罪人

06

 トワルは不思議な男だった。
 古代魔法の研究者だと本人は名乗るが、もっとわかりやすく言ってしまえば魔術師であるらしい。彼はカロブに殴られ腫れていたロシンの頬に手を当てると、一瞬でその傷を治してしまう。
 ロシンは驚きのあまり、ぽかんと口を開けて彼を見やるばかりで何も反応を返せなかった。
「どこか痛いところは? まだ怪我は残ってない?」
「ァ……」
「声もか」
 薬で焼かれた喉の傷をも、彼は魔術で簡単に治してしまう。
 一通り手当てが終わると、トワルはロシンに手を差し出して「おいで」と言った。
 連れられて行った先は、どうやらトワル自身に与えられた部屋らしい。鎖付きの寝台がある元の部屋ではない。
「君は今日からしばらくここで暮らすんだ。それが僕の研究のためだ。いいね?」
 口調は柔らかいが有無を言わせぬ態度で彼はロシンにそう告げる。
 それからの日々は、ロシンにとっては反乱軍の侵攻以来常に晒されていた緊張がなく嘘のように穏やかだった。
 トワルは本当にロシンを研究の協力者としてしか見ていないらしく、一度も彼に体を開くよう命じることはなかった。むしろ甲斐甲斐しくロシンの世話をし、ロシンの目から見た宮廷の事情なども遠慮なく尋ねる。
 王城が反乱軍に落とされて以来、ロシンは初めてまともに自分が人間として扱われている気がした。
 トワルの研究とはいったい何だろう。それが終わるまでにはどのくらいかかるのだろうか。数日? 数週間? 数か月。
 できればもう少しだけ、この穏やかな生活が続けばいいのに、とロシンは願っていた。

 ◆◆◆◆◆

 最近どうにもつまらない。
 食堂で昼食を昼食をつついていたソルバは、親の仇のように肉を切り分けながら考えごとをしていた。
 彼の退屈の理由は、一つにはこれまで通っていた王子の元へ足を運ぶことができなくなったことだ。
 ソルバは組織の中では高い位置にいる方であるが、それでも彼より偉い人間は何人もいるのだ。その彼らがソルバの頭上で、ロシン王子の扱いを勝手に決定してしまった。
 もともと滅ぼした王家の王子をどうするのかは組織全体で決めることだろう。だが、実際に彼を追い詰め、捕らえた功労者はソルバの隊なのだ。その隊長である彼に一言もなく、というのがソルバの自尊心を傷つける。
 もう何日もあの少年の顔を見ていないとなると、一度はその命を手に握っただけに、後ろ暗い感情が止まらなくなる。ロシンを生かすにしろ殺すにしろ、それは自分の目の前で、自分の手でなければ許さないという考えがソルバの中にはあったのだ。
 しかし現実的に彼は今、ロシン王子の行方を知らない。あの少年が他の幹部かもしくはその隊員から、どのような扱いを受けているのかわからない。
 単なる欲求不満ならば、いっそ城を降りて街の娼館にでもいけばいい。だがソルバのそれは、肉欲の処理をする相手がいなくて不満というだけではなかった。何よりロシンの顔を見られないことに対する苛立ちが募る。
 ソルバがいくら上司に説明を求めても、彼らは曖昧に話を濁すばかりだ。
「一体どいつが噛んでるんだ……」
 幹部連中の顔を一人一人思い浮かべてみるが、誰が今回の指示を出したのか見当がつかない。滅びた国の元王子を仲間にも与えず自分一人で囲い込む趣味のあるような男が、彼の知る中にいただろうか。それとも幹部たちが直接ロシンを使おうというのではなく、誰かが横から働きかけているのだろうか。
 これが今になって民の王家への悪感情を払うために、最後の王族であるロシンを殺す……などといった政治的な問題でないことはわかっている。さすがにそれならソルバにも情報が降りてこないのはおかしい。
「ソルバ」
「カロブ」
 目の前に食器の盆を持って座った男の姿に、ソルバは苦い顔になる。
 この男は王族を目の敵にしていて、最後の王子であるロシンにもいい顔はしなかった。それどころか数日前には、ロシンに暴力をふるったという証言もある。
「あのガキは今トワルのところだ」
「は?」
「だから……王子だよ。お前が捕らえた。あの」
 思いがけない相手からもたらされた情報に、ソルバは目を丸くした。
「なんでお前がそれを知って……いや、それより、今、トワルって言ったか? あのいかれ魔術師」
「そうだ。あの気違いのところだ。お前の許可があるとか言っていたが」
「そんなもん出した覚えはない」
「あの変態に騙されたな」
 話題の人物に対するあんまり、かつ的確な言葉を返し、カロブも苦い顔になる。
「カロブ、なんでお前がそんなこと知ってるんだ」
「お前だって聞いてるんだろ。俺があのガキを殴りに行ったことを。それを止めたのがあいつだった」
 何とも言えない状況に、ソルバは口をへの字に曲げる。彼の知らない場所で王子に関することが動いているのがますます気に入らない。
 カロブのことは、許すのとはまた違うが、彼の事情も事情だけに咎める気にはなれない。だがもう一人の行動に関しては、自分の名を勝手に使われたのもあってこのまま放っては置けない。
「トワルか。なんであいつが王子に興味なんか……」
「知らん。だが奴は第一、第二番隊隊長のお気に入りだ。上の決定に口を挟むことはいくらでもできるだろう」
 淡々と報告しながら、カロブは自らの分の食事に手を付け始める。
「……わかった。有益な情報をありがとよ。だがカロブ、何故だ? 何故王子を憎むお前が、わざわざ俺にそんなことを教える?」
「その台詞はこっちのもんだぜ、隊長。お前があの王子を憎んでると知っている俺にそんなこと言うってのは、まるであの王子に情けをかけるって宣言してるようなもんだぜ」
 カロブは食事から顔をあげ、まっすぐにソルバを見る。
「俺はあのガキが憎い。だがお前がもともと反乱軍に志願したのは、どんな子どもでもいつも笑顔でいられるような世界が欲しかったからじゃないのか? そのお前が、あの王子だけは例外なんて、器用なことができるのか?」
「カロブ……お前……」
「俺にはお前の気持ちなんてわからねぇよ。お前と違って俺はもともと人間嫌いだ。自分の子どもでもできたら別だったかも知れないがな。こいつこそ、と思った女は、俺の子を産む前にこの国の兵士に殺されちまった」
 年齢でいえばソルバより年上の男は、疲れた溜息をつく。
「いいや……カロブ、俺だってそんな立派な人間じゃない。俺は、自分の子ども時代の最後が王国の動乱に、無理やり破り取られちまったのが憎いだけなんだ。だからこの国に復讐した。他人のためじゃない、自分のためだ。俺が一番救いたい子どもは俺自身だ。王子を弄んでいる時の俺は、村で子どもの相手をしていた時とはまったく別の感情で動いてるよ。あの王子の泣き顔が見たくて見たくてたまらない」
 戦うというのは、嫌なものだ。戦うからには勝たねばならず、勝つためにはなりふりかまっていられない。そうして自分でも知らなかったような、自分の奥底のどうしようもなく醜くて無様な面まで晒してしまう。
 だがカロブが、物思いに沈むソルバにかけた言葉はまたしてもソルバの予想とは違った。
「お前のそれは、本当にただの復讐心だけか? あの王子に向ける想いは」
「……」
 途切れた会話の合間に、ソルバは冷めてしまったスープを啜った。