薔薇の皇帝 25

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 ヴィンセントはまだ正式な学者ではなく、隣国の学院に通う身だ。それが今回セラ=ジーネ王家に請われてやってきたのは、他でもない彼が魔族「人狼」であるから。
 人魚の王が皇帝へと事件解決を依頼した理由でもある。魔族と人間の身体能力の差。
 セルヴォルファス王国は学院を持たない。そのためヴィンセントは近隣の国に留学という形をとり学生として学ぶ身であった。
 人と交わり文明を築き上げたとはいえ、魔族は元来、強さが全てという価値観が身に染みている。そのため、魔族でありながら向学心を持つ者は非常に珍しい。
 そのヴィンセントと二人で、ロゼウスは人魚失踪事件について探ることとなった。
「セルヴォルファスの方は変わりないか? ヴィンセント王子」
 人狼族は魔族の中でも特に閉鎖性が高く、人間と交流しようという意識は少ない。滅多に国外に出ずにセルヴォルファス一国の中で生活が完成している。そのため、他国との調停や国内外の勢力の均衡を保つ意味で皇帝に頼る事が少なく、繋がりも薄かった。
 だから次のヴィンセントの言葉には、ロゼウスは正直意外な思いだった。
「実を申しますと、我が国でも少々問題が……この騒動が終わったらで構いませんので、皇帝陛下には一度セルヴォルファスの方にも足をお運び頂けたら……と願います」
「そうか」
 セルヴォルファスが国内で起きた問題の解決を皇帝に依頼するのは極めて珍しい。
 余程大きな出来事でない限り各国の国政に干渉しないロゼウスは、もうここ数百年程度、セルヴォルファスの事情に嘴を挟む機会はなかった。
 数百年という時間は人間にとっては子子孫孫が代を重ねる永い時だが、皇帝にとっては一炊の夢程度に過ぎない。魔族にとってもせいぜい一代二代程度の長さだ。
「具体的に対処できるのならば、皇帝領の宰相たちに先に準備をさせるが?」
 書類地獄に苦しむリチャードには酷な話だが、下準備を行うことによって問題を早く、確実に、後腐れなく解決できる。
 しかしロゼウスの問いに対しヴィンセントが返して来たのは、どうにも事態の本質が見えない、意味深な言葉だった。
「穴が開いているのです」
「……穴?」
「はい。暗い暗い風の吹きこむ風穴が」
 それだけ聞いてもロゼウスに思い当たるような事例はない。その「穴」が何を指しているのかわからないのでは、対処のしようもない。
「まぁ、この話はまたいずれ」
 詳しく説明すれば長くなるからと言うように、ヴィンセントは結局その問題について何一つ具体的な事情を明かさずに話を打ち切った。
「そうだな。今は人魚たちのことだ」
 後にロゼウスは、もっと早くセルヴォルファスのことを聞きださなかったことを悔やむが後の祭りだ。

 ◆◆◆◆◆

 人魚と人間が共存する王国セラ=ジーネ。
 とはいえ、人魚は国土の一部に棲息していると言う扱いで、人間のような社会基盤を構築しているわけではない。
 動物のようにただその土地に生きている種族というだけだ。
 当然警吏なども存在せず、犯罪に関しては専ら人間であるジーネ人が捜査を行うことになる。
 これまではそれで十分人魚たちの生活は成り立っていた。しかし今度の事件によっては、その前提や認識を変える必要があるかもしれない。
 ロゼウスとヴィンセントの二人は、まずセラ=ジーネの民たちの空気を掴むために聞き込みを始めた。
 街の治安が良いのか悪いのか、人魚族に対して敵意や悪意を抱いている者が多いのか少ないのか、住人達に事件に関することを聞きながら探るためだ。
 ローゼンティアの吸血鬼らしさを隠さないロゼウス、獣の耳と尾が出しっぱなしのヴィンセント。
 他の人間たちの国ではもう少し注目を集めるだろうと考える程に、本来異質な魔族二人を、セラ=ジーネの民は平然と受け入れる。
「ああ、人魚がいなくなったって事件の話ですか? 警吏が聞き込みに来ましたよ」
「すいませんが、俺は何も知りませんね」
「人魚がいなくなったとは聞くんですが、人間の被害はまだ出ていないということで」
「でも、一体どうして人魚を攫うのかしらねぇ」
「治安は確かにこのところどんどん悪くなっていく一方です」
「人間は夜になると、できるだけ外に出ないようにしているんです。人魚はどうなのか知らないけれど……目撃者がいないってことはそうなのかも知れませんね」
 被害が出た街の住人たちは、ロゼウスたちの聞き込みには比較的快く答えてくれた。こういった様子を見ている限りでは、この国で人魚と人間が仲違いをしているという事情ではなさそうだ。
 しかし、平穏な日々を送る人々からはやはり事件の鍵を握るような情報も出てくる様子もなかった。
 人々は人魚に対して悪意はないが、そもそも根底である人魚という存在への関心自体がそれ程ないようである。
 陸の上で暮らす人魚族と基本的に海を離れない人魚では確かにいくら生活圏が近くともその行動範囲は重ならない。
 ただ人魚たちが次々と行方不明になっているという噂はすでに広まっていて、街の住人たちにも不安が伝播していた。
 潮風の香る街並みにはどこか陰鬱な気配が満ちている。皇帝が代替わりする影響で訪れた帝国の斜陽が、この街にも影を投げかけているようだった。
「やはり目撃証言は集まりませんね」
「ああ。元々期待してはいないがな」
 一応、捜査という体裁を整えるためにセラ=ジーネの警察機構にも話を聞く。
「捜査に進展はありません」
 しかしやはり芳しい回答は得られず、逆に意見を求められる始末だった。
「吸血鬼族と人狼族の目から見て、何か変わったことはありませんでしたでしょうか?」
「いや、別にまだこれと言った手がかりはない」
「そうですか」
 それでもセラ=ジーネの捜査機関は真剣に事件の解決を望んでいるのだろう。対応した警吏は相手が皇帝や王子であるからというだけではなく真摯に対応をしてくれた。
 残念ながら、ロゼウスたちがその期待に応えることはできなかったのだが。
「ヴィンセント、お前の“鼻”で気づいたことはないか?」
「……申し訳ございません。この街は潮風が強くて……それに、元々多くの人魚が棲む街でもありますので特定の個体だけを嗅ぎ分けるのは不可能に近いかと」
「海は奴らの庭だからな。仕方ない」
 セラ=ジーネの人魚たちはもう何千年もこの国でこの街で暮らしている。
 人間たちと必要以上に交流を持つでもなく、同胞だけで閉じこもるのでもなく。
 人魚は同じ魔族である吸血鬼とも人狼族とも違う生き方を選んだ。
 だからと言って、そこから先何が変化したわけでもない。
 魔族の扱いはここ数千年変わらない。
 滅びることも、必要以上に人間と交わることもなく、ただ存在している。
 何のための存在なのかすらわからないまま。
 それでも彼らを取り巻く国や世界、人間たちの社会の方は随分と変わったはず。
 それが何を意味するのか?
 人と魔族が共存する世界。それは、遥か昔に人が目指した理想郷だ。
 だが現実は……。
「人魚か……もしそれが失踪ではなく誘拐だとしたら、犯人は何を考えているのか」
 人魚の誘拐ともなればセラ=ジーネは国を挙げて捜索するか、もしくは皇帝にこの件の解決を依頼する。決まりきった流れだが、犯人はそれを予測できなかったのか?
「侮られているのかもしれませんね」
「ヴィンセント」
「陛下の治世の安寧の下、人も魔族も己の攻撃性を抑え、永く和平を維持することに努めました。――ですが、それは仮初の姿。今生きている人間たちは、我ら魔族の恐ろしさなど……もうわからなくなってしまったのかもしれませんね」
「私のせいか」
「そうは申しておりません。ですが……」
 そこで二人は不意に背後を振り返った。
「え?!」
 今にも二人に声をかけようとしていた一人の青年が、ぎょっと目を瞠る。
「何の用だ?」
「ぼ、僕は……」
 年の頃は二十歳前後の、風貌冴えない一人の青年。地味な色の瞳はけれど穏やかな形をしていて、こんな場面でもなければおっとりと日常を過ごしていることが窺える。
 青年は攫われた人魚の一人の恋人だった。
「彼女を助けたいんです! お願いです! 僕にも手伝わせてください!」
「足手まといだ」
 ロゼウスを皇帝と知りながらも物怖じせず哀願してくる相手を、ヴィンセントが冷たく切り捨てる。
「なんでもしますから! お願いです!」
「……」
 ロゼウスは小さく溜息をついた。
「陛下」
「仕方があるまい。――だが、いいのか? 辛い想いをするかもしれないぞ」
 人魚を誘拐する目的など限られている。そして、すでに被害が出てからかなりの日数が経過している。
「……ッ! 覚悟の、上です!!」
「――そこまで言うのなら」
 ロゼウスたちは青年を連れて歩くことにした。