薔薇の皇帝 ノクタンビュールの烙印 01

2.南の勇者

 バロック大陸最東端の国、ラウザンシスカ王国。その中央部に近い森の一角で、三人の若者と獰猛な魔物たちの戦闘が行われていた。
 狼のような姿をした、けれど明らかに異形の生き物たち。それに立ち向かうのは、一人は金髪の少年、一人は黒髪の女性、一人は銅色の髪の青年の三人組である。魔物たちの方はもはやその殆どが地に倒れ伏し、戦いは佳境を迎えていた。
 一呼吸ごとに精神を集中させる。
「はぁ!」
 気合一閃、彼は自らの手にした剣を振るった。衣装こそ平民のものだが、その手に持つ剣はかなり上等なものだった。
 金髪の少年の攻撃により、彼の正面を塞いでいた魔物の身体が二つに分かれて崩れ落ちる。これで最後の一匹だと、彼が気を抜いたその時だった。
「カナン!」
 焦った男の叫び声が聞こえると同時に、背後で生き物の動く気配がした。狼の頭が起き上がり、先に倒した魔物の一匹がカナンに向けてその鋭い爪で再び襲い掛かってくる。
 仲間の男の忠告のおかげで間一髪狼の魔物の攻撃をかわしたカナンを補助するように、その目の前に透明な壁が一瞬できた。結界と呼ぶにはあまりにも脆弱なそれはしかしカナンに反撃の余裕を作らせるには充分で、再び剣を構えた彼の手によって、今度こそ魔物は倒された。
「ソルト! フィーア!」
「カナン、無事か?!」
「カナンくん!」
 カナン、と呼ばれた金髪の少年は十六、七歳程の年齢。金色の髪と、揃いのような金色の瞳。すらりとした細身はまだ少年期特有のしなやかさを残し、けれどその眼差しはいつも、まっすぐに前を見つめていて鋭い。
 それが今は少し和らいで、どこか罰の悪い様子で仲間たちを振り返る。
「カナンくん、怪我は?」
「ううん。大丈夫だ、フィーア。それより、さっきは防御結界をありがとう」
 仲間の一人、フィーアと呼ばれた女性はカナンの元気な姿と明るい笑みに、潜めていた眉をゆっくりと元に戻した。
「そんな、私の力なんて、たいして役にも立たないし……」
「まったくその通りだな」
 謙遜するフィーアの言葉を肯定したのは、もう一人の仲間である青年だった。カナンとのやりとりに水を差されたフィーアが、憮然とした表情で彼の方を見る。
「うるさいわね。ソルト。空気読む気がないならあんたは黙ってなさい」
「それはこっちの台詞だぜ。フィーア。お前、相変わらず結界を張るのがど下手だ。あんなもの本来結界とは呼べない。あれをそう呼んでやるカナンのお優しいのに、せいぜい感謝するんだな」
「きーッ! なんですってぇ!?」
「ま、まぁまぁ二人とも、落ち着いて……」
 ソルトの遠慮ない言葉に眦を吊り上げるフィーアを、事の発端となったカナンは何とか宥めようと睨み合う二人の間に回りこむ。
 ソルトの容赦ない叱責は、そのカナンにも向けられた。
「もとはと言えば、お前だぞ、カナン。一度敵を倒したと言って、完全に相手が死んでいるのを確認するまでは気を抜くな。何が起こるかわからないんだぞ」
「ご、ごめん。ソルト」
 三人の中では最年少のカナンだ。一行のうちではリーダーのはずなのだが、年上の剣士の言葉に、思わず素直に謝ってしまう。
「ちょっと、あんた何偉そうなこと言ってんのよ! ソルト!」
 些細なきっかけから、また毎度お馴染み、日常茶飯の喧嘩が始まった。
「落ち着いてフィーア! とにかく、村人の依頼は完了したんだから、早く報告に行こう。いいな?」
「は~い。カナンくんがそう言うなら」
「そうだな」
 カナンの言葉でとりあえずその場は収まり、一行は倒した魔物の死体が時間と共に灰になって消えていくのを見守ってから、その場所を後にする。
 カナンは金髪に金色の瞳を持つ、十六歳の少年だ。そして彼に付き従うのは、黒髪黒い瞳の魔術師の女性フィーアと、銅色の髪に藍色の瞳というラウザンシスカ人の容姿を備えた青年ソルト。年齢はフィーアが二十四歳、ソルトが二十五歳。どちらもリーダーであるカナンより年上なのだが、最年少のカナンが頭を務めることに彼らからの不満はない。出会いの経緯はどうあれ、二人にとってカナンは自分たちの大切なリーダーなのだ。
 カナン、フィーア、ソルト。
 彼らはこのラウザンシスカ王国では知らぬ者のない、勇者の一行である。

 ◆◆◆◆◆

「では、東の森に出没していた魔物に関しては、全て倒し終えたというのだな?」
「はい。長い間皆様のお心を煩わせていた魔物たちは、我らの力で灰となりました」
 カナンはフィーアとソルトと共に、先日魔物退治に赴いていた森からラウザンシスカ王国王都へと戻った。まずは国を通して行われた仕事の依頼完了の報告へと、王城へ上がる。
 勇者と言うと、やはり世間からはきらきらしいイメージを持たれるものなのであろうか。カナンたち勇者一行は、このラウザンシスカ王国内を、救いを求める人々の依頼に応じて魔物退治や盗賊退治、その他諸々のことをこなすために飛びまわっている。一見人助けをする正義の味方という仰々しい様子だが、その仕組みは国を中心として作られていた。
 カナンたち勇者への依頼は、主に国を通して行われる。そしてカナンたちもラウザンシスカに雇われており、国が判断した優先順位の高い依頼からこなしていく。貧しい民に代わりカナンたちに給料となる褒章を払うのも国だ。いかな勇者だとて人間。霞を食べて生きているわけではない。
国王を通して人々は依頼をし、その依頼をこなすためにカナンたちは派遣される。勇者と言うとどうも世界各地を旅して困った人がいるごとに助けてくれる救世主だと言う印象を持たれることが多いのだが、そのやり方ではあんまりにも非効率的だ。
 それにカナンの持つ「勇者」という称号は、ラウザンシスカ国内を一歩出れば途端に影響力がなくなるも同然のものである。
「そうか。やはりお前は、我が城の占い師が予言した勇者だな。よくやってくれた。褒美をとらせよう」
「もったいないお言葉です」
 お決まりのやりとりを一通り繰り広げてから本題に入る。一つの依頼をこなせばその労苦を一応労われ、また新たな依頼を告げられる。父親ほどの年齢となるラウザンシスカ国王との面会はいつもその繰り返しだった。
 しかしカナンの視線の先で、もはや見慣れたラウザンシスカ王の顔が僅かに疲れたように曇る。
「先日我が国で、紅雨が降った」
 そして切り出された話に関しては、カナンも王都への帰路ですでに耳にしていたものだった。謁見の間、玉座から続く一本の道のように敷かれた蘇芳色の絨毯の上に片膝をついて跪きながら、カナンは頷いた。
「聞きました。なんでも北の村の幾つかが、相当の被害を出したとか」
 紅雨。呪われた雨。この世に存在する厄災。
 その解決法はただ一つ、ノクタンビュールの烙印を持つ、《贄》と呼ばれる人物を殺すこと。
 その事はカナンも知っている。二十年を周期としてやってくるその呪いの雨について直接この目にする機会があるのは今年十六歳の彼にとってはこれが初めてだが、それでも血の雨がもたらす災厄の凄まじさは大人たちから伝え聞いていた。
 紅い雨は人々に死と苦痛と絶望をもたらす。なんでもその被害に合った人々は、二目と見られぬ焼け爛れ溶け崩れた姿に苦悶の限りの表情を浮かべて絶命するのだという。
 それを防げるのは、人々を救うために世界に差し出されるノクタンビュールだけだが、彼らはたいてい、その役目を拒む。世界を救うために自らが死ぬなどごめんだと言うのだ。
 許されないことだと、カナンも思う。紅い雨は贄と呼ばれるその人物を追って大地に降り注ぐのだ。贄が逃げれば逃げるほどに、被害が広まる。
 贄は、殺さねばならない。これ以上世界の人々に悲しみをもたらさないためにも。
 この話を持ち出されたときから予感していたことだが、案の定国王は次に、こう切り出してきた。
「勇者よ、お前に頼みがある。これは我が国の民からの願いでもあり、私からの頼みでもあり、そして世界の平和のためだ」
 王はその威厳の全てをもって、カナンに命令した。
「《贄》を殺せ」
「――はい」
 カナンは顔を伏せて跪いた報告の体勢から変わらぬまま、しかししっかりとその言葉に頷いた。ここにバロック大陸ラウザンシスカ王国国王の名をもって、彼に正義のため、贄の討伐が命じられた。
 世に災いを運ぶ紅い雨から世界を救うには、もはやそれしか方法がない。
 彼は、彼にできる正義を行うだけだった。

 ◆◆◆◆◆

 ――どうしてあんな子どもを生んだんだ! 気味が悪いったらありゃしない! なんだ、あのシルヴァーニ人らしくない金色の目は!
 物心ついた頃から、カナンの記憶で繰り返されるのは両親が言い争う光景だった。話の内容はいつも同じ。自分のような子どもを持って、彼らは当初、困惑しきりだったのだ。
 ――そんなこと言わないでよ! あたしが好きであんな変な目をした子どもを生んだとでも思ってるの!? だいたいどうしてあたしたちの間にあんな目をした子どもが生まれるってのよ! あんたの家系によくない病気でもあるんじゃないの!?
 ――何をッ! お前こそ、俺のいない間にビリジオラート人の男でもくわえこんでいたんじゃないのか!? ヤツラの黄色の目なら、金に見えたっておかしくはないからな!
 ――それを言うなら、あんただって……。
 両親が怒鳴りあっている時、カナンはいつも部屋の隅に避難していた。狭い家には逃げ場もない。目の前で、自分のことで両親がどんどん不仲になっていくのを見つめるのは、子ども心にも胸が痛んだ。
 シュルト大陸シルヴァーニ王国。カナンはその国の生まれだった。シルヴァーニは美の国と呼ばれるだけあって、たいていの人々が整った顔をしている。カナンもその例に漏れず端正な容貌をしているが、彼には故郷の他の人々と明らかに違う点があった。
 黄金の瞳。
 シルヴァーニ人の容姿は、白い肌に淡い金髪と深い緑の瞳が一般的だ。両親がその典型的なシルヴァーニ人であるカナンだけが、何故金色の瞳を持って生まれたのか。
 この世界(アケロンティス)に金色の瞳を持つ人種はいない。シュルト大陸、バロック大陸、両大陸を合わせても、金色の瞳を持つ人種の作った国家はない。
 黄色ならばある。シュルト大陸ビリジオラート王国の民は茶髪に黄色の瞳だが、カナンの瞳はそれとも少し様子が違う。実際は人間の瞳において金色と黄色の違いなど定かではないし、同じ人種でも個体差があるのだから「外」ではカナンはシルヴァーニ人とビリジオラート人のハーフとでも言えば誤魔化せるが、けれど故郷においてはそうもいかない。
 カナンの両親は、極一般的なシルヴァーニ人の夫婦だった。当然どちらも金髪に緑の瞳を持っている。二人の仲は良く、カナンが生まれるまでは、罵り合っている姿など見た事もないと近所でも評判のおしどり夫婦だったという。
 それを変えてしまったのは、ひとえにカナンのせいだった。浮気などしたこともない妻の胎から生まれた子は、けれどシルヴァーニ人の夫婦の間に生まれた子には表れるはずのない形質をその身に宿していたのだ。
 両親は荒れた。無理もないことだとカナンも思う。どうしてこんな子どもが生まれたのか、彼らにだってわからなかったのだから。二人は浮気だの妙な病気だの、お互いにお互いを疑い、責任を押し付けあって口論が絶えない家庭になった。
 状況が変わったのは、彼が十歳になった頃だった。シュルト大陸西部シルヴァーニ王国からはほぼ世界の反対側、バロック大陸東端の国ラウザンシスカから使者が訪れたのだ。
 ――あなた方の息子さんは、我等が国の占い師が予言した、勇者となるべき存在です。
 カナンは選ばれた存在なのだと、遠い国の使者たちは告げた。両親は狂喜した。使者たちの服装は、美の国と言う呼称とは裏腹に貧しいシルヴァーニでは国王の服にですら滅多にお目にかかれないような上等のものであったし、金箔の貼られた書状には丁寧な文章が添えられていた。子どもが十五歳になったら、ラウザンシスカ王国で引き取りたいと。
 これが本物でも、あるいはカナンの存在に何らかの価値を見出した人買いの罠でも構わない。一人息子のことで揉め続けた夫婦は、とにかくこの状況をなんとか打開したかったのだ。その解決策が「勇者」と言う劇的な言葉を伴ってやってきたのだから、普通の人々である彼らが浮かれるのも無理はない。
 ラウザンシスカの使者が訪れてから、夫婦仲は回復した。そしてカナンは異大陸の遠い国の勇者となるべく、様々な勉強や修行を課されるようになった。剣の腕を磨き始めると、彼の才能はすぐに現れた。十三歳になる頃には、シルヴァーニ国内では彼に敵う者はいなくなる。
 そして約束の十五歳になった年、カナンは正式にシルヴァーニの両親のもとからラウザンシスカの王に引き取られた。両親のもとには莫大な金が支払われ、カナンはラウザンシスカ王の下で「勇者」として働くことになったのだ。
 別にその裏に後ろ暗い企みなどない。ラウザンシスカの使者たちが言った、彼らの国でカナンを引き取りたいというのは人買いの罠でもなんでもなかったし、ラウザンシスカに来たからといってカナンに両親と会うのを禁じる、などという条件が付されたわけでもない。ただシルヴァーニの少年が一人、ラウザンシスカ王国に引っ越した、表向きの事情を簡略化すれば、ただそれだけのことかも知れない。
 けれどカナンの脳裏にはこびりついている。
 ――ああ、カナン、お前は私たちの誇りだよ……。
 そう猫撫で声で彼に向かって囁いた両親の、どこか歪な笑顔と、その数年前には彼の存在を激しく否定して罵っていた声が。

 ◆◆◆◆◆

 シルヴァーニ人の少年、カナンはラウザンシスカの占い師が予言した勇者だ。だから、彼はラウザンシスカ王の命令に従う。
 とは言っても、カナンだって人間だ。善悪を判断する心も意志もある。従いたくないことには従わないし、どうあっても尊敬できない人間と言うものはいる。
 ラウザンシスカ王は、カナンにとっていわば恩人だ。彼がこの国に招き寄せてくれたからこそ、今の勇者・カナンがある。しかしそれを差し引いても、大勢の人の命を犠牲にして生きる贄という存在は許せない。王に恩を返すため、そして世界のためにカナンは贄を倒すことを決めた。
 ラウザンシスカ王は愚鈍ではなく、人は良いが、お人よしというのともまた違う。だからこそ、御伽噺のように勇者一人に災いの権化たる贄退治をさせるということはなく、カナンたち勇者の一行以外にも贄を殺すための人手を派遣することにした。
「フィーア、ソルト、ただい……ま?」
 ラウザンシスカ王城の謁見の間から、仲間たちの待つ応接間に戻ったカナンはそこに見慣れた男の顔を見て態度を改めた。いかにもラウザンシスカ人らしい銅色の髪と藍色の瞳をした彼は、この王国の国軍を預かる将軍である。
「ヴァンス将軍、お久しぶりです」
「久しぶりだな、勇者殿」
 愛想と言う言葉をどこかに置き忘れてきたらしい将軍は素っ気なくそう言った。すでに銅色の髪に白いものが混じり始めた彼は今年で五十歳になる。カナンにとっては父親どころか、下手をすれば祖父と呼んでもおかしくない歳の男なのだが、どうにも堅物すぎて付き合いづらい。
 彼と朗らかに言葉を交わしづらいのは、同じ室内でカナンの帰りを待っていたフィーアとソルトも同じようだった。二人ともいつもはそれぞれ種類の違う口達者なのに、今日は貝のように静かだ。
 王城の応接室は豪華なのだが、その部屋を訪れた客人であるヴァンスがこの調子では三人ともたまったものではない。国王から話を聞いて、ヴァンスがここを訪れた理由に思い当たるカナンは、何故か客である方のヴァンスに示されて彼の正面の席に着いた後、単刀直入に話を切り出した。
「ヴァンス将軍、あなたがわざわざここへいらっしゃったのは、今回の依頼についての話ですね?」
「ああ。我等国軍は贄退治において、勇者一行に協力せよとの国王陛下のお達しだ」
「贄退治……?」
 話を知らないフィーアとソルトが怪訝な顔をする。その二人のうち、特に黒髪黒い瞳の女性であるフィーアを見て馬鹿にしたように鼻を鳴らす彼の様子に、ソルトが一瞬険悪な眼光を放った。
「ソルト! ……フィーア、まず話を聞いてくれ」
「ええ」
 ソルトの行動を諫めるように、カナンが代表して口を開く。そして彼はちらりと、怒りの表情を将軍に対して見せたソルトとは逆に、ヴァンスに睨まれた途端力なく俯いてしまったフィーアへと視線をやった。
 このヴァンス将軍が彼らにとって話しづらい相手だと言うのには、彼自身の堅物さ、愛想のなさ以外にももう一つ理由がある。
 ラウザンシスカで生まれ育ち、その国軍を統括するほどに愛国心に溢れた彼は、時折仄暗い蔑視を覗かせる人物としても知られていた。普段は有能で公平なのだが、彼は彼が認めない人種に対しては幾らでも冷酷になれる人間だ。
 カナンの仲間の一人である女性フィーアは、黒い髪に黒い瞳を持つ。これは世界でも極限られた地域に住む少数民族の特徴で、しかも彼女が魔術師であることはそのことと無関係ではない。
 フィーアのように艶やかな鴉の濡れ羽色の漆黒の髪を持つ一族は、魔力と言う他の人間にはない力を使うことで知られていた。黒の末裔と呼ばれるその一族は、あまりにも強すぎる力を持つがために、長い間迫害され続けていた。
 何百年か前に当時の時の権力者が黒の末裔の魔術の有用性を証明したために今では表立って黒の末裔を罵る声は少ないが、それでも完全な蔑視は消えてなくならず、他の国の人間とは違う魔力という力を操る彼らを偏見の眼で見る者は多い。
 ヴァンスもその一人だった。彼はシルヴァーニ人の予言の子カナンやラウザンシスカ人のソルトには興味がないが、黒の末裔であるフィーアに関してはいつも厳しいような侮蔑の眼差しを向けている。
 それによって三人の雰囲気を悪くしたことなど気にも留めず、ヴァンスは語りだした。
「今回の贄は、どうやらアストラスト王国にいるらしい」
「隣国ではないですか。だからこその、この国での被害ですか?」
「ああ、そうだ」
 贄。彼らは世界から抹殺されるべき人間。
 紅い雨を世界にもたらす、罪人。
 血の雨は彼らを遠くから狙って近づいてくるように、降る。
「君たちはまだ若い。特に勇者殿は、前回の紅雨の頃にはまだ生まれてもいなかっただろう。少し、私の知っていることを説明しておこうと思ってな」
 カナンは十六歳。フィーアとソルトも二十代半ば。確かにヴァンスの言うとおり、二十年周期で来る紅い雨についての情報は少なく、実感を伴わない。だからそれについてはありがたいのだが、話してくれるのがヴァンスだということは少しだけ気になった。
 応接間で、広いテーブルにカナンを真ん中にした三人の若者と正面にヴァンス、という構図で話は進む。
「……あの忌まわしい雨についての被害は、被害にあった村を直接その目で見るのがいいだろう」
「え?」
「勇者殿、私たち国軍は貴殿らを援護するように言われているが、なんでもかんでも私たちと行動を共にしろというわけではない。贄捜索などには力を貸すが、基本的にはあなた方の裁量で行動していい」
 基本的には、とここで付け加えるのがヴァンスらしい。
「あの雨は、呪われている。災厄以外の何者でもない。それを引き連れてくる贄も」
 彼の口調には常の冷たい口調でも滅多に聞かないような影が落ちていて、瞳には憎しみが満ちている。彼は今年五十歳。二十年周期で降る雨と、もう二度ほど付き合っているのだ。三度目の紅雨に関してそれを止める役目を仰せつかったヴァンスには、何か思うところがあるらしい。
「贄、という存在のことについて、どれくらい知っている?」
 ヴァンスに尋ねられ、三人は一度仲間内で視線を巡らせた後、代表してカナンが口を開いた。
「世間で言われているのは、二十年前の贄と、四十年前の贄のことについてですね。それと、ノクタンビュールの烙印についてと」
 それこそ贄となった者でなければわからない話ではあるが、彼らが贄であることを示すノクタンビュールの烙印は、ある日突然この世界の誰かの、身体の一部分に現れるのだと言う。
 災いの紅雨は、贄を狙って降る。だがあらかじめ今回の贄は誰々とどこかから教えられるのでもなし、本人以外にはこの世界の誰かたった一人が贄だなどとはわからない。
 そして、紅い雨は贄を狙って降る。雨の様子で多少は贄のいる地域が絞れるとはいえ、人相が割れていないのであれば、探し出すことは難しい。身体のどこか外側から見えないような場所に刻印が出たならば、それこそ長い間隠れ潜むことも可能である。
 しかし、最終的には結局見つかる。誰にも裸を見せずに暮らすなんて、結局のところ誰にもできるわけはないのだ。贄が見つからねば血の雨は止まらない。一刻も早い発見のために、各国の政府はそれぞれ街や村の民に隣人通し互いを見張らせて、刻印を持つ贄の存在を通報した者には莫大な報奨金が支払われることとなっている。
 それがなくとも、紅い雨がその地域に降れば自分たちも死んでしまうのだ。徐々に勢いを増して同時に別の地や街一つ飲み込む広い範囲に降るようになる呪いの雨をなんとか避けるために、人々は贄を探そうとする。
 問題なのは紅雨が贄を狙ったようにその周辺地域に降るということで、贄が死なない限り雨が止まらないということでもあった。
 時代、人種、性別、年齢、職業、家庭環境。それらも何もかもその時々によって違う、まったく無作為に世界から選び出されるという贄。彼らの反応、贄としてとる行動もその時々によって様々だった。
 特にこの二十年前の贄と、四十年前の贄は対照的だという。
「四十年前の贄は、もともと強盗をしていた男だと聞きました。何ヶ月も名乗り出ずにそのため被害が拡大したのだと。二十年前の贄は、贄としてはかなり優秀な人物だったと聞きました。確かまだ若い女の人だったとか。紅い雨が降った直後にすぐ名乗り出て、被害は最低限に抑えられたそうですね。懸命な判断だったと」
「ふん」
 カナンが周囲の人々、すでに紅雨の降る年を一度、二度と体験した者たちから聞いた一つ前の贄についての情報を告げると、ヴァンスはただでさえ厳しい顔つきをしかめた。
 テーブルを荒々しく叩く音に、忘れ去られた白いティーカップがガチャンと跳ねる。フィーアが怯えたようにびくりと身じろぎした。
「どんなに素早く名乗り出たところで、ヤツラが贄であることには変わりない。ヤツラのせいで人が死ぬというのに、懸命も何もあるか」
 二重年前の贄は若い女性で、紅の雨が降ってすぐに名乗り出たために被害は最小限に抑えられた。四十年前の贄は逆に、いつまでも名乗り出ず街中に潜伏していた。そのため、被害は拡大した。二人の対照的な贄だが、やはりその行動によって世界にかかる火の粉の大きさは違うのだと言われる。
 紅雨の年は初めてであり、その被害をこの眼で見た事もないカナンにはよくわからない。しかしヴァンスは激昂した様子で続ける。
「贄など、皆我が身可愛さに他者を滅ぼすことを何とも思わぬような罪人だ。大体、名乗り出るという行為がまず傲慢だと思わぬか? 贄だということ、本人は烙印によってとうにわかっているのだから、それが現れた瞬間、雨が降る前にさっさと一人で首でも吊ればいいのだ」
「将軍」 
 横で聞いていたソルトが口を挟んだ。生真面目だが険のある目つきをした彼は、ヴァンスを睨みながら言う。
「言いすぎだ。彼らだって、何も好きで贄として生まれてくるわけではない」
 ソルトの口調は、まるで贄を庇うようであった。同じラウザンシスカ人でありながら随分意見の違うようであるヴァンスとソルトは目から青い火花を散らすかのように睨み合った。
「カナンに誰かの悪口なんて、余計なもん吹き込むんじゃねぇよ。俺たちは依頼された仕事はちゃんとやるさ。有益な情報を持ってきてくれるわけでもないのに、愚痴だけ聞かせるつもりなら速やかにお帰り願おう」
「勇者殿にくっついて回るしかできない、ただの傭兵崩れがこの私に口を聞こうとはいい度胸だな」
「ソルト! 将軍になんてことを! 将軍、あなたも俺の仲間にそんな言いようは」
「黙ってろ、カナン。俺は間違ったことは言ってないぜ?」
 ソルトとヴァンスの一触即発のやりとりを押し留めたのは勇者の少年ではなく、それまで怯えて縮こまっていた黒の末裔の女性、フィーアだった。
「ヴァンス将軍、まずはうちのソルトの非礼を詫びましょう」
「な、フィーア! お前まで」
「そして将軍、あなたもソルトに対する非礼を詫びてください。国軍の人間が傭兵を馬鹿にしていいという法律はありません」
「フィーア……」
 毅然とした彼女の言葉に、ヴァンスはますます眼光を険しいものにした。
「ふん、黒の末裔風情が……」
 自分への悪口は行儀よく聞き流して、三人はヴァンスの反応を待つ。
 しかし将軍はソルトに謝罪するようなことはなく、捨て台詞らしきものを置いて去っていった。
「とにかく、贄を一刻も早く殺す事は我々の使命だ。お互いの健闘を祈る。特に勇者殿以外の二人は、結果を出せなければいつ挿げ替えられても仕方ないわけだしな」
 将軍の勝手な言葉に、三人は一様に溜め息をついた。