薔薇の皇帝 22

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「私は人間だ」
 その声は冷静で、欠片も荒げる様子などない。
「人間だ。そして、これからも人間であり続ける」
「だから、それなら――」
「たとえ明日死ぬこととなっても、人間でいたい」
 伏せていた顔をあげて、朱金の瞳を燃える炎のように輝かせて彼は言い切った。
「私は、人として生き、人として死ぬ」

 ◆◆◆◆◆

 本当は人の命に価値なんてない。
 誰かが死ねば、誰かがその代わりになる。誰かが生まれなければ――やはりその時も、誰かがその人の代わりのような人生を歩むのだろう。
 わかっている。本当はこの世の何にも価値はない。
 けれどそれでも、他に代わりのないただ一人の人間としてこの世に生まれてきたのだ。だからそうやって生きるのだ。誰かのためではない。自分のために。
「……死者は、静かに眠らせておくものだ。生者の都合で生き返らせようなどと、考えてはいけない」
 目を覚ましたラクルが淡々と言う。それは彼が昼間シライナに向けて言った言葉で、レニーもそれを聞いていた。
 そのことをロゼウスは、皇帝の力により知る。シェリダンがルルティスの肉体で蘇った時にも利用していた力だ。それは“世界の記憶”といい、無数の人間そのものであり、――そしてこの世界の神そのものだ。
「ああ、そうだな」
 ロゼウスは静かに涙を流しながら、レニーの瞼を閉じた。
 まず首を折って行動を封じ、続いて心臓に手を入れてその核を砕いた。ホムンクルスと呼ばれる錬金術の人造人間は賢者の石と呼ばれる物質を核に動いており、それを破壊すれば、二度と蘇ることはない。
 レニー自身がロゼウスに教えたことだった。これからカースフールと戦うために必要となる知識だと。
 自らの存在を罪だと感じていた少年は、その死を持って吸血鬼事件に幕を引いた。
 生きていたいと願った少年は、それでも化け物であるよりも人であることを選び、死を望んだ。
 彼に望み通りの死を与えた行為が残酷さなのか優しさなのか、もうロゼウス自身にもわからない。たぶん、シェリダンと出会う前の自分だったら、レニーに死ではなく、ヴァンピルのしもべとしての仮初の命を与えることでお茶を濁そうとしたかもしれない。
 けれど、今のロゼウスにはそれはできなかった。
 望まれぬ生と蘇った後の人殺し、そして自身の生きたいという願望の狭間で苦しむレニーの心がわかったからこそ、彼を望み通り殺してやることしかできなかった。
「カースフールを……止めなければ」
 命を弄ぶ研究。
 言葉にしてしまえば単純でありふれた理由、そこには何の重みも見当たらない。けれど彼の行動の影で、こうして苦しむ人間がいる。
 それがわかっていたから、ロゼウスは最初からカースフールの研究を認めなかった。けれど運命は巡り、危惧した最悪の事態が訪れようとしている。
「皇帝、そこを退いてくれ」
 ラクルに言われ、ロゼウスはひとまずレニーの傍から離れた。
「彼に祈りの言葉を捧げたい」
「……わかった」
 聖人ラクリシオンとして、彼は亡骸に向かい祈りの言葉を唱える。
 全てをわかっていてレニーのもとに彼らを向かわせたロゼウスを、ラクルは責めなかった。
 その代わりとでも言うように、目を覚ましたシライナがラクルの分もという勢いでロゼウスを責めたてる。
「どうしてそんなことをしたの?!」
 半狂乱で責めたてられても、ロゼウスには返せる言葉がない。ラクルはロゼウスにもシライナにも味方する様子を見せず、ただ二人のやりたいようにさせていた。もとよりシライナの細腕でロゼウスを傷つけることはできない。全力で頬をはたいたところで赤味が差すことすらないだろう。
「だってあの子は生きて――生きていたのに! そりゃ偽物の命かもしれないけれど、本当は一度死んだのかもしれないけれど、でも、でも――!!」
 シライナだとて事情は理解している。
 レニーが彼女の追い続けてきた吸血鬼だということも知っている。
 ロゼウスが彼女たちを救うためにここに来たのだと、いやというほどわかっている。
 それでも叫ばずにはいられないのだ。裏側に抱えた事情がどうであろうとも、今日一日街を案内してくれる間、彼らは吸血鬼とその追手ではなく、レニーとシライナだったのだから。
「どうして……?」
 どうしてカースフールはこんな真似ができるのだ。彼は己の作ったホムンクルスを道具としてしか見ていない。レニーの嘆きは彼には届かない。
 そしてシライナの怒りは、ロゼウスに向く。
「私はあなたが嫌いよ、皇帝」
 責めているはずなのに何故か彼女の方が辛そうな顔でシライナは告げる。
「殺して殺して、全てを壊して、それで終わりになるとでも思っているの?!」
 少女は憎しみではなく叫んだ。
 これは意見の相違だ。そう簡単に解決できる問題ではない。同じ場面に直面した時、ロゼウスとシライナの選ぶ道は違うということ。
 その時、ロゼウスは遠くから自らを呼ぶ声を聞いた。駆ける足音と共に見知った顔が近づいてくる。
「ロゼウス!」「皇帝陛下!!」
「エチエンヌ、ルルティス、どうし――」
 いやに緊迫した様子の彼らに事情を問いかける言葉の途中で、ネクロシアの大地が大きく揺れた。
「きゃあ!」
 悲鳴を上げるシライナを抱きしめて支える。これほど大きな地震が、前触れもなく起きるはずもない。いくら屋外で動き回っていたからと言って、ロゼウスならそれでも僅かな余震くらい感じ取れるはずなのだ。
「一体何が――」
 不安そうに辺りを見回す彼らの元に、ようやくエチエンヌたちが辿り着いた。
「ロゼウス、今ネクロシアのモーヴラーナ王から報せがあった」
「大変なんです! カースフール術師が――うわっ!」
 もう一度地面が揺れる。今度はエチエンヌやラクルたちも振動に耐えきれず膝をついた。ロゼウスも自ら身を伏せ、転倒に備える。
「この地震は、まさかカースフールが引き起こしているのか?!」
 レニーの周辺には監視らしきものがついていなかった。彼が人を襲い血を啜るのを二、三度観察した後、老学者はすぐに姿を消したと彼は言っていた。
 それはカースフールにとって、レニーの観察にそれほど手間も時間もいらなかったことを示す。レニーは嗅覚で死の臭いをかぎ分けたロゼウス以外には誰にも気づかれることなく普通の人間として暮らしていた。カースフールの蘇生錬金術は完成していたのだ。
 カースフールの念願は、皇帝への復讐だ。術が完成した彼が次に起こす行動の標的はロゼウスに間違いない。そして皇帝に差し向ける刺客が脆弱な訳がない。
 それでも大地を揺るがすほどの地震を引き起こす存在など、ロゼウスには予想もできなかった。
「一体、何が起こっているの……?」
 シライナの不安そうな問いかけに返る答はない。沈黙と緊張だけが、その夜を支配していた。

 《続く》