Stray Cat

5.力の形

 身を隠すには都合の良い薄闇の帳が降りた夕暮れ。高級酒楼とその隣の建物とのほんの狭い隙間にいっそ挟まるようにして、わたしはゾイを店の中が監視できる地点まで案内した。
 ちなみにその隙間に挟まるためには更に二件隣の店の裏口の壁伝いに屋根に上り、傾斜が目隠しになる部分を這ってなんとか滑り落ちるのが誰の目にも留まらず確実だ。この方法でなら人間も案内できるとの目測が当たったのでわたしとしては上出来だと思うのだが、ゾイは終始顔を引きつらせていた。
「一体どんな日常生活を送っていればこんな侵入経路を通ろうと思えるんだ……」
 わたしが借りている小柄な少女とゾイのように華奢な少年だったからなんとか通れたものの、人間的に標準的な体格の成人男性だったら鼻と尻が削れて真っ平らになりそうな隙間である。猫姿だったらもっと楽だったのだがゾイの前で変化するわけにもいかないし。
 しかしゾイが渋い顔をしていたのはそこまでで、外から酒楼を監視できる位置に来てからは早かった。ここ数日の調査通り密売組織の人間とその商談相手がやってきて話し始める。護衛は廊下に繋がる扉の外だ。
 わたしたちは店の裏の壁と壁の隙間から、僅かな出っ張りを頼りに上に昇り、酒楼の二階のバルコニーの真下に身を隠す。この店は後ろ暗い会談に使われることが多いらしく、二階は個室になっている。
「軍人?」
 わたしが見てもどういう立場だが微妙にわからなかった商談相手の男を見て、ゾイが顔色を変えた。
「あの人軍人なの? 制服着てないよ?」
「そりゃこんなところにそんな格好では来ないだろ。だが、身のこなしが軍人特有だ」
 なるほど。あのなんとなくカクカクしたのが軍人の動きというものか。雰囲気が違うというのはわかったがゾイの気配ともまた違うし、何だろうと思っていた。
「他にもいろいろやばい奴らと渡りをつけているのは調べたが……まさか軍にまで繋がっているとはな」
 それからは二人が近づいてきたので話をやめてわたしたちは耳をすました。取引内容はわたしが聞いてもよくわからないが、ゾイの表情を見ているとどうやら重大な話らしい。
「――こんなところか」
 しばらくしてあらかた聞き終わった頃、ゾイがそう呟いた。
「ここにいろ」
 わたしに一言告げてバルコニーから部屋の中に乗り込んだゾイが目を剥く男たちに飛び掛かる。
「な、き、貴様」
「質問に答えろ」
 ゾイは軍人を叩きのめし、密売人の腕を捩じりあげるようにして拘束しながらいろいろと話を聞きだしていた。
 わたしはよっこらせとバルコニーを乗り越え、部屋の中に入る。ちょうど良いので、ゾイが気絶させてくれた軍人の額に触れて情報を読み取る。
 ふむふむ。うーむ。いろんな人間の名前が行き交ってややこしいから、これはあとでゾイに話して有効活用してもらおう。そういう情報がいっぱいある。
 意外だったのは、この人は密売組織との取引によって、本当に病気の王子を救うつもりだったらしいということだ。だからわざわざこんなところで密談などしていたのだ。
 ゾイはゾイで苦戦しているようだった。商談を一手に引き受ける組織幹部は下っ端とは違い、そう簡単に情報を吐いてはくれない。
 えい。
「ぐわっ」
 わたしが部屋の中にあった木造の置物を脳天に振り下ろすと、密売人は意識を失った。
「……何やってんだお前」
 もともとこの人間たちから情報をとることをそれほど期待していなかったのか、ゾイはわたしがあそこにいろという言いつけを聞かなかったことも男を気絶させたことも特に怒る様子は見せなかった。
 だが作り物のたぬきを男の頭上に置いたままそのおでこに勢い余って頭突きをかましたことには不思議そうな目を向けてくる。
「ゾイ、わかったよ」
 わたしは男の脳裏から読み取った記憶をゾイに告げる。密売組織の全アジトの位置から主だった構成員の特徴、幾人もの取引相手の所属組織、密漁を行う狩場。
 意識の中ですら巧妙に隠されていて一部読み取れなかった情報もあるのだが、だいたいこんなものだろうというところを全部話した。この幹部も組織の全貌全てを知っているわけではなく、情報の中枢を握っているのはやはりボスしかいないそうだ。
「お前……何者だ? 魔術師なのか? いやでも、今何の道具も詠唱も――」
 ゾイが呆気にとられる。そうか、人間の世界では魔術を使うのに色々手順があるのだっけ。ここで狼狽えたらますます不審がられるだろうし、堂々と行こう。
「わたしの特技なんだ」
「特技……で済ませる気か?」
 ゾイが胡散臭いものを眺める眼差しになる。
「まぁ……お前みたいな奴が俺を騙してどうのこうのできるようには見えないけど」
 失礼な。その言い方ではまるでわたしが腹芸のできない単純な性格みたいではないか。
「まぁ……いい。しかし気になっていたんだが、こいつらは何のために、どうやってあれだけの量の幻獣を捕らえたんだ?」
「……そこまでは読み取れなかった」
 この密売人たちが幻獣を利用しようとしていることは知っている。だが、企みの核心をわたしもゾイもまだ掴めていない。
 ――彼らは幻獣を利用して何をしようとしているのか?
 どうやって捕らえたかもわからないけれど、あれだけの数の幻獣を狩るには相当な苦労があったはずだ。幻獣たちもまさか皆が皆わたしや一角獣のように油断まるだしのところを捕まったわけでもあるまい。
 そしてそれでも密漁を続けるということは、相応の見返りがあるということだろう。その正確な手段と目的がいまだに判明しない。人間の好きな金儲けにしても、これでは手間がかかりすぎるのではないか?
 一番知るべき情報を引き出せなかった。わたしはなんとなく落ち込む。
「わたしにもっと力があればな。そうしたらもっとうまくやれたのに」
「何しょんぼりしてんだよ」
 この男たちの思考を読むことだって、密売人のアジトに潜り込んで捕まった同胞たちを助けることだって、わたしにもっと力があれば、もっと上手く簡単にできたはずなのだ。
「……力なんて、なくてもいい」
 静かな、しかしはっきりした否定の言葉にわたしは思わずゾイを振り返った。
「お前がどれだけ優秀な魔術師かは知らないが、高望みは程々にしておけ。身に余る力なんてあっても不幸になるだけだ」
 先程杖もなしに魔術を使ったわたしのことを、ゾイは人間の優秀な魔術師だと思っているようだ。それを前提とした発言ではあるが、内容としては誰にでもあてはまるようなことを言っている気がする。
 だがそれも、人間としては異例な程の強さを身に秘めているゾイの台詞だと思うと意外な言葉だ。
「力を望むことには、際限がない。そして無闇に望み続ければ、いつか足を掬われる」
「ゾイも……力を求めたことがあるの? 自分の力が足りないと思ったことがあるの?」
「――あるよ。そして力不足の俺がその時助けられなかった奴は、力を持ちすぎる故に苦しんでいた」
 その瞳が一瞬、ふっと懐かしい過去を覗き込む者のそれになる。
「力が欲しかった。だが現実には力だけあっても、世の中には叶えられない望みの方が多い。当たり前のことだけれど、いくらナイフを突きつけても真実の愛は得られない」
「それはゾイのこと?」
「前半はそうだ。後半はちがう」
「ちがうの?」
「言っただろう、俺には力が足りなかったと。――見ていることしかできなかったんだ。その苦しみから救ってやることができなかった」
 その苦しみとは、ナイフを突きつけて愛を迫ること? それはいくらなんでも、あまりにも過激と言うか、不器用だ。こうして話を聞いているだけのわたしがそう思うのだから、傍で見ていたゾイの苦悩は如何ほどだろう。
 ――あなたが大事に想っていたのは誰?
「まったく力がないのも辛いが、ありすぎるのもまた苦しいものだろう。そして一度力で壊したものはもう二度と取り戻せない」
 囁かれる、静かな嘆きに満ちた言葉。郷愁と悔恨に満ちた癒えきらない傷。
「俺の力や命を捧げれば取り戻せるって言うなら、いくらでも捧げるのに」
 そんなことを言わないで、と。言えるものなら言いたい。だがこれはゾイの問題でわたしが口を出せるような話でもない。
 以前にも同じようなことを感じたと記憶を振り返り気がつく。ゾイの言葉は、どこかあの不死鳥に似ているのだ。大事な相手を失ったその寂しげな眼差しと静かな諦観が。
 しかし明らかに自暴自棄になっている不死鳥とゾイの反応は、似ているのにどこかが違う。どうしてそのような差異があるのかも、わたしにはわからない。わからないのだ。
 無力さを噛みしめた。幻獣を狩る密漁者たちは、一体幻獣にどんな夢を見ているのだろう。きっと彼らが思う程、わたしたちは優れた生き物なんかじゃないのに。それに。
「それでもわたしはやっぱり、力が欲しい」
 こちらを見返す月のない夜空のような漆黒の瞳にわたしは想いを告げた。
「だから、ゾイ……わたしの力になって。そうしたらわたしはゾイの力になる。二人で行けば一人じゃない」
 救われることを望まぬ者を救うことに、何の意味があるだろう。
 わたしにはわからない。命なんて簡単に失い奪い奪われるもの。それでもわたしは不死鳥の消極的な破滅に付き合うよりも、少女の願いを尊重して彼を助けることに決めた。
 一瞬呆けたような顔をしたゾイが、ついで淡い笑みを浮かべる。
「そうだな。確かに二人で行けば一人じゃない。単純な話だけど真理だな」
 わたしを見つめ、またあのどこか懐かしそうな目をする。
「誰もがそうして足りない力を補い合えれば、力が足りないと苦しむ必要もないのにな」
 俺がお前の話を信用したいと思ったのも、だからかもしれない。彼はそう小さく呟いた。
 そろそろ人の気配がし始めた扉の外を気にしながら、わたしたちは気絶した男たちを捨て置いて窓から脱出する。
「じゃあ、行くか」

 ◆◆◆◆◆

 歩き続けているうちに夜が来た。
 わたしたちは再び街はずれの森の屋敷に来ていた。タルティアン王国中で暗躍する密売組織の根拠地とされる別荘風の屋敷は、相変わらず見た目だけはまともな建物のようだ。
 ただ、朝方のゾイの侵入で警戒は大分厳しくなっているようだ。扉の前の見張りの数が増えている。
「なんとか屋敷の中に入り込む方法を考えなきゃな。俺一人なら簡単なんだけど」
 そこでゾイがちらりとわたしの方を見る。
「お前は危険だからここで待――」
「ゾイは自分だけなら裏から入れるの? わたしは無理そうだからじゃあ正面から行くね。陽動作戦だ。適当に暴れるからあとよろしく」
 人間の考えることはよくわからないし、考えたつもりで外れることも多いし。だったら真っ直ぐ行っても同じだろう。
「ちょ! 本気で正面から行くのかよ!」
 ゾイが何か喚いているがわたしは構わずに玄関に向かった。見張りの男たちがわたしの姿に気づいて槍を構える。
「お前!」
 何者だ、何をしに来た、という問いにわたしはこの一言で返した。
「不死鳥を返して」
 その言葉に並んでいた男の一人が反応する。
「あ。こいつ、確かこの不死鳥の元の持ち主だとかいう女じゃないか? 前にもここまで取戻しに来たとか言う」
 ならば余計通すわけにはいかないと男たちが怖い顔をするので、わたしは暴れた。
 そしてあっさり取り押さえられた。
「みゃー!」
 そう言えばこの少女の体を借りている時は出せる力も外見通り人間の少女程度に抑えられるのだった。忘れていた。
「まったく……こういうのは皆殺したはずじゃなかったのか?」
「死体は誰も確認してないらしい。矢を射かけただけらしいから、運良く無事だったのかもな。テッドの奴、必ず仕留めたなんて適当言いやがって」
 わたしは腕に縄をかけられて屋敷内を歩かされ、とある部屋へと連れて行かれた。そこで組織のボスとやらと対面させられる。
「――それで、我が屋敷に何の用かな? お嬢さん」
「不死鳥を返して欲しい」
「不死鳥? ああ、そうか。君はあれを捕まえた時に一緒にいたという少女か……」
 男の目が眇められ、熾火のように鈍く光る。何故生きている? そう言いたげな眼差しだった。
 この男はなんとなく嫌な感じがする。
 わたしの敵かどうかはともかくわたしが姿を借りているこの少女にとっては間違いなく敵。直接的に手をかけたわけではなくとも、彼女を殺したのはこの男だ。
 けれどその点を差し引いても、この男からは、嫌な、本能に訴えかける嫌な感じがする。
「――あれは私たちが正当な代金を支払って君から買い取ったものだ。返す筋合いはないよ」
「嘘だ! お前たちは金貨を投げつけて不死鳥を無理矢理奪っていった!」
 わたしの得た記憶の中の少女が叫んでいる。彼女の家の床には確かに金貨が散らばっている。だが彼女はそれを拾わなかった。密売人たちを追いかける。この屋敷まで来て揉め――逃げる途中に矢で射られた。
「……しつこいお嬢さんだ」
 男は贅を尽くした椅子から立ち上がる。
「一人でここまでやってきた度胸は認めるよ。だが……我々は国の崇高な目的のために幻獣を集めているのだ。王子殿下が御病気だという話は君も知っているだろう」
「だったら何故あれほどまでに多くの幻獣を集める必要がある。虹蛇や火蜥蜴に、人の病を癒す特性などない」
 確かに人魚の肝や一角獣の角が薬になるという話はある。だがこの組織が集めた幻獣たちの中には、そのような力とは無関係なものも多くいる。否、それらの方が多いと言える。
「不死鳥の涙や一角獣の角によって王子を癒したいだけなら、こんな風に無数の幻獣を無理矢理奪う必要なんてない」
「……まったく、何故君のようなお嬢さんが、そこまで我らの事情を知っているのか。どこかに裏切り者でもいるのかな。後で内通者を洗わなければ」
 別に誰に聞いたわけでもないんだが、わたしを人間だと思っている彼らには鉄格子の隙間から入りこんで直接幻獣たちに話を聞いたという発想はないのだろう。
 男の手がわたしに伸びる。わたしをこの部屋に連れてきた者たちもじりじりと更に間合いを詰めてくる。
「そこまでだ」
 一陣の黒風が過ぎる。背後からその声が聞こえたと思った瞬間には、もうすでに正面の男以外は皆床に倒れ、その男ですら真横からゾイにナイフを突きつけられていた。
「この屋敷にいる奴はあんた以外全員寝ているよ。彼女を離して、幻獣たちの檻の鍵を寄越せ」
「お前は……今朝の侵入者か!」
 ゾイの姿に、男が先程とは別の意味で顔色を変えた。組織の長らしい余裕が剥がれ落ち、憤怒と焦燥が浮かぶ。
「そうだ。その様子なら俺の実力はもう知っているだろう。無駄な抵抗はやめて投降しろ。お前たちが密漁と密売から手を引き、きちんと国の裁きを受けるなら命までは取らない」
「各地で私の部下を皆殺しにしているのは別人か? 同じ組織の人間だとしたら、よくもぬけぬけとそんな台詞を吐けたものだな」
 男は苦々しい顔になると、ふいにゾイから視線を逸らして正面のわたしの方を向いた。
 その瞳が爛々と異様な光に輝くのを、わたしは妙な胸騒ぎと共に見つめ返す。
「暗殺者君、我々にも矜持というものがあるのだ。そして君の実力は確かによく知っている。だがね」
 攻撃は囁きと同時だった。
「――君は私の実力をよく知らないだろう?」
「やめろ!」
 男が懐から短刀をわたしに向かって放つ。ゾイの警告も間に合わず、吸い込まれるようにそれはわたしの胸に刺さった。
「あ……」
 同時にゾイが男の首を掻き切る。だが床に崩れ落ちたわたしの視界の中、男はそれでも異様な笑みを浮かべていた。
「ふ、ふふふ」
 ぱっくりと裂けた首から血を流す男がそれでも笑う。笑えている。ゾイのナイフは確かに男の急所を切り裂いたのに、男は激しく血を噴きながら平然としていた。その異様な有様に、わたしの傍らへ屈みこんだゾイが男へ注意を向け直す。
 切り裂かれた喉など掠り傷だと言わんばかりの顔で、男は次第にその姿を変えていった。
 全身を膨らませるように徐々に体が大きくなり体表面が変化していく。獣のように毛が生え、手足は虎や獅子のような猫科の獣に近くなる。蛇の尾が生え、額には角とその下に第三の目。裂けた口からぞろりと牙が生えそろう。 
そしてその背には、大きな翼が広がった。鳥のように羽毛でできた翼だ。これは……。
 ゾイが叫ぶ。
「合成獣(キメラ)……?! そうか、お前たちが幻獣を集めていたのはこのためか!」
「そうだよ。愚かな侵入者君」
 やはり病気の王子のために幻獣を探しているというのは建前で、彼らは幻獣の特性を体に埋め込むことで人外の力を手に入れようとしたらしい。
 変わったのは見た目だけではない。先程ゾイがつけた傷がすでに癒えている。
「はははははは! 私の組織を潰す?! やれるものならやってみればいい! 今の私に敵う者などいない!!」
 わたしは開こうとした口から言葉の代わりに血を吐いた。先程男が投げた刃は、人体における心臓の位置を正確に貫いていた。
 限界だ。――この少女の体では。
「おい! しっかりしろ!」
 ゾイがわたしの肩を支え自分の上着を裂いてまでわたしの傷を手当しようとする。だがその隙に合成獣(キメラ)男がゾイに向かって腕を振り上げた。
 ――だめ。この人は殺させない。
「何?!」
 わたしも腕を振り上げる。幻獣の特性を継いで今や鋼をも打ち砕く合成獣の腕を受け止め押し返す。
 ああ、もう腕じゃない。前脚だ。