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「陛下! わたくしを陛下の愛人にしてください!」
特別な少女だった。これまでロゼウスに近づいてくる女性は身分や立場に関わらず誰もが美しく、自信に溢れていた。果敢にも世界最高権力者である皇帝の寵愛を得ようとするのだから当然ともいえるだろう。そんな中、病弱で容色も優れず、特技の一つもないジュスティーヌは異端だった。
けれど彼女は自分ではなく、他者の才能を開花させることが上手かった。薬学者のハーラルトに限らず何人もの学者や芸術家のパトロンをして、そのままでいたら世間に埋もれていただろう才能を育てた。
地味な顔だと言われることを気にしているかと思えば、何を考えたか急に道化じみた派手な化粧をするようになって、驚いた。それでも本人はそんな自分を気に入っているようで、たまには血を吐いたりしながらも充分に人生を謳歌しているように見えた。
短く、けれど鮮やかすぎるほどに鮮やかな日々。
そして、彼女もまた永遠になった。
◆◆◆◆◆
教会の鐘が鳴る。カルマインはラクリシオン教だ。
メイフェール侯爵ジュスティーヌの葬儀には、彼女の友人や知人が幾人も訪れた。
かつて華やかな夜会で自分の不器量さに気おくれして友人の一人もいなかった少女は、やがて自分の力でその世界を広げていった。
幾人もの芸術家を世に送り出した彼女の名は、カルマイン史上に残るだろう。
喪服の人々が次々に花束を捧げていく。
白い花に埋もれる姿はまるで別人のようだった。
彼女には他のどんな色よりも、赤が似合う、のに。
「こんなところにいらしたのですか」
背後からかけられた声に、ロゼウスは振り返った。
「ルルティス」
喪服の少年は、ロゼウスから一歩離れた隣に並んだ。
すでに埋葬は終わり、墓碑にはジュスティーヌの名と手向けの言葉が刻まれている。色とりどりの花々に埋もれるようなそれを眺めながら、ルルティスはロゼウスの顔を見ないままに告げた。
「御礼が遅くなりましたね。助けてくださってありがとうございます」
「いや、その……」
ジュスティーヌがルルティスに毒を盛ったというのは結局のところ、ロゼウスを確実にカルマインに引き寄せるための虚言だったわけだ。よく考えずとも、そんなことをするはずがない。とはいえ、その嘘にロゼウスはものの見事に騙されたわけだ。
「――それで」
振り返ったルルティスが泣きそうな顔で笑う。
「私を殺すのですか? 陛下」
ロゼウスは緩く首を横に振った。白銀の髪がふわりと宙に舞って肩を滑る。
「殺さない。殺せるはずがない」
あの日、ルルティスが拉致される直前まで会話をしていた彼は彼ではなかった。ルルティスではなく、シェリダンだった。ロゼウスの四千年間求め続けていた男だ。
シェリダンを愛していた。この四千年間ずっと。今も――愛している。
会いたくて、また会いたくて、それだけを考えて生きてきた。
ルルティスがシェリダンの転生者だと知った時は、戸惑いと共に確かに歓喜したものだ。途方もない年月を屍のごとく生き永らえた甲斐があったものだと。魂の巡りに再び会うことができるなど、自分ですら信じていなかった。
シェリダンのためにこの世の全てを壊しても構わないと思っていた。自分にはそれができるとも。
けれど。
「大事なんだ、ルルティス、お前が。お前はシェリダンとは違う。そんなことはわかっている。でも、だからこそ――他でもないお前が大事なんだ」
自我を取り戻したルルティスの泣き顔を見た瞬間、全てが吹き飛んでしまった。
シェリダンを愛している。誰よりも愛している。それは揺るがない。
けれどその想いは、果たしてルルティスを泣かせてまで貫くべきものなのだろうか。
自分たちは罪人であり、どちらも過去の遺物だ。この世界にとってすでにシェリダンもロゼウスも価値がない。
誰だって殺せると思っていた。誰を傷つけてでも、自分はその誰かよりシェリダンを選ぶと思っていた。
けれど。
「泣かないでくれ。もう二度と、お前を泣かせるようなことはしないとい約束するから」
嵐の中で咲く小さな花を風雨から守ってやりたいと思うように、ロゼウスはルルティスを大事に思っている。
何故だろう、愛しているという言葉が喉元までこみ上げているのに、その先を通りすぎるのを拒むように、唇の奥で消えていく。
簡単には口に出せない。まだ言えない。伝えることはできない。
今それを口にしても、きっと届かない。
彼にも――そして自分自身にも。
言葉にできない想いも、あるのだと。
だから代わりに、今の正直な想い、ささやかで他愛なく、しかしロゼウスの立場からすれば一笑に付されてもおかしくないその望みを口にした。
「傍にいてくれ。お前が俺と共に生きてくれるなら、それだけで、かまわない」
俯いていたルルティスが静かに顔を上げる。
◆◆◆◆◆
とりあえず和解は成り立ち、ロゼウスはまだカルマインで事後処理をするために教会へと向かって行った。当主を喪ったメイフェール侯爵家を、もうかなり前から用意されていたジュスティーヌの遺言に沿って捌いていく。もちろん、いくら彼女の遺志であっても、あまりにも荒唐無稽なものは皇帝として却下せざるを得ない。
ルルティスはロゼウスの背を見送ると、再びジュスティーヌの墓石に目を向けた。
「メイフェール侯爵、賭けはあなたの勝ちのようですよ」
ロゼウスは間近に迫る死を宣告されたジュスティーヌよりも、ルルティスのことを心配して塔を登って来てくれた。さすがに彼はジュスティーヌのことも大事に思っていて彼女に絡めた質問をほとんど時間もかけずに解いてあがってきたそうだが、それでもルルティスの顔を見た瞬間の安堵の表情は本物だったと思う。
愛おしさで胸が詰まる。
ジュスティーヌのやり口は強引だが効果的だったようだ。別に彼女はルルティスのためにあんなことをしでかしたわけではないだろうが、ジュスティーヌの用意した試練はロゼウスに彼女のことを考えさせるついでに、ルルティスに対しての気持ちも自覚させ整理させてしまったようだ。
けれどもしかしたら、それ以上に自分の想いを自覚してしまったのがルルティス自身なのかもしれない。
自分のために塔を登って来させるなど、ルルティスにはどうひっくり返っても出てこない発想だ。大好きなお伽噺の借用だとジュスティーヌは笑っていたが、さすがに女性の感性だと感心してしまう。
玩具箱に眠る赤の女王よ。おそらく自分もきっとすぐに君に会えることだろう。
知らなかったよ。こんな想いがこの世にあるなんて。
「私は本当に、あの人を愛している」
顔を上げて空を仰いだ。それでも涙が零れ、頬を伝っていく。
「だから私は――やはりいつか、必ずあなたを殺すでしょう」
◆◆◆◆◆
そしてルルティス=ランシェットは決意する。その書を綴ることを。
『薔薇皇帝記』
あまりにも激しく、鮮やかな、この時代の人々が生きた記録を。
《続く》