薔薇の皇帝 27

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 一通り国内を自分の目で見て確認した後、ルルティスは約束通り王城に訪れた。
 久々の我が子との再会に喜ぶ国王と第二王妃をさらりと無視し、正妃への目通りを願う。
 正妃は本来女王となるはずだった自分の娘の立場を奪う、もとは愛人の子である王子を歓迎するどころか毛嫌いしていたが、面会には応じてくれた。
 今のフィルメリアでは第一王女の容態が悪化するごとに第二王妃の権力が強くなるが、第二王妃はそもそも下町の出であり、政治の難しいことは考えずに感情的に行動する。彼女は王妃として実権を握りたいと考える程の野心家ではないが、国王を愛しており、彼に自分と自分の子を一番に愛してもらいたいと考えていた。
 正妃はルルティスを、第二王妃はセリカレンディエーナをそれぞれ邪魔に思っているわけである。言葉だけ並べてしまえば似たようなものだが、その意味合いと表に出る態度はまったく違う。正妃は我が子の心配もさることながらこれからのフィルメリアの行く末を案じていたが、第二王妃は国のかじ取りなど興味はなく、ただただ王城に、王の傍に自分と自分の産んだ息子の居場所を作りたいだけだった。
 それが後々、まさしく自分自身の破滅に繋がるとは考えずに。
「私の身分を保証してくださりありがとうございます」
「――王族に連なる者として、当然のことです。あなたが騙りであるならばともかく、本物のベルンスタイン王子と保証されたからには、否定をする理由がないでしょう」
 正妃は元々王族の一員だった。資質だけを見れば、あるいは夫である国王よりも王族らしい王族である。彼女は女ながらに教育を受け、正妃として国王の補佐に回り国を支えていた。
「そのことなのでが、王妃様、私の話を聞いていただきたい」
「……なんですって?」
「そしてその暁には、王女殿下に会わせていただけませんか?」
「セリカレンディエーナに?」
 自分との謁見は了承した正妃も、今まさに臥せっている第一王女との面談には渋い表情を返す。それでなくとも弱っているのに、自分の権力の座を奪う異母弟に娘が会いたいと思うだろうかと。
「正妃様、私は長い間、国外で学者として生きてきました。当然学問の最先端に生き、昨年は学者会議にも出席致しました。知り合いには医学と薬草学の権威もおります」
「何が言いたいのです」
「私には、王女殿下――異母姉上の容態を治す当てがあります」
「……」
 国王は第二王妃、ルルティスの生母でもある愛人に入れ込み、正妃とその娘を蔑ろにしていた。
 目に見える程あからさまに冷遇していたわけではない。だが愛情をかけていたわけではないと周囲も答えるだろう。
 正妃は床についた王女のために国内に残ることが多くなり、先日の学者会議のような遠出には第二王妃が付き添うことになる。権力の匂いに敏感な貴族たちはその姿を見て、更に第二王妃を持て囃す。
 王を伴侶の付添なしで行動させるわけにはいかないと、正妃は第二王妃が王の傍に侍ることを許した。だがその冷静な判断さえ、第二王妃が増長し正妃が零落しているように周囲には思わせてしまう。そしてそれはある意味では間違っていない。王の心は昔から正妃にはなく、第二王妃ばかりを寵愛している。
 正妃の我慢も限界に近づいていた。自分の産んだ娘の死期が迫るごとに、心の中の正気の部分が削られていく。藁にもすがりたい気持ちであるのに、王の心は彼女どころか、実の娘にも向けられはしない。
「――本当に、治すことができるというのですか」
「王女殿下のこれまでの容態について聞きました。私の予想通りであれば、十中八九確実に」
「ならば……」
 フィルメリアの王位を争う姉弟の対面が、ついに実現した。

 ◆◆◆◆◆

「で、なんで僕を呼ぶんだよ」
「別にいいじゃないか。今お役御免になって暇なんだろう? ヒンツ」
「首になったみたいな言い方はやめろ。単にお嬢様がいなくなったから仕事がないだけだ」
「同じことだろう?」
 ルルティスは知り合いの薬草学の権威ことハーラルト=ヒンツを連れ、記憶の中にも存在しない異母姉セリカレンディエーナに会いに向かった。
「患者を診てほしい」
「患者?」
 正妃の許可を無事にもぎ取り、実の両親の求めを無視して王女の部屋を訪ねる。
 室内には王女とその母である正妃だけがいた。医者や他の侍女たちは全員席を外している。
 病み衰えてはいるが、美しさの名残のある女性が寝台に横たわっていた。眠っていたわけではないらしく、人の気配に目を開ける。
「初めまして、姉上。ルルティス=ランシェットです」
「……あなたが、私の弟なのね? セリカレンディエーナよ」
 知の国の王女に相応しく、聡明さを感じさせる瞳でセリカレンディエーナが名乗った。
 何故かフィルメリア王族としての名を名乗らず、一歴史学者であった時と同じ名乗りをするルルティスにハーラルトが不審の目を向ける。
「よろしくお願いします。姉上。こちらはハーラルト=ヒンツ。薬草学者です。姉上の容態を診てもらおうと思い、連れてきました。あ、無愛想なのは気にしないでください。もとからこういう男の上に最近片想い相手に失恋して機嫌が悪いんです」
「そりゃお前のことだろう。皇帝陛下に見事に振られたくせに」
 どす、とルルティスの肘打ちがハーラルトのみぞおちにめり込む。
「……」
「……」
 ハーラルトの片想い相手のことは知らないが、目の前にいるルルティスは男だ。女顔で体つきも華奢ではあるが確かに男。そして皇帝陛下は絶世の美貌の持ち主ではあるがもちろん男。しかし懸命な母子はそれに対してのコメントは差し控えた。
「姉上、よろしければこの男に診察されてください。彼ならばきっと、あなたを回復する手立てを見つけ出すことができます。なにせ薬草学の権威ですから、この場で薬の調合もできますよ」
 ルルティスの申し出に反論したのは正妃だった。
「それが罠でないという保証はどこにあるのです。この子が消えれば、例え妾の子であろうともあなたの王位継承権は揺るぎないものとなる。私たちが、それを疑わないと思うのですか」
 一度は診察を了承したものの、それではいそうですかと全てを認めるわけにはいかない。例え王女の容態に関して新発見が得られたとしても、できれば他の信頼できる医師にも確認してから、最適な治療を始めたいと思うのが人情だ。ルルティスもそれはわかっている。
「当然の疑いですね。そもそも初対面の相手、それも政治的に敵対関係にある相手から受け取ったものを口にする人間はそうそういない」
 だが彼はこうも言った。
「ですが、信頼できる人間が本当に信頼できるとは限らない」
「あなたは何が言いたいのです」
 ルルティスの意味深な言葉に正妃は眉根を寄せる。国王があてにならない以上、これまで王女の行く末に関してずっと心を砕いてきたのは母である正妃のみ。
「お母様」
 しかし当のセリカレンディエーナが、彼女を案じる母の言葉を止めた。
「どうせこのままでいても、私は遠からず神の御許に赴くことになりましょう。それならどんな僅かな可能性にでも縋りたいのです。それがこれまで私を生かし育んでくれた、このフィルメリアという国とその民に対する責任でしょう」
「セリカ」
「信用できる人間は私の意志で決めます。そして私は、まだ少ししか話しておりませんが、ルルティス=ランシェットは人として信用できると思うのです」
 王女が覚悟を決めると同時に、診察と治療の邪魔にならぬようルルティスと正妃は少し寝台から距離をとった。
 治療をしに来たはずなのに一時的に室内の誰よりも重傷にもだえ苦しんだハーラルトがようやく復活し、セリカレンディエーナの診察を始める。
「ふむ。これは……」
「どう?」
「ああ、お前の予想通りだ」
 何がどう予想通りなのか。思ったよりも簡単な診察に戸惑う母娘に、ルルティスが予想し、ハーラルトが確信した事柄を伝える。
「端的に言うならば、王女殿下、あなたは病気ではない」
「病気では……ない?」
「ああ。体力こそ落ちているが、基本の身体状況は健康でどこも異常がない。問題なのは――毒を盛られていることだ」
「毒ですって?!」
 正妃が一気に青ざめて叫んだ。あらかじめ人払いをしていた室内に悲鳴が響き渡る。
 彼女はルルティスがこの場で薬と称して毒を盛る可能性は疑っていても、まさか娘がもともと毒を飲まされていたなどと疑ったことはない。セリカレンディエーナはずっと王宮付きの医師によって治療をされていたのだ。
「な……一体誰が!」
「考えなくてもわかることでしょう。大丈夫です。ここはしっかり人払いしておりますし、ハーラルトは今は亡きカルマイン貴族に忠誠を誓った世捨て人で、フィルメリア内の権力に興味などありません」
 王城内で守られている王女に毒を盛れる相手。それも長期間に渡り少しずつ、じわじわと容態を危うくする量で。誰にも気づかれず、また誰にも気づかせずそれをできる相手は限られている。
 ましてや彼女が「病」に臥してからは、その口に入る食事や飲み物、そして薬に関しては決められた人間が厳重に管理していたはずだ。
 この国の頂点に立つ者の命令によって――。
「正妃様、姉上様。そこで提案があるのですけれど」
 ハーラルトが解毒剤を調合する傍ら、ルルティスはようやくこの国に来た本題に入る。
「私と一緒に、この国を乗っ取りません?」