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王女の容態が持ち直したことは、すぐに城中の噂になった。
それもどうやら国王と第二王妃が切望して見つけだした王子の手によってだという。
噂と言っても、まだ国民たちにまでは伝わっていない。だがそれも時間の問題だ。城に仕える使用人たちは、この喜ばしい話をすでに家族や知り合いに広めてしまっているからだ。
まだ正式に王子としての認知を受けていない少年学者は、これからあらためて王族としての証を受け取り、かつて失った王子としての名前を取り戻すことになっている。
その喜ばしい日が近づき、フィルメリアにはしばらく浮ついた空気が漂っていた。
そして運命の日がやってくる。
「お断りします」
王子として正装してくるように言われた謁見の間。王族と貴族たちが居並ぶその場所に、ルルティスはいつもの格好で現れた。そして父親である国王に王族として、かつて喪われた王子「ベルンスタイン」の名を再び与えられる儀式を行われた際の、ルルティスの返答である。
予想外の言葉に、場は一気にざわついた。これまでの浮ついた祝いの空気を一瞬で凍らせる、冷酷な断罪の言葉。
「十六年も放っておいて、今更何言ってんだって感じですよ。私が自分一人の力で生きていけないほど困窮していたとかならともかく、底辺でも一学者として立派にやっていけてます。今更親の庇護なんて必要ありませんね」
「べ、ベルンスタイン」
「私はルルティス=ランシェットです。そんな名前の人は知りません」
きっぱりと言い切るルルティスの姿に、両親だけでなく貴族たちも唖然とする。
「殿下、不敬ですぞ! それに陛下は、これまでずっと殿下のことを探し続けて――」
「学者は不敬でなんぼの商売です。神への不敬を理由に神殿に足を踏み入れるのを躊躇う考古学者がおりましょうか。それに、父上と母上が私を真剣に探していたとは思えませんね。ちゃんと探していれば、もっと早く見つけられたはずでしょう。フィルメリア近辺でチェスアトールの容姿は目立つんですから」
これは以前、王子として国に戻ってこいという誘いを断った時にも言ったことだ。
両親の愛情というものをルルティスは信じていない。
「ならば……ならば殿下は、この国の王位継承権を放棄するわけですね! 王子としての名を拒むのは、一学者として生きていきたいと」
「いいえ。そういうわけでもありません」
先走ってルルティスから穏便に王子としての権力を取り上げようとした貴族の言葉をも、不遜な少年は一蹴する。
「では、なんのために……?」
室内のほとんどの人間がぽかんと口を開けた。ベルンスタイン王子として名を改める気はない。かといって継承権を手放すつもりもない。ならば、何のために彼はこの国に来たのかと。
「簡単なことです」
ルルティスはにっこりと笑い――腰に佩いた剣を抜いた。
「で、殿下!!」
警護の騎士たちが槍を剣を構える。それを、ルルティスはいともたやすく捻りあげた。そしてそのまま、剣の切っ先を父である国王、母である第二王妃に突き付ける。
「ベルンスタイン……?!」
「私は、この国の玉座を貰いにではなく――奪いに来たのです!」
そしてルルティスはまず父を斬り殺し、ついで母親の首も斬り落とす。
謁見の間が一瞬で阿鼻叫喚に包まれた。
まるで悪い夢のようにあっさりと国王が殺された。それも彼が待望していたはずの実子、誰もが期待をかけたかつて喪われたはずの王子によって。
「む、謀反だ!」
重職についている貴族たちが次々と叫ぶ。血の臭いが漂い悲鳴が途切れぬ室内に、鋭い一喝が響いた。
「静まりなさい!!」
「妃殿下!」
正妃だった。これまで沈黙を貫いていた彼女は、夫でありこの国の君主が殺されたのにも関わらず、毅然とした態度を崩さない。
「陛下は身罷られました。至急、次の王を立てねばなりません」
「何を仰るのです、王妃殿下! 国王陛下はそこの少年に弑逆されたのですぞ!」
もはやルルティスはこの場に集う貴族たちにとっては、皆の待望の王子などではなくなっていた。これまでの常識では理解しがたい化け物のようだった。
「いいえ。陛下は身罷られたのです」
「妃殿下……」
「心配せずとも、私は正気です。それともこのまま混乱を長引かせますか。ルルティス殿下を弑逆者として断罪するのは簡単ですが、その場合誰が次の王となるのです?」
「この国にはまだセリカレンディエーナ殿下が!」
「そうですね。どうします? 第一王女、セリカレンディエーナ」
正妃の声に応え、謁見の間の入り口扉が開く。そこに現れた美しい女性の姿に、貴族たちは我が目を疑った。
「王女殿下!」
ここ数年病に臥していたはずの第一王女は、健康そのものの顔色をし、しっかりと自分の足でその場所に立っている。
「母上。いえ、正妃様。私、王女セリカレンディエーナは、王子ルルティスこそがこの国を継ぐのに相応しいと考えます」
王女の意外な言葉に、貴族たちは目を剥いた。
「あ、あの男は実の父親を……国王陛下を殺したのですよ!!」
「それがどうしたというのです」
「どう――王女殿下!」
「罪が血縁を殺したということであれば、父が医師を買収し、私に毒を盛り続けていたことは何の罪となるのでしょう?」
王女の言葉に、場は再びざわめき始めた。真実に気づいていた者もそうでない者も、王女の口からそれが事実として語られたことに衝撃を隠せない。
「そして国王を弑したということが罪であるならば」
王女は威厳を持って赤い絨毯の上を歩き、剣を抜いたルルティスの方へと歩み寄る。
「道を間違えた王を断罪するべきは、本来誰の役目だったのでしょう」
王を殺すことが罪であるならば、この世界に王を裁くことができるものはいなくなる。
この世界で最も重き命、そして最も軽き命は王。
セリカレンディエーナはルルティスの前に膝をつき、優雅な礼をしてみせた。
「私はあなたに従います。新王ルルティス=ランシェット=フィルメリア陛下」
◆◆◆◆◆
他でもない第一王女と正妃が認めたことにより、ルルティスは無事にフィルメリアの玉座につくことができた。王として覇権を握った途端に過激な粛清と変革を繰り返し、すでにその名はフィルメリア全土で恐怖の代名詞として恐れられている。
一方、城に入る前に各地の設備を見て回り、民衆の生活に根差した改革を断行するルルティス王は、一般市民から熱狂的な人気を持って迎えられることとなった。
「これで良かったのですか?」
「ええ。願ってもない展開です」
正妃――否、元正妃というべきか。すでにルルティスの父親である王亡き今、正妃ではなくなった女性はルルティスと二人で話していた。
セリカレンディエーナを交えず、彼女とルルティスだけで話をすることは珍しい。元正妃はルルティス王の最大の後見ではあるが、それほど親しい間柄であることを世間に主張するわけにはいかない。
表向きには彼らが手を組んで元国王を追い落としたとするよりも、愛人に地位を与え勝手をしていた横暴な王を正義の新王が粛清し、正妃もその正義を指示したという形になるからだ。もっとも貴族連中はそう思ってはいないだろうが、建前というのはいつの時代も必要なものである。
それに、ルルティスの方はともかく、元正妃には個人的に彼と二人きりになりたくない理由があった。
「――何故あなたは、セリカだけでなく私までも殺さずに置いているのです」
「何故? 今更でしょう。それにあなたを殺したら、わざわざ父のついでに母まで殺した説得力が薄くなるではありませんか」
「理由などいくらでもつけられるでしょう。所詮この世は勝ったものが正義。そして今のこの国で、あなたに逆らえる者などいない。――知っているのでしょう」
「ベルンスタイン=フィルメリア。かつてレッセンフェルを使いあなたをこの国から放逐し殺そうとしたのは、この私であると」
「それがどうかしましたか?」
ルルティスはにっこりと笑う。
「今の私はルルティスです。ルルティス=ランシェットです。ベルンスタインなんて人は知りません」
謁見の間で両親を殺害した時にも口にした言葉を、ルルティスはもう一度繰り返す。
「その昔、確かにベルンスタイン=フィルメリアはあなたに殺されたのかもしれない。ですがね、ルルティス=ランシェットを受け入れなかったのは、あの人たちの方なのですよ」
国王と第二王妃は、ルルティスを「ベルンスタイン」に戻したかった。ルルティスがこれまで自らの力で積み上げ、手に入れてきたものを認めなかった。
だから殺したのだ。それは例え、元正妃と姉である王女の協力がなかったとしても変わらない。結局ルルティスは、どうあっても両親を殺したのだろう。
ルルティスはベルンスタインに戻るのではなく、ルルティス=ランシェットとして全てを手に入れた。
「あなたがかつてベルンスタイン王子を殺そうとしたのは、それがこの国のためだと信じていたからでしょう。そして今はどうなのです? ルルティス王は、あなたの御眼鏡に適いましたか?」
元正妃は膝をついて忠誠を誓う。
「あなたこそ真なる王の器です。ルルティス=ランシェット=フィルメリア」
そしてルルティスがやって来てから一年後、フィルメリア王国は、世界の改革をかけて皇帝領に宣戦布告することになる。
《続く》