薔薇の皇帝 20

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 復讐は終わりを告げる。
「来たのか……ようやく……」
 天蓋つきの寝台の上から弱弱しく掠れた声が返る。
「何よ……」
 ディアドラは握りしめた拳を震わせて叫んだ。
「何勝手に死にそうになってるのよ!」
 領主のように追い詰めるまでもない、ディアドラのもう一人の復讐相手は、彼女が手を下すまでもなく死にかけていた。
 老衰というわけでもなさそうだが、王はすでに老境へと差しかかっている。その衰えた身に、病は随分と堪えたようだ。
「来ると思っていたぞ、あのときの娘よ……」
「あたしの行動なんてお見通しってわけ? それとも、自分が復讐されるようなことをした自覚があるってことかしら」
「……どちらかと言えば後者だろうな……」
 短い台詞を口にしただけで、老体の王はごほごほと激しく咳き込む。ディアドラも背後のセスもその身を支えたりはしない。王の容体の変化に駆けつけてくるはずの侍女たちは、彼らが全員眠らせた。
 今にも死に向かおうとしている男を前に、ディアドラは唇を噛んだ。
 こんなはずじゃない。こんな手を下すまでもなく死にそうな弱りきった男など簡単に殺せる。簡単に殺せるような相手を殺すために、ここまで苦労してきたわけではない。
 こんな、こんな奴にあたしは、あたしたちは人生を変えられたのか!
「無様ね、国王。往年の君主の姿など見る影もない。今のあんたは、ただの醜い死にぞこないよ」
 怒りを毒へと変換して言葉にするディアドラに、王は寂しげな眼差しを返す。
「何よ! 何か言いたいことでもあるわけ?!」
「ふ……いや、少しおかしかっただけだ」
「何がおかしいっていうのよ。あたしはもうあんたに鼻で笑われる小娘じゃない」
「いいや。変わらんよ。わしもお前も……」
 死に向かう王は予言者のように告げる。
「わしも昔は臣下たちに傅かれ敬われた。それがわしの王族という身分に対してのものだとしても。だが老いて力も権力も失くした今となっては誰ひとり見向きもしない。生まれ持ったものに頼ったツケだ」
 王というたった一つの立場さえ失おうとしている無力な老人は、濁った眼をディアドラに向ける。
「娘、お前は違うのか? お前だとてその天与の美貌以外に何も持つまい。見よ、これがお前のいつか辿り着く場所。老いさらばえて朽ちるだけのこの無様な姿がお前の未来だ」
「あたしは――」
 思わず言葉に窮したディアドラの手を、背後からセスがそっと握る。
 ディアドラは下僕を振り向いた。かつて王子と呼ばれ今は彼女のしもべに下った少年は、これだけはいつも変わらない静かな眼差しをディアドラに向けてくる。
 ディアドラは視線を老王に戻した。
「違うわ。あたしはあんたのようにはならない」
 そしてはっきりと言いきった。
「あんたたちにとってはあたしの顔以外、この美貌以外どうでも良かったんでしょう。でもあたしは、ただ美しいだけのお人形で満足するつもりはないわ!」
 美しい人間ならば何もディアドラだけではない。
 例えばこの世界を治める皇帝、例えば稀なる美貌と噂されるエヴェルシードの王子。ディアドラほど美しく、そして彼女より余程有能な人間ならばいくらでもいるだろう。
 それでもディアドラは、彼らに自分が劣るとも、彼らがいれば自分の存在に意味がないとも思わない。
「あたしはあたしであり続ける。この顔でなくとも。王族であること以外に自分の価値を見いだせなかったあんたたちと一緒にしないで!」
 王は薄目でディアドラを見た。すでに視力も相当弱っているだろうその身で、本当に彼がディアドラの顔形をはっきりと見分けることができたのかはわからない。
 だが彼は言う。
「まったく……お前は昔も今も変わらないな。相変わらず、腹が立つほど美しい。そしてなんて生意気な娘なんだ……」

 その日の夜、二人の侵入者が見守る中で一つの命が消えた。

 ◆◆◆◆◆

「これから、どうなさいますか?」
 セスに尋ねられ、ディアドラは彼を振り返った。
 五年前焼け野原と化した村も今は一面の花畑になっている。花とは言うが貴族の花壇のような見事な花ではなく、主に雑草だが。それでももう数年もすれば、きっとここにもまた人が住み始めるようになるだろう。
 全ては終わった。ディアドラの復讐も、何もかも。
 全てを終えても彼女の手に戻ってきたものはない。わかってはいたが、虚しかった。
「さーて、どうしようかねぇ。とりあえずはこの美貌を活かして美人局でもやってみる?」
「不必要な犯罪は承服しかねます」
「んじゃどうすんのよ? 踊り子と吟遊詩人くらいなら妥協してくれんの?」
「……わ、私は楽器など」
「じゃあとりあえずリュートでも買いにいきましょうか。そんでもって死ぬほど練習ね」
「ディアドラ様?!」
 慌てるセスの腕を掴むと、ディアドラは自ら前に立って歩き出した。
 過去にはもう何もないけれど、未来はいくらでも自由になる。もう何にも囚われることはない。
 けして忘れることはなくとも。
「さっさと行くわよ!」
「……何処へ?」
「どこかへ!」