストでは平民も奴隷もそう差はないが、他国では平民でないということが大きな障害となる。仮にも貴族である者が奴隷身分の者も妻として得ることはない。
だが平民以下の身分と言うことは、逆から考えれば都合のよい存在ともなる。身分制度の最下級にいる女は、上位の男にとって妾や愛人にするには都合のよい相手とされるのだ。
領主はディアドラを愛人にするつもりだった。そしてできれば彼女を国王に売り払うつもりであった。
野心家の領主は国王の気性を理由に貴族としてもっと上の位を狙っていたので、領民から国王に献上できそうな美女を発見した以上諦めるつもりはなかった。
領主の部下たちは幼いディアドラを両親や村人から引き離し、無理矢理館へと連れていったのだ。
「あたしを村へ返してください! あたしは!」
「聞きわけのない娘だ。お前は両親に売られたのだと言っただろう。村の者だってそのおかげで富を手に入れたと喜んでいる」
「そんなの嘘よ! 父さんや母さんが、村のみんながそんなことするはずがない!」
「お前は王の女になるのだ。名誉なことだろう」
「名誉なんかいらない! あたしを村に返しなさいよ!」
彼女の強みはその美貌だったから、見た目を損なうような酷い拷問や罪人にされるような扱いを受けることはなかった。
だが、だから酷い事をされなかったと言えるわけではない。
領主のもとに連れて来られ、王に引き合わされ、それでも逃げ出す機会を待ち続けた彼女はついに館を脱出した。
けれど逃げ出した彼女を迎えてくれる場所は、もはやこの世のどこにもなかった。
「嘘……」
焼け焦げた臭いがまだ真新しい。砂埃にまぎれて黒い煤が風の中に舞い散る。
何とか領主のいないうちに人目を盗み逃げ出した彼女を待っていたものは、焼き払われ一面死の野原となった故郷の村だった。
「誰か……誰かいないの?! 誰か、生き残った人は……」
すでに熱は去っていて、墨となった住居の残骸だけが残っている。木造の建物が多かったので燃え広がるのが早く、防ぎようがなかったのだろう。ところどころ元の村の様子を偲ばせる残骸もあるものの、ほとんどの家屋が全焼していた。
そしてその中に時折、人骨と見られるものが覗いている。
ディアドラは祈るような気持ちで両親がいたはずの自分の家へと向かった。
だが神はいつも祈りを聞き届けてはくれない。
自らの家も他の住居と予想たがわず燃え尽きている。その中で寄り添い合うように燃え尽きた二つの亡骸。
小さな家に住んでいるのに、何故逃げ出すこともせずに家の中で焼け死んでしまったのか。夜ならば寝ていて火事に気づかなかったから? これだけの村人が全員?
そんなことがあるわけがない。領主が命を下したのだとディアドラは知った。
そして少女は世界を憎悪する。
生まれてきたことが罪だというならば、その美しさが罪だと言うならば、彼女が死ねば全てが元通りになるというのなら死んでみせよう。だが今更何をやったところで、誰ひとり取り戻せはしないのだ。
総てを失った今、少女の頭にあるのは復讐のことばかりだった。
彼女は知っているのだから。領主の顔も国王の顔も。彼女の生まれ育ったこの村がこんな理不尽な目に遭ったわけは罪を犯した故ではない。理由なき不幸でもない。全て一連の流れを、原因を、知っていてその相手を恨まずになどおれようか。
愚かなのは領主と国王。彼らは侮った。自分たちが敵に回したのが、力ない少女一人だと。自分たちは搾取する側なのだと。思いあがった男たちの醜いその顔をディアドラは知っている。
◆◆◆◆◆
もしも美しさが罪だと言うならば。
彼女は確かに罪人だろう。その存在はもはや罪の領域だろう。
それでものうのうと生き続けてこの先更に人の命を奪うことが罪ならば、人の所業でないと言うならば。
「ならばあたしは、人の心も捨てよう」
美しく心優しい姫、などとお伽噺に書かれるような存在ではないのだ、彼女は。
そこにいるのは美しく復讐に燃える奴隷娘。あまりにも美しく、その美しさが罪とすら呼ばれたために人としての幸せを失った女。
その手を血に染める決意を胸に、少女は歩きだす。