風の青き放浪者 01

7.遺跡の守護者

 カタフィギオ遺跡の地下はまさしく迷宮と呼ぶに相応しい広さと、そして複雑さを兼ね備えていた。
 どうやら遺跡全体に巧妙な細工がなされているらしく、単純な一本道を通ってきたつもりでいつの間にか入り組んだ区画に入り込んでいる。恐らく、目で見える景色に錯覚を引き起こすような仕掛けが施されているのだろう。アディスは手元の自作地図を見下ろしながら溜息をついた。
「えーと、さっきこっちの道を曲がって行き止まりだったから……って、また分岐? 今度はどっちに行こうか」
「右だ」
「どうして?」
「残された足跡の多くは左に向かっている。既に他の連中が入りこんでいるんだろう。そいつらを出し抜く自信があるなら別だが、そうでないならまだ誰も足を踏み入れたことのない場所に向かうべきだ。遺跡の奥に辿り着く者が増えれば増えるほど、一人分の分け前は減るんだからな」
「ふぅん。そういうもの?」
 すでにいくつもの遺跡を探索した経験のある冒険者だというゾイの意見を尊重して、アディスは彼の言うとおり右へと足を向けた。
 アディスは宰相の息子としてそれなりの教養を身に着けてはいるが、それはあくまでもエクレシア王国の宰相になるためのものであって、遺跡探索者や冒険者といった特殊な職業における常識はわからない。
 迷宮の中は暗く、淀んだ土と空気の匂いがする。埃っぽい石でできた灰色の廊下は果てしなく、まるで合わせ鏡の中を覗いているかのようだ。しかも簡素な造りの廊下を抜けたあとは、人を迷わせるさまざまな仕掛けがある。
 一応自分で地図を作りながら歩いているとはいっても、少しでも気を抜いた瞬間にどこから歩いてきたのかわからなくなるだろう。通路の途中や突き当たりの部屋に入るたびに作動する罠も、方向感覚を狂わせる一因だ。
 またしても辿り着いた小部屋の中で、物言わぬ躯が虚ろな眼窩を向けて三人を出迎えた。真新しい同業者の死体ではなく、かつて盗掘者だったかどうかもしれない白骨であることはこれでも幸いなのだろう。多分。
 死体の服装を見ればそれがいつの時代の人間か大体のことはわかる。骨に残った傷を調べることで、部屋の中に仕掛けられた罠の内容も事前に予測することができた。
「これは矢傷だね。たぶん向こうから飛んできたんだろう」
「部屋の向こう側に行くには、あっちの壁をぎりぎりに歩く必要があるな」
 罠は厄介ではあるが、どれも彼ら三人にとっては致命的なものではなかった。
「アディス」
 ふいに通路を歩きながらゾイが名を呼ぶ。
「お前、見た目はまるでいいところのお坊ちゃんなのに実は結構場慣れしてるのな」
「そう? まぁ……実家の周囲が結構物騒でね。自然と覚えたんだ」
 権力者の常として、アディスは昔から身辺に気を配ることを叩き込まれていた。あいにくと武芸の才は薄かったアディスだが、罠を見破ったり毒を嗅ぎ分けたりすることは得意中の得意だ。ファルマの街で買い足した魔法弾も投入している。
「でも、僕は長剣を用いてのまともな戦闘になるとほとんど役に立たないよ。魔術も小さな魔法なら使えるけど、実戦で威力を発揮するような大技は操れないし」
「ふぅん……」
 何の変哲もない廊下をしばらく歩き続けていた一行は、やがてゾイの合図で足を止めた。
「ゾイ、これって……」
「何かいる」
 通路の奥には扉があり、周囲の壁の様子を見るにそれなりの大きさを持った部屋がおそらく広がっている。けれどその中からは、何かの気配がした。
「人間じゃ、ないよな」
「守護者だよ。この遺跡の守護者」
 ぐるぐると喉の奥で唸るような獣の声にアディスが眉根を寄せると、答らしきものをエフィが口にした。
「この先は〝守護者の間〟、その向こうには〝此岸の岸辺〟、その奥には〝王の墓所〟が続いている」
「エフィ、知っているのか?」
「だってここ、あいつの作った墓所だもん。この街全体がね、哀れなる王とその民のための墓守の街なの」
 アディスは驚いて小さな子どもの顔を見つめた。否、彼はただの子どもではない。偉大なる竜の生まれ変わりだ。
「エフィ……」
「何者なんだ? このガキは」
 ゾイがあからさまに胡散臭いものを見る眼差しでエフィを見る。彼はどういうわけか虹色の髪の子どもを嫌っているようで、最初からあまり彼にかまっていない。
「ガキ? 私が?」
 一方エフィの方でもゾイの存在に何の不満があるのか虫が好かないといった態度を隠さず、黒髪の少年を睨み付けた。
 視線の間で火花を散らす二人の間が険悪になるのをなんとか止めないと、と考えたアディスはおかげでエフィの特異性がさっそく頭から吹き飛んだ。彼が竜の生まれ変わりであることも確かなら、今は翼を失って無力な子どもの姿をしていることもまた確かだ。
「二人とも! それより今は、この扉の向こうのことだろ!」
 ゾイとエフィは不承不承といった様子で睨み合いをやめる。けれど視線を合わせたらまた敵意が再燃するというように、頑なにお互いの目を合わせようとしない。
「とにかく、この向こうにはその、守護者とか呼ばれる化け物が待っているんだろ?」
「そうだな。じゃ、行こうぜ」
「躊躇一切なし?!」
 現状を確認するための言葉だったのだがアディスの台詞にあっさりと頷いたゾイはさっさと扉に手をかける。危険だから回り道にしようとか装備を整えて後で来ようとか、そういう考えは彼の辞書にはないらしい。
 扉を開けたアディスたちの前に、白い空間が開けた。分厚い扉の外側にいたときよりも、凶暴な唸り声が近くなる。
 しかし唸り声を発していたそれは、驚いたことに見た目は人間に近かった。
「甲冑……?」
 鈍い灰色に光る甲冑に全身を包んだ騎士――少なくともそう見える姿をしている。兜は面頬を下ろして完全に顔を覆い隠し、冷たい鋼に覆われたその身は何の感情も示さない。
 瞳さえも見えないその奥から、獣じみた唸り声が聞こえる。
 部屋の中は、これまでくすんだ灰色の石造りの通路が続いていたことが嘘のように洗練された白い石で作られていた。少し目がまぶしく感じるほどの、果てのない白い空間。部屋の右手に壁画があり、四隅に金の柱が立っている。そしてよく見ると、この部屋には出口がない。
「守護者を倒さないと部屋から出られない仕組みになってるんだよ」
「エフィ、ちょ、頼むからそういうことは早く言って――」
「アディス!」
 ゾイの警告が飛ぶや否や、アディスは反射的に横へと避けた。甲冑の騎士が獣じみた動作で、三人の真ん中に立っていたアディスに斬りかかってきたのだ。
「うわっ!」
「退いてろ!」
 武器も手にしていないアディスには、攻撃をひたすら避けることしかできない。アディスと入れ替わりに双剣を手にしたゾイが飛び出してきて、甲冑の騎士の一撃を受け止めた。
 長剣と短刀で近接戦闘となれば短刀が不利なのは言うまでもない。しかしゾイは二本の刃を器用に操り、骨をも砕けそうな一撃に込められた力をうまく逃がしながら受け止めている。
 騎士の攻撃をかいくぐったゾイは、相手の甲冑の隙間から短刀を差し込む。
 常人なら致命的な個所への一撃だ。しかし次の瞬間、ゾイは険しい顔で相手から離れた。
「まさか」
 甲冑の騎士は痛手を受けた様子もなく、平然とゾイに斬りかかってくる。熟練の兵士並みのその腕にゾイが押され始めているのがわかり、アディスはなんとか加勢する方法を考える。
 抱えた竪琴を爪弾き、魔力を乗せることによって相手の動きを止める音色を奏でだす。しかし生き物であれば何であろうが効くはずのその術が、甲冑の騎士には少しも影響を与えられない。
「効かないっ?! なんで!」
「無駄だ! こいつは……」
 ゾイが騎士の目前で短刀を振り上げ、その兜を弾きとばす。カンッと金属と石床が触れ合う固い音がして地面にそれが落ちた時には、アディスも目の前の守護者と呼ばれる存在の異様さが視覚的に理解できた。
「げっ!」
 ゾイが面頬ごと兜を弾き飛ばした騎士の頭部には、何もなかったのだ。つまりこの甲冑は、中身もなく動いているのだ。
「幽霊?」
「いや、人工物なんだろう。これまでの探索で聞いたことがある。過去の遺跡の管理者が作り出した、守護者と呼ばれる人工生命体」
 自分で自分の推測を疑っているようなアディスに、ゾイが冷静に答を返す。そうか、とアディスは納得の声をあげた。
「だから竪琴も効かなかったのか。……ってそんなもんどうやって倒せばいいんだよ」
「それを考えるのはお前の仕事だ」
 かわしきれない一撃を短刀二本でぎりぎり受け止めながら、ゾイが言う。
「頼んだぞ。俺はこいつの攻撃を抑えるだけで手いっぱいだ。こいつを倒す方法は、お前たちで考えてくれ」
「――わかった」
 ゾイに役割を振られたアディスの顔からスッと表情が抜け落ちた。真剣な眼差しで、彼は中身のない騎士を睨み付ける。
「あれが人工物だというなら、魔術しか考えられないな。あの手のものは」
 国でミラから受けた教えを思い返す。
 アディスは多くの魔力を持ってはいるが、それを自分で使うことはできない。その代わり何かあったときに対処できるよう、魔術に関する知識だけは徹底的に叩き込まれた。
 斬っても死なない人工物。甲冑の中身は空っぽの命のない人形でありながら、意志を持つかのように彼らに攻撃をしかけてくる。これは……。
「遠隔操作! 本体は別にあるはずだ! ゾイ、エフィ! 部屋の右に寄って!」
 アディスの言葉通り、二人は騎士の相手も放り出して部屋の壁際にびたりと張り付いた。アディス自身も彼らと同じく、壁に背をつける。
 すると甲冑の騎士は、急に動きを止めた。うろうろと何かを探して彷徨う。
「俺たちが見えていないのか……?」
「ゾイ、君の左にある壁画だ。その絵の目を切ってくれ」
「ッ! そういうことか!」
 アディスの言葉を受け、ゾイの目にも理解の光が閃いた。彼は力を込めて短刀を握りなおすと、白い壁に描かれた絵に大きな傷をつける。
 グギャァアアアアア!
 恐ろしい咆哮が、部屋全体から立ち昇るように聞こえてきた。部屋の中央部をうろうろとしていた甲冑の騎士の全身がいきなり崩れ、ばらばらのただの鎧に変わる。
「やった!」
 それを合図としたかのように、部屋の床と壁がぐらぐらと動き出す。
「わわ、わっ」
 振動と緊張が抜けた反動で思わず転んだ三人が起き上がろうと四苦八苦しているうちに、白い部屋は足を踏み入れた時とはずいぶん様変わりしていた。
「扉だ」
 これまで何もなかったはずの壁面に、金の柱四つを組んで作られた扉が出現していた。ゾイが斬った壁画の正面にそれは存在している。
「うーん」
「どうした?」
 部屋に入った時には甲冑の騎士に気を取られてよく眺める暇もなかった壁画を改めて眺めて唸るアディスにゾイが声をかける。アディスは首を傾げつつ口を開いた。
「いや、考えなしにとりあえず斬っちゃったんだけどさ。遺跡の壁画って、こういうのも考古学的には重要な遺産なんだろ? まずかったかなぁって」
「……この場合は仕方がないだろ。部屋から逃げられるならまだしも、出口がなかったんだ。いくら報酬が良くても命と引き換えてまで果たすような依頼じゃない」
「まぁ、そうだよね」
 そうは言いつつもやはり気になってしまった少年二人は、改めて白い壁に刻み込まれた壁画をじっくりと眺めた。ゾイのつけた傷は大きいが、元の絵がわからなくなるほどではない。
「これは……竜?」
 中央にゾイが斬りつけた大きな目玉の絵、その上部に翼を広げた竜。下部にはひれ伏す民衆の姿が描かれている。
「伝説の竜王ってやつじゃないか? 圧倒的な力で人や魔族、その他の種族を従えていた悪竜の王。イェフィラと隣のエクレシアに伝わる伝説だったか」
「悪竜王……」
 自らもどこかで聞いたような話としてその伝説を思い出しながら、アディスはふとゾイの口にした単語に引っかかるものを感じた。
 エクレシアとその隣国イェフィラに伝わる竜王の伝説。エクレシアのエリピア遺跡で見つけた竜の子エフィアルティス。イェフィラのカタフィギオ遺跡の内部にある竜王を描いた壁画。最近どうにも、竜にまつわる出来事が多すぎる。
 アディスはエフィを見た。守護者や遺跡のことについて何か知っている風だった子どもは、ゾイの前だからか何も言わない。アディスの視線に気づいているだろうに、一瞥すら返さずに無視している。
「まぁ、済んじまったことは仕方がないさ。扉ができたんだから先に進むぞ」
「あ、うん」
 不審を抱えながらもアディスは壁画を離れ、ゾイとエフィについて歩き出した。