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「世界の意志、そんな耳障りの良い言葉で、貴様はわしの研究を愚弄する気か、皇帝」
怒りに打ち震えるカースフールを、ロゼウスは冷たい目で見つめ返す。
「貴様はわしが知る限りでさえもう何十年も、学問の発展を全て握りつぶして『なかったこと』にしてきたはずだ。帝国の民よ、この光景を見ていると言うのであれば、今一度思い返せ! この男のしてきたことを!」
波紋が広がる。
カースフールの言葉に動揺したのか、ロゼウスたちのもとに届けられる祈りの力が一瞬弱まった。今では全員がロゼウスとデメテルに自らの力を分け与えて、拘束術に専念している有様だ。
「純粋にして愚鈍なこの帝国の民たちよ、聞け! 皇帝と名乗るこの男は我々か弱い人間たちの無知につけこみ、これまで何度も、この世界を更に発展させる技術を人々の目から隠してきたのだ!」
カースフールはここ数百年で発展した幾つかの分野の代表的な技術や思想を上げ、それがどのように人間社会に貢献するかを口にした。
「どうだ、皇帝。これでもまだ貴様の欺瞞を認めないつもりか」
「……いや、それらに関しては否定はできない」
「やはりそうだろう! 貴様は、我々人類の進歩を、進化を、発展を恣意的に握りつぶしている!!」
鬼の首でも取ったかのようにカースフールはロゼウスを糾弾する。会話の雲行きが怪しくなってきて、皇帝領の面々も顔つきが苦しくなってきた。
エチエンヌたちはロゼウスの部下だがその考えの全てを把握しているわけではない。リチャードも帝国宰相としてロゼウスを支えてはいるが、カースフールの口にした内容については完全にロゼウスの裁量のもとで行われたので彼の考えはリチャードにもわからないのだ。
デメテルとフェルザードは、別の意味で口を挟めない。
デメテルはすでにこの世界の皇帝ではない。フェルザードはまだ、この世界の皇帝ではない。
その時代の皇帝が世界を導いていく方法をこうと決めたなら、その人物が皇帝である間はそれが正しいのだ。すでに皇帝としての資格を失った者や、まだ全権を託されていない者が口出しできる問題ではない。
フェルザードは生まれた時からロゼウスの治世の民なので現時点ではカースフールと同じ立場だが、次期皇帝と確定している以上、それを口にして公平ではないだろう。
それに――正直なところ、フェルザードの主張は、今のカースフールと大体似たようなものだ。
ロゼウスがこの世界の文明を未発達な状態で抑え込むことによって、進歩しすぎた科学兵器などによる大規模な被害を防いでいるのはわかる。
けれど“変革”の皇帝となるフェルザードとしては、“維持”の皇帝であるロゼウスのその主義とは相容れない。
同じ時代に生きることもできたはずの皇帝と選定者でありながら、ロゼウスとフェルザードが別れたのもそれが理由だ。二人ともが同じ立場に立った時に別の主義を掲げることが分かったから、一緒にはいられないのだ。
けれどそのフェルザードとしてもカースフールの言葉に、賛同できない部分が一点だけある。
それは……。
「ナマ言ってんじゃありませんよ。小賢しい言い分で、自らの卑劣さを煙に巻こうとは大した御高説ですね」
待ち望んでいた声と言葉が、唐突に頭上から降ってきた。
「ルルティス!」
「お待たせしました皆さん! 解析は終了しましたよ!!」
何かの機材を抱えたルルティスが、小高い丘の上から拡声装置で呼びかけてくる。一人ではなく、恐らく解析を手伝ったのだろう他の学者たちも一緒だった。それだけではなく――。
「黒の末裔だと?!」
驚いたことに、ルルティスと共に黒の末裔と呼ばれる黒髪黒瞳の人々がいた。
七千年以上前から存在し、この帝国の建国の歴史に関わる民族。魔術と呼ばれる不思議な力を操って世界を支配し、それ故に初代皇帝シェスラート=エヴェルシードに倒された歴史の影に存在するゼルアータ人。
今でも日陰者の扱いは変わっておらず、学問や戦闘の分野で魔術が大分他の国家の人間にも取っ付きやすい物となったこの時代でも、それを操る黒の末裔の存在は普段表には出てこない。
そして三十二代皇帝であるデメテルと、その弟のハデスはこの民族の出身だ。
「カースフール氏の術は錬金術に魔術を加えてアレンジされているものらしいですからね。魔術の専門家である黒の末裔の皆さんにも協力してもらったんです。おかげであなたの構成した術は完全に分析できましたよ!」
「馬鹿な! わしが数十年をかけた研究が、たった一日でだと?!」
老学者の顔が驚愕と嫉妬に歪む。いくら世界でも最高峰の学者たち複数の頭脳を借りたとはいえ、元々天才と呼ばれた自分の研究成果を僅か一日で解析されるなど悪夢のようだ。
「先程は面白いことを仰っていましたね」
憎悪を向けてくるカースフールに、ルルティスも侮蔑と嫌悪の入り混じった底冷えするような表情で返す。
「皇帝陛下が間違っていると言うのであれば、あなたは今こんな時にここでそれを口にするよりも、あなたが研究を進めていた何十年の間にでも、その思想を大衆に広めて自らの主張の賛同者を作れば良かったのです」
同じ学者、同じ立場のルルティスの言葉は、他の身分ある人間たちの言葉と違って今この場で最もカースフールと対等だった。
「皇帝とは神に選ばれし者。あなたが正しく陛下が間違っているのあれば、天は自ずとあなたを選んだことでしょう。けれどあなたは一度皇帝陛下に学者の資格を剥奪された後、こそこそと隠れ住んだ」
「このような化け物に、ただの人間であるわしが敵うはずがないだろう! 例え正しいことを言ったとしても、殺されてわしの存在自体なかったことにされるのがオチだ!!」
「それでは何故、あなたは他の学者たちの説得を早々に諦めたのですか?!」
カースフールの言い分も、ある意味では正しい。ロゼウスという人間を知らなければ、彼がただ無差別に自分には向かう者を殺しているのではないとは言い切れない。そしてそれを知っていてさえ、強大な力を持つ皇帝に逆らうことは人間の本能的に恐ろしいに違いない。
だが、彼らは学者なのだ。
軍人ではない。学のない平民ではない。
例え四方八方から剣を突きつけて脅されたって、口が動くなら最後まで言葉で戦うことができる。
「あなたが学者の資格を剥奪された当初は、学院の中にもあなたを庇う者はいた。あなたの研究内容を知っていた人間も一人や二人ではない。けれど彼らはあなたの思想を知り、その考えについて行けず、あなたを罪人として追放する皇帝陛下を止めることはしなかった」
ルルティスは淡々と告げる。例え彼が今のカースフールと同じ立場になったとしても、同じ行動はとらない。
ルルティスがロゼウスと敵対する時には、こんな風に水面下で策謀を練ったりせず、もっと徹底的にやる。そう決めているからだ。
「私たちは学者です。この世界で最も優れた、最も強い生き物。けれどそれは同時に、私たちがこの世で最も愚かで最も弱い生き物であることとも同義です。――所詮人間は、ただ一人で生きている限り自分一人の力しか発揮できない弱い存在です。私たちの考えや研究は、実質的にこの世の中を動かす大多数の人々に受け入れられて初めて効果を発揮するのです」
本人が非力でもその研究成果に力がある場合、構想を実現するかどうかは、最終的には第三者が判断することになる。
そうでなければ、自分の考えが絶対に正しいと信じて暴走する者が出てくるからだ。
「カースフール元学士。あなたは学者などではない。学者とは王でも神でもない。世界の支配なんて関係ない、学者は自らが学者として生きる限り学者なのだ。あなたはそうではなかった。一度学士の資格を手に入れたくらいで思い上がり、この世界の王になろうとした」
学者は王ではないと言いながら、カースフールを高みから見下ろしながら言うルルティスのその様は、彼自身誰かに頭を下げることを良しとしない、紛うことなき「王」のようであった。
「こ、小僧がぁあああああ!!」
逆上したカースフールがホムンクルスの狙いをルルティスに定める。
「いけない!」
デメテルの魔術の拘束を断ち切り、ホムンクルスがルルティスを頭から呑み込むように飛び掛かる。
「待て! 何か考えがあるようだ!」
再びホムンクルスを止めようとしたデメテルを、ロゼウスが腕を引き掴んで止めた。獣型の大きな口が開かれる寸前、周囲の学者たちが避けるのにも構わずルルティスは自らその口の中に飛び込んだ!
これまでが非常事態だったので誰も気にしてはいなかったが、ここに現れた時のルルティスはいつもと服装が違った。動きやすく、体を覆う面積も広い。そして何より魔術での保護がかけられている、いわゆる魔導装甲服と呼ばれるものだ。
「今だ! かかれ!」
ルルティスが獣に飲み込まれた途端、周囲の者たちが動き出す。学者たちが背後に下がり、黒の末裔の魔術師たちがホムンクルスを囲むように円を描いて立つ。
ある程度位置が決まったところで魔術師たちが一斉に捕縛の術をかけた。デメテルの使っていた術とは違い、その魔術は魔力の少ない人間が一人で行ったところではたいした威力にはならない。しかし人数を揃え、正しい手順で行えば相乗効果で何倍にも力を高められるというものだった。
魔術師たちの努力によりホムンクルスの動きが止まったところで、今度は学者たちが動く。彼らは手に手に何かを持ち、ホムンクルスの足下で何かの術を行った。
「あれは……錬金術か!」
ロゼウスは目を瞠った。ホムンクルスは元々錬金術の産物。単純な攻撃や魔術では損傷が瞬く間に回復してしまうが、同質の力である錬金術ではホムンクルス自身の性質に近く、排除することはできない。
魔術師たちも学者たちも、完全に規則的な動きをしていて行動そのものが何かの呪術になっているようだった。そしてその鍵は、ルルティスが握っている。
「ここまで手伝ってやったんだ! 決めろよ! ランシェット!!」
ルルティス不在の間全体の指揮を執っていたハーラルトが叫ぶ。
まさにその瞬間、カースフールの造りだしたホムンクルスが内部から四散した。