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エヴェルシードの内乱からカルマインでの騒動まで慌ただしい日々が終わり、皇帝領に帰ってきた面々にようやく平和が訪れた。
「ところで陛下、お聞きしたいことがあるのですが」
「ルルティス……お前がそういう切り出し方をするときは絶対ろくなことがないと、俺もここ数カ月でようやく学習――っ、ちょ、離せ! 放してー!!」
平和?
「やだなぁ皇帝陛下。ちゃんと学習したなら長口上述べてる合間に逃げなきゃ駄目ですよ? まぁそうしたら今度は入り口に罠を張っとくだけですが」
「だー! エチエンヌ! なんとかしてくれ!」
「ごめん、ロゼウス。無理」
エチエンヌはおやつのケーキを切り分けるのに必死だ。
「ローラ!」
「いやよ」
ローラは人数分のカップにお茶を注ぐのに余念がない。
「お二方共、騒がしいですよ。埃が立つので少しは大人しくしてください」
しまいにはリチャードに怒られる始末。
あれだけいろいろあったというのにここでのロゼウスの立場に変わりはないのか。
「なんかなつかしいわねー。このノリ」
最年少だからと一番先に切り分けられたケーキとお茶を渡されたアルジャンティアは、周囲に構うことなく口をつけはじめている。ルルティスがロゼウスを振り回して城中で追いかけっこを繰り広げていたのはアルジャンティアが留学から帰るまでが全盛期だったが、彼女が帰ってからもルルティスはなんだかんだでロゼウスを追いまわしていた。
しかしその時と今では、こうして一室に集まる人数が違う。
「まだゼファーやフェザー殿下も戻って来られないようですし、随分と寂しくなりましたね」
そう言ってルルティスが視線を向ける先は、ロゼウスの隣で、自分が座るのとは反対側の席だ。
そこにはこれまで、真紅の髪に藍色の瞳の、まるで道化師のような派手な化粧をした女性がいた。彼女とルルティスでよく皇帝の隣の席を奪い合い、結局はそれぞれがロゼウスの両側に座ると言うのが一種のパターン化していただけに、その不在を強く意識せずにはいられない。
彼女がロゼウスの隣に座ることはもう二度とない。
ジュスティーヌはもういない。
わかっているのに、ついつい視線を向けてしまう。
「ああ。――本当に、な」
ロゼウスが静かに頷いて、目の前に置かれたカップに手を付ける。
このような喪失を、彼らはもう幾度となく繰り返してきた。けれどいつまで経っても、それに慣れることはできなかった。慣れてはいけない感覚なのだ。
絶対で、永遠の、死――。
慣れることはできないけれど、平気な振りをするのはお手の物だ。この四千年で培った淡い笑みを浮かべ、ロゼウスが話題を変えるつもりでルルティスに尋ね返す。
「それで、ルルティスは今度は何を聞きたいんだ?」
沈み込んだ空気を変えるのならばルルティスのいつもの取材攻撃に振り回されるのもやむなしと、自ら夏の虫のように火に飛び込んだロゼウスは、しかしそこで不吉な程に爽やかなルルティスの笑顔に迎えられる。
「知りたいのは、今更と言えば今更なことです」
そして亜麻色の髪のチェスアトールの学者は爆弾を落とす。
「シェリダン=エヴェルシードって、一体どんな人だったんですか?」
沈黙。先程必死で回避しようとしたはずの沈黙が、今度こそ逃れがたい重さでのしかかってくる。
そんな中、発言を投下した当の本人ばかりが、一人のほほんと平和な顔つきで紅茶を飲んでいる。
「え、いや、あの」
「本当に今更ですね、先生」
瀕死の重傷に陥ったルルティスの肉体を、その魂の奥底で眠っていた前世の人格“シェリダン=エヴェルシード”が操っていた日々はそう遠くない。本当に今更と言えば今更、そしてなんとも答えづらい質問に、ロゼウスたち一同は言葉を失う。
「今更何故そんなことを?」
「今だからですよ。忌々しいことに私がシェリダン=エヴェルシードの生まれ変わりであることが確定した今だからこそ! ――考えてみれば、私は肝心のシェリダン=エヴェルシードのことをほとんど知らないのです」
ルルティスの発言に、彼らは目を丸くした。
四千年前のエヴェルシード国王。女傑王と呼ばれたカミラの兄。四カ月王。
ゼファードと同じ藍色の髪に朱金の瞳、フェルザードによく似た容姿。
ロゼウスの想い人で、リチャードたちの主人。
シェリダン=エヴェルシードを現す情報は幸か不幸かこの皇帝領で、彼らの周囲に溢れ返っている。聖堂の地下には硝子の棺が安置されていて、そこに行けば本物によく似せて作られたシェリダンの肉体を見ることもできる。
けれどそれだけでは、本当の“シェリダン=エヴェルシード”を知ったとは言えないだろう。
「今でこそ四カ月王という不名誉な二つ名を頂いているシェリダン王ですが、皇帝陛下たちの話を聞くだに単純で愚鈍な暴君とも思えません」
ルルティスは言葉を選び選び、推測を形にするように考え込みながら紡いでいく。
「かといって、彼が侵略と粛清を重ねた残酷な人物であったという史実自体は嘘ではないようですし」
歴史学者として帝国の史実に造詣の深いルルティスは、皇帝領に来て以来エヴェルシード史の詳細も調べていたらしい。現在この時代の人間としては当のエヴェルシード王族ですら把握していないような細かい史実まで把握している。
「思うに、シェリダン=エヴェルシードという人物は国王という立場を除いて考えれば、良いところも悪いところもある、普通の人間だったのではないですか? 彼の問題点をよく知る陛下たちはその評価に公正であろうとして、あえて客観的な事実と自分の主観をそうだと前置きして告げている。でも、人というのはそれだけではありませんよね?」
これまでロゼウスたちは、シェリダンに関することを積極的に他者に語ろうとはしてこなかった。もはや時代を隔て過ぎ彼の記憶を共有できるはずもないこの時代の人々に自分の主観で虚像のシェリダン=エヴェルシード像を植え付けることに意味を持てなかったからだ。
だからロゼウスもローラやエチエンヌ、リチャードやジャスパーでさえ、誰かが彼について尋ねてくれば史実に残されているような断片的で無機質な事実だけを語る形でシェリダンに関しては答えてきた。
ロゼウスたちの中でシェリダンという存在は大きすぎて、彼を知りもしない人間に誤解されるどころか、誤解と言う名のイメージを植え付けるほどに深く彼のことを知らせることさえ許せなかったからだ。
「他者からの主観的な評価という狭い意味での客観なくして人間は語れません。あえて公正に客観的な評価なんぞ語ろうとしなくても結構です。あなた方がその眼で見たシェリダン=エヴェルシード像を知りたい」
回りくどい言い回しにはなったが、ルルティスが言いたいのは要するにロゼウスたちに自分の思ったシェリダンのことをなんでもいいから心の思うままに喋れということ。
脚色を加えない公正さだけを求めては、単純な事実しか語れない。そのほとんどは行動における動機や結果の受け止め方を削ぎ落してしまう。
戦争を行った国王。その事実は変わらずとも、それが他国を踏みにじるために嬉々として侵略を行ったか自国の窮乏を救うために立ち上がったかでは受け止める方の心証が変わる。そしてそれらの感情を隠すことが常の国王という立場にあった人物こそ、そういった周囲からの視点が彼を語るのに必要なのだ。
「そして私はそれを重ね合わせて、私の中でのシェリダン=エヴェルシード像を作る。それが真実かどうかは誰にもわかりませんが、もともと人間同士の付き合いなどそんなものでしょう」
他者の中に存在する自分が本人の認識している“自分”と同じであるかなど、誰にもわからない。
否、あるいはわかりきっていると言えよう。自己認識と他者による評価が同一であることは滅多にない。誰もが主観でものを見るからだ。
人は己の信じたいものを信じるという。他者は自分を映す鏡だとも。
善人の語るその人と悪人の語るその人の本質がどちらであるか。そして評価者が極めて公正で客観的な意見を述べたにせよ、それが本人を目の前にしない記録や伝聞でしかない以上、結局最後には情報を受け止める自分自身というフィルターを通してしまうことになるのだ。
ルルティスは深層意識の中でほんの少しだけ、前世の人格であるシェリダンと話したことがある。けれどそれだけが全てではないだろう。立場的に今まで根拠のない敵意を持ち続けてきたが、それが自分自身がシェリダンの生まれ変わりであると改めて知ったことにより変わった。
彼を憎むにも認めるにも、まずはその人を知ることが必要だろう、と。
一つだけ最初からわかっているのは、ルルティスはシェリダンではないという当たり前のことだけだ。当たり前のことだからこそ、まずはルルティス自身が、シェリダン=エヴェルシードを知らなければならない。
両者が同じ存在であれば、今更こんな調査などする必要はない。けれどルルティスは深層意識の中で出会ったシェリダンの人格を、自分とは違う人間だと感じた。
「……そうだな、ルルティス=ランシェット。お前はシェリダン=エヴェルシードを知らないんだったな」
ロゼウスが静かに瞼を伏せた。
彼らにとってもわかりきっていた事実を、ルルティスの質問が改めて突きつけてくるようだった。シェリダンのことを知りたいとルルティスがせがむのは、逆説的に彼とシェリダンの差異を証明するようなことだからだ。
そろそろロゼウスたちも、そのことを受け止めねばならない。
「わかったよ。ならば教えよう。――俺の知るあいつを」