薔薇の皇帝 23

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「遅れまして申し訳ありません、皇帝陛下」
 そう言って挨拶代わりにホムンクルスの片腕を斬りおとし、華麗に宙から舞い降りてきたのは次代皇帝フェルザード=エヴェルシードだった。
 今まで巨大ホムンクルス相手に傷を与えた者はいても、腕を一本丸ごと斬りおとした者はいない。しかし恐らくこの世界で現在最強の攻撃力を誇る次代皇帝は、魔力を通わせた剣の一振りでそれをやってのけた。
「うわ……すごい……過去から未来にかけて、三人もの皇帝が集うなんて」
「エチエンヌ! 空中で感心してないでさっさと降りてきなさい!」
 フェルザードをここまで連れてきたのはエチエンヌだった。空中でアレイオンにまたがったまま呆気にとられていた彼は、姉の声に我に帰り慌てて地上へと降りる。
「遅くなってごめん」
「本当よ」
 エチエンヌはシライナたちを送り届けたその足でそのままエヴェルシードにより、フェルザードを連れてきたのだ。
 そして今ここに、三十二代から三十四代まで、三代に渡る“皇帝”が揃った。
 代替わりの度に先代皇帝が死するという帝国の仕組み上、皇帝が三人揃うというのはほぼ奇跡に近い。
 デメテルからロゼウスへの継承は当時かなり変則的な形であったが、ロゼウスからフェルザードへの代替わりはそれ以上に前例のない話となるだろう。
「さすがだな、フェルザード」
 四千年この世界を支配したロゼウスに完全と言わしめたフェルザードは、これまで誰も破ることのできなかったホムンクルスの防御をついに突破した。
「陛下こそ、何を遠慮していらっしゃるんです。あんなただ大きいだけののろまなデカブツ、さっさとやってしまえばいいではないですか」
「そう簡単に言ってくれるな。今、ルルティスたちが打開策を考えてくれているところなんだ」
「何を悠長なことを。いっそネクロシア国民を丸ごと避難させて、この国ごと吹っ飛ばしてしまえばいい」
「それは事後処理が大変すぎるだろう。国一つの大地を丸ごと消すのはやり過ぎだ」
 苦戦とは言っても、皇帝であるロゼウスが本当にこのホムンクルスに対抗できないわけではない。しかしそれには尋常ではない被害が出るためこれまで力を抑えていたのだが、フェルザードはそれらに頓着しないようだった。
「ま、今はまだ貴方様が皇帝だ。陛下のお考えに私は従いますよ」
 刃こぼれ一つない剣を構えなおし、次代皇帝は好戦的な笑みを浮かべる。
 ロゼウスやデメテルも決して弱くはないが、フェルザードはそれ以上に攻撃に特化した人物だ。もともと身体能力に恵まれたエヴェルシードの生まれというだけではなく、僅かな魔術の才能を己の努力と発想によって、より自分の力を活かす形に昇華している。
 フェルザードが魔力を纏わせた剣は、この世の全てを断ち切る。
 ロゼウスがゼイルに囚われた際に、城を丸ごと真っ二つに切り裂いたのもその技だ。現世において最強の次代皇帝は、単純な強さ比べでは敵う者はいない。
 ただし、今回彼らが倒さねばならない相手は不死身のホムンクルス。それも山ほどある巨体で、痛みも疲労も感じない疑似生命だ。斬っても斬っても蘇るホムンクルスを倒すには、確たる策が必要だった。
「術者を殺してはいけないのですか?」
「これだけの戦力が揃えば簡単だろう。だがそれでは、カースフールという科学者を屈服させたことにはならない」
 生半な結界など剣の一振りで断ち切るフェルザードが来たからには、今はカースフールを殺すのも容易い。
 だが、ロゼウスたちがホムンクルスの破壊よりもカースフールの殺害を優先しては、結局最後まで異端の錬金術師の歪んだ心を折ることはできないだろう。カースフールが妄信する彼自身の才能が創り出したホムンクルスを倒してこそ、皇帝ロゼウスはそんなものがこの世界に必要ないと、大声で断言することができるのだ。
「なるほど、だからランシェットなんですね」
「そういうことだ」
 学者であったカースフールに精神面での戦いで打ち勝つのは、彼と同じ学者という土台にいる人間でなければならない。だからロゼウスはルルティスを待つ。
「この私が所詮足止めと時間稼ぎとはね。この借りは高くつきますよ!」
 再び宙に跳び上がり、フェルザードは彼目掛けて伸ばされた土砂の腕を切り裂く。そのまま腕伝いに肩口へと跳び移り、ホムンクルスの頭部を剣で断ち切った。
「グォオオオオオオオ!!」
 痛みを感じているわけではないだろうが、人間であれば致死の攻撃にホムンクルスが初めて叫び声を上げた。
「な、なんだと」
 カースフールの顔にも動揺が浮かぶ。そうして皺深い顔を歪める彼は、ただの痩せ衰えた無力な老人にしか見えなかった。
 ホムンクルスの叫びを上げる頭部はすぐに土の塊となって崩れ、代わりに斬られた首から再び頭部が生えてくる。
「おやまぁ。本当に頑丈ですねぇ」
 足場にした肩に留まったままのフェルザードは、復活した東部からぎろりと紅い目で睨まれても動揺の一つすらする様子もない。
「何度斬っても再生するそうですね。では再生も追いつかなくなるぐらい、何度でも何度でも何度でも斬り殺しましょうか」
 美しい面に凄絶な笑みを浮かべ、フェルザードは上機嫌に囁く。
「早く戻って来なさい、ランシェット。そうでないと、あなたの出番は私が全てもらってしまいますよ」
 言い終わると同時に、彼は閃光となって空間を駆け抜けた。

 ◆◆◆◆◆

「う……くっ、おのれ! おのれぇ!!」
 カースフールは結界の中で地団駄を踏んだ。目の前には彼の最高傑作たるホムンクルスがいて、フェルザードに手も足も出せず切り刻まれている。
「まだだ! こんな、こんなはずではない! わしの野望は――」
 ホムンクルスを制御する魔法陣に手を伸ばし、後さきも考えずその構成を書き換える。
「何をする?! やめろ!!」
 いち早くカースフールの行動に気づいたロゼウスが止めようとするが、当然彼は皇帝の言葉など聞くはずがなかった。――制御を失ったホムンクルスが暴走する!
「よけろ! フェザー!!」
 警告は一足遅く、ホムンクルスの肩口付近を跳びまわっていたフェルザードの足場が突如として崩れた。土砂の中から伸びた鞭のようなものが、体勢を崩したフェルザードを思いきり弾き飛ばす。
「フェザー王子!」
「殿下?!」
 これまでにない威力の攻撃に、ローラたちがぎょっとしてフェルザードの叩き付けられた辺りに駆けつける。一撃で肉体を粉々にされてもおかしくない攻撃に、さすがの彼らも血の気を引かせた。
「ちょっと、何よこれ」
 もう一度大地の側から呪縛を試みたデメテルが顔を顰める。形態を変えたホムンクルスには、もはや先程と同じレベルの術は効かない。
 先程フェルザードを叩きのめしたのは、ホムンクルスの尾だった。
 初めは仮にも人型をしていたはずのホムンクルスが、蜥蜴のような恐竜のような怪物の形に変化したのだ。フェルザードを振り払ったのは、その長い尾だった。
「デメテル!」
 ロゼウスに名を呼ばれるや否や、デメテルは術を放棄して即座に空中に跳び上がった。間一髪、地を這う鞭のようなホムンクルスの尾が彼女のいた場所を薙ぎ払っていく。
 人の姿を失くしたホムンクルスは、その変態によって獣のような俊敏性を備えて更に厄介な代物へと進化していた。
「いいぞ! その調子だ! ――奴らの背後の町を襲え!!」
 形勢逆転の様子を見せたホムンクルスに、カースフールが顔を輝かせた。
 皇帝を直接相手にするよりもと、彼はこれまでロゼウスたちが背後に庇っていたネクロシアの村々を指し示す。これまでの人型ホムンクルス相手ならば今から避難勧告を出しても間に合うはずの距離だったはずが、変態して巨大な四足の獣となった今では、間に合わない。
 彼らがこの場を突破されれば町や村が滅ぶ。
「しまった……!!」
 ロゼウスの表情に、初めて焦りらしきものが浮かんだ。