薔薇の皇帝 25

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 やはり地元の人間の案内があるのとないのとでは多少違う。
 ロゼウスたちは青年のおかげでよりスムーズに情報を集められるようになった。一見事件と関係ないような細かいことまでも、住人たちは記憶を探ってくれるようになる。
 しかしそうまでして情報を集めても、事件の解決に繋がるような重要証言は得られなかった。
 人魚の誘拐犯に関しては、事件の起きた街で毎日生活している人々にしても気付けない程巧妙にその尾が隠されている。
「ふむ……少し視点を変えてみるか」
「視点?」
「一般人から情報を得られないのであれば、“有力者”たちから探るしかあるまい」
 夜の一番遅い時間、朝の一番早い時間に活動する市民たちに聞いても、消えた人魚の目撃証言は得られなかった。全ては月もない真夜中に行われている。
 ならば夜歩く者たちに聞くしかない。
「有力者って、貴族ですか?」
「いや、裏社会の人間だ」
「え」

 ◆◆◆◆◆

 怯える青年とまったく表情を変えないヴィンセントを連れ、ロゼウスは街の盗賊ギルドに立ち寄った。
 やろうと思えばそれこそもっと深く暗い場所を探すこともできるのであるが、今回は成り行きとはいえ一般人を連れているのでこれでも気を使ったのだ。
 どこの街にも存在する盗賊ギルドは限られた人間にしか発見できないよう上手く隠されているが、求める人間――すなわち盗賊たちにとっては探し出すのは造作もない。
 ロゼウスは盗賊ではないが、こうした裏社会に関する知識は一定以上ある。
 そして薔薇の皇帝がまたの名を殺戮皇帝とも呼ばれ、名君でありながら悪逆非道の支配者でもあるという印象はこう言った場合は有利になる。
 支配者が穢れを知らぬ聖人ではないことによって、裏の人間たちも条件次第では取引可能と判断してくれるからだ。
 街の路地を一本横に入り、そこから娼館の裏口へ。さらにそこから……と、現在地や帰り道を見失うような移動を何度も繰り返し、彼らはようやくそこに辿り着く。
 地下に造られた酒場のカウンターで、強面の店主がグラスを磨いていた。一見してその男がギルドマスターだと見抜いたロゼウスは、情報を買いたい旨を男に伝える。
 片眉を上げた男はロゼウスがただの吸血鬼ではなく皇帝であることに気づいたらしく、余計な口を挟むことなくすぐに情報屋を紹介した。
 鼠顔の情報屋が、ロゼウスとヴィンセントの高価な着衣を見て口の端を持ち上げる。
 高価な衣類を身に纏う貴族らしき人物が、護衛らしい護衛も連れずたった三人でこんなところに平穏無事な姿で乗り込んできたことの意味がまだわかっていないらしい。
 その意味では不安が残るが、一目でロゼウスを皇帝と見抜いた店主が紹介するのであれば情報収拾の腕は確かなのかもしれない。
 ロゼウスは相手の正面の席にふんぞり返るようにして腰かけた。下手をしないでも普通はだらしなく見える格好だが、行う人間が皇帝であるだけあって、若い外見にそぐわぬ妙な迫力を発している。
「情報を買おう」
「何が知りたい?」
「人魚について」
「このところ『上』で警察を騒がせている失踪事件か」
「面倒な駆け引きをしている時間はない。知っているだけのことを全て話せ。報酬は言い値で払う」
 娯楽本でよくあるように、ちまちまと追加でコインを弾いて順番に情報を買うようなことは面倒だ。
 ロゼウスの妙な迫力に呑まれかけていた情報屋は、しかしここで言い負かされるのは癪だと言わんばかりに目を細める。
「お貴族様、それはルール違反だぜ。あんまりやり方が美しくないねぇ」
「私が誰だかわからないか?」
 時間が惜しいロゼウスは、もったいぶらずにさっさと正体を暴露することにした。意図を読んだ店主が情報屋に囁く。
「この方は皇帝だ。薔薇の皇帝ロゼウス=ローゼンティア」
 鼠顔の表情が見事に崩れた。
「……冗談だろ?」
「本当だ」
「忘れたのか? ここが半分魔族の国であることを。私が皇帝であると同時に、一人の魔族であることを」
 半信半疑という様子だった情報屋が、店主とロゼウスの言葉を呑み込んで徐々に渋い顔になる。
「……これは失礼いたしました。皇帝陛下。しかし、ルール違反は感心しやせんぜ」
「緊急事態だ。見逃せ。私がこうしてこの場に足を運んで自らの手で金を払うと告げているのだ」
「……そのようで」
 本来ならロゼウスはわざわざこんな場所に足を運ばずとも、玉座で一言命じれば臣民は必ず従うもの。それをわざわざやってきた意図を汲めと、圧力をかける。
 相手を皇帝と認識してもさして態度の変わらない情報屋に、王子であるヴィンセントが顔を顰めた。ロゼウス自身が相当砕けた言葉遣いをするとはいえ、ただの臣民が皇帝相手にその態度ということは彼にとっては耐えがたい。
 だが情報屋にも事情はある。一般市民やただの貴族であれば皇帝への非礼は這いつくばって赦しを請うかもしれない。しかしケチな盗賊相手の小者情報屋とはいえ、裏社会で生きる男たちは舐められる訳にはいかないのだろう。例え相手が皇帝でも。
「お題は頂きますよ」
「当然だ。私を満足させるだけの情報なら、それに見合った報酬を支払う」
「ならば……と言っても、俺たちも決定的なことは掴んでいません」
「そんな!」
 思わずロゼウスの後ろから声を上げた青年を、ヴィンセントが抑え込む。
 情報屋はちらりと彼の方に視線を寄越したものの、ロゼウスがまったく気にする様子を見せなかったので目の前の商売相手との話を優先することにした。
「決定的、とはどういうことだ?」
「確かに誰かが人魚を使って一部の貴族やその筋の有力者に何かを売ろうとしている気配があります。だがそれが誰なのかがわからないのです」
「つまり、お前たちの世界で把握していない人間がいきなり裏で台頭してきたと言うのか?」
「そうなりますね。他国からその筋の有名どころがやってきたという話も聞きませんし、セラ=ジーネの人間であることは間違いないようですが。――これ以上調べるには利益より不利益が大きくなりそうなもんで、その辺の情報屋如きには掴めません」
「だが、何故人魚の『何か』を売ろうとしているとわかった」
「売る方はわかりませんが、買う方の気配はわかります。金の流れと一部でまことしやかに囁かれる噂。それは……」
「――永遠の命」
 先んじて解答を口にしたロゼウスに、情報屋はにやりと笑いかける。
「御明察」
 やはりそれが目的かと、ロゼウスは顔を顰める。嫌な予感が形になりつつある。
 人魚を手に入れようとする輩の大概の目的はそれだ。人魚の生き胆を喰らい、不老不死となること。
 これまでセラ=ジーネは人間と人魚が上手く共存してきた。
 では、今まで、この時代までにセラ=ジーネにおいてそのような野望を持つ輩は存在しなかったのか?
 そうではない。そうではないが……。
「愚かなことだ。そのようなくだらない目的で、人魚に手を出すなど」
「まったくですぜ。どこのバカだか知らねーが、セラ=ジーネの歴史を知らな過ぎるにもほどがある」
「他に何か手がかりはあるか?」
「残念ながら」
「……これが報酬だ」
 情報屋に金を渡し、三人は盗賊ギルドを後にした。
「……結局大したことはわかりませんでしたね」
「そうでもないぞ」
「え?!」
 情報屋の情報に価値を見いだせなかった青年は眉を下げるが、ロゼウスにとってはそうでもなかった。
 探すべき相手が確実にこの国内にいる。しかも、他国からの流入者ではなくこの国の人間であるということを突き止めたのは大きな成果だ。
 しかし、有益な情報を得られたとはいえ、これだけではどうにも動きようがない。
「陛下」
 事態は急を要する。
 情報屋から聞き出した情報、そして警察から預かってきた情報を見比べながらロゼウスは思考を巡らせる。
「……人魚を誘拐している輩の目的は、金目当てだということはわかったな」
「セラの不老不死目当てに裏で多額の金が動くというなら当然そうなるでしょうね」
「事件の目的が怨恨などで標的が決まっているのならともかく、金目当ての誘拐なら奴らはできるだけ多くの人魚を集めたいはずだ」
 ロゼウスの言葉にこの先彼が言いたいことを予期したヴィンセントが顔を顰める。
「……陛下、まさか」
「そのまさかだ」
 ロゼウスは不敵に口の端を歪めた。
「こちらから打って出る」

 ◆◆◆◆◆

 人魚は美しい。
 下半身が魚であり海中で生きるという人間からかけ離れた生態であっても、人魚という存在は人の目には酷く美しく映る。
 吸血鬼は美しい。
 人の血を吸うおぞましい化け物という認識があっても、それでも夜の闇に映える白い肌は人でないもの特有の美でもって人間を魅了する。
 ローゼンティアの吸血鬼は白銀の髪に真紅の瞳が特徴とされる。耳の先が尖り、肌の色が人間とは比べ物にならない程白い。
 セラの人魚は白金の髪に碧い瞳を持つ。吸血鬼と同じように耳の先が少し尖っている。肌は吸血鬼に比べて青白い。
 人と魔族を分ける肌の色、皮膚の下を流れる血の色や量の差。
 魔族の中でも吸血鬼と人魚はどこか似ていて、人狼はその二種族よりも人間寄りだ。だから――。
「囮、ですか」
「ああ」
 人魚たちの失踪事件がやはり自発的に姿を消すのではなく誘拐の線が濃いと判明したところで、ロゼウスは囮を使うことにした。
「けれど誰が囮に? すでに幾人もの被害者が出ている人魚は同胞を貸すようなことは」
「囮は私だ」
「皇帝陛下御自ら?!」
 驚く青年を置き去りに、皇帝である吸血鬼と、王子で学者である人狼は話を進める。
「できるものなら私が代わりたいところですが」
「ありがたい申し出だが、お前では無理だ。私はそれ程術に優れた魔族ではないし、細かな調整ができない」
 どこからどう見ても血色の好い人狼の少年を青白い肌の人魚に見せかけるよりは、ロゼウスが少し髪と瞳の色を変えるだけの方が楽である――。