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大きな振動が過ぎ去った後も、細かな揺れは収まらなかった。
通常の地震とは順序が違う。普通は小さな揺れが続いてから大きな揺れが来るものだ。けれど今回の現象はその法則を無視していて、やはりこの大地の震動が自然のものではないのだと彼らに思い知らせる。
「一体、何が起こっているの……?」
シライナが不安そうな問いを発する横で、ロゼウスはネクロシア女王からの報せを持ってきたエチエンヌたちから話を聞いていた。
「女王様はついにカースフール術師の居場所を突き止めたんだって。だけど、城の兵士が行った頃にはもぬけの殻だった」
ロゼウスがカースフールの罪の証拠を集めている間、ネクロシア王とフィロメーラが協力してカースフールの現在地を追っていた。レニーのこともあり、ロゼウスがいくつか指示した情報を案内役を切り上げたフィロメーラが持ち込み、捜査は格段に進んだ。
しかしネクロシア王の兵士がカースフールのアジトに踏み込んだ際には、その家はまるでとるものもとりあえず夜逃げをしたかのような有様だったという。彼の研究資料も全てが持ち出されていたらしい。
そして、この地震だ。
「先遣隊の報告によると、西の山に――」
エチエンヌの報告の途中で、またしても大地が大きく揺れた。念のために腰を落としたままで話し込んでいたが、今度の揺れは先程より更に大きく誰もが地面に手をついて身を支えた。
「あ、あれ!」
ルルティスが仰天した表情で西の夜空を指差した。
「……は? ちょっと待て。なんだあれは」
さしものロゼウスも、「それ」を見上げて呆れ交じりの驚愕の表情を浮かべる。
「うそ、まさかあれ、ホムンクルスなの……?!」
シライナが目を瞠るのも無理はない。それは人型に近い形をしてはいるが、とうてい人造人間と呼べるような代物ではなかった。
「山か?」
ラクリシオンが睨み付ける先にある物体。それはネクロシアに存在するノムクース山そのものだったのだ。
『はははは。ははははははははははは!!』
突如として、しわがれた老人の声が響いた。
周辺の家々や商店からも、真夜中にも関わらず人々が飛び出してくる。先程の声は尋常の音ではなく、物理法則を無視してネクロシア王国全土に響き渡ったらしい。
『ついにこの日が来た! わしの偉大なる研究が完成する日が!!』
「カースフール……!!」
ロゼウスはぎりぎりと唇を噛みしめた。
「転移するぞ、いけるか」
「もちろんです」
「当然よ!」
事態を正確に把握するために、まずはカースフールのもとへ向かわねばならない。普段転移に関してまかせっきりにしているハデスはこの場にいないが、ロゼウスも皇帝の力の一端として少人数を移動させることぐらいならできる。
ルルティスたちだけではなく、シライナが気丈にも頷いたのを見てロゼウスはその場の人間を引き連れて転移する。
彼らは先程エチエンヌの報告に出てきた西の山、巨大なホムンクルスらしき存在が発生したノムクース山へと向かった。
目の前の景色が一瞬で切り替わる。その視野の中に白衣姿の老人を認めてロゼウスはその名を叫んだ。
「カースフール!!」
「来たか! 皇帝!」
やはり見間違いではない。
ノムクース山には巨大な泥人形のような、人間の上半身らしきものができあがっていた。
目鼻らしきものは見当たらないが、腕のような部位がロゼウスたちに向かって蛇の突撃のように伸ばされた。巨大な手のひらに押しつぶされそうになって彼らは逃げ惑う。
「きゃあっ!」
ロゼウスはシライナを抱きかかえて跳んだ。あとの男たちもなんとか自力で逃げ切るが、陥没した地面に蒼白な顔を向けている。
「どうだ、皇帝。これこそがわしの長年の研究成果。貴様にも、他の誰にも破られることのない最強の武力だ。わしの研究を認めなかったこと、今になって後悔しても遅いぞ」
カースフールは自身がホムンクルスの攻撃の巻き添えにならないよう、ノムクース山の麓の一角に結界を張ってその中にいた。外部とのやりとりには拡声装置を用いているらしく、愉悦に歪んだ老人の耳障りな声を響かせる。
「それどころか、俺はお前の学位を剥奪しようとした昔の自分の英断に拍手を送りたいところだけどな。カースフール、お前はやはり、あの時に社会から消えておくべきだったよ」
「ぬかせ! 積年の恨みを晴らしてくれる!!」
「エチエンヌ! 聖人二人をこの場から遠ざけろ!」
言葉を持たないホムンクルスの襲撃が始まった。
小山まるまる一つ用いて作られたホムンクルスは、とにかく巨大だった。山だけあってその場から動くことはないが、腕の一振りで小さな村ぐらい吹き飛んでしまいそうだ。
地理的に攻撃に巻き込まれそうな周囲に村や町はないとはいえ、なんとも無茶をするものである。
「アレイオン!」
「ちょっと待って碧の騎士、まだあいつが――」
「いいから逃げますよ!」
エチエンヌが彼に特別に与えられた権限を使い、ロゼウスが創造した生命体、硝子の馬アレイオンを呼び出す。その背にシライナとラクリシオンを乗せて彼は迷うことなくその場から離脱した。
硝子の馬が宙を駆けていくのを見届け、ロゼウスはホムンクルスと対峙しながらも、その操作者であるカースフールと向かい合う。
小手調べのようなホムンクルスの攻撃は躱したが、まずいことにこの疑似生命体の底力はこれだけではなさそうだ。
「やはり、吸血鬼事件の犯人をお前だったんだな」
「ふん。ようやっと気づいたか。皇帝と言っても、鈍いものだな」
夜闇に白衣ばかりがまばゆいカースフールは、皺に埋もれた顔ににやりと凶悪な嗤いを浮かべた。
「素晴らしかっただろう、わしのつくったホムンクルスたちは。人型の生き物を作る研究は長年各国で続けられていただろうが、あれほどに人間に近いホムンクルスを作り出せたのはわしだけだ。肉体も精神も生前と全く同じ。生きている人間と見分けもつくまい」
生前。その言葉でロゼウスの脳裏には、儚い笑みを浮かべるネクロシア人の少年の顔が蘇った。
「レニーは死んだぞ」
冷たい声で言えば、それよりも更に冷たい言葉が返ってきた。
「そうか。傑作だったのだがな。やはりあの程度では、仮にもローゼンティア人である皇帝の足止めにはならんか」
「違う! あの子は自ら死を選んだんだ! 自らが他者を襲うことでしか生き永らえることのできない化け物として造りだされたのを忌避して!」
――もとから誰にも望まれぬ命でも、僕は“ご主人様”の道具じゃない。これはせめてもの意趣返しだ。
そう言った少年の決意を、しかし異端の錬金術師は嘲笑う。
「化け物? それは貴様のことだろう、皇帝。人間の生き血を啜ることで永らえるローゼンティア人め。どうせお前のその不必要なまでに長すぎる生は、他者の命を奪い取って繋げたものだろう」
ロゼウスが目を見開く。
「あの小僧もくだらない考えを起こしたものだ。せっかく生き返らせてやったのだから、もっと上手く――」
「貴様!」
眼前が怒りに紅く燃え上がる気がした。
カースフール目掛けて飛び掛かったロゼウスの攻撃は、しかし巨大な土塊の手によって文字通り阻まれた。
横合いから伸ばされたその手に気づいた頃には、すでに離脱できる距離ではない。
「皇帝陛下!!」
巨大な山のホムンクルスによって、ロゼウスは虫が地面に押しつぶされるようにして叩き付けられた。