薔薇の皇帝 28

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「薔薇の皇帝が咎人であるならば、彼の右腕である貴殿も同罪だ。帝国宰相」
「右腕とかやめてくださいよ。それは私がまるであの方に忠誠を誓っているようではありませんか」
 リチャードはいつもと同じように好青年風の穏やかな微笑みを浮かべながら軽口を返す。
 好青年風ではあるが、彼は決して好青年と呼ばれるような人物ではない。穏やかな表情を浮かべるのは得意だが、いつも穏やかな心持でいるわけでもない。
「ですがあなた方をこのまま通すのも癪ですから、一戦お相手願えませんか?」
「城の奥で書類仕事ばかりの輩に、何ができる!」
「あなた方はお忘れかもしれませんが、私もエヴェルシード人。かつてはエヴェルシード王の側近だった男ですよ?」

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「そこを退いてください。妃殿下」
「私は妃殿下などと呼ばれるような身分ではありません。ただの下働きの使用人です」
「御冗談を。愛人は数多く持てど決して一人の相手に心を定めることのなかった皇帝の正妻が、ただの下働きなわけがないでしょう」
 遠い地で流れている噂がそのようになっていることはローラも知っていた。だが、だからといって事実無根の話をしたり顔で垂れ流されて、苛立たないかどうかは別だ。
「「ぎゃぁああああああ!!」」
 何故かここだけ他の戦場より重傷者の割合が高かったという。

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「こんなのおかしいですよう!」
「ガッティ」
「だってルルティスさんが、皇帝陛下に剣を向けるなんてありえません! あの人は……」
「人の心の内なんて、表面からはわからないものですよ」
「じゃあフィロメーラさんは、ルルティスさんが本当は皇帝陛下のことを憎んでいたというのですか?!」
「人の心の内なんて、外からはわかりません。私たちが今こうしている瞬間、あの人が何を想っているのかも」
「でも……」
「私たちは所詮部外者なのです。伝えられる言葉の全てが真実だとは限らない。そして私たちが、正しく彼らを理解できていたのかも……もう、わかりません」

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 近く王制を廃止することを発表したローゼンティアは、結局どちらの勢力にも与しない姿勢を貫くことにした。
「皇帝陛下……」
 例え他でもないその決断の背中を押してくれた相手が、今まさに危機に瀕しているとしても。

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 カルマインの青年は世間の騒音を背に、一人静かに佇む墓石の前にいた。
 主人であった女性の好きな色の花を供えると、途端に墓標が華やかになる。今暴君として断罪されようとしている皇帝を象徴する花だが、主人はそれを殊の外愛していた。
 青年は時代の終焉の足音を聞きながら、死者の為の冠を編み続けた。

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「御高名な碧の騎士に拝謁叶うとは……!」
「御高名って、僕はしがない雑用係なんですか」
 フェルザードたち程ではないが、仮にも騎士の二つ名を持つエチエンヌは相手方からいっそ過剰な程に軽かいされている。筋骨隆々の大男たちに囲まれて、戦闘が始まる前から早くもうんざり顔だ。
「それにあなた方にとっては、暴虐皇帝の騎士なんて何の意味もないのでしょう」
「意味はある。我らが幼き頃、繰り返し碧の騎士の話を聞かされ、どれほどの者が貴公に憧れて騎士を目指したことか」
「ならばなおさら幻滅したことでしょう。とっととお帰りなさい。あなた方が守るべき王のもとへ」
「我らなど相手にもならぬということか!」
 売ってもいない喧嘩を勝手に買わないでくれ。
「フィルメリア王が望むのは皇帝の首。そしてあの人は、放った犬が獲物を咥えてくるのを待つような性格じゃない。どうせ単身で皇帝のもとに乗り込んでいるんだろう。傍にいなくていいのか?」
「王は我らの助けなど必要ないと言われた」
 そう口にする騎士の声には悔しさが滲んでいた。本当は主の傍にいたいのだろう。だがルルティスには彼らは必要ないと言われた。自分の傍にいるより、国の為に戦えと。
「やれやれ。仮初とはいえ、お互い主には苦労しますねぇ」

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「これは驚いた」
 フェルザードが驚愕するなどということは、本当に珍しい。自分が次期皇帝だと知った際も、諸事情で冥府に赴いた際もまるで動揺を見せなかった男だ。
「お久しぶりです。フェルザード=エヴェルシード殿下」
「まさかあなたまでこんなところにお出でとは。セリカレンディエーナ=フィルメリア殿下」
 優雅な礼をして見せた貴婦人は、フィルメリアで長く病に臥せっているとされていた王女だった。
「あなたが毒を盛られていて、それをランシェットが救ったというのは本当だったのですね」
「ええ。私はルルティスによって救われました」
「だから弟に玉座を譲ったと?」
「そうとっていただいてもかまいません」
 と言うことはつまり、それを建前にした裏があるということだ。まぁルルティスの企んだその「裏」の内容には、すでにフェルザードは予想がついている。
 それはともかく、とフェルザードは話を進める。
「それで――私は薔薇の皇帝の臣下であると同時に次期皇帝なわけですが、あなた方はとことんこの帝国に盾突くおつもりですか」
「三十四代皇帝陛下よ、我々フィルメリアは、薔薇の皇帝の悪行を告発し是正するためにここに参ったのです」
「あくまでも目的は現帝と。確かに即位前の私はまだ皇帝としては何もしていませんからね。でもそれ、詭弁じゃありませんか? 私が愛人として押しかけるくらいロゼウス=ローゼンティア陛下に傾倒していることは周知の事実です」
 ロゼウスを憎むのであれば、その味方をするであろうフェルザードのことも同じように憎むべき。それが自然な考えだ。
「あなた方はすでに知っているのですか? ルルティス=ランシェットの真の思惑を」
「――」
 玉座を奪いたいだけならば、ルルティスはセリカレンディエーナを救う必要はなかった。彼が彼女を救ったのは、その必要があったからだ。
 いくらルルティスでも一国を丸々滅ぼす気はない。自分の次の王が必要だった。
「彼は、皇帝陛下を殺したいのではない。――あの方に殺されたいのでしょう」
 セリカレンディエーナは、そっと目を伏せた。