薔薇の皇帝 22

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「なんであんたがこんなところにいるのよ」
「そっくり同じ台詞をそちらに返すぞ」
 ラクリシオン教の代表者ラクルと、シレーナ教の聖女シライナ。異なる二大宗教の長である二人は仲が良い。長とは言っても実質教団を運営しているのは枢機卿や大司教と言った他の幹部であり、この二人は実質的には象徴、お飾りとしての面が強い。それだからこそ異なる宗教の長でありながらこうも親しくすることができるのだ。
 そしてこの二大宗教に最も対立している組織は小規模新興宗教でも無宗教を掲げる小国でもなく、世界を支配する皇帝ロゼウスその人である。
 殺生を禁じ隣人愛を掲げる宗教と、殺戮皇帝とも呼ばれるロゼウスの主義は相容れない。そして困ったことにラクリシオン教もシレーナ教も皇帝も、彼らが掲げる神は同じなのに、その意を人々に伝える託宣者が違うばかりにまるでまったく別物の組織と化している。
 皇帝を選ぶのは神であり、皇帝はその代行者だ。そして殺戮皇帝と呼ばれるほどその手を血に濡らしても、ロゼウスはまだその玉座にある。
 そのことが、皇帝と二大宗教組織の対立を深めている。教会の掲げる慈悲と、皇帝の冷然たる正義は矛盾する、と。
「どうでもいいけどお二方も座ったらどうです? そこだと他のお客さんの邪魔になりますよ」
 二大宗教の長とロゼウスの確執を知りながらもものともしないルルティスが、シライナたちに堂々と相席を勧めた。
「こ、皇帝と同じ席になんて……きゃっ」
「もうなんでもいいから座れシライナ」
 また他の客にぶつかった彼女を見かね、ロゼウスもシライナとラクルが座る席を空けた。長椅子なので詰めればなんとかなる。
「シライナとはまさか、聖女シレーナ様ですか? そちらがラクリシオン様? まぁあ」
 シライナたちの顔を知らないフィロメーラが興味津々の様子なので、まずは彼女とシライナたちに自己紹介をさせた。何故か今日のシライナたちは、いつもの聖職者の格好をしていなかい。
「私たちはある事件を追っている。で、お前たちはどうした」
「私たちもとある事件を追っているわ。それだけよ」
 話は膠着状態に陥った。
 そこに一言、低い声が回答を挟む。
「吸血鬼」
「吸血鬼だと?」
「ちょっと、ラクル!」
「俺たちは、吸血鬼事件を追ってきた」
 シライナが咎めるような眼差しで見るのも構わず、普段喋るのは彼女に任せて佇むばかりの無口な男が珍しくロゼウスの前で言葉を発した。
「ラクリシオン……」
「どうせ皇帝陛下に隠し事はできない。あとで事態がややこしくなるよりいいだろう」
「でも今回私たちが追ってるのは吸血鬼なのよ? だからこそ皇帝じゃなく教会に話が来たっていうのに」
「どういうことだ? お前たちも吸血鬼を追っているのか?」
「も?」
 そこでロゼウスたちも、成り行きとはいえこのネクロシアで吸血鬼絡みの事件を解決することになったことを説明する。
「……その特徴、一緒だわ。私たちの追っている吸血鬼と」
「本当か!」
 ロゼウスたち四人はずずいと顔を机の中央に寄せた。シライナたちも身を乗り出し、文字通り額を突き合わせる格好になる。
「お、お客様ー?!」
「林檎パイを六つ」
「紅茶と珈琲を一つずつ」
 奇妙な異国人の集団の奇行に店員の戸惑った声が聞こえてきたが、ロゼウスたちは慌てず騒がず追加注文をした。関わり合いになりたくないと思ったのか、店員はそれを受けてすぐに厨房へ引っ込む。ところで犯罪調査の最中なのにこんなに目立って良いのだろうか。
「私たちが最初に依頼を受けたのはここから離れた国、ユラクナーよ。怪死事件が起きたので葬儀を上げに行ったのだけれど、同じ街で更にもう何件か同じような事件が起きて問題になったの。相手がどうやら吸血鬼のようなものらしいと判明してからは、あらためて教会に調査の依頼が来たのだけれど」
「けれど?」
「犯行現場がどんどん移動して行っているのよ。大陸の中央近くから、西へと。それで最後に辿り着いたのがこのネクロシアってわけ。それに……」
「俺たちは一度、吸血鬼と呼ばれるその相手を倒した」
「――何?」
 咄嗟に声を潜めながらも息を呑んだ皇帝領の面々に対し、ラクルはより一層低めた声で説明した。
「結論から言うと、それは吸血鬼とは言ってもローゼンティアのヴァンピルとは無関係だ。そもそも、あれは人間ではない、あれは――」
「ホムンクルスだったのよ。所謂人造人間」
 ラクルの後を引き継いだシライナの言葉に、ロゼウスたちが目を見開く。
「――繋がった」
「ええ」
「? どうしたの?」
 まさかこんなとこから本命への手がかりが見つかろうとは。半ば呆然としつつ、ロゼウスは反射的に要点を二人へ漏らしていた。
「実は今回俺たちがこの国に来たのは、吸血鬼事件が本題じゃない。それよりも異端錬金術師カースフールと言う老人を捕らえるために、街を徘徊する理由が欲しくて吸血鬼事件を解決しに来た振りをすることにしたんだ。それが」
「何? じゃあそもそもの元凶は、吸血鬼と呼ばれるホムンクルスを造りだしたそのカースフールって錬金術師なわけ?」
「そういうことだ」
 ロゼウスたちはカースフールをおびき出すつもりで吸血鬼事件の解決を試みることになった。だがそもそも、その吸血鬼事件こそがカースフールの仕組んだもの。別々だと思われていた二つの事件はもともと一つのものだったのだ。吸血鬼事件を解決すれば、自然とカースフールにも辿り着くはず。
 事情を聞き、シライナたちも数瞬前のロゼウスたちと同じく呆気にとられた。彼女たちが長く追い求めてきたものの元凶が、この街にいるというのだから。
「私たちが追っている吸血鬼ことホムンクルスは、西に進むにつれてどんどん完成度が増していったわ」
「完成度?」
「ええ。最初は教会側もなんとか人海戦術でその犯行を捉えたのだけれど、その時に見たのは人よりも獣に近いような、とうてい人造人間とも吸血鬼とも呼べない姿だった。それがだんだん人形に近くなり、ここの隣の国では、もうぱっと見は大分普通の人間に近くなっていたわ」
 それでもまだシライナたちが見たホムンクルスは実際に対峙してみれば違和感がわかるレベルだったという。だが。
「シレーナ。その事件が最初に起きたのはいつごろの話だ?」
「一年前よ。私たちは普段は別の仕事をしてて、情報が上がるたびに現地に赴いていたんだもの。中にはウィスタリアの時みたいに吸血鬼違いの話もあったけれど」
「それでこの一年あちこちでお前たちと出会ったんだな」
 聖女シレーナと聖人ラクリシオンは、この一年ずっとその吸血鬼を追っていた。
「カースフールがゼイルの研究を手に入れたのは早くてもここ二、三か月の話らしいが、すでにその基盤は出来上がっていたんだな」
「それってなんか、まずい気がしますよ」
「ああ、かなりまずい」
 話題がついに件の人物カースフールのこととなり、ルルティスも顔を歪める。
 ゼイルの造りだしたホムンクルスセィシズは、ほぼ人間に近い外見を要していた。人格についても改良の余地はあったが、一見してそうとはわからないようであった。それに、吸血鬼と呼ばれるほどの運動性能が加わったホムンクルスが、人を襲っているとしたら。
 人間と見分けのつかない人外の化け物ほど厄介なものはない。
「だが、モーヴラーナの調査と報告に寄れば、この国にカースフールがいるのは間違いないという。これまでは遠い国で慎重に作業してきた奴が自分のもとで事件を起こしたんだ。奴の研究、計画も佳境に入っているはず」
「逆に言えば、今カースフールさんを捕らえてその研究成果を破棄すれば、ここで全部が終わりにできるわけですね」
「願ったりだわ。ああもう、この一年、長かったわ」
 ネクロシアに来たばかりのロゼウスやルルティスはまだ落ち着いているが、シライナとラクルは意気込みが違う。彼らはこの一年間ずっと吸血鬼を追ってきたのだ。それも一度は倒したはずなのにまた別の個体が別の国で騒ぎを起こしていると聞き、一体このいたちごっこがいつ終わるのかとさぞや不安だったことだろう。
「それで、どうやって吸血鬼とそのカースフールとやらを見つけるの?」
 シライナの当然にして何気ない問いに、ロゼウスはにっこりと笑顔を浮かべた。
「――それはこれから考えるところだ」
「って駄目じゃない!」
 肝心のところがまだ未定だった。