薔薇の皇帝 20

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 にっくき領主をぶっ殺して幾日か、ディアドラは何故か王城にいた。
「で、何よあたしに頼みたいことって」
 王城と言っても、彼女が十一歳まで生まれ育ったアストラスト王国の王城ではない。あの国に次に赴くのは国王をぶっ殺す時だと彼女は心に誓っている。そんなディアドラが今いる城は、アストラストとは随分離れた、そもそも大陸すら違うルミエスタ王国の城である。
「あなたにこれから開催する祝賀会に出席していただきたいのです」
「なんで」
 ルミエスタ国内に入ってすぐに王城まで丁重に案内されたと思ったらこれである。彼女は自分が何のために連れてこられたのかもわからない。
 幼い頃無理矢理自国の領主に引きずられて来た時に比べれば十分過ぎるほど丁重な扱いだったので今まで文句も言わなかったのだが、理由があまりにも謎すぎるのでそろそろ問いただすべきだろう。
「つまり、今回我が国に皇帝陛下をお招きいたしたのでその場に華を添える一人になっていただきたいということです」
 彼女の疑問に答えたのは、その場で最も幼い人物だった。まだほんの子どもなのだが、先程からにこりともしない。しかし不機嫌だという素振りでもなく、単に無表情が板についているだけらしい。
「レンフィールド! お前はもう黙っておれと」
「何故ですか。わたくしもこの胸のお美しいお姉さんとお話したいです」
「誰かー! 王子を外へ!」
 出会いがしらに真顔の無表情で「お姉さんの胸は美しいです。美乳です。巨乳や爆乳という表現とは程遠いですが、まさしく神の与えたもうた胸の美しさです」とやらかした少年は使用人たちに両脇を抱えられて退場させられた。にこりともせず真剣な顔で素っ頓狂なことを言っていたが、あれは結局なんだったのだろうか。
「――で?」
「申し訳ない。だが概ねはあの王子が言った通りだ。貴殿の美しさを見込んで頼みがある。祝賀会の場を盛り上げるため、私の傍にいてはくれぬか?」
 話を聞くと城に来てすぐ顔を合わせたこの男がルミエスタ国王本人だと言う。さきほどの幼い王子の父親にしては老けている気がするが、ルミエスタ王家は色好みで有名なのであの王子はきっと何人かいるうちの一人なのだろう。
「そんなことでわざわざ?」
「謝礼は如何程でも払おう。むしろそなたほどの美しさなら、そのままこの国に留まってほしいくらいだ。今回ばかりは並の美女ではいかんのだ!」
 ディアドラに向けられる王の視線は歳を考えろやおっさんと言いたくなるような好色なものだったが、それ以上に彼女にルミエスタの美女として参加してもらいたいという必死さも伝わってきた。切羽詰まっているのは本当らしい。
 なんでも時の皇帝が「私より美しくない女は別にいらない」と宣言したらしい。その前にルミエスタ王が皇帝に美女を勧める発言をしたので、黙って引き下がるのはルミエスタに美女がいないとみなされこの国の沽券にかかる――のだとか。
 とてもばかばかしい。
 権力者って……とげんなりするディアドラである。美女だの美男だのそういう話しかしないのか貴族どもは。それで人生を変えられたことのあるディアドラとしては貴族の色好みには腹が立つばかりである。
「ディアドラ様……」
 背後に控えたセスが心配そうな目を向けてくる。心配しているのは、ディアドラの怒りを買って大変なことになりそうなルミエスタ王の方かもしれないが。
「頼む! ディアドラ殿! そなたほどに美しい女性を私は見た事がないのだ!」
「お断りしますわ。他を当たって下さい」
「この通り!」
 ルミエスタ王はディアドラを拝む勢いで頭を下げる。余程今回の祝賀会、つまりはパーティーだが……が失敗するのが怖いらしい。
「あの皇帝陛下に対抗できるほど美しい者など他に存在するはずがないのだ! 金ならいくらでも払う! 何でも用意する!」
 国王に土下座をさせながら内心どうしたものかと考えていたディアドラだったが、彼女が恩着せがましく妥協する前にルミエスタ国王がキレた。
「こ、このわしがこれほど頭を下げているというのに……奴隷風情が、王の意に逆らうか!」
「あぁ?」
 低姿勢を貫くにも限界が来たらしい王の台詞に、こちらはもとより低姿勢などとる気もないディアドラはあっさりと血管をぶち切った。
「奴隷は黙って王族に従えばいいのだ!」
「黙れよ、王風情!」
 売り言葉に買い言葉と言うには不遜な発言に、ルミエスタ王の頭に血が昇る。
「このっ!」
 ディアドラに掴みかかろうとした王の腕は、彼女の背後に控えていたセスが一瞬で移動して押さえこむ。
「邪魔をするな!」
「ディアドラ様を傷つけることは許しません!」
「貴様も奴隷だろう! 私の命令を聞け!」
「お断りします。私はディアドラ様だけの下僕ですから」
 三人が揉めているうちに、部屋の外から声がかけられた。
「国王陛下! 皇帝陛下がお見えになりました」
「何っ?!」
 ルミエスタ王はまだ入室の許可を出していないが、扉は勝手に開けられた。自ら扉に手をかけているのは、白髪の少女――いや、少年だ。その向こうには呆気にとられているルミエスタ人兵士たち。
「ルミエスタ王……何か穏やかならぬ気配がしたのだが」
「皇帝陛下……これはその、いえ、まだ祝賀会の準備中でして。お前たち、陛下を控室にご案内せよ!」
 一度は取り乱しかけた王は、皇帝と呼ばれた少年の姿を目にするとすぐさま落ち着きを取り戻した。否、そのように取り繕おうとした。
 しかしその取り繕いを、先程国王と舌戦を繰り広げたばかりのディアドラは見事にぶち壊す。
「あん……あなたが皇帝?」
 あんた、と言いかけたところをあなたと言い直したのが彼女なりの最大の譲歩だ。ディアドラは白銀髪の美しい少年へと声をかける。
 綺麗だった。
 遠い山の峰に被る雪のような輝きを持つ白銀の髪、硝子のように無機質な血の色の瞳。折れそうに細い体。少女と見紛う面差し。
 これほど美しい人間は見た事がない。そう、それこそ鏡の中の自分以外には。そうディアドラは思った。
 黙っていても鋭い眼差しに人間味を湛える彼女とは正反対の、作り物の綺麗な人形のような美貌を持つ少年皇帝に。
「お、お前は、皇帝陛下になんという口の利き方を!」
 ルミエスタ王が怒るを通り越して青くなっている。殺戮皇帝と呼ばれるロゼウス帝は、逆らうものを一族郎党皆殺しにするとして有名だ。彼が城に招いた女が皇帝に不敬を働いたともなれば、ルミエスタ王自身の首もとぶ。
「うるさいわね。だから王風情があたしに偉そうにするんじゃなわいよ。あたしは王だとか皇帝だとかどうでもいいのよ」
「奴隷!」
「だからなんだってんだよ王族!」
 再び睨み合った二人の耳に、ぷ、と小さく吹き出す声が届く。皇帝と呼ばれた少年が笑っていた。
「すまない。滅多に見られない場面だったものだから」
「こ、皇帝陛下……」
「その娘の言う通りだ。ルミエスタ王よ。何を頼んだかは知らないが、例え相手が奴隷階級だろうと、お前が王であろうと相手の望まぬことを無理強いはできない。ましてやお前は彼女の国の王ではないのだから」
 ディアドラの発言は皇帝に対しても喧嘩を売ったと同然だったのだが、当の皇帝はあっさりと不敬を許した。ルミエスタ王がしぶしぶとディアドラから離れセスからも距離をとる。
 ロゼウスの方はと言えば扉から手を離し、ディアドラへと歩み寄った。
「……美しい娘だな。名は?」
「ディアドラ」
「ふぅん。アストラスト人か。そうだな……印象は大分違うが、お前は私の姉の一人と同じくらい美しいな」
 何故いきなり家族自慢? と首を傾げる周囲にも構わず、皇帝は話を進める。
 ディアドラを見ながら、数瞬何かを考えていたようだ。
「そうか……お前は」
「あたしが何?」
「お前は現在この世界で最も美しい女か」
「そうなの? てか知らないわよ。この世のどこかにはあたしより綺麗な人がいるんじゃないの?」
「いいや」
 皇帝ははっきりと断言した。まるでこの世界の全ての事象を知りつくしているかのように。
 だからこそこの帝国の皇帝は、世界皇帝と呼ばれる。
「他にはいない。お前以上に美しい女は、現時点では存在しない」
 ある意味ではアストラストのバカ領主もルミエスタ王もその目は確かだったということか。
「お前が世界で一番美しい女だ、ディアドラ。禍の娘よ」

 こうして、ディアドラは名実ともに世界最高の美女と呼ばれることとなった。