風の青き放浪者 01

6.闇色の少年

 街の広場から歌声が聞こえてくる。
 普段は音楽など一切興味はないのに、何故か今の歌声には心を惹かれたようだった。少年は顔を隠す頭巾を少しだけ避けると、風の中に紛れて届く竪琴の音と、それに合わせた滑らかな男の歌声に耳を澄ませた。
 聞きなれた英雄王の伝承で、この国の民ならば全員が歌詞を覚えているだろうという歌だ。ひねりも独創性も何もない。だが、だからこそ竪琴を奏でながら力みなく声を張り上げる若い吟遊詩人の技量がしっかりと伺えた。エクレシア国民ではなく、英雄王伝承に何の思い入れもないこの自分でさえ、入国してから耳に胼胝ができるほど聞きなれたこの歌に惹かれているのだ。
 もっと近くで聞いてみたいような気もしたが、生憎と約束の時間が迫っていた。ただの町人ならばいざ知らず、自分のような立場の者は呑気に吟遊詩人の歌に聞き入ることは許されない。むしろこの歌声が周囲の人々の耳目を惹きつけて異邦人である自分への注意がそれているのをこれ幸いと、再び頭巾を引き下ろして歩き出す。
「よう、来たな」
 待ち合わせの場所は、いかにも密談をするのによさそうな薄暗い地下の酒場だった。彼と同じようにさりげなく顔を隠した男が待っている。少年と同じ組織に属する同僚の一人で、今回彼よりも先にこの仕事を受けたはずの男だった。
「俺の今回の雇い主は神経質な旦那でね。一度俺と他の奴らがへまをしたもんだから、邪魔者を片づけるのに新しい人間を寄越せと依頼された」
「それで俺にお鉢が回ってきたと?」
「そういうことだ。お前、好きなんだろ? 遺跡探索」
 どうする? と尋ねられて少年は溜息をつきながらも首肯する。
「わかった。引き受ける。それで、標的の名は?」

 ◆◆◆◆◆

 カタフィギオ遺跡はエリピア遺跡と印象こそ似ているが、その規模は桁違いだった。壮麗なエリピア遺跡を〝城〟と称するならば、カタフィギオ遺跡はまるで〝街〟だ。
 くすんだ灰と茶が入り交じった石積みの遺跡はとかく広い。地上に見えている部分も相当な大きさだが、この遺跡はむしろ地下の方が広大らしい。
 ところどころにエリピア遺跡と似たような装飾が施されているが、向こうと比べれば全体的に簡素な造りだった。角柱が立ち並ぶことによって構成された地上部と、延々と薄暗い通路が伸びる地下とが合わさって一つの遺跡として存在している。
 これまでカタフィギオ遺跡と呼ばれていたのは、地上部の街並みだけだった。しかし今回偶然によって地下が発見されたため、イェフィラ王国の方で大々的な調査を行うに至ったらしい。
 ただしカタフィギオ遺跡の地下はただの地下ではなく、一度入ればなかなか抜け出せない一種の迷宮であることもまた発覚した。盗掘者たちの朽ちかけた白骨の屍が、その迷宮が無限であるかのように思わせる。
 遺跡の調査をするのに、軍隊は役に立たない。それよりも向いた者として、この大陸には古くから〝冒険者〟なる職業が存在した。神代の時代の魔術や神器といった遺産、あるいはアディスがエリピア遺跡でエフィを見つけたように神獣の卵といった、人知程度で一元的には把握できない聖物を罠だらけの遺跡から引き揚げる作業を請け負う傭兵業の一種。それが冒険者だ。
 重要な古代の品が収められている遺跡は、それらを無分別な盗掘者から守るために内部を複雑にし、無数の罠を仕掛けていることが多い。カタフィギオ遺跡の地上部のように街がそのまま残された遺跡もあるが、遺跡と呼ばれるものの大半は古代の権力者の墓所であるから当然だ。
 古代の墓所は一度建築した後に出入りする者が限られるために罠を仕掛けやすい。そして王の墓所には、高価な副葬品とともに当時の生活の記録やその手がかりなどが山ほど眠っているために、盗掘者だけでなく古代史の研究者や隠れた富を狙う権力者の関心も高いのである。
 冒険者が発掘した品物は大概依頼主に納められることとなるが、中にはすでに調査を終えた遺跡から探索者が独力で宝を探しあてた例や、宝の価値に見合うだけの報酬を得た例もある。そのため冒険者は、危険も大きいが得る物も大きい一攫千金の職業として知られる。
 遺跡から発掘される副葬品や財宝は、それこそピンキリだ。危険度の高さと報酬の額が釣り合わないという点では、博打以上に博打な職業でもある。しかし目当ての遺跡から価値ある品々を発掘出来た時の身入りの良さと、何より前人未到の地に自らの足跡を残すという浪漫、あるいはもっと実利的に兵役を経験した人間がその戦闘経験を活かせる職業としての、冒険者の人気は留まるところを知らない。また、各地を旅する吟遊詩人や劇団は、時に魔物を退治したり未知の遺跡を攻略する冒険者たちの物語を娯楽として提供するために演じる。
 今回カタフィギオ遺跡の探索にも、そんな冒険者たちが多く集まった。
 筋骨隆々の戦士、長衣を纏った魔術師、身軽な格好の盗賊などが数人で徒党を組んでいる。アディスとエフィ以外の冒険者たちは、少なくても三、四人から時には十数人の集団になっている者が多い。
 吟遊詩人の象徴としての竪琴を抱え、小さな子どもにしか見えないエフィを連れたアディスはどう見ても悪目立ちしていた。先程から遺跡の目前に集まった者たちがちらちらと二人に目を向けている。
 物珍しさ故か、幾つかの集団から仲間にならないかとの誘いをかけられた。だがアディスは、そのどれをも断ってきた。
 あわよくばアディスとエフィを人買いに売り飛ばそうとする輩、若い二人を真剣に心配する者たち。悪意と善意。けれどそのどちらも、結局は彼ら二人を無知で無謀な蒙昧の子どもと侮る考えからきている。それは一つの真実ではあるのだが、こちらの実力も見ないうちから見た目で洟垂れ扱いされるのは、さすがのアディスでも矜持が許さない。
 エフィが何を考えているのかはアディスにはわからないが、この竜の子はアディスの行動に滅多に反対しない。それに人界の常識には然程興味もないようで、アディスがどれだけ探索の誘いを断ろうとも勝手にしていた。
 ある意味それが救いではあるのだが、鬱陶しい勧誘の口上を断る手立てにはならない。
 せめてあともう一人、二人、素直に頼れるような仲間がいれば。
 アディスの脳裏には時折そんな考えが浮かぶ。それと同時に、エクレシアに残して来た親しい人々の顔も思い浮かんだ。常に冷静で幅広い知識を持つニネミアと、大人しげな容貌とは裏腹に優れた剣の腕を持つクレオ。
 例え二人が傍にいても、こんなことには巻き込めるはずもない相手だ。一番愚かで勝手なのは誰かと、アディスは人知れず自嘲する。
「おい」
 考え事をしていたアディスは、その呼びかけを危うく聞き逃すところだった。
 慌てて振り返ると、黒髪に黒い瞳の、驚くほどに綺麗な顔をした少年がアディスとエフィの背後に佇んでいる。
 穏やかでのんびりとした印象を与えるアディスとは正反対の、硬質で毅然とした、まるで刃のような少年だ。夜が明ける前の最も暗い時を切り取ったような艶めく黒髪。吸い込まれそうなほどに深い闇色の瞳。希代の彫刻家が丹精込めた作品のように繊細な美貌だが冒険者としての立ち姿には隙がなく、華奢と言っていいくらいの体格だがすらりとした手足には無駄のない筋肉がついている。
「お前たちは二人だけか?」
「そうだけど」
 見たところ目の前の少年は、アディスと同じかもう少し年下くらいの年齢だ。飾り気のない短いマントの下に、ずらりとナイフを隠し持っているのが一瞬ちらりと見えた。腰にはそれよりやや大きめの双剣を佩いている。
「俺の名はゾイ。お前たち、もしよかったら、俺と組まないか?」
「え?」
 ゾイと名乗った少年は、辺りを見回しながらアディスに話しかける。
「ここにいる連中、大体どこも最低三人以上で組んでいるみたいだからな。俺は最近相棒と別れたばっかりだし、お前もそいつと二人じゃ見た目で随分侮られたんじゃないか?」
「まぁ、確かにそうだね」
「だろ? だったら、この遺跡を攻略するまでの間だけでも俺と協力してくれないか? こっちを子どもだと思って上から目線でいらぬ世話を焼こうとする連中にはいい加減うんざりきてるんだ」
 本当に鬱陶しそうな様子で、ゾイは艶やかな黒髪をがりがりと乱暴にかく。見た目は生半な少女など太刀打ちもできない美少年だが、中身はアディスより余程男らしい。
「お前らなら俺と似たようなもんだろ? 俺だってこの歳で冒険者やってる以上そこそこの腕だ。悪いようにはさせないぜ」
「君の実力はともかく、僕らの実力の方がちょっと心許ないんだけど」
 吟遊詩人は竜の子と一瞬視線を交わしてからそう言った。
 ゾイはお節介な親切心を発揮しようとする年上の冒険者たちよりは、アディスたちの感覚に近い立場で話をしてくれそうだ。けれど人間ではないエフィのことやアディス自身の祖国での身分や立ち位置を考えれば、そうそう無関係な人間を巻き込みたくはない。
「なんだ。本当に見た目通りの素人だったのか。まぁいい。一人でここの遺跡を探索できると思って来た俺みたいな奴もいるんだからな。人数が増えて悪いことはないだろ。さぁ、どうする?」
 アディスは腕を組んで頭を悩ませた。他でもないつい先程、あともう一人二人仲間がいればと考えたところだ。
 ずっと一緒にいるというわけでもなく、遺跡を探索する間だけならばこの稼業に詳しい者がいてくれた方がありがたい。
 ちらりとエフィに目を遣ると、竜の子はまったく興味がなさそうな顔をしていた。
(アディスの好きにすれば?)
 脳裏に直接語りかけてきたエフィの言葉を聞いて、アディスは心を決めた。
「じゃあ、お願いするよ。僕はアディス。こっちはエフィ。よろしく」
「よろしく」
 黒髪の少年は笑顔の裏に無数の刃を隠したまま、にっこりと頷いた。