159
岩が白い。まるで骨のようだ。
そう思ってよく見たら、そこは本当に骨だった。翼を畳んで蹲る竜の砂地から突き出た白骨がまるで岩山のように見えている。
「あそこよ」
ミザリーが指差した先に、たむろす人影が見えた。向こうもこちらに気づいている。
「私が案内するのはここまでよ。あとはあんたたちで決着つけてね」
そう言って彼女はケルベロスに乗ったまま空中に浮かび上がった。早々と戦線を離脱したくせに、ちゃっかりと成り行きを観戦するようだ。
「うわ……」
一歩一歩距離が近づき改めて相手の顔がわかるようになったところで、フェルザードが小さく驚きの声を上げた。
竜の頭骨にもたれてこちらを待ち受ける一人のローゼンティア人。そのヴァンピルは、今となりにいる皇帝とほぼ同じ顔をしているのだ。
「兄上」
「待ちくたびれたぞ、ロゼウス」
彼の両脇にはこちらもロゼウスとよく似た空気を持つ女性と、同じローゼンティア人ではあるが血縁ではなさそうな一人の青年がいる。フェルザードはそう見たが、実際には最後の一人もロゼウスの兄だ。ロゼウスとは父も母も違う第二王子ことアンリ。女性の方は第二王女ルース。
そしてアンリの腕の中には、気を失ったヴィンセントがいる。
ロゼウスが彼の安否を確かめる前に、ドラクルの方から彼とよく似た別の少年の消息を尋ねる言葉が放たれた。
「ヴィルヘルムはどうした? 消してしまったのか?」
「ドラクル兄様。あの子を使ったのは、お兄様の策略ですか」
「さぁ。半分は当たりだけれど、半分ははずれかな。あの子が自分で地上に行きたいと言ったんだよ」
ロゼウスは目を細めて兄を睨み付け、渋々ながらもこれだけは答えた。
「ヴィルヘルムはもうここにはいません。彼の魂は無事に次の生への道を歩み始めました」
「なんだ、つまらない」
ここまで来てまだヴィルヘルムを玩具として扱うつもりかと糾弾するロゼウスに、ドラクルは嘘ではなく本当につまらなさそうな顔で告げた。
「これでまた一人顔見知りが減ってしまったな。ただでさえここは退屈な世界だというのに。今ではもうあの時代のことを知る者も私たちぐらいしかいない」
仄かに寂寥を感じさせる表情は皮肉なことに、ロゼウス自身によく似ている。
「……ならば、あなた方も失った人生にしがみつくのはやめて、転生に入ればよいでしょう」
ロゼウスの言葉に、一瞬しんと世界が静まり返った。
「――それを、お前が言うのか? 私たちを殺したお前が!!」
ドラクルの声音が暗く沈む。まるでスイッチで入れ替わるように、正気から狂気への転落が速い。
「くくくっ。相変わらず、自然体で人の神経を逆なでするのが得意な奴だな」
足元の砂が風と共に舞い上がり、見えない真空の刃となってロゼウスを襲った。
「だから私たちは――今でもお前を憎み続けている!!」
「避けてください! 陛下!!」
横合いからまた別の人間の助言が飛ぶ前に、ロゼウスとフェルザードは地を蹴っていた。ロゼウスは攻撃を躱しただけだが、フェルザードは更に一歩踏み込む。もともとドラクルともう一つの攻撃はロゼウスに集中していたので、フェルザードへの警戒は甘い。
「え?!」
「人質は返してもらいますよ」
一度死角に潜り込んでから即座に軌道を変え、一瞬の隙を利用してアンリの腕からヴィンセントを奪取する。そのまま一度後方に下がり、フェルザードは気絶したヴィンセントごと攻撃に巻き込まれないよう距離をとった。
「あ、あれ?! シェリダン王?!」
「だから違いますって。もう、ここ来て何度目だと思います? その台詞」
自分から人質を奪い返した相手の顔をここに来てようやく認識したらしく、アンリが幽霊でも見たようにぎょっとした顔になる。おかしな話だ。本来ならばフェルザードが生者でアンリやドラクルたちの方が死者であるというのに、驚くのはフェルザードの顔を見た死者たちばかりである。
「そうか……君がシェリダン王に瓜二つだという」
「ちょっと! 真っ先に伝えられるべき私の特徴はそれだけなんですか?! あんな男と一緒にされては困ります!!」
ドラクルはアンリよりは冷静なようだが、反応する箇所は似たようなものだ。
ドラクル、アンリ、ルース。彼らの時間は止まっている。
死者である彼らは自らの恨みつらみを永遠に繰り返すばかりなのだ。新しい情報が入手できないわけではないらしいが、時間の経過が影響しない世界にいるので、なかなか定着しないらしい。
それはドラクルたちだけではなく、この二人も同じだった。
「本当に、シェリダン陛下ではないのですか。こんなにも似ていらっしゃるのに――」
先程ロゼウスに注意を促した声。それは最初に顔を見せた三人ではなく、この男のものだ。蒼い髪に橙色の瞳。生粋のエヴェルシード人。
「久しいな、ジュダ。お前はさすがにあの時のままとは行かないか」
「薔薇の皇帝よ。あなたはいっそ反則的なままに、昔のままですね」
長い髪を一つに束ねた端正な面差しのエヴェルシード貴族、ジュダ=キュルテン=イスカリオット伯爵だ。ロゼウスの言葉でフェルザードはようやく彼に関する記憶を思い出した。
ジュダはシェリダンが死んだ後、臣下としてロゼウスに従うこととなった。そして同じようにかつてはシェリダンを主としていたが、彼の死後道を違えたエヴェルシード貴族の討伐を任せられたはずだった。
そう、ジュダともう一人のエヴェルシード貴族は、シェリダンの死後に行く末を分けた。ジュダはロゼウスに従い、もう一人は従わなかった。
他でもないそのロゼウスが、敬愛する主君シェリダンを殺したのだから当然と言えよう。
だがジュダの行動もさほどおかしなわけではない。貴族としての計算や損得を抜きにしても、シェリダンがロゼウスを愛していたことは彼に近しい人間であれば誰もが知っている。事実、その後に生き残ったローラやエチエンヌたちも元はシェリダンの部下でありながら、ロゼウスに与した。主君がロゼウスを愛していたことを誰よりよく知っていたから、その意志に従ったのだ。
結局、事情を知る者の中でロゼウスに従わず、あくまでもロゼウスを仇として憎み続けたのはただ一人だけだ。
その一人は――。
「この方がシェリダン様に似ている? イスカリオット伯、あなたの目はとんだ節穴ですね」
先程ジュダがロゼウスに避難を促したのは、ドラクルの攻撃ではない。いくら魔術とはいえ仕掛けたのが視認できる攻撃などロゼウスが避けられぬはずもない。
彼が注意を促したのは、それに紛れて行われた第二陣だ。風に紛れて投げられた無数の小刀が今も砂に突き刺さっている。
――彼は、竜の背骨の頂上辺りに立ちロゼウスを見下ろした。
「……ようやくお出ましか」
この場所にいる人間のほとんどがロゼウスのせいで、あるいはロゼウスの手により死んだ。大なり小なり恨みがあるのは当たり前だ。
だがドラクルやジュダにはロゼウスに対する恨みと同時に別の感情も持っている。この相手にはそれがない。彼はただただ、シェリダンの存在を介してロゼウスと繋がっていた。だからシェリダンを殺した人間はそれが誰であれ主君の仇であり敵だった。
蒼い髪。橙色の瞳。ジュダと同じ生粋のエヴェルシード人であり、かつては剣聖と呼ばれた使い手。
その名は帝国史に、薔薇皇帝の即位を認めず謀反を引き起こした希代の反逆者として知られている。
「クルス。クルス=クラーク=ユージーン侯爵」
「我が主はシェリダン様ただお一人。それ以外の人間は、何人たりとも認めはしない」
かつて薔薇の皇帝となる前のロゼウスの最大の敵として立ちはだかった反逆の剣聖が、消えぬ憎悪の炎を燃やしながらその姿を現した。