10.墓守の魔女
「遺跡の番人?」
「はい、わたくしは王の墓所の墓守にございます」
片手に魔術の明かりを松明替わりに灯し、赤毛の少女はアディスたちを案内する。契約者の橋と呼ばれる黒い渓谷を抜けて、三人は今、閉塞感のある長い通路を歩いているところだった。
ゾイの挫いた足は、ルルディが魔術で治療を施した。どうやら彼女は、魔力を扱う術をほんの少しかじっただけのアディスでは太刀打ちできない程の実力を持つ魔術師らしい。彼女が手持ちの杖を一振りすると、濡れていた彼らの衣服もあっという間に乾いてしまった。
そして無事に五体満足となったアディスたちはルルディの後について、遺跡最奥を目指している。狭く暗い通路は玄室へと通じる道だ。エフィやルルディの言った墓所という言葉を、アディスは一歩一歩足を進めるごとに実感する。
通路内の空気は乾いていて、何の腐臭もしない。しかしそこには微かな冷気が満ちていて、静かな死の気配を感じさせていた。
目の前の少女の背中とその手の明かりを頼りにしながら、アディスは彼女の口から思いがけずこの遺跡がエクレシア王家と深い関わりを持っていることを聞く。
「かつてエクレシアとイェフィラがまだ一つの王国、氷の国と名乗っていた頃にこの遺跡は王の手により作られました。あるものを守るために、王は血族の中から、自らの墓守を務める者を選び出しました。その末裔がわたくしなのです」
「つまり君は、かつての王族の子孫?」
「そうです」
アディス個人の感覚で少女の立場を把握すると、要するに彼女はクレオの遠い親戚となるらしい。何百年も代を重ねてすでに赤の他人も同然の繋がりと言えばそうだろうが、それでも感慨深い。
暗い通路にカツコツと靴音が響き、松明の明かりが長い影を壁面に浮かび上がらせる。炎の照り返しにも負けない少女の鮮やかな赤毛は、確かにクレオと同じ色だ。
「王は眠る友のために、やがて彼が目覚めた時のことを墓守たちに命じておきました。彼の方が眠りから覚めた際には、我ら墓守の一族はよく彼に従い、この墓所で守り続けてきたものをお返しせよ、と」
「一つ疑問があるんだが」
そういって口を挟んだのは、一行の一番後ろを歩いていたゾイだった。
黒髪の暗殺者少年は、先程まで自分を殺そうとしていた相手によくも背中を向けられるものだとアディスを揶揄したが、結局彼らから離れることはせずにここまで一緒に歩いてきた。もはや毒を食らわば皿までの心境らしく、今までの話にもしっかり耳を傾けていたらしい。
「その王とは、一体誰だ?」
ふいにルルディの持つ魔術の明かりが本物の炎そっくりに揺らめく。
前方に白い光が見える。そこから風が吹いてきたのだ。玄室へと続くこの長い通路の終わりが見えてきた。
「それは誰もが知る存在です。かつて英雄と呼ばれた王」
少女は指先を彼らの歩む先に向けて伸ばす。
「この向こうが、我らのこれまで守ってきた〝王の墓所〟です」
◆◆◆◆◆
「それにしても、ここは本当になんなんだ? カタフィギオの下に本当にこんな場所があるのか?」
ゾイの言葉に、アディスも同意した。二人はきょろきょろと周囲を見回しては驚愕と感嘆の声を上げる。ルルディに連れられてきた場所は、彼らにそうさせるだけの力を持っていたのだ。
カタフィギオ遺跡は地上部も街一つ丸々入るほど広いのだが、地下はそれ以上に広い。広大だとは聞いていたが、迷宮と渓谷が含まれるのだから予想以上だ。
そして渓谷を抜けた先に広がっていたのは、一つの街だった。
箱型の建物の入り口と窓だけをくりぬいた簡素な造りの家が立ち並ぶ。道幅は広く、馬車が二台余裕をもってすれ違うことができるだろう。
アディスはふいに、この街並みに違和感を覚えた。彼自身はその理由を突き止めることができなかったが、ゾイの方は同じ疑問にすでに答を得ていたようだ。
「教会がないな。これだけ広い街なのに目に入る場所にその影もないってのはおかしい」
「ああ、そうか」
庶民派とはいえアディスはあくまでも宰相の息子として育ってきた。街に出る機会は少なく、目で見て知っている街や村の数もそれほど多くはない。
遺跡内部の街に人の気配はなく、ただ建物だけが時を止めたように残っている。
どういう魔術の仕掛けなのか、空は奇妙に白い。薄曇りの日にも似て日が差さず、けれど明かりとしては十分だ。自分でも気づかずにあの黒い渓谷の色彩が与える圧迫感にまいっていたアディスとゾイは、ほっと息をついた。
「エフィはどこにいるんだ?」
「ただ今ご案内いたします。こちらへどうぞ」
ルルディの案内で、アディスとゾイは街の中心部を通る幅広い道を歩いた。エフィは街の一番奥――つまりはこの遺跡の一番奥にいるのだという。
「何故そんなところに?」
「ここはあの方にとって、馴染み深い方がお眠りになっている場所ですから」
「……」
まったく汚れてはいないが人気がなく寂れた様子の大通りを抜け、アディスたちは街のはずれへと辿り着いた。
そこには、花が舞っていた。
常々広さに驚かされる遺跡の最奥もやはり十分な広さを擁していた。花畑の中で、小さな子どもが一人眠っている。
「エフィ!」
横たわる子どもに駆け寄ろうとしたアディスは、エフィアルティスのすぐ傍に控えめな白い墓石が建っているのに気付いた。
思わず目が墓標に刻まれた名を追う。そして彼は、息をすることを忘れた。
クラヴィス=エクレシア、ここに眠る――。
ありふれた文句と稀有なる伝説の王の名。それはエクレシアの英雄の名だ。
彼こそがルルディの言う王。この遺跡を作り、この遺跡に眠る。
「クラヴィス王の墓、いや、でもまさか、そんな馬鹿な――」
否定の言葉を舌に乗せながらも、アディスはそういえばと過去の記憶を掘り起こしていた。
その昔クレオとニネミアと探索した城の奥の庭園。当時はそこが墓地だとも知らずに秘密の遊び場としていた三人は、間違って伝説の英雄王の霊廟へと足を踏み入れた。けれど棺の中には何もなかった。だからこそ空っぽのそれが棺桶であるなどと、三人とも気づかなかったのだ。
エクレシア王国内の霊廟になかったクラヴィス王の遺体なり遺骨なりは、一体どこに収められていたのか? 大きくなってから思い至ったその疑問の答えが今、ここにある。
「どうして……」
だがここはエクレシアではなく、隣国イェフィラ国内の遺跡だ。クラヴィス王の時代にはまだ二国が分かたれておらず一国だったとしても、王都の場所はずっと変わっていないのだ。あまりにも離れすぎている。
アディスの呟きに気づいてか、蛋白石(オパール)色の子どもがそっと目を開く。
「エフィ……エフィアルティス」
思わず名を呼んだ青い瞳の少年に、神獣は――エフィは覚醒しきらない寝ぼけ声を上げた。
「クラヴィス……待ってたよ」
まだ夢と現を彷徨うその喉から漏れたのは、彼ではない者の名前だ。その名の持ち主はエフィアルティス自身が抱え込んだ墓石の下に永遠に眠っている。
「お前が私を起こしてくれるのを。ずっとずっと、待っていた――」
アディスは言葉を失った。
エフィが待っていたのは、英雄王クラヴィスなのだ。アディスではない。
ゾイがこの腕を掴みながら、アディスに重ねて見ていたのも誰か別の人間だ。そしてエフィがアディスに望むのも。推測が正しければ、恐らくゾイを差し向けてアディスを殺そうとした相手だってそうだ。彼らは皆、アディスに誰か別の人間の面影を重ねて見ているだけ。
夢現のエフィの瞳から、透明な滴が滑らかな頬を滑り落ちる。
言葉も出ないアディスの傍らに立ったルルディが、小さく口を開いた。
「竜王よ、英雄王クラヴィス=エクレシアの命により、我らに託された翼を今、お返しします」
彼女が何事か呪文を唱えると、クラヴィス王の墓標が突如として光り出す。
小さな光の球が墓標の上に浮かび上がる。よく見るとその白い光の中には空色の鳥の羽根のようなものが閉じ込められていた。
「実際の竜の翼とは異なる形態をしていますが、これがエフィアルティス様の力の欠片を具現化したもの。竜王の羽根です」
淡々と説明したルルディがその羽根にそっと触れ、眠るエフィの額の上で放す。
エフィの中に羽根が吸いこまれていった瞬間、周囲が様々な色の洪水で溢れた。
ここではない青い空の下。幾人もの人影と笑い声、あちらこちらで移り変わる景色。
それはエフィアルティスという竜王の持つ記憶だった。過ぎ去った過去が泡沫のように無数に浮かび上がる。
その中に彼らは、真紅の髪の少年の姿を見つけた。
「クラヴィス王……!!」
誰に教えられるまでもなく、アディスにはそれが英雄王なのだとわかった。クレオと同じ真紅の髪を持つ穏やかな面差しの少年が、誰かに話しかけている。優しく微笑んで、手を差し伸べる。
その、情景が、ふいに歪んだ。
炎が見える。街が燃えている。雪が降っているのに、炎の勢いは止まらない。
剣を提げたクラヴィス王の姿。鋭く光る切っ先が血に濡れている。
赤だ。何もかもが目の眩むような真紅――。
そして彼は呟いた。
――さよなら。エーフィ。
アディスがハッと息を呑んだところで、その光景は消えた。
「これが、我ら墓守の一族がずっと守り続けていたこの遺跡の“宝”です」
反射的に隣に立つ少女の方を向いたアディスに、墓守を名乗り、今の光景を導いた魔術師の少女は淡々と告げる。
「この遺跡には、普通の冒険者が喜ぶような金銀財宝の類は何もありません。あるのは眠る英雄王の躯と、彼が封じた竜王の記憶だけ」
「封じた、記憶?」
「ええ。クラヴィス王はとある理由により、かつての仲間であった竜王様の記憶と力を分割して各地に封印したのだそうです。そしていずれ彼の子孫が竜王様の眠りを覚まし、新たな絆を結んだ時、その羽根を返すように墓守たちに命じました」
アディスは彼らをここまで案内してきた少女へと向き直った。
「全部話してくれるね? ここのことも君のことも、竜王のことも、全部」
「はい――英雄王の血を継がれる方よ」
少女はまるで主君に傅くように、アディスの前に頭を垂れて頷いた。