薔薇の皇帝 23

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「はははははは! どうした皇帝、わしの最高傑作には、さしもの貴様も手も足も出ないか!」
「皇帝陛下……っ?!」
 物陰に隠れていたはずのルルティスだが、ロゼウスの窮地にカースフールの目の前に飛び出した。
 カースフールの作ったホムンクルスは山そのものを本体としている。彼らが腕と呼んでいるその部位は、人間の大きさの何倍もの体積の土砂だ。雪崩れや土砂崩れに巻き込まれるのと同義のその攻撃に、ロゼウスは完全に土の中だ。
「ああもう、まったくっ!」
 しかしさすがは皇帝と言うべきか、幾らか白い衣装を血に染める怪我を負ったものの、皇帝は無事に土砂の中から顔を出した。
「ルルティス! お前は下がっていろ! ハデスを呼んでここから離脱しろ!」
「もう呼んでます! すぐ来るそうです!」
「仕事早いな!」
 距離があるので、二人は怒鳴り合うようにして会話をする。
 ルルティスは自力でここから転移するほどの大掛かりな魔術は使えないが、簡単な術法くらいは知識として知っている。先程まで物陰に隠れていたのは、そうしてハデスと連絡をとるためだった。
「逃げるのか? 皇帝」
「逃げるんじゃなくて逃がすんだよ、カースフール。お前の相手は俺だけで十分だ」
「というか、逃げるんじゃなくて一時離脱です」
 カースフールの言葉を否定したロゼウスの言葉を、ルルティスが更に否定する。その力強い言葉に、ロゼウスもカースフールも思わず彼の方を振り返った。
「陛下、あのホムンクルスはいくらなんでも巨大すぎます。それにレニー君曰く、ホムンクルスは核となっている物質を砕かねば永遠に再生を繰り返すのでしょう?」
 大きさは力である。カースフールの作ったホムンクルスは山そのものを素体としているだけに、通常の攻撃では傷一つ与えられない。もともと大地に傷をつけるというのも妙な話だが、それ以上にホムンクルスの大きさが厄介なことになっていた。
 ロゼウスはハデスのような魔術師ではなく、皇帝として使える力も攻撃に関しては限定的だ。そして通常、人間と対峙する際には剣を使う。人間相手には無双の強さを誇る吸血鬼であっても、これだけ大きさが違うとそれこそ虫に噛まれた程度の痛痒しか与えられない。
「私はあのホムンクルスの核を探すための、計算を始めます。陛下の通常の攻撃でも奴の力を削ぐことは可能でしょう。少しだけ時間を稼いでください。必ず戻ってきますから」
「馬鹿な! 核の位置は常に変動している。しかもホムンクルス自身の動きに合わせて変わるのだ! その動きは決して予測できないように組み込んである!」
「だーかーらー、その変数を割り出すのですよ」
「貴様のような青二才に、わしのこの数十年の研究が解析できると言うか!」
 完全にルルティスを舐めきった態度で怒鳴るカースフールに、その憎たらしさを更に何十倍返しという勢いでルルティスは爽やかすぎて腹黒い笑顔を浮かべた。
「そちらこそ人を見くびるんじゃないですよ、三流学者! 私はあなたと違って天才なんです。老害はさっさと後進に道を譲って朽ち果てろ!」
「なっ!」
 まさか可憐なほどに愛らしい少年の唇からこれほど毒のある言葉が出るとは思っていなかったのか、カースフールがルルティスの威勢に一瞬だけ飲まれた。
 すぐに憤怒の表情を浮かべた老術師は、自らのホムンクルスに指示する。
「あのガキを殺せ!」
 ホムンクルスが腕を振り上げる。
「ランシェット先生!」
 間一髪、ハデスが空間転移でその場に飛び込んできた。飛翔術でルルティスの腰を掻っ攫い跳び上がる。
「ぬおっ!」
 同時に、ロゼウスがカースフールの頭上に迫っていた。ホムンクルスの隙を練って術者であるカースフールを狙ったのだが、考えていたよりもずっと強靭な結界が彼を阻んだ。
 ばりばりと電撃が走り、後方に弾き飛ばされる。宙返りしながら地面に着地して、ロゼウスは吐き捨てた。
「ちっ! さすがに周到な準備だな。臆病者め」
「慎重と言ってもらおうか。それにな、あれは絡繰ではなくホムンクルスだ。今更わしを殺したところで一度生命を持ったホムンクルスは止められないぞ」
 大概の魔術ならば、術者を殺せばその使役も動きを止める。だが錬金術によって生み出された曲がりなりにも生物であるホムンクルスには、その法則は適用されない。そしてそれこそが、カースフールが魔術ではなく錬金術を選んだ理由なのだ。一般人には魔術も錬金術も同じようなものに思えるだろうが、その詳細は大きく違う。
 まさかカースフールの用意した相手が山ほどもあるホムンクルスだとはロゼウスたちも考えてはいなかったため、対応が後手後手になっている。しかしここまで来て撤退するわけにも行かず、ロゼウスだけはどのような時であってもこの場に残らねばならない。
 カースフールの元々の思想は、無数の自我を持たぬホムンクルスの兵団を作ることだった。しかし彼も数十年前に皇帝を敵に回したことにより学習したらしい。
 ロゼウスの攻撃力自体は突出している。だからカースフールは、その攻撃力を無効化できるホムンクルスの形態を模索した。それが等身大のホムンクルスの兵団よりも、一個の巨大なホムンクルス製作に繋がったのだ。
 発想は単純だが、実現には恐ろしいほどの労力を要する案だ。
 惜しいことに、カースフールは本当に才能があるのだ。その使い方を、もうずっと前から誤っていただけで。
「それでは皇帝陛下、御機嫌よう!」
 ハデスがルルティスを連れて消えた中空を睨み付けながら、カースフールは低い呪詛を漏らす。
「――どいつもこいつも、わしを馬鹿にしおって」
 老人は結界内の魔術陣に手を触れると、中の術式をいくつか書き換えた。察するにあれがホムンクルスの操作盤なのだろう。自律思考を持つはずのホムンクルスを、あれで制御しているのだ。
 レニーは完全に生前の人格を持ち、新しく付け加えられた吸血鬼としての性に苦しみながら生きていた。しかし眼前のホムンクルスには、もともと人としての自我は植え付けられていないようだった。当然だろう、あれだけ巨大で人から離れた生物に人間らしい自我など植え付けたら、狂うに決まっている。
 そしてカースフールが制御している操作盤を破壊しても、たぶん同じことが起きるのだろう。すなわち、ホムンクルスの暴走だ。
 かといって、カースフールにホムンクルスが支配されている今の状態が決して良いものであるわけでもなく。
 これまでとは比べものにならない地震が起こった。
「な……っ!」
 大地は揺れるを通り越して跳ね、山裾の木々は薙ぎ倒され大岩が宙に浮かぶ。カースフールの拡声で目覚めていた付近の村や町の住人たちも悲鳴を上げて地に這いつくばるのがわかった。
 ノムクースの山と一体化していたホムンクルスが立ち上がったのだ。
 立ち上がると言ってもこれまでも足の半ばは隠れていただけらしく、いきなり身長が二倍になったわけではない。けれど確かに全長は大きくなり、無駄な土砂が削ぎ落された分、より人に近くなったその巨大な生物は、先程よりも敏捷で確かな動きでロゼウスに攻撃を仕掛けてきた!
「うわっ!」
 慌てて攻撃を躱し、ロゼウスは気付いた。ホムンクルスが先程よりも一歩、こちらに距離を進めている。
 言葉にすれば一歩だが、あの巨体である。それは小さな村の半分程の距離もあった。そして巨人のホムンクルスがあと三歩も足を進めれば、そこにはネクロシアの外れの村が存在する。
「まずい……!!」
 救援が来るまで力を温存しようと思っていたロゼウスは、早々にそんなことを言っていられなくなったことを知る。このままホムンクルスが動き出せば、付近の村どころかネクロシア王国そのものが押しつぶされる。
「どうだ、皇帝よ。これでもまだわしの研究は無駄だとほざくか?」
 ロゼウスの焦りを見て取ったカースフールが勝ち誇った笑みを浮かべた。一国を踏み潰すのさえ容易く、疲れを知らない人造生命体を使役とした彼は、このまま各国を自らが支配できるとでも考えているのだろう。
 愚かな、とロゼウスは呟いた。
「認めるがいい、皇帝。わしこそこの世の学問の頂点に立つ存在。この頭脳により全てを支配することもできる!」
「だからお前は三流学者なんだ。ルルティスの言うとおりだ」
「何っ?!」
 カースフールがロゼウスの言葉に反応する頃には、ホムンクルスの右手首が吹っ飛んでいた。
「お前こそ知るがいい、己の愚かさを。貴様のホムンクルスがどれほどの性能を持っていようが、俺はここを通さない。そうなれば愚かな貴様にもわかるだろう? 俺に勝てさえもしない貴様の最高傑作に、何の意味もないことが」
 皇帝の力の一部を解放したロゼウスは、見る者が凍えるような笑みを浮かべた。