Stray Cat

6.断罪者

 わたしは少女の姿をとることをやめ、本性を現した。体長の大きさも調整せずに元に戻したため、光に包まれた全身がみしみしと軋む音を立てて変化しながら膨れ上がる。
 ゾイも合成獣も慌ててわたしの周囲から飛び退った。その眼が驚きに見開かれている。
わたしの頭は屋敷の天井を突き破り、四方の部屋の壁を吹き飛ばした。中途半端に残った瓦礫をもわたしは尻尾を振って弾き飛ばす。
 幾人か部屋の中で気絶していた男たちが目覚め、驚愕と恐怖の声を上げて逃げ惑った。
「う、うわぁああああ!」
「なんだこれは?!」
 なんだも何もない。見ればわかるだろう?
「ド……竜(ドラゴン)?!」
 合成獣が叫んだ。蝙蝠に似た羽を持ち、巨大な蜥蜴にも似た姿の、幻獣界の王とも呼ばれる種族の名を。
 光に輝く白い鱗。紫の瞳。鋭く頑丈な牙と爪。わたしは自分のことは嫌いではない。けれど異質であることも理解している。
 急激な変化に少しぼんやりとした頭で考える。微かな痛みを感じて胸の辺りを見下ろせば鱗の隙間から紅い血が滴っていた。そう言えば刺されたのだったか。――ああ。お腹が空いた。
 二階建ての屋敷の屋根を突き破る大きさに戻ったわたしを見て、密売人たちががたがた震えていた。
視線を向けた途端怯えきった彼らが逃げ出そうとしたところを、わたしは数人まとめて頭から齧る。上半身を食いちぎると、一瞬びくりと痙攣した体が力を失って地に倒れた。肉の断面から血が吹き零れる。
 傷を癒すためには栄養をとるのが一番いい。逃げようとした男たちを何人か食べてようやく胸の刺し傷が塞がった。
「お前……」
 ゾイが呆然とした顔でわたしを見上げる。
「もしかして、ナバートにいたあの仔竜か」
 今は大きさが違うが、わたしの外見――顔そのものが変わるわけではない。ゾイは竜についてある程度知識があるらしく、わたしがまだ幼体であることまで見分けたらしい。
「な……」
 合成獣が残っていたので、ここまで来たらこの男も手っ取り早く食べてしまおうかとわたしは再び口を開ける。
「よせ!」
 何故かゾイの制止がかかりわたしは一瞬動きを止めた。その直後、腹に何か衝撃波のようなものを受けて吹き飛ばされた。再び屋敷の壁をばきばきと砕きながら地面に転がる。
「貴様……!」
 武器を構えたゾイが合成獣を振り返って睨み付ける。
「は、はは。はははははは! 竜とは驚いた! だが、最強の幻獣がどうした! 今の私はそれ以上の力を手に入れている!」
 合成獣の瞳には先程と同じく、力に酔う者の恍惚とした光があった。人間からしてみればかなりの巨体であろう竜の体を吹き飛ばすとは、確かになかなかやる。
「この力を手に入れた以上、私は誰にも負けるはずがない。それが竜相手でもだ!」
「あ、そう」
 しかし合成獣と化した男のその陶酔した台詞を聞いたゾイは限りなく冷淡な反応を返した。男の瞬間的な怒りが再びゾイの方を向く。
「貴様……!」
「さっきの大丈夫だったか? ごめんな。途中で止めちゃって」
 ゾイは男を無視してわたしに声をかけてきた。やはり意味もなくわたしを制止したわけではなく、彼なりの考えがあったようだ。
 ようよう起き上がったわたしの、瓦礫で打ち付け赤くなった場所をゾイは優しく撫でてくれる。どこかひどく懐かしいものを見るような、あの遠い眼差しで。
「お前にとってはあの男はただの餌かもしれない。そのまま食べさせてやった方が誰のためにもなるのかもしれない。でもな」
 ゾイはわたしを撫でる手を止めて、屈辱に打ち震える合成獣をようやく振り返った。
「あれは俺の獲物なんだ。俺はこの組織を潰すよう依頼を受けた。あいつを殺すのはお前じゃない。――俺だ」
 無数の幻獣の特性を取り込み異形の合成獣と化した男と、その半分の体格もない華奢な少年が向かい合う。
「やっと俺向きの仕事になったぜ。色々やっておいてなんだが、正直俺は黙々と人を殺す暗殺者って柄じゃないんだ」
 実はわたしもちょっぴりゾイは暗殺者と言う割にはよく喋る方だなと思っていた。やっぱり気のせいじゃなく向きじゃなかったのか。
「な、なんだ貴様。何故畏れぬ! 怯えぬ! 貴様のような小僧、幻獣の力を得た私であれば一捻りで――」
「一捻り? お前が俺を? 笑わせるな」
 合成獣男の脅しをゾイは一笑に付す。
「お前は力を手に入れてなんかいない。他人の力を継ぎ接ぎして強くなったつもりでいるだけだ」
「――ッ!」
 月明かりの下でゾイはナイフを構える。漆黒に紛れて、その白い肌と白刃の煌めきだけが酷く鮮やかだ。
「ま、どちらにしろ同じだけどな。お前が本当に強くなろうと、紛い物の力を得ようと、どちらにしろ“魔王”程度にも及ばないんだろう? だったら楽勝だ」
「ま、まさか貴様……」
 人であった時の面差しを残す男の、獣じみた瞳が驚愕に見開かれる。ゾイの台詞に唐突に出てきたように聞こえる魔王という言葉。だがこれは彼が暗殺者であることと重ね合わせて考えると、一つの事実に行きつく。
 それは幻獣や悪魔など人外の世界と、暗殺者を雇うような裏の人間たちの世界では有名な話。
「力に溺れる罪深き者よ。力によって成す悪徳は、同じく力によって打ち破られるものと心得よ。改心の兆しなき邪なる魂よ。汝の言い分は、常夜の国で冥界神が聞こう」
 愚者を憐れむ強者の表情で、彼は厳かに告げる。

「破壊と流転の神の名において、“処刑人(ディミオス)”は汝を断罪する」

「“処刑人(ディミオス)”の――“魔王殺し”か!?」
 最強の暗殺組織“処刑人(ディミオス)”には、魔王を殺す程の腕前を持つ暗殺者がいる。数年前に大陸の半分を支配し、多くの人間を虐殺した魔王。周辺諸国がこぞって軍隊や中には勇者と呼ばれる者さえ送りつけたが、誰も倒せはしなかったというその魔王を一介の暗殺者が殺した。彼につけられた名こそ、“魔王殺し”。
「ふざけるな! そんなものはただの噂だ! お前が本物の“魔王殺し”だという証拠がどこにある!」
「なら俺を殺してみろよ。その後でお前が魔王殺し“殺し”を名乗るのは自由だぜ」
 語呂が悪い。
 そんなことを思う間にも、二人の戦いが開始される。地を蹴り飛び掛かるゾイと、受けて立つ合成獣。
 竜にも勝てると豪語しただけあって、合成獣は自らに移植された力をかなり使いこなしている。肉体そのものの強靭さに加え、幻獣ならではの特殊能力も備えているのだ。先程わたしを吹き飛ばした衝撃波もそれだろう。
 しかし獅子の脚によって獣並の速度や跳躍力を誇るその攻撃を、ゾイはどれも軽々と避ける。幻獣の手足によって手に入れた破壊力も、相手に当たらなければ意味がない。
 一方ゾイのナイフは、一カ所ごとの傷は小さいものの確実に相手の体力を削いでいる。
「何故だ……何故私が、貴様のような、ただの人間に……」
 追い詰められた合成獣が、ふいに逆転の目を思いついたかのようににやりと笑う。
 喉が動き、何かを吐きだそうとするその様子にわたしはハッとした。先程わたしを吹き飛ばした衝撃波だ!
 ゾイはその攻撃を横に跳んで避ける。だがそこで次に動けない。位置が悪い。
 一瞬動きの止まったゾイを、合成獣は蛇を束ねたようなその尾で弾き飛ばした。ゾイの体は嵐に飛ばされた木の葉のように吹き飛ばされ屋敷の壁に叩き付けられる。
 合成獣は追い打ちをかけるためもう一度口を開いた。そこにわたしは思い切り炎を吐きかける。
「ええい! 邪魔をするな竜!」
 合成獣が意識を逸らしたのは一瞬。だがその一瞬があればゾイには充分だった。
 わたしの吐いた炎さえも切り裂き、合成獣の背後から渾身の一撃を喰らわせる。
 白い光が一閃し、細身のナイフから放たれる衝撃が合成獣の継ぎ接ぎの肉体の芯を揺さぶった。これまで斬りつけられた軌跡通りに、その体がばらならになる。
「オ、ォオオオオオオオ!!」
 合成獣は断末魔の叫びを上げる。
「何故だ。こんな、こんなはずはない。私は、人を超えたはずだったのに……! 私は、この力で……世界を……」
 血を吐きながら漏らされた合成獣の言葉に、わたしはそっとかぶりを振った。
 幻獣が人より優れているなんてことない。人間には人間の強さがあって、それは幻獣の力便りの合成獣には得られないものだ。だから合成獣は人としての強さを極めたゾイには勝てなかった。
 口には出さなかったものの目で考えていることが伝わったのか、憎々しげに睨まれる。
「……竜よ、貴様にはわからない。力を持たぬ身を、どれだけ嘆く者が多いか……!」
 文字通り血を吐くような叫びがその唇をついた。
「初めから強い存在にはわからんのだ……どれほど、その力をどれほど我が、欲して……」
「――勝手なことを言うんじゃねぇよ」
 妬心に濡れるその言葉を遮ったのは、ゾイの淡々とした声だった。
「お前の罪は力を手に入れたことそのものじゃない。力を手に入れるために、誰を傷つけても構わないと断じたことだ。その力を更に誰かを傷つけるためにしか使わなかったことだ。強いも弱いも関係ない」
 合成獣がごぽりと血を吐く。だがその眼が言っていた。なら、お前はどうだと言うのだ。そうゾイに向けて。
「――もちろん、俺も罪人だ。だからいつか裁かれる」
 ゾイが男に向ける台詞は突き放したものでありながら、その眼ばかりはまるで同病を憐れむかのように実感のこもったものだった。
「それに、力があればすなわち幸福だってわけでもない……」
 事切れた合成獣の傍らに屈みこみ、ゾイはその瞳を閉じさせて死者に送る聖句を唱える。その声は断罪の台詞を述べた時と同じく、不思議に厳かに響いた。
 わたしも少女に花を手向けた時のようにそっと目を伏せる。
 わたしとこの男の、何が違うのだろう。
 幻獣の力を手に入れたがり人をやめてしまった男と、姿を偽って人に交じるわたし。自分ではない何かになりたがると言う意味ならば、それは同じことではないのか。
「さて、と」
 ナイフを懐に仕舞い直し、ゾイが合成獣の死体の傍らで何かを探す。
「持っているといいんだがな」
 ぼろぼろになった服の内側から鍵を取り出した。そうだ! 不死鳥を助けないと。