薔薇の皇帝 22

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 とりあえず行動せねば始まらぬだろうと、六人は食事を済ませて外に出た。
「被害者が集中しているのは、この辺りの区画です」
 フィロメーラの案内で、王都内でも特に治安の悪い下町方面を行く。
 シライナたちも法衣は脱いでいるものの、ただでさえ目立つ他国人であり上品な物腰。それに何より皇帝の存在。道行く人々が皆ぎょっとした顔で振り返る。
 けれど振り返るばかりで、彼らは何もしない。話しかけても来ない。
 彼らは皇帝を拒絶もしないが、受け入れているわけでもないのだ。
 と、ふいに近くで人々が喚いている声が耳に届いた。
「――――な! こんな――」
「――ら、――だよっ!」
 彼らはぐるりと辺りを見回す。だが、どこにもそれらしき人影はない。
「上だ」
 いち早く気づいたロゼウスの指摘に顔を上げると、ちょうど彼らの頭上の建物で騒ぎが起きていた。
 二階の一部屋の窓際で男たちが何事か喚いているらしい。一度当たりをつけてしまえば集中しやすく、部屋の中の騒動も大分聞き取りやすくなる。その頃には通りの人間や隣の店の人々も何事かと顔を出して、揉め事を起こす部屋を眺めた。
 中には数人の人間がいる。声から察するにどれも男のようだ。年端も行かぬ少年に傭兵風の鍛えあげた体つきの男が二人。
 男たちが揃って少年を責めているようだった。その頃には近隣の知り合いか誰かが一階の店の中に駆け込む。いれば店主か中の人間に知らせてやめさせようというのだろう。
「おい、あれ、危なくないか?」
 エチエンヌが眉を潜めた。くだんの部屋は二階と言っても店の二階なのでそれなりに高い位置にあり、男たちは窓際で怒鳴り合っている。
 ついに一人の男が、窓際の少年を突き飛ばした。
「!」
 周囲からどよめきが上がる。
 咄嗟と言うには優雅な仕草で足を踏み出したロゼウスが、ごく自然な素振りで窓から落下した少年を抱き留めた。
「大丈夫か」
「え? あ、ああ……ええ?」
 少年は驚いて目をぱちぱちと瞬き、自分を抱き留めたロゼウスの顔を見上げる。二階から突き落とされたことよりも、見事に受け止められたことに驚いているようだ。
 少年を突き飛ばした男たちの方はと言えば、しまったという顔つきで窓からこちらを見下ろしていた。この高さならば落ちて死ぬ人間は少ないが、大怪我は確実にする。当たり所が悪ければどうなるかわからない上に、突き飛ばされたという事態の性質上少年は頭から落下する形となった。ロゼウスが受け止めねばどうなっていたかはわからない。
「あんたたち! うちの“商品”に何してくれてるんだい!!」
 威勢の良い女将らしき声と共に、窓際の傭兵たちは大慌てで背後を振り返った。しばらくするとその男たちが、箒で追い立てられて這う這うの体で店から逃げ出してくる。
「ふん! さぁあんたたちも散った散った! 見世物じゃないんだよ!!」
 店の女将は野次馬たちをも蹴散らしてしまうと、ようやく窓から落ちた少年を抱えるロゼウスの方へやってくる。
「おや、生きてたか。レニー。前にもそうやって死んだ奴がいるからてっきり死んだと思ったがね」
「生憎と、悪運は強いようでね」
 やたらと迫力のある女将の物騒かつ薄情な言葉に対し、レニーと呼ばれた少年はくつくつと笑う。
「助けてくださってありがとうございます。御礼が遅れて申し訳ありません。僕はレニー。この人は《眠る獅子の仮屋》の女将、アガサ。アガサ、僕が頭から落ちて死なずに済んだのはこの人たちのおかげだよ」
 《眠る獅子の仮屋》というのが、どうやらアガサが運営しレニーの勤める店の名らしい。ロゼウスをはじめとする一行にやけに色っぽい笑みを向けて、レニーは言った。
「ようこそ、娼館《眠る獅子の仮屋》へ。あなたはどんな夢をお望みだい?」

 ◆◆◆◆◆

「まぁ、こんな場所にあって人を商品と言い、あの手の手合いと揉めているんだからそんなところだろうとは思ったんだが」
 自分は男娼だとあっさり言ってのけたレニーは、一行を店の中へ案内した。まだ開店前らしく、先程の礼に簡単な茶を出すだけと言われてアガサも鼻を鳴らしながら奥に引っ込んだ。
 建物はそれなりに大きいが一室一室が小さく狭い。レニーに案内された部屋も例にもれず、とても七人は入れそうにない。
 案内役のフィロメーラと護衛のはずのエチエンヌ、そしてラクルが他の場所で待つことになった。四人ならなんとかならないこともない、とレニーにもてなしを受ける。
 この店にはお忍び貴族もよく来るらしく、そういった者たちの従者を待たせる部屋があるのだとか。エチエンヌたちはそちらで待っているらしい。
 ラクルは立場的にシライナと同じなのだからもてなされる側であろうが、彼本人がそれを辞退した。と、言うよりも本来レニーを助けたのはロゼウスなので最低限ロゼウスがいれば良かったのだろうが、ルルティスとシライナがついていきたいと駄々を捏ねたのだ。
 エチエンヌとしては男娼と皇帝を二人きりにするのに抵抗があるし、ラクルは皇帝ならばシライナのことを守るだろうと信用している。さまざまな思惑が絡み合った結果、レニーの部屋ではロゼウスとルルティスとシライナが押しかけ、本当にただお茶をして帰ってくれば問題ないだろうということになった。中には怪しい言葉で人を惑わす手合いもいるだろうが、それにはルルティスがいれば完璧だ。
 そんな、レニーの部屋である。
「お客さんは、もしかして皇帝陛下かな? シルヴァーニ人の騎士を引き連れたローゼンティア人なんて他に滅多にいないだろうからね。そっちのお兄さんとお姉さんに関してはわからないけれど」
「あー、えーと、我々に関してはお構いなく」
 それでも一応ルルティスとシライナも簡単に名乗る。レニーは好奇心旺盛そうなのに真意の見えない瞳で笑い、三人にお茶を淹れた。相手が皇帝とその連れだとわかっていても、物怖じ一つしない。
「さっきも言ったけれど、助けてくれてありがとう。あいつら、この店と契約してる傭兵なんだけどちょっと揉め事起こしてね。しつっこいから困ってたんだ」
 レニーは揉め事の詳細については語らなかったが、語りたがらない話ということでロゼウスとルルティスにはなんとなく内容がわかった気がする。そういうことに免疫のないシライナだけが一人きょとんとしている。
「礼と言っても大したことはできないけれど、何かあったら言って。僕にできることならするから」
「――それなら、街の案内をしてもらえるか? 私たちは仕事でここまで来たのだが、ネクロシアの地理に明るくはない」
「国家規模なら僕も別にネクロシア全土に明るいわけじゃないけど、確かにこの下町ぐらいなら僕の庭だね。うん、いいよ。どこを案内すればいいのかな」
「吸血鬼事件」
 ロゼウスは何も包み隠さず、はっきりとその言葉を口にした。
「吸血鬼事件について、君の見解を聞かせてほしい」