WALTZ―悪魔と踊れ―

8.あなたとワルツを

 王族が結婚式を挙げる国内最大の教会の鐘が鳴り響く。旅立ち日和の晴れやかな青空に清らかな音はどこまでも染み渡っていった。
「行きましょうか」
「ええ」
 人々が王太子の結婚式典を眺めに訪れる大聖堂ではなく、その教会を抱く森の外れで二人は顔を見合わせた。
 いつもの服装の上に旅用のコートを羽織ったエヴァトが同じく旅装束のマルジャーナに尋ねる。二人ともとても貴族と王女には見えない装いだ。
「こんなおっさんが道連れですみませんね」
「そんなこと言わないでください。もとはと言えばわたくしのせいなのですから」
 ガイアード王太子ヴィルダーシュを刺したマルジャーナは、シャロン王女の資格を剥奪され追放となった。表向きには病死ということにされ、これからは一平民として生きて行くことになる。
 エヴァトはガイアード王から五年前に王弟公爵の影武者として密かに国を救った褒章として侯爵位と資産をもらい、マルジャーナと結婚した。
 そして今日はガイアードで一つの結婚式が行われる日だった。マルジャーナとエヴァトではない、本日華燭の典を挙げるのは、ヴィルダーシュとアマンダだ。
 結局ヴィルダーシュは王位継承権を弟王子に譲渡し、代わりにアマンダを花嫁として迎える権利を得た。彼は王冠よりも恋を選んだとして、しばらくガイアードとシャロン国内を沸かせるだろう。その内に彼らを主役とした物語の一つでも書かれるかもしれない。
 シャロンとガイアードの友好関係を保つための政略結婚に関しては、現在三歳のヴィルダーシュの弟王子とマルジャーナの五歳の妹姫との間で改めて婚約が交わされるそうだ。
 そしてマルジャーナはエヴァトと共に旅に出る。
「俺はもともとその辺の村人ですからもとの暮らしに戻るだけのようなもんですが、姫君はこれまでずっと王族だったわけでしょう? 未練などはないんですか?」
 念を押すエヴァトの質問に対し、マルジャーナは少し考えてから首を振る。
「そうねぇ……アマンダともう会えないのは寂しいけれど」
 マルジャーナのことで二人にも仁義なき戦いとか実家に帰りますとか色々あったらしいのだが、ヴィルダーシュに強く望まれたアマンダは最終的に彼と共に生きて行くことを選んだ。マルジャーナとしては王子がああいった人物である以上アマンダのことが心配だったものだが、昨夜、旅立ちの前の別れの挨拶をしに行ったマルジャーナに向けて、彼女は言った。
「大丈夫ですよ姫様! あたし、家の弟や兄さんたちのせいで、駄目男の扱いは得意なので!」
 それを聞いてマルジャーナは思わず噴出してしまったものだ。そして安心した。アマンダは王子と言う名でヴィルダーシュを美化していたわけでもなく、彼がああいう人物だと知った上で彼を愛しているのだ。それならきっと、彼女は大丈夫。むしろ彼女が側についていれば、あの正義漢だが単細胞の王子も徐徐に良い方へと向かっていけるだろう。
「幸せにね、アマンダ。わたくしは王子のことはどうでもいいけれど、あなたの幸せは、いつも願っているわ」
 王女と侍女ではなく友人同士として別れの抱擁を交わし、マルジャーナはアマンダに手を振ってガイアード王宮を出てきた。
「そういえば、姫君、以前から気になっていたんですが、一つ聞いていいですか?」
「なんですの?」
 教会の鐘の音を聞きながらエヴァトが首を傾げる。
「侍女殿のことなんですが、『下町育ち』ってどういうことですか? ただの平民かと思ったら『リズアー家のお嬢様』と呼ばれているし、貴族の礼儀作法は苦手のようだし」
「ああ、そのことでしたら……」
 マルジャーナは本日をもって王子の妃となった彼女について説明する。
「リズアーと言うのは、シャロンの宰相の家柄です。大臣は様々な人が選ばれるけれど、宰相はいつもリズアーの一族から選ばれていたわ。アマンダは今の宰相、リズアー家の当主の娘なのだけれど、正妻ではなく妾の娘として、最初はその存在を認められていなかったの。それが、二年ほど前に正妻の亡くなったリズアーの当主がアマンダとその母君を家に迎え入れて正式な令嬢となったそうですよ。それまでは下町で母君と二人で、自分の素性も知らず暮らしていたのですって」
 だから彼女は下町育ちのリズアー家のご令嬢なのだ。シャロンでは王家に告ぐ格式の家柄だが、初めからそこで生まれ育ったわけではないために、貴族の作法に疎く、何かにつけては他の貴族から無作法を嗤われていた。
「……それはまた、ドラマチックな人生で」
 エヴァトが呆気にとられながら、教会の方を眺める。最終的に隣国の王子に見初められたアマンダの人生はまさしく物語の主人公だ。
「人の人生って色々で面白いわよね」
 かたや王女として生まれながらその座を追われた姫。かたや下町娘として育ち、王子の妃にまで成り上がった少女。
「……そうですね」
 そしてここに、王弟の影武者として人知れず国を救った男がいる。国王と国の上層部しか知らぬことだが、エヴァトは五年前の戦争で兵の士気を高めるために尽力した。
「そういえば、エヴァトはどうしてここまでしてわたくしを助けてくれたの?」
「今更それを聞くんですか? 姫君……」

 ◆◆◆◆◆

 いつの世もどんな時代でも、物語のお姫様は顔も心根も綺麗で、王子様は格好良く正義を貫き愛に生きねばならないらしい。
 きっと今この時にもそういった物語は創られ続けている。けれど例えばここにいるお姫様は特に綺麗な顔でもなければ心だって美しくはなく、人並に他者を羨み嫉み、殺したいほど恨むこともあれば、友人の幸せを願いもする。しかも男は王子様ですらない。
 それでも物語は紡がれる。
「素晴らしい天気ですね、姫君」
「はい」
「楽団もシャンデリアもありませんが、一曲踊りませんか?」
「まぁ、素敵」
 流行りの小説のお姫様と王子様のように輝くシャンデリアの下で人々に賞賛されながら踊る事はない。時には悪魔の声も聞く。 
 けれど今、輝くこの日差しの下、あなたとワルツを。

 了.