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ネクロシアは陰鬱な国だ。
街の一つ、村の一つだけでなく、国そのものが何もなくとも粛々としている。
異国からの客人はまるで葬式の最中に放り込まれたように感じるが、何のことはない、これがネクロシア王国の常態だ。建物に使われている石は白亜だが、子どものラクガキすら見当たらない。
よく言えば行儀が良い。悪く言えば生気に欠ける。
それが大抵の者から見たネクロシアの印象だった。
「噂には聞いていましたけれど、本当に静かですね」
「頼むから騒いでくれるなよ、ルルティス」
「やだなー陛下。そんな、私がいつもやかましいみたいに」
「……」
住民たちは皆淡い紫の髪に深紅の瞳。見事に相反する金髪のエチエンヌや亜麻色髪のルルティスは目立つ。皇帝領に近いだけあってロゼウスの顔を知る者も多いが、その分住民の方でも慣れているのか、皇帝を前にしても静かな会釈をしてすぐに日常へと戻っていく。
城を出て城下街に降り、人を待つ間に彼らは街を観察していた。
誰かの気配を感じて振り返ると、案内役としてつけられたのは、ルルティスも顔見知りの美女だった。
「あ、フィロメーラさん」
「こんにちは、ルルティス」
以前学者会議でも顔を合わせた、ネクロシア出身の学者フィロメーラである。ネクロシア人らしい美しい容貌だが、学者である彼女自身は街の大人しい人々と違って生気に満ち溢れている。
「皇帝陛下もお久しぶりです。吸血鬼関連の事件を解決してくださるのですか?」
フィロメーラの問いに、ロゼウスたちは顔を見合わせた。
「フィロメーラさん、私たちは確かにネクロシア国王陛下に呼ばれたんですが、吸血鬼事件なんてのは初耳です」
「あら? でも私は皆さんが城下の事件に際して対応しやすいようにと案内を勤めるよう命じられたのですが」
ロゼウスとルルティスは先程とは別の意味で顔を見合わせた。
「まぁ、立ち話もなんだ。どこかに入って最初から話をしよう」
◆◆◆◆◆
「なるほど。それでわざわざ今回に限り“案内役”などを用意したのですね。うちの女王様は」
一通り説明を聞いたフィロメーラは納得の様子を見せた。
「まぁ皇帝陛下とあなた方なら、ついでに任された事件も完璧に解決してくださりそうだから別に構わないのですけれどね」
「話が早くて助かる」
つまり、フィロメーラが女王から持ちかけられた案内役をする「理由」は、後付けのついでの案件なのだ。本題はロゼウスを囮にしてカースフールをおびき寄せるための、ロゼウスにネクロシア王都をうろつかせる方の「理由」である。
何もないのに皇帝がうろつくのはやはり怪しいだろうということで、モーヴラーナは国が皇帝に解決を依頼してもおかしくない事件の話を持ち出した。
と言っても事件自体はでっち上げではなく、本当に今まさにネクロシアを脅かしている問題そのものである。だから「ついで」ではあるが、ロゼウスにはそちらの事件の解決もしっかり求められているのだ。
「一石二鳥ってこういうことですよね」
「うちの女王陛下はしっかりしたお方ですから」
四人が今いるのは、フィロメーラご推薦の定食屋だ。
本来皇帝を案内するような場所とも思えないが、そういえばこの美女は見た目はともかく中身はルルティスと並ぶ変人学者の一端だったとロゼウスたちは苦笑する。フィロメーラだとて身分や権威や皇帝を軽んじているわけではないが、それ以上に合理性を追求するのだ。確かにこの店は昼時には適度に騒がしく、誰かに聞き耳を立てられるような心配もない。
「で、問題の事件の概要は?」
「――どうやらこの国に、吸血鬼がいるようだ、と噂されています」
吸血鬼事件。フィロメーラは先程もそのようなことを言っていた。
吸血鬼と聞いて彼らが思い浮かべたのは、ウィスタリアのエァルドレッド伯爵領で起きた事件だ。ロゼウスの弟であったミカエラとウィルの生まれ変わりである伯爵兄弟が治める土地で、街の住人が血液を大量に失って殺されるという事件が起きていた。
しかしあの事件も、結局のところ最後の一人以外は人間の手による殺人だった。
「今月に入ってすでに三人もの人間が殺されています。被害者は皆若い男性で、独り身の男が多いようです。ああ、もちろん吸血鬼事件というくらいですから被害者は大量の血液を失い、干からびたミイラのようになっていたそうです」
「え……」
ルルティスは思わず小さな声をもらした。
「干からびていた? 被害者が?」
「ええ。全身の血を吸い尽くされて」
「それは……」
かつてエァルドレッド領で起きた事件の場合は、被害者の首筋に牙の痕を模した傷口こそ開けられていたが、被害者の体が干からびてなどいなかった。犯人が人間であったのだから当然だ。
「被害者の死亡推定時刻、発見までの時間の記録はあるか?」
「殺されてからどのくらい経って発見されたのか、ですね。三人とも、前日の晩に友人や同僚と会って翌朝には路地裏で死体で発見されています」
ロゼウスの問いに、打てば響くような速さでフィロメーラの答が返る。
「それだと、死体を干からびさせる細工なんかする暇ないですよね? あ、それともできるんでしょうか。魔術とか何かで」
ルルティスがさっそく推理を進めるが、ロゼウスは首を横に振る。
「俺も魔術の詳しいことはわからないが、できたとしてもやる意味がないだろう。そしてお前の言うとおり、ただの人間に一晩で死体を乾燥させる手段などない」
「……実は私、魔法学者としてこの事件の調査に立ち会っているんです」
神妙な顔でフィロメーラが告げる内容に、ロゼウスたちは注目する。
「確かにルルティスの言うとおり、魔術で死体を乾かす方法ならあります。まぁ、言ってしまえば人間に限らず魚や豚を乾燥させる……というか、燻製を作るのに便利な魔術ですが。とはいえ、私が見た死体はこの魔術で乾燥させたような有様ではありませんでした。ミイラという表現にも若干語弊があるかもしれません。彼らの死体は外部から『乾かされた』のではなく、内側から水分という水分、液体という液体を『絞り尽くされて』しわくちゃの皮膚だけが骨にくっついて残っていた……それを干からびていると表現したのです」
彼女の証言に、ロゼウスたちはまた難しい顔をする。
「……確かに、それだと人間の仕業と言い切るのも難しいな」
「それに、今回はエァルドレッド伯の時と状況も違いますしね。吸血鬼として噂を流されて困る方もいないでしょうから」
「ああ。そして実際、被害者が男ばかりというのはヴァンピルの観点としては理に敵っている。一般的な吸血鬼像は小説なんかの影響で女子供を狙うとされているが、実際には若くて健康な男を狙う方がより多くの生気を奪えるものだ」
「つまり、今回の相手は吸血鬼を模しているわけではなく、実際に吸血鬼に性質が近いと?」
「さすがにそのものではないだろうけどな……」
言って、再び考え込む。ルルティスも頭を働かせてみるが、やはりこれ以上の推測は進まない。
「実際に死体を見て見ますか?」
「いや、ヴァンピルである可能性が低いなら、相手が何であろうともともとこの国に関する知識のない俺がどうやったところで死体から殺害者を特定するのは難しい。そのくらいなら犯行時刻に王都全体の見回りをする方がいい」
「現行犯逮捕を狙うわけですね」
四人、とは言っても護衛のエチエンヌはほとんど発言しないで座っているだけなのでほとんど三人の話し合いだが、現行犯逮捕もしくは以前もやったような囮作戦で直接相手を捕まえる方向で話は固まった。
更に細かいところを詰めようとしたとき、通路側の椅子に座っていたルルティスはどん、と誰かにぶつかられた。柔らかな感触に驚いて思わず振り返ると、甲高い謝罪の声が響く。
「あ、ごめんなさい!! ――って……」
「あれ? シライナ?」
ルルティスがきょとんと見上げた先にいた僧服姿の少女は、彼よりもその奥の席に座っていたロゼウスに反応する。
「皇帝! なんであんたがこんなところにいるのよ!」
シレーナ教の聖女シライナと、何故かまたしても吸血鬼に関する事件の発生地で彼らは出くわしてしまったのだった。