128
とは言ったものの、話はそうすぐに始まらなかった。
「皇帝陛下! ネクロシアより緊急の書状が!」
話の腰を折ったのは、部屋に飛び込んできた兵士だった。ずる、と室内の一同が一斉にずっこける。
「あ、あの……どうかなさいましたか?」
「いや、いい。用件を」
「は、はい! それが――」
内容を要約すると、ネクロシアで問題が発生したのですぐに来てほしい、ということだった。
「ネクロシア? 今の王はモーヴラーナだったな。あれが私の手を必要とするような下手を打つとは思えないが」
詳しいことは直接会って話したいとのことだったので、一同はとりあえず、いつもの要領で魔術陣を使いネクロシアまで跳んだ。
とはいえ今回はいつもより心理的な負担は少ない。ネクロシアは皇帝領に最も近い国の一つであるため、気分的には日帰り旅行の感覚だ。
ちゃっかりとこれもまたいつものごとく一行に混ざっているルルティスに、ロゼウスは言った。
「――シェリダンのことは、時間を見つけて少しずつ話していく。それでいいか?」
「――はい。いつでも待ってます」
シェリダン=エヴェルシード。実質たった一年にも満たない付き合いしかなかったが、その後四千年にもわたってロゼウスの心を支配し続けた、彼にとって永遠の王。
そのシェリダンのことを語るには、言葉をどんなに費やしても足りない。そして結局どんな言葉を費やそうとも、彼を語りきることなどできはしないのだろうとロゼウスは思う。
言葉にはできない感情がこの世にはあり、シェリダンに対してロゼウスが抱く想いもつまるところそれだ。便宜上愛しているとは言うものの、その感情が他者のもたらすそれとはずれていることも感じている。
そして言葉にはできないはずのそれを、ロゼウスはかき集めるだけかき集めてルルティスに伝える。せめてもの誠意だと。
魔術陣の移動が終わり、一行は最果ての国ネクロシアへ到着した。
◆◆◆◆◆
「ゼイルの研究を持ち出した?! なんて馬鹿なことを――!!」
「カウナードから密使が参りまして事の次第が発覚いたしましたが……皇帝陛下、いかがなさいましょう」
「よりによってあのカースフールか……」
ネクロシア女王モーヴラーナの口から出された思いがけない名前に、ロゼウスは来て早々頭を抱える。
「あのー」
さすがに皇帝領に最も近い王国だけあってロゼウスを顔パスで通したネクロシア王城では、時候の挨拶も積もる話も後だとばかりにいきなり女王から本題を告げられた。
ネクロシアに訪れるのは初めてのルルティスだが、事件の概要を聞いて女王モーヴラーナの焦りも理解できた。彼女が皇帝に直接話をすると言った事情も理解できる。
ただ、一つだけわからない。
「カースフールって誰です?」
「何?! ルルティス、お前が知らないのか?」
ロゼウスからさも意外そうに問いかけられて、ルルティスはきょとんと小首を傾げた。他の面々は当然のような顔をしているが、この場ではルルティスただ一人だけが、事件の核心を掴めない様子を見せている。
ちなみに今回、アルジャンティアやジャスパー、それからロゼウスに代わり執務を片づけねばならないリチャードは留守番である。ローラもどうせ近場だから何かあれば駆けつけるという理由をつけて残った。どうせ世界のどこにいても魔術陣での移動は一瞬なのだから、単に面倒だったのだろう。
実質、皇帝領からはロゼウスとルルティス、護衛のエチエンヌだけがやってきた形だ。いつもに比べて人数が少ない気もするが、通常の相手ならばこの三人で問題はない。
しかし、カースフールの名を聞いて顔色を変えたロゼウスが、三人では少なかったかもしれないと呟く。
件の人物を知らず頭上に疑問符を浮かべているルルティスのために、そして状況を整理するためにも、モーヴラーナは最初から説明した。
数十年前、一人の学者――錬金術の権威とも呼ばれる人物がとある事件を起こしたらしい。
彼の提唱する理論は皇帝であるロゼウスに却下されたのだが、その学者ことカースフールは自らの研究成果を人に認めさせるため、理論の実験段階だったそれを「稼働」させ、暴走させたらしい。
その時、ロゼウスはカースフールの研究成果を徹底的に破壊しつくしたが、カースフール自身は上手く世界皇帝の追及の手を免れた。彼の研究を利用したがる各国の力を使い、今後は問題を起こさず有用な発明をするという条件付きで見逃されたのだ。
とはいえ、カースフールの名はロゼウスにとっては危険人物としてしっかり記憶に留め置かれている。
その時の事件自体は大事だったが、対処が早くて人的被害が少なかった。世界皇帝も数か国が連盟で提出した嘆願書の前にはカースフールへの処罰を手加減しないわけにもいかず、彼は投獄や処刑されるようなこともなく、罰金やいくつかの規制をかけられる程度で見逃された。
代わりにロゼウスは、カースフールのような思想を持つ者が二度と同じような事件を起こさないように帝国内の法整備を徹底した。行きすぎた学者たちが法の穴をかいくぐるような実験を繰り返すなら、その法の穴を徹底的に潰してしまえばいいという考えだ。それでもどうしても有用な発明や進歩的な理論を通したいと願う学者やその所属機関のために、詳細を審査に持ち込んだ上で承諾を出す制度も設けた。
カースフール自身はそれ以来、大規模な事件や犯罪は起こしていない。
けれどかの学者の性格からすれば、彼が皇帝に何の恨みももっていないとは考えにくいという。
「私は知らなかったが、カースフールは今この国にいるのか?」
「ええ。まさか皇帝陛下のお膝元でこのような大胆な真似をするとは思いませんで……」
苦虫をかみつぶしたような顔でモーヴラーナが告げる。彼女自身もカウナードからの密書ではじめてその事実を知ったらしい。
ここで出てきた王国カウナード。かの国ははじめからカースフールがネクロシアに亡命していることを知り、その頭脳を利用しようとしていたらしい。そして彼らがとった行動が――。
「カウナードはカースフールのことだけでなく、ゼイルの研究を利用しようとしたらしい。事件の後始末で入手した資料を、カースフールに送ったそうだ」
「ゼイルさん、ですか?」
ルルティスの脳裏に、褐色肌に憂い顔の青年剣士の面影が浮かび上がる。
彼、ゼイル=トールベリは、もともと皇帝領にロゼウスの騎士になりたいと言ってやってきた人物だ。しかしその本当の目的は、間接的に主君の命を奪うこととなった相手であるロゼウスを殺すこと。
ユラクナー貴族まで利用して意趣返しのような小さな復讐を果たしたゼイルは、しかしロゼウスに勝てないと見るや姿を眩ました。その後、再び彼らの前に姿を現した時、ゼイルは優秀な学者の手記を盗むなどして謎の行動をとる。
ゼイルの行動は、その後彼の実験の失敗と言う形で皇帝領まで露呈した。禁じられた秘術、錬金術によって主君を「人造人間」として蘇らせようとしたゼイルは、自らが作ったその人造人間の手によって殺されたのだ。
「ゼイルの最後の研究は錬金術によるホムンクルス作成。そして錬金術師カースフールの研究も、ホムンクルスに関するものだ」
脳裏のゼイルの面影を隅に押しやり、ルルティスはロゼウスの言葉に集中する。
「人造人間、ホムンクルスですか。でもゼイルさんの実験は、魂を造り上げることができなくて失敗したんですよね?」
「ああ。そもそも魂というのは……いや、それはいい。ホムンクルスのことだが、ゼイルの造りだした“セィシズ”は中身はともかくその姿としてはかなり完成していただろう」
「……はい。最後に見たひとりは、外見だけなら生きている人間そのものに見えました。でも、失敗は失敗ですよね?」
「ゼイルの目的に即して、というならばそうだ。実在した人間を模すことや、一個の独立した生命として誕生させることを目的とするならば。けれどゼイルの造りだしたホムンクルスは、単純な命令を聞く自立した生体としては完成している」
「なんだか嫌な予感がするんですが、どういう意味なんです?」
ロゼウスの口ぶりからルルティスは薄々カースフールの研究内容に推測がついたのだろう。眉を潜めながらも、義務的に問いかける。
「カースフールのかつての目的は、ホムンクルスによる人造兵士の量産だ、意志も心もない肉の塊に、人間の闘争を肩代わりさせるというものだった」
ロゼウスは唇を噛む。
「……完全な人間を作り出すのではなく、人間の労働を代替させるだけの奴隷生命の量産。なまじ奴に才能があったのが不運なのだろう。俺は皇帝としてそれを禁じた」
カースフールの目的からいえば、ホムンクルスに魂など必要はない。
「なるほど。確かにそれなら、ゼイルさんの研究はカースフール氏とやらにとって有益でしょうね」
錬金術に関しては門外漢のゼイルだったが、彼はカースフールとはまったく別の目的で研究を行ったために彼とは別の着想で人造人間の製造に一役買った。
「カウナードはトールベリ氏の研究をカースフールに渡したそうですが、その後音沙汰がないそうです。事態を重く見た重臣の一部が我が国に内密に連絡を寄越しました」
モーヴラーナの言葉に、ロゼウスはますます難しそうに考え込む。他国の権力を利用して生き延びた男がそれを振り切る時。それは、もう彼にカウナードの支援が必要ないということを示すのではないか。
「カウナードのことは、皇帝領に残してきた帝国宰相がなんとかするだろう。それより今はカースフールだ」
「いいんですか、陛下。そんな危険人物に犯罪者の研究成果を横流しするような国は、帝国への造反や隣国の侵略を目論んでいるかも知れませんよ」
「だろうな。だが幸い、ここは皇帝領に近い。カウナードの上層部が馬鹿な行動に出てからでも止める暇はあるだろう。しかしその後ろ盾すら拒絶したカースフールが何をやらかすつもりかはわからない。――国が軍を動かすには時間がかかるだろうが、狂人が剣を振り回すのには理由も時間もいらないからな」
「緊急性はわかりましたけど、どうやってそのカースフール氏を止めるんです?」
ルルティスが生まれる前の出来事だ。そんなにも長く恨みを持ち続けられる学者のことが、幸か不幸かルルティスには理解できなかった。いまいちこの状況に緊張感を持てないルルティスの疑問に、ロゼウスはいっそ冷ややかなほどに落ち着いた声音で返す。
「俺が大仰に街中を練り歩いて探し回ってやるさ。あの男は、どうあっても俺を殺したいだろうからな」
そう言うロゼウスの眼差しは、すでにここではないどこかにいるカースフールへと向けられた、酷く剣呑なものだった。